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本阿弥光悦筆「千載集『序』和歌巻」その五 [光悦・宗達・素庵]

その五 「ここにいまの世のみちを……」

(桃山時代 17c 紙本雲母摺絵墨書 H-24.9 W-1459.7 所蔵 MIHO MUSEUM 猪原家旧蔵) (以下の※「校注」などは『新日本古典文学大系10 千載和歌集』などを参考)
http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00002693.htm

5-1(4-6)

序4-6.jpg

(ことばのはやし
むかしよりもしげし。)
ここに
いま(今)の世のみち(道)を
このむ
ともがらの
ことのは(言葉)

5-2

序5-2.jpg

(ともがらの
ことのは)
をも)
きこしめし、
むかし(昔)の
とき(時)のをり(折)

つけたる人の
こころ(心)
をも
みそなはさんことに

5-3

序5-3.jpg

(みそなはさん
ことに
よりて)
かの後拾遺集に
えら(撰)びのこさ
れたる歌
かみ正暦のころ
ほひ
よりしも
文治の

※正暦=九九〇-九九四年。一条天皇の年号。
※文治=一一八五―一一九〇年。後鳥羽天皇在位、後白河法皇院政の時期の年号。

5-4

序5-4.jpg

(よりしも
文治の)
いま(今)にいたるまでの
やまとうた(大和歌)を
えら(撰)び
たてまつるべ

おほ(仰)せごと(言)なん
ありける、

5-5

序5-5.jpg

(ありける)
かの御とき(時)より
このかた(方)
とし(年)はふたももち(二百)
あまりにおよび、
世はと(十)つぎあまり
ななよ(七代)になん
なりにける

※とし(年)はふたももち(二百)あまりにおよび=一条天皇から後鳥羽天皇まで十七代。正暦元年より文治三年は一九八年目に当る。

5-6

序5-6.jpg

すぎ(過)にけるかた(方)も
とし(年)ひさ(久)しく、
いま(今)ゆ(行)くさき(先)も
はるかにとどまらむため、
この集を
なづけて
千載和歌集
といふ
かの後拾遺集
ののち、
(おなじく
勅撰になずらへて)

5-7

序5-7.jpg

おな(同)じく
勅撰になずらへて
えら(撰)べる
ところ
金葉、詩華のふたつ

集あり、
しかれども
部類
ひろからず
歌のかず(数)すく(少)なくして、

※金葉、詩華=金葉集、詞花集。

5-8

序5-8.jpg

(ひろからず
歌のかず(数)すく(少)なくして)
のこ(残)れる歌おほし
そのほかいま(今)の世
までのうた(歌)をとり
えら(撰)べるならし
(そもそもこの歌
のみちをまな
ぶることをいふに、
からくに日の
もとのひろき
ふみのみち
をもまなびず)


(参考一) 勅撰集(古今集・後拾遺集・千載集・新古今集)の構成など

https://kogani.com/text/classics/kimagurenikki_25.html


(参考二) 千載集(巻一から巻二十)

千載集(巻一から巻六)

https://mukei-r.net/waka-8a/8-3-senzai1.htm

千載集(巻七から巻二十)

https://mukei-r.net/waka-8a/8-3-senzai2.htm


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yahantei

千載集(序)5-8

(ひろからず
歌のかず(数)すく(少)なくして)
のこ(残)れる歌おほし → のこ礼る宇多おほし
そのほかいま(今)の世 → そ乃ほかいま能よ
までのうた(歌)をとり → ま天濃うたをと利
えら(撰)べるならし  → えらへ流るならし
(そもそもこの歌
のみちをまな
ぶることをいふに、
からくに日の
もとのひろき
ふみのみち
をもまなびず)

 上記の5-1図から5-8図までの、光悦の見事な「散らし書き」に接すると、つくづく、光悦は「書の人」という印象を強くする。
 そして、寛永の三筆(近衛信尹・本阿弥光悦・松花堂昭乗)の中で、
「散らし書き」(行間の広さに変化をつけたり、いくつかの集団に分けて書いたりする方法を「散らし書き」という。行の高さや傾き、集団どうしの間、墨継ぎの位置などを工夫して空間の美しさや立体感を出すことができる。)ということになると、光悦がずば抜けている。
 寛永の三筆については、下記のアドレスが参考となる。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=471
 また「散らし書き」については、下記のアドレスがヒントを与えてくれる。
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/shodou/archive/art_sho_16.pdf
 その上で、5-8図の釈文(揮毫上の書体)を「書道芸術」などを参考にして管見すると、図が縮小されていて判読し難いが、上記(5-8図)の括弧書き(前段と後段の部)を除いた四行は、「→の右側」のようになる。
 この「変体仮名」の妙手は、これまた、光悦ということになろう。
寛永の三筆は、「信尹=豪放、光悦=自在、昭乗=巧緻」などといわれるが、「漢字(中国風)・変体仮名・仮名(日本風)」との観点からすると、「信尹=漢字、光悦=変体仮名、昭乗=仮名」との、概括的な見方も面白い感じがする。
 さらに付け加えると、「光悦の書の世界」というのは、「日本の前衛詩人」のモダニストやシュルリアリストとの世界と極めて近い印象を深くする。


その黒い憂愁
の骨
の薔薇

五月
の夜
は雨すら
黒い
(オブジェの詩人 北園克衛「死と蝙蝠傘の詩」)







by yahantei (2020-09-28 11:05) 

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