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「シーボルトとフィッセル」の『日本』そして「北斎と慶賀」周辺(その九) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その九)「シーボルト」の『日本』の「漁獲(地引網)」周辺

漁獲(地引網).gif

「『日本』“NIPPON” 図版第2冊№337 漁獲(地引網)」
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html

 この『シーボルト「日本」図録第三巻(雄松堂刊)』所収「[335]Ⅵ第2図(b)漁獲(地引網)」の元絵(川原慶賀筆)は、次のものである。

地引網漁1.jpg

●作品名:地引網漁
●Title:Fish catching by draft net
●分類/classification:生業と道具/Agriculture and Fishery, their tools
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
●登録番号/registration No.:1-4244
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1306&cfcid=143&search_div=kglist

地引網漁2.jpg

「地引網漁図(『NIPPON』の元絵=川原慶賀筆)」と「地引網図(『NIPPON』図版)=下絵はファン・ストラーテン作か?」の比較図

 「地引網漁図(『NIPPON』の元絵=川原慶賀筆)」の「左端」(下部)の「舟作り」は、
「地引網図(『NIPPON』図版)=下絵はファン・ストラーテン作か?」では、削除され、その代わりに、川原慶賀筆の、〔図14〕『人物画帳(漁夫)』と〔図15〕『人物画帳(「魚売りの婦人)』が描かれ、さらに、「上部」には、「網や釣り糸、『しかけ』や銛を」追加している。 (「シーボルト『NIPPON』の捕鯨図(宮崎克則稿)」「九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No. 7, 085-104, 2009。」所収)

漁夫.jpg

〔図14〕『人物画帳(漁夫)』(ミュンヘン国立民族学博物館蔵)

魚売り.jpg

〔図15〕『人物画帳(「魚売りの婦人)』(ミュンヘン国立民族学博物館蔵)

 関連して、「シーボルト『NIPPON』の捕鯨図(宮崎克則稿)」では、この「地引網漁図(『NIPPON』の元絵=川原慶賀筆)」関連の「川原慶賀がシーボルトに送った絵の請求書」などを紹介しており、その「請求書」の一部は、次のものである。

請求書1.gif

〔図6〕「川原慶賀の請求書(No.1.0-3.000)」(ボフム大学図書館蔵)

「図6は川原慶賀がシーボルトに送った絵の請求書であり、『山水極粉色茶つミの画』の値段は銀200目、肩書きに20テールとある。図のようなテールの略号が用いられ、銀10目が1テールであった。銀60目=金1両の換算で、金1両=6テールとなる。」(「シーボルト『NIPPON』の捕鯨図(宮崎克則稿)」)

 この請求書の冒頭に出てくる「山水極粉色茶つミの画」の「茶つミの画」は、次のものであろう。

茶摘.jpg

●作品名:茶摘 
●Title:Picking tea
●分類/classification:生業と道具/Agriculture and Fishery, their tools
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
●登録番号/registration No.:1-4243
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1306&cfcid=143&search_div=kglist

 そして、「地引網漁図(『NIPPON』の元絵=川原慶賀筆)」は、二番目の「同 海の景 魚取図・あミ引・舟作る」と題され、「山水極粉色茶つミの画」と同じく、「銀200目」が請求されている(「シーボルト『NIPPON』の捕鯨図(宮崎克則稿)」)。

https://seinan-kokubun.jp/

 上記のアドレスでは、下記の「拡大図」(〔図6〕「川原慶賀の請求書(No.1.0-3.000)」)を掲示しながら、「『茶つミの画』の値段は銀200目(=金3.5両)なので、今日の40-50万円ほど」としている。
 なお、三番目の「同 海の景 塩浜 かつお節を作る」は、下記の「魚の加工(鰹節作り)であろう。

請求書2.gif

〔図6・拡大図〕「川原慶賀の請求書(No.1.0-3.000)」(ボフム大学図書館蔵)

鰹節作り.jpg

●作品名:魚の加工(鰹節作り)
●Title:Processing fish
●分類/classification:生業と道具/Agriculture and Fishery, their tools
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
●登録番号/registration No.:1-4245
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1305&cfcid=143&search_div=kglist

(参考一)江戸時代の「浮世絵」の値段

https://www.kumon-ukiyoe.jp/history.html

≪江戸時代の物価は前期・中期・後期によって変動するが、小判1枚=金1両=4,000文に相当し、現在の貨幣価値に換算すると約8万円と言われる。つまり、1文は80,000円(1両)÷4,000(文)=約20円に換算でき、「二八蕎麦」は2×8=16文で食べられていたので、かけ蕎麦一杯が約320円ということになる。
 浮世絵の流通が安定した江戸後期、一般的な多色摺版画サイズの大判錦絵(縦39cm×横26.5cm)は20文(約400円)程度で売られていたという。細判(縦33cm×横15cm)の役者絵は8文(約160円)、人気が下がると3~6文(約60~120円)の安値で売られていた。また、最初から購入しやすい金額になるよう、あえて小さいサイズで作られた浮世絵も多数あった。現代人の金銭感覚におきかえるなら、500円玉でお釣りがくるコンビニスイーツのような手軽さだったといえばイメージしやすいかもしれない。≫

(参考二)商館員とその家族の生活について

「1831 年 ビュルガーがシーボルトに出した書簡(野藤妙、海老原温子、リザ・エライン・ハメケ、宮崎克則稿)」(「九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum
No. 11, 19-52, 2013」)

≪ 家族に関しては、其扇の結婚などについて記されている。シーボルトが日本を離れた後、其扇は伯父の家に同居しており、書簡には、「1000テールの現金を彼女(其扇)は彼女の伯父さんに預けていました。」とあることから、シーボルトが与えた其扇の資産は伯父さんが管理していたことがうかがえる。しかし、その同居生活は長く続かず、前年にビュルガーが送った書簡の中では、「其扇は、3年間は結婚しないと言っている」、と述べていたものの、現在は鼈甲細工職人と結婚しており、伯父さんの家を出たということが書簡に記されている。また、ビュルガーの妻であり其扇の姉である千歳が亡くなり、ビュルガー離日後は其扇が息子アサキチの面倒を見ると言ったこと、アサキチのためにビュルガーが買った麹屋町の家に、其扇はおいねと夫と暮らしていることも述べられている。
 特に興味深いのは、其扇やおいねの生活費について述べている点である。書簡の中では、「私たちはコンプラ仲間に預けて利金を得るようにしました。…しかし一方で1000テールの資本は十分ではありません。今はコンプラ仲間から12パーセントの利子をもらい、それは月に10テールの利益になります。それは私たちの小さい家での家計にとっても、十分ではありません。私はフィレニューフェに今年1500テールの特別の商取引をすることを申し出ました。ここから500テールの現金が出ます。この現金を1000テールに加えるとコンプラ仲間への資金が1500テールになり、月々15テールの利益がもたらされます。其扇は9月1日から毎月15テールを利息として受け取っています。」と書かれている。コンプラ仲間とは、諸色売込人のことであり、買い物が自由にできないオランダ商館員にかわり、日用品や食物、ときには人を調達する株仲間として知られているが、このように資金を預かり残
された家族へ利子を払うということも行っていたということがわかる。さらに、金1両=6テール18=銀60匁とすると、月に10テールは金では約1.7両、銀では100匁ということ
になり、その金額では一家が生活するのに不十分であることをシーボルトへ訴えていたということがわかる。
古賀十二郎『丸山遊女と唐紅毛人』では付録として、当時ベルリンの日本研究所に所蔵されていた、其扇がシーボルトに宛てて出した書簡が紹介されている。その中には本稿で紹介する書簡と同じ1831年に記されたものがあり、同じ時期にシーボルトへ送られたと推測される。
この其扇の1831年10月24日(10月24日は和暦、西暦では11月27日)付の書簡19を見ると、「きんのことも、びるげる様の御せ己(王〈わ〉ヵ、引用者注)ニ而おぢ方よりとりかへし、又ひるける様より五貫目おくり下され、二口〆十五貫目こんふらへあづけまゐらせ候。毎月百五拾匁つゝ、こんふらより利ぎんうけとり申候。是みなびるける様、でひれにふる様のさしつにまかせ、かよふにとりはからひもらひまゐらせ候。」とあり、15貫目は1500テール、150匁は15テールなので、ビュルガーの書簡の内容とも合致する。
これまで、オランダ商館員が日本を離れる際に残される家族の生活の面倒を見るために実際にどのようなことを行っていたのか、ということについてはあまり注目されることはなかった。書簡によると、ビュルガーは息子アサキチのために3000テールを資金として用意していたことがわかり、自分が日本を離れることになっても、それらの資金をコンプラドールに預けることによって費用を遺していたことが明らかとなった。また、商館員の帰国により日本に遺された妻子の世話を日本に残っている商館員たちが行っていたということがわかった。其扇が日本での生活について、前述の其扇の書簡のなかで「ミなびるげる様のさしづ、大いにせ己(王〈わ〉ヵ、引用者注)に相なりまゐたせ候間、御前様よりも幾もよろしく、よふびるげる様へ御礼くれへも御たのみ入まゐらせ候。」とシーボルトへ記しているように、ビュルガーの書簡からは、其扇とおいねを親身になって世話をしている様子がうかがえる。≫

 この「ビュルガー(ビュルゲル)がシーボルトに出した書簡」は、いわゆる「シーボルト事件」でシーボルトが国外追放になって、オランダ帰国を余儀なくされた時に、シーボルトが、自分の妻と娘(其扇=たき=妻、稲=イネ=娘)に、当座の一時金として「1000テール」を、日本に残留する画家の「フィレニューフェ」、そして、「ビュルガー(ビュルゲル)」(薬剤師、生物学者、シーボルトの博物学の助手)に託しての、その運用として、「1000テール+500テール=「コンプラ仲間への資金が1500テール」、月々15テールの利益を、其扇とイネに利息として受け取る」というのが、その骨子の一つとなっている。
 この「月々15テールの利益(利息)」が、シーポートの残された家族(妻=たき、娘=イネ)の、「月々の家計費用」と見做すと、先の「川原慶賀の請求書(No.1.0-3.000)」(ボフム大学図書館蔵)の「『茶つミの画』の値段は銀200目(=金3.5両)なので、今日の40-50万円ほど」というのは、相当な額という印象を受ける。
 さらに、上記の、上記の「(参考一)江戸時代の「浮世絵」の値段」を(参考一)江戸時代の「浮世絵」の値段などと比較して考慮すると、その感を大にするが、これを木版画の、一般庶民向けの「浮世絵」(「絵師」「彫師」「摺師「版元」からなる「印刷物」の一つ)ではなく、特定の(例えば、「阿蘭陀出島のカピタン、そして、シーボルト」など)への、そして、当時の著名な絵師(葛飾北斎など)の「肉筆画」的なものになると、例えば、当時の、「シーボルト・フィレニューフェ・ビュルガー(ビュルゲル)」などは、「川原慶賀(そして、その工房)」の作品として相応の額」として、これを容認する額であったのかも知れない。

(参考三)「シイボルト觀劇圖并シイボルト自筆人參圖」と「イトセ、ソノギ(シーボルト『NIPPON』)」周辺

シイボルト觀劇圖并シイボルト自筆人參圖.jpg

「シイボルト觀劇圖并シイボルト自筆人參圖」(「国立国会図書館デジタルコレクション)
[江戸後期] [写] 1軸 <特1-3288>

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543110/6

≪2図を1軸に仕立ててある。上図は鶴岱筆(経歴未詳)。文政9年5月7日(1826.6.12)、シーボルトが参府旅行の帰途、大坂で芝居を見た際のもの。左側の黒い服を着た人物がシーボルトで、観劇の体験は『日本』第2版(前項)に記されている。絵の上部に、鶴岱が讃岐象頭山参詣の帰途、オランダ人一行に行き合せた旨が書かれている。当館はもう1種、岩崎常正筆のシーボルト像も所蔵する。下図は、シーボルト自筆の朝鮮人参図。白井文庫。≫
「江戸時代の日蘭交流」(国立国会図書館)
https://www.ndl.go.jp/nichiran/s2/s2_1_3.html

 この「左側の黒い服を着た人物がシーボルト」で、「中央の人物(足首を捻挫している)」は、この時の「江戸参府」の「カピタン(オランダ商館長)・スチュルレル」、そして、その「右側の人物」は、「書記(実体的にはシーボルトの万般の助手)・ビュルガー(ビュルゲル)」のようである(「シーボルトの生涯とその業績関係年表(石山禎一・宮崎克則稿)」)。

Fig. 5 イトセ、ソノギ(シーボルト『NIPPON』)

イトセ、ソノギ.gif

九州大学所蔵

 この「シーボルト『NIPPON』」の挿絵の一つに、上記の「イトセ(ITOSE)=千歳」と「ソノギ(SONOGI)=其扇」が対になって描かれており、この「千歳」は、「ビュルガー(ビュルゲル)」の妻、そして、「其扇」が「シーボルト」の妻という関係にある(『幕末の女医 楠本イネ シーボルトの娘と家族の肖像(宇神幸男著)』)。

 前掲の「1831 年 ビュルガーがシーボルトに出した書簡」(参考二)の中に、下記のような文面があり、「ビュルガー(ビュルゲル)」の妻(千歳)は、「シーボルト」の妻(其扇)の姉で、その千歳が亡くなり、その二人の子供(アサキチ)を、「其扇(おたき)」が面倒をみることの代償に、「ビュルガー(ビュルゲル)」は、「3000テールを資金と麹屋町の屋敷」を提供したなどの、いわば、国外追放となった「シーボルト」の「日本の家族(其扇(おたき)とイネ)」の後見人のような役割を、この「ビュルガー(ビュルゲル)」が担っていたということになる。

「ビュルガーの妻であり其扇の姉である千歳が亡くなり、ビュルガー離日後は其扇が息子アサキチの面倒を見ると言ったこと、アサキチのためにビュルガーが買った麹屋町の家に、其扇はおいねと夫と暮らしていることも述べられている。(中略)其扇が日本での生活について、前述の其扇の書簡のなかで『ミなびるげる様のさしづ、大いにせ己(王〈わ〉ヵ、引用者注)に相なりまゐたせ候間、御前様よりも幾もよろしく、よふびるげる様へ御礼くれへも御たのみ入まゐらせ候。』とシーボルトへ記している。」(「1831 年 ビュルガーがシーボルトに出した書簡(参考二)」)

(参考四)「デ・フィレニューフェ夫妻図」(石崎融思画)周辺

デ・フィレニューフェ夫妻図.jpg

「デ・フィレニューフェ夫妻図」石崎融思画(1768年~1846年) 絹本着色 50.5×33.4
長崎県立美術館蔵

≪ フィレニューフェ(CARL HUBERT DEVILLENEUVE,1800 〜1 8 7 4 )は、文政8 年(1 8 2 5 )にシーボルトの要請で助手として来日。画家として優れ、川原慶賀の画業に影響を与えたとされる。本図の賛によれば、文政1 2 年(1 8 2 9 )7月に来日した蘭船に一夫人が乗せられてきたが、先年の場合同様に上陸を許されなかった。本図は唐絵目利・御用絵師であった石崎融思が、一日、出島役人に従い実見した上で描写した。彼女の「名はミミー(彌々)で1 9 歳、画工フィレニューフェの妻」とある。≫(長崎県立美術館蔵)

 この「デ・フィレニューフェ夫妻図」は、川原慶賀の師の「石崎融思」の作である。そして、ここに描かれている「デ・フィレニューフェ」こそ、「文政8 年(1 8 2 5 )にシーボルトの要請で助手として来日」し、「画家として優れ、川原慶賀の画業に影響を与えたとされる」(慶賀の「洋風画」の師)、その人ということになる。
 そして、「シーボルトの『NIPPON』」の挿絵の「原画・元絵・下絵」に、この「「デ・フィレニューフェ」作が散りばめられている。
 先の「1831 年 ビュルガーがシーボルトに出した書簡」(参考二)の中にも、下記のように、当時の「シーボルト・デ・フィレニューフェ・ビュルガー(ビュルゲル)」との交流の一端が綴られている。

≪ 特に興味深いのは、其扇やおいねの生活費について述べている点である。書簡の中では、「私たちはコンプラ仲間に預けて利金を得るようにしました。…しかし一方で1000テールの資本は十分ではありません。今はコンプラ仲間から12パーセントの利子をもらい、それは月に10テールの利益になります。それは私たちの小さい家での家計にとっても、十分ではありません。私はフィレニューフェに今年1500テールの特別の商取引をすることを申し出ました。ここから500テールの現金が出ます。この現金を1000テールに加えるとコンプラ仲間への資金が1500テールになり、月々15テールの利益がもたらされます。其扇は9月1日から毎月15テールを利息として受け取っています。」と書かれている。コンプラ仲間とは、諸色売込人のことであり、買い物が自由にできないオランダ商館員にかわり、日用品や食物、ときには人を調達する株仲間として知られているが、このように資金を預かり残
された家族へ利子を払うということも行っていたということがわかる。さらに、金1両=6テール18=銀60匁とすると、月に10テールは金では約1.7両、銀では100匁ということ
になり、その金額では一家が生活するのに不十分であることをシーボルトへ訴えていたということがわかる。≫(「1831 年 ビュルガーがシーボルトに出した書簡(参考二)」
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