SSブログ

「シーボルトとフィッセル」の『日本』そして「北斎と慶賀」周辺(その七) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その七)「シーボルト」の『日本』の「愛宕山」周辺

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?reqCode=frombib&lang=0&amode=MD820&opkey=&bibid=1906466&start=&bbinfo_disp=0#?c=0&m=0&s=0&cv=3&r=270&xywh=455%2C926%2C2707%2C3486

愛宕山1.gif

「愛宕山」(シーボルド『日本』図録第1冊12)
福岡県立図書館/デジタルライブラリ シーボルト資料 『日本』“NIPPON” 図版一覧画面
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html

 この「愛宕山」(シーボルド『日本』図録第1冊12)の石版画が出来上がるまでを、「シーボルト『NIPPON』の原画・下絵・図版(宮崎克則稿)」(「九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No. 9, 19-46, 2011」)の「5 愛宕山」では、次のとおり記述している。

≪ 5. 愛宕山

 『NIPPON』には日本の山々20か所の図版がある。江戸参府の途上でシーボルトが見たであろう雲仙岳、富士山もあるが、行ったことのない奥州の御駒岳(駒ヶ岳)、巌木山(岩木山)もある。シーボルトは何をネタ本としたのか。ライデン大学図書館にシーボルトコレクションとして文化元年(1804)に出た谷文晁『名山図譜』がある(No:367)。
 縦29.6㎝×横19.6㎝の大本で3分冊。谷文晁は、天明8年(1788)26歳のときに田安家の奥詰見習いとなった。田安宗武の7男は松平定信であり、定信が白河藩主になると、文晁は定信にしたがってたびたび白河に赴いている。定信は文晁の5歳年上で、寛政8(1796)年には文晁などに命じて『集古十種』編纂のために畿内の古社寺にある古器・古書などの調査、模写をさせている。
 『集古十種』とは、定信の好古癖から鐘銘・碑銘・兵器・銅器・楽器・文房・扁額・印章・法帖・古画の10種について集大成した考古図譜であり、各宝物の標題・所在・寸法を記述、貴重な考古学資料を含む85巻におよぶ膨大なシリーズである。文晁は資料収集のために江戸~京都を往復し、途中で多くの山々を見物した。
 『名山図譜』の自序によると、「享和2年の夏、100余景を縮写して冊子とし、その名を名山図とした」とある。山好きの文晁は木版画集を出版することを思い立った。『名山図譜』の文化元年初版は、私家版に近いものとして知人の間に渡る程度であったから、刷り部数も少なかった。
 その後増刷りされ、文化4年(1807)の重版の際には、盛岡城下からみた磐手山(岩手山)と南部の玉東山(姫神山)が追加された。さらに文化9年には、一般向けに『日本名山図会』と改題して江戸の須原屋茂兵衛をはじめ京都・大坂の三都の書店が版元となり刊行された。これは天・地・人の3巻からなり、版型もひとまわり小さくなった。シーボルトは文化9年版ではなく、初版を持ち帰っている。しかもそれには彩色が施され、山名・地名にはカタカナのルビが加筆されている。

〔18〕は『名山図譜』の愛宕山である。京都市の最高峰で標高924メートル。京都の北西にあり、東の比叡山と相対するかのように聳えている。谷文晁は広沢の池の辺りから眺めた愛宕山の遠景を描いている。

〔19〕は洋紙の水彩画、台紙に貼り付けられている。これまでにも紹介したように『NIPPON』の下絵としてシーボルトがヨーロッパの画家に描かせたもので、ブランデンシュタイン城に残る。『名山図譜』の愛宕山をほぼそのままに写していることが分かる。ブランデンシュタイン城にはもう1点の下絵がある。

〔20〕がそれであり、洋紙に水彩で描かれている。山の形容はそのままであるが、前景にある柳の木を強調して奥行き感を出している。これを基本にして釣人や水鳥を追加し〔21〕の『NIPPON』図版となる。

 『NIPPON』のなかの山々を石版に描いたのは、すべてNader(ナーデル)であり、図版の右下に極めて細かいラテン語で「L.Nader in lap.delin.」と印刷されている。L.Nader石版画の意味である。ナーデルは、辞書によると(4)、1811年頃にドイツのKarlsruhe(カルスルーヘ)で生まれ、オランダのライデンで石版画家として活動した。スイスの山岳風景を描いた作品がライデンの国立版画室にある。シーボルトは、山の風景が得意であったナーデルに山々の石版画を依頼したが、その前に2枚の下絵を作成していたことが分かった。これは愛宕山だけでなく他の山々にも見られる。
シーボルトは谷文晁『名山図譜』を手本として前景にある木々や人物に手を加えて奥行き感を出しつつも、山々の姿を大きく変えることはなくかなり忠実に描かせている。これによって、日本には多くの美しい山々があることをヨーロッパの人々に伝えることができた。

〔18〕 愛宕山(谷文晁『名山図譜』)

愛宕山(谷文晁『名山図譜』).jpg

ライデン大学図書館蔵


〔19〕 愛宕山(『NIPPON』図版の下絵・水彩画)

愛宕山(下絵』).jpg

ブランデンシュタイン城博物館蔵

〔20〕 愛宕山(『NIPPON』図版の下絵)

愛宕山(図版・下絵).gif

ブランデンシュタイン城博物館蔵

〔21〕 愛宕山(『NIPPON』図版)

愛宕山1.gif

九州大学付属図書館医学分館蔵                    ≫

 シーボルトは谷文晁の『名山図譜』だけではなく、ここでも、葛飾北斎の『北斎漫画』(第七篇)から、「1 伊勢の石太神 2 奥州外ヶ浜 3 総州調子女夫が鼻 4 総州銚子胎内潜り」「粂の岩橋(信濃久米付近)相模走り水(相模国走水付近の岩の門)」を石版画にしている。

伊勢の石太神他.gif

(左上)1 伊勢の石太神 (左下)2 奥州外ヶ浜 (右上)3 総州銚子女夫が鼻
(右下)4 総州銚子胎内潜り (シーボルド『日本』図録第1冊23)
福岡県立図書館/デジタルライブラリ シーボルト資料 『日本』“NIPPON” 図版一覧画面
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html

勢州石太楽.gif

「勢州石太楽」(『北斎漫画第七篇』所収)(「国立国会図書館デジタルコレクション・コマ番号17/34」)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851652

奥州外ヶ浜.gif

「奥州外ヶ浜」(『北斎漫画第七篇』所収)(「国立国会図書館デジタルコレクション・コマ番号27/34」)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851652

総州銚子女夫が鼻.gif

「総州銚子女夫が鼻」(『北斎漫画第七篇』所収)(「国立国会図書館デジタルコレクション・コマ番号24/34」)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851652

総州銚子胎内潜り.gif

「総州銚子胎内潜り」(『北斎漫画第七篇』所収)(「国立国会図書館デジタルコレクション・コマ番号21/34」)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/851652
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。