「西洋人(シーボルト)」と「日本人(川原慶賀)」らの「江戸参府」紀行(その十三) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]
(その十三)「大阪から長崎への帰路」周辺
『シーボルト 江戸参府紀行(呉秀三訳注・昭和三年刊・駿南社)
https://yahan.blog.ss-blog.jp/
(再掲)
120 6/14 5/9 晴 大坂-西宮 肥料船のこと
121 6/15 5/10 晴 西宮-兵庫
122 6/16 5/11 兵庫 向い風のため出帆延期
123 6/17 5/12 兵庫 向い風のため出帆延期
124 6/18 5/13 兵庫 向い風のため出帆延期
125 6/19 5/14 夜兵庫を出帆
126 6/20 5/15 船中 朝 室の沖合で経度観測
127 6/21 5/16 船中 朝に 室の沖合-正午与島にゆく・造船所など
128 6/22 5/17 船中 夜備後の海岸に向かって進み、陸地近くに停泊
129 6/23 5/18 船中 引き船で鞆に入港・正午上陸・夜半に港外へ
130 6/24 5/19 船中 島から島へ進み、夕方御手洗沖・夜半停泊
131 6/25 5/20 船中 御手洗より患者が来て診察をもとむ・家室島の近くに停泊
132 6/26 5/21 船中 風雨強く午後出帆し、上関瀬戸を経て夜上関入港
133 6/27 5/22 上陸し上関見物・室津へゆく・夜出港
134 6/28 5/23 船中 午後二時過ぎ下関入港
135 6/29 5/24 下関滞在 海峡の図を受け取る・友人来訪
136 6/30 5/25 下関-小倉
137 7/1 5/26 小倉-飯塚
138 7/2 5/27 飯塚-田代
139 7/3 5/28 田代-牛津
140 7/4 5/29 牛津-嬉野
141 7/5 6/1 嬉野-大村 出島の友人みな元気との知らせを受ける
142 7/6 6/2 大村-矢上 出迎えの人その数を増す
143 7/7 6/3 矢上-出島 正、同郷人に迎えられ出島につく
≪下関
製造年 1669
製造場所 アムステルダム
定義
下関市は、日本の内海を航行する船舶にとって重要な通過路を形成する海峡に位置しています。オランダ人は宮廷旅行に乗り出すと、下関に乗船し、約1週間の航海を終えて大阪に戻った。
注釈 投稿者: Gedenkwaerdige Gesantschappen
オブジェクトのタイプ 彫刻(※グラビア=版画)
徴収 オランダ - 日本
施設 Koninklijke Bibliotheek
源 389 A 6 (イラストレーション), コニンクリケ図書館
著作権 情報: Koninklijke Bibliotheek ≫
https://geheugen.delpher.nl/nl/geheugen/view/shimonoseki?facets%5BcollectionStringNL%5D%5B%5D=Nederland+-+Japan&page=3&maxperpage=36&coll=ngvn&identifier=KONB11%3A388A6-NA-P-068-GRAV
≪出島 ホテル(※出島の商館)
製造年
1669 製造場所 アムステルダム
定義
出島は長崎湾にある人工島で、見分けがつきやすい扇形をしています。もともとはポルトガル人のために建てられました。ポルトガル人が日本から追放された後、日本政府は1641年にオランダ人に出島への定住を強制しました。出島のファクタリジは、主に倉庫と家屋で構成されています。島はよく守られており、オランダ人は例外的な状況で、そして毎年の法廷旅行(制限下の旅行)のためにのみそれを残します。正しいパスを持つ人だけが入場できます。出島には原則として15~20人ほどのオランダ人が住んでおり、ほとんどのVOC(連合東インド会社、オランダ語: Verenigde Oost-Indische Compagnie、略称VOC)関係者は静かに給料を稼ぐことができる(薄給の)簡単なポストと見られています。
注釈 投稿者: Gedenkwaerdige Gesantschappen
オブジェクトのタイプ 彫刻(※グラビア=版画)
徴収 オランダ - 日本
施設 Koninklijke Bibliotheek
源 388 A 6 (イラストレーション), コニンクリケ図書館
著作権 情報: Koninklijke Bibliotheek ≫
https://geheugen.delpher.nl/nl/geheugen/view/deshima?facets%5BcollectionStringNL%5D%5B%5D=Nederland+-+Japan&page=2&maxperpage=36&coll=ngvn&identifier=KONB11%3A388A6-NA-P-052-GRAV
(追記)「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)その十三
被写体:日本人が大好きな野外の気晴らし
掲載書名:日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−
編集者名:フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代:1833
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011014&hid=55&thumbp=
『東洋文庫341 日本風俗備考2(庄司三男・沼田次郎:訳注)』では、「Ⅻ 雑録」と題する第12章の「扉絵」として、この図と下記の2図が紹介されている。
≪被写体:裃すなわち礼服を着た日本人
掲載書名:日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−
編集者名:フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代:1833≫
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011015&hid=55&thumbp=
≪被写体:普段着の日本婦人
掲載書名:日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−
編集者名:フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代:1833≫
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011016&hid=55&thumbp=
(補記) 「スチュルレル・シーボルトらの江戸参府」の折、スチュルレル(カピタン=使節)が持ち帰り、後に「フランス国立図書館」に寄贈したといわれている「北斎・北斎工房・(川原慶賀?)」らの作品(その二)
http://expositions.bnf.fr/france-japon/albums_jp/hokusai/index.htm
左から「17日本橋辺風俗・18仏師・19海浜の漁師・20素麺作り」
左から「21洗張り・22武士の乗馬・23提灯張り・24西瓜の陸あげ」
「25 雪の渡し」
(補記)「海外で注目される江戸時代の天才絵師・川原慶賀の唯一現存する屏風が2年の修復作業を終え、オランダ・ライデン国立民族学博物館で公開 — オランダ国立世界文化博物館 From: PR TIMES 2021-11-04 17:48 — 」周辺
https://japan.zdnet.com/release/30611387/
https://prtimes.jp/i/89675/1/resize/d89675-1-77c0f940c4b51d99e0f2-0.jpg
https://prtimes.jp/i/89675/1/resize/d89675-1-ac15d0be10e5445eaa30-1.png
■ARで屏風を鑑賞できる「出島エクスペリエンス」: (リンク »)
■ライデン国立民族学博物館(所在地:オランダ・ライデン、館長:ウェイン・モデスト)は、江戸時代後期に長崎の出島で活躍した絵師・川原慶賀が1836年頃に制作した現存する唯一の屏風作品を、クラウドファンディングによる約2年の修復期間を経て、このたび公開いたします。あわせて、専用ウェブアプリ「出島エクスペリエンス」も開発し、AR(拡張現実)で世界中どこでもこの屏風を鑑賞できる環境をご提供します。
■当館は、医師として日本を訪れたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)が、8年かけて蒐集した日本にまつわる民族学的価値のある約5,000点のコレクションが契機となり、1837年に開館しました。シーボルトの日本滞在中に、その画才を見出された川原慶賀(1786-1860)は、シーボルトのお抱え絵師として、出島を自由に出入りできる特権を与えられ、日本の自然と異国の文化を色彩豊かに描いてきました。ヨーロッパ絵画の技法と日本の浮世絵を融合させた独自の写実画法による繊細な描写から、「カメラを持たない写真家」と称され、数多くの海外美術館でその作品が所蔵されています。また、昨今では大手オークションハウスにも出品されるなど、ヨーロッパを中心に海外で高い評価を得ています。
■そのような中、当館は、2018年に川原慶賀が1836年頃に描いた唯一の現存する屏風を取得。幅4m以上、高さ1.7mにもわたり、オランダ商館の建つ出島を画面中央に据えて長崎湾を一望できるこの傑作は、日本とオランダの特別な歴史的関係が見事に描かれています。しかし、取得当時は非常に状態が悪かったため、当館は、クラウドファンディングを通じて、屏風修復のための資金援助を募りました。その結果、京都の宇佐美修徳堂をはじめ、多数の日本の専門家協力によって、 2年の月日をかけて修復が完了いたしました。
■また、屏風の公開とあわせて、専用ウェブアプリ「出島エクスペリエンス」を開発いたしました。このアプリにより、スマートフォンやタブレットを使って、当館に訪問できなくとも、この貴重な屏風をはじめ、当館の日本コレクションに関する様々なストーリーを閲覧できます。アプリの中で最も特徴的なのが、AR(拡張現実)を活用したコンテンツ。これを使用すると、世界中どこででも、自分の身の回りの環境に実物大の屏風を配置し、川原慶賀の世界観を間近に体感することができます。
『シーボルト 江戸参府紀行(呉秀三訳注・昭和三年刊・駿南社)
https://yahan.blog.ss-blog.jp/
(再掲)
120 6/14 5/9 晴 大坂-西宮 肥料船のこと
121 6/15 5/10 晴 西宮-兵庫
122 6/16 5/11 兵庫 向い風のため出帆延期
123 6/17 5/12 兵庫 向い風のため出帆延期
124 6/18 5/13 兵庫 向い風のため出帆延期
125 6/19 5/14 夜兵庫を出帆
126 6/20 5/15 船中 朝 室の沖合で経度観測
127 6/21 5/16 船中 朝に 室の沖合-正午与島にゆく・造船所など
128 6/22 5/17 船中 夜備後の海岸に向かって進み、陸地近くに停泊
129 6/23 5/18 船中 引き船で鞆に入港・正午上陸・夜半に港外へ
130 6/24 5/19 船中 島から島へ進み、夕方御手洗沖・夜半停泊
131 6/25 5/20 船中 御手洗より患者が来て診察をもとむ・家室島の近くに停泊
132 6/26 5/21 船中 風雨強く午後出帆し、上関瀬戸を経て夜上関入港
133 6/27 5/22 上陸し上関見物・室津へゆく・夜出港
134 6/28 5/23 船中 午後二時過ぎ下関入港
135 6/29 5/24 下関滞在 海峡の図を受け取る・友人来訪
136 6/30 5/25 下関-小倉
137 7/1 5/26 小倉-飯塚
138 7/2 5/27 飯塚-田代
139 7/3 5/28 田代-牛津
140 7/4 5/29 牛津-嬉野
141 7/5 6/1 嬉野-大村 出島の友人みな元気との知らせを受ける
142 7/6 6/2 大村-矢上 出迎えの人その数を増す
143 7/7 6/3 矢上-出島 正、同郷人に迎えられ出島につく
≪下関
製造年 1669
製造場所 アムステルダム
定義
下関市は、日本の内海を航行する船舶にとって重要な通過路を形成する海峡に位置しています。オランダ人は宮廷旅行に乗り出すと、下関に乗船し、約1週間の航海を終えて大阪に戻った。
注釈 投稿者: Gedenkwaerdige Gesantschappen
オブジェクトのタイプ 彫刻(※グラビア=版画)
徴収 オランダ - 日本
施設 Koninklijke Bibliotheek
源 389 A 6 (イラストレーション), コニンクリケ図書館
著作権 情報: Koninklijke Bibliotheek ≫
https://geheugen.delpher.nl/nl/geheugen/view/shimonoseki?facets%5BcollectionStringNL%5D%5B%5D=Nederland+-+Japan&page=3&maxperpage=36&coll=ngvn&identifier=KONB11%3A388A6-NA-P-068-GRAV
≪出島 ホテル(※出島の商館)
製造年
1669 製造場所 アムステルダム
定義
出島は長崎湾にある人工島で、見分けがつきやすい扇形をしています。もともとはポルトガル人のために建てられました。ポルトガル人が日本から追放された後、日本政府は1641年にオランダ人に出島への定住を強制しました。出島のファクタリジは、主に倉庫と家屋で構成されています。島はよく守られており、オランダ人は例外的な状況で、そして毎年の法廷旅行(制限下の旅行)のためにのみそれを残します。正しいパスを持つ人だけが入場できます。出島には原則として15~20人ほどのオランダ人が住んでおり、ほとんどのVOC(連合東インド会社、オランダ語: Verenigde Oost-Indische Compagnie、略称VOC)関係者は静かに給料を稼ぐことができる(薄給の)簡単なポストと見られています。
注釈 投稿者: Gedenkwaerdige Gesantschappen
オブジェクトのタイプ 彫刻(※グラビア=版画)
徴収 オランダ - 日本
施設 Koninklijke Bibliotheek
源 388 A 6 (イラストレーション), コニンクリケ図書館
著作権 情報: Koninklijke Bibliotheek ≫
https://geheugen.delpher.nl/nl/geheugen/view/deshima?facets%5BcollectionStringNL%5D%5B%5D=Nederland+-+Japan&page=2&maxperpage=36&coll=ngvn&identifier=KONB11%3A388A6-NA-P-052-GRAV
(追記)「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)その十三
被写体:日本人が大好きな野外の気晴らし
掲載書名:日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−
編集者名:フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代:1833
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011014&hid=55&thumbp=
『東洋文庫341 日本風俗備考2(庄司三男・沼田次郎:訳注)』では、「Ⅻ 雑録」と題する第12章の「扉絵」として、この図と下記の2図が紹介されている。
≪被写体:裃すなわち礼服を着た日本人
掲載書名:日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−
編集者名:フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代:1833≫
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011015&hid=55&thumbp=
≪被写体:普段着の日本婦人
掲載書名:日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」−
編集者名:フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代:1833≫
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011016&hid=55&thumbp=
(補記) 「スチュルレル・シーボルトらの江戸参府」の折、スチュルレル(カピタン=使節)が持ち帰り、後に「フランス国立図書館」に寄贈したといわれている「北斎・北斎工房・(川原慶賀?)」らの作品(その二)
http://expositions.bnf.fr/france-japon/albums_jp/hokusai/index.htm
左から「17日本橋辺風俗・18仏師・19海浜の漁師・20素麺作り」
左から「21洗張り・22武士の乗馬・23提灯張り・24西瓜の陸あげ」
「25 雪の渡し」
(補記)「海外で注目される江戸時代の天才絵師・川原慶賀の唯一現存する屏風が2年の修復作業を終え、オランダ・ライデン国立民族学博物館で公開 — オランダ国立世界文化博物館 From: PR TIMES 2021-11-04 17:48 — 」周辺
https://japan.zdnet.com/release/30611387/
https://prtimes.jp/i/89675/1/resize/d89675-1-77c0f940c4b51d99e0f2-0.jpg
https://prtimes.jp/i/89675/1/resize/d89675-1-ac15d0be10e5445eaa30-1.png
■ARで屏風を鑑賞できる「出島エクスペリエンス」: (リンク »)
■ライデン国立民族学博物館(所在地:オランダ・ライデン、館長:ウェイン・モデスト)は、江戸時代後期に長崎の出島で活躍した絵師・川原慶賀が1836年頃に制作した現存する唯一の屏風作品を、クラウドファンディングによる約2年の修復期間を経て、このたび公開いたします。あわせて、専用ウェブアプリ「出島エクスペリエンス」も開発し、AR(拡張現実)で世界中どこでもこの屏風を鑑賞できる環境をご提供します。
■当館は、医師として日本を訪れたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)が、8年かけて蒐集した日本にまつわる民族学的価値のある約5,000点のコレクションが契機となり、1837年に開館しました。シーボルトの日本滞在中に、その画才を見出された川原慶賀(1786-1860)は、シーボルトのお抱え絵師として、出島を自由に出入りできる特権を与えられ、日本の自然と異国の文化を色彩豊かに描いてきました。ヨーロッパ絵画の技法と日本の浮世絵を融合させた独自の写実画法による繊細な描写から、「カメラを持たない写真家」と称され、数多くの海外美術館でその作品が所蔵されています。また、昨今では大手オークションハウスにも出品されるなど、ヨーロッパを中心に海外で高い評価を得ています。
■そのような中、当館は、2018年に川原慶賀が1836年頃に描いた唯一の現存する屏風を取得。幅4m以上、高さ1.7mにもわたり、オランダ商館の建つ出島を画面中央に据えて長崎湾を一望できるこの傑作は、日本とオランダの特別な歴史的関係が見事に描かれています。しかし、取得当時は非常に状態が悪かったため、当館は、クラウドファンディングを通じて、屏風修復のための資金援助を募りました。その結果、京都の宇佐美修徳堂をはじめ、多数の日本の専門家協力によって、 2年の月日をかけて修復が完了いたしました。
■また、屏風の公開とあわせて、専用ウェブアプリ「出島エクスペリエンス」を開発いたしました。このアプリにより、スマートフォンやタブレットを使って、当館に訪問できなくとも、この貴重な屏風をはじめ、当館の日本コレクションに関する様々なストーリーを閲覧できます。アプリの中で最も特徴的なのが、AR(拡張現実)を活用したコンテンツ。これを使用すると、世界中どこででも、自分の身の回りの環境に実物大の屏風を配置し、川原慶賀の世界観を間近に体感することができます。
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