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川原慶賀の世界(その四) [川原慶賀の世界]

(その四)「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」周辺

舞台正面図・黒船館.jpg

Title:Play at Dejima
●分類/classification:阿蘭陀人/Duch and other
●形状・形態/form:紙本彩色、巻子/painting on paper, scroll
●所蔵館:黒船館 Kurofune Museum
●登録番号/registration No.:20070306-1
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=3507&cfcid=164&search_div=kglist

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≪「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」(第1図―舞台の正面図)
「第一図は、全体から見ると、単純なものだが、オランダ国旗が大きく描かれていたり、香盤が赤い炎を吹きあげている光景は、かなり観客の注意を引いただろうし、舞台の異国情調に魂をうばわれたことであろう。」≫

出島俄芝居図 性急者-1.jpg

●作品名:出島俄芝居図 性急者-1
●Title:Play at Dejima, Opera
●分類/classification:阿蘭陀商館・阿蘭陀人/Duch and other
●形状・形態/form:紙本着色、めくり/painting on paper, sheet
●所蔵館:アムステルダム市立公文書館 Amsterdam City Archive
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=3102&cfcid=146&search_div=kglist
(「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」「第2図―ポルカムプ邸の屋内の図」。)

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「第二図(葉)から第四図(葉)までは、「性急者」(De Ongeduldige)の芝居の場景を描いたものである。この芝居の登場人物たちは、左記(下記)のとおりである。

[役柄]    [役者名]
性急者ダアモン…オーフルメール・フィッセル(文政三年[一八二○]の夏来日した一等書記)
ラウレウル(ダアモンの従者)…ルイス・エリッセ・フィッセル(文政二年[一八一九]度からいる二等書記)
フロンティン(ダアモンの下男)…フレデリック・クレメンス・バウエル(文政二年[一八一九]度からいる書記)
ボルカンプ(金貸し)…パレラス・ディック(文政三年[一八二○]の夏来日した台所係)
ユリア(ボルカンプの娘)…ヘルマヌス・スミット(文政二年[一八一九]度からいる書記)
ノターリス(裁判所の書記)…デロイトル(文政三年[一八一一○]の夏来日した小役)

出島俄芝居図 性急者-2.jpg

●作品名:出島俄芝居図 性急者-2
(以下「Title・分類・形状・形態・所蔵館・アドレス」など上記に同じ)
(「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」「第3図―ボルカムプ邸の屋内の図。下袖と上袖に`書きもの机'が二つ置かれている。」)

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「第三図。第三葉の舞台の図柄は、第二図とほとんど変らないが、舞台中央の奥にあるドアの左右にあった椅子が姿を消し、代わって下袖と上袖に書きもの机(色は左が青、右が緑色)が二つ置かれている。下袖の机にむかって叔父(裁判官)宛の手紙を書いているのはダアモン、そのうしろにいるのがダアモンの下男フロンティン、そして帽子を手にし立っている男が裁判所の書記である。」

出島俄芝居図 性急者-3.jpg

●作品名:出島俄芝居図 性急者-3
(以下「Title・分類・形状・形態・所蔵館・アドレス」など上記に同じ)
(「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」「第4図―ボルカムプ邸の屋内の図。登場人物が5名描かれている。」)

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「第四図。第四葉の舞台の図柄は、第三図と同じである。が、登場人物が五名描かれている。正面にむかって左からダアモン、裁判所の書記、絵描き、ユリア、ボルカムプである。ボルカムプは、身を乗りだすようにして手紙を読んでいる。」

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「性急者」のつぎに上演された出し物は、「二人の猟師とミルク売り娘」である。

二人猟師乳汁娘1・黒船館.jpg

●作品名:阿蘭陀芝居図巻、二人猟師乳汁娘(二人の猟師とミルク売り娘)1
●Title:Play at Dejima
●分類/classification:阿蘭陀人/Duch and other
●形状・形態/form:紙本彩色、巻子/painting on paper, scroll
●所蔵館:黒船館 Kurofune Museum
●登録番号/registration No.:20070306-5
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=3511&cfcid=164&search_div=kglist

「第五図。舞台のほぼ中央に、何の木だかわからないが立木の”切出し”(板などを切り抜き、彩色したもの)が見られる。そのうしろに薄い灰青色のように思われるヨ―ロッパの教会の尖塔と円形の木立(黄緑色)、さらにピンク色の壁をもつ、わらぶき屋根の小屋が描かれている。下袖の”鏡”(屏風式の立ての道具)には、異国風の樹木(ヤシの木か)と動物や鳥などが描かれている。正面の切出しの前でむき合って話をしているのは、猟師ギリョットと娘ペルレッテである。」

この芝居の登場人物たちは、左記(下記)のとおりである。

[役柄] [役者名]
猟師ギリョット(仏・ギョ)…オーフルメール・フィッセル(文政三年[一八二○]の夏来日した一等書記)
同コラス(仏・コラ)…ルイス・エリッセ・フィッセル(文政二一年[一八一九]度からいる二等書記)
牛乳売り娘ペルレッテ(仏・ペルレット)…ヘルマヌス・スミット(文政二年[一八一九]度からいる書記)
騎士タンケレート…オーフルメール・フィッセル(二役)
士卒…フレデリック・クレメンス・バウエル(文政二年[一八一九]度からいる書記)
同.…一番船小役シイモン
同. …在留小役スミツト
同. …同 デウィルデ
娘ペルレッテの父……デイキ(ディック、文政三年[一八二一○]の夏来日した者)

出島俄芝居図 二人猟師乳汁売娘-2.jpg

●作品名:出島俄芝居図 二人猟師乳汁売娘(二人の猟師とミルク売り娘)-2
●Title:Play at Dejima, Opera
●分類/classification:阿蘭陀商館・阿蘭陀人/Duch and other
●形状・形態/form:紙本着色、めくり/painting on paper, sheet
●所蔵館:アムステルダム市立公文書館 Amsterdam City Archive
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=3104&cfcid=146&search_div=kglist
「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」(第6図一失神した猟師. ラスとその体をかぎまわっている熊。)

「第六図。舞台の背景は、第五図とおなじであるが、正面の立木の切出しのうえにギリョットがおり、木の根元ちかくに失神した男コラスがいる。そして、その体をかぎまわっている熊(赤い大きな舌を出している)などが細密に描かれている。」

出島俄芝居図 二人猟師乳汁売娘-3.jpg

●作品名:出島俄芝居図 二人猟師乳汁売娘(二人の猟師とミルク売り娘)-3
(以下「Title・分類・形状・形態・所蔵館・アドレス」など上記に同じ)
「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」(第7図一ペルレッテの父に許しを請うているタンケレートとその部下の図。)

「第七図。舞台の背景は、第六図とほぼおなじである。が、正面にむかって右の袖に何やら小枝のようなものが見られ、またその近くにロケットが大き目に描かれている。左肩に赤いたすきをかけ、腰に緑色の幅広の帯をまき、手に槍をもった士卒が六名、士官が一名描かれている。黒い上着を着、真紅のパンタロンをはき、黒衣の老人の前で身をかがめているのはタンケレート。老人のうしろで黒い上着と赤いシャツを着、銃を一眉にかけ、腰に刀をさし灰色のズボンをはいているのは猟師のコラスである。そしてその脇に立っているのは娘ペルレッテである。彼女は濃紺の上着に、真紅のスカートをはき、さらに長い黒い前掛をかけている。このさいどの場面の絵は、派手やかな色どりで描写されている。」

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(再掲)

「 出島の館員らによる、この『阿蘭陀芝居』は、次の四回に亘っている。
 
一八二〇年九月一七日(文政三年閏庚辰八月十一日)
一八二一〇年一〇月一三日(同九月七日)
一八二〇年一〇月二〇日(同九月十四日)
一八二〇年一〇月二二日(同九月十六日)      」

 「当時、出島の商館長であったヤン・コック・ブロンホフの日記によると、第二回目の上演のとき、長崎奉行・筒井和泉守政憲(まさのり)は、「一人の画家を(今日の一行に)同行させてあったが、その画家は、将軍に送るために、俳優たち、舞台、ならびに様々な動作のすべてをスケッチした」という。「一人の画家」(een shcilder)とは、川原慶賀であったことは間違いないようだ。この記述通りであるとすると、長崎奉行は慶賀に芝居の様子をスケッチさせ、それをあとで将軍家への献上品とするつもりであった。絵師は役者の動きをその場で精密に描き、すぐ着色することは不可能であろうから、おそらく慶賀は芝居を見ながら、すばやく筆で下絵の素描画をたくさん描き、あとでそれを紙面に細密に写しとり、彩色を施したものと考えられる。」

 「何部つくったものか明らかでないが、献上用に一部、私物用に一部、さらにオランダ人用に川原工房の絵師らに何部か模写させたものか。のちに世間に姿をみせ、道具屋の手に渡った作品は、幕府への献上品ではなく、慶賀が個人用にもっていた作品であったものか。」

 「長崎奉行から江戸町奉行に転任する筒井和泉守政憲や筒井の長崎着任後、江戸からやって来た間宮筑前守信與ら両名を招いて、素人芝居をみせたには理由がある。出島は文化六年(一八〇九)から同十四年(一八一七)までの九ヵ年、ヨーロッパ動乱の余波をうけて蘭船の入港なく、商館長ドゥ―フおよび館貝はこの間窮乏生活を強いられていた。一八一五年(文化十二年)六月、ナポレオンはワーテルローの戦で大敗し、セント・ヘレナ島に流刑になったのち、ヨーロッパに平和が訪れた。文化十四年(一八一七)七月、新たに出島の商館長としてヤン・コック・ブロンホフが来日すると、ドウーフと交代した。ブロンホフは着任後、日蘭貿易が途絶していた空白期間中の損失をうめ足す必要を痛感した。オランダ側がいちばん欲していたのは銅(竿銅)である。筒井が長崎に着任したのは、ブロンホフが来日した文化十四年十月のことであるが、幕府は文政元年(一八一八)から同三年(一八二〇)まで、毎年輸出銅の増額(定額三○万斤を九○万斤)を認めた。文政三年十月、筒井は任期みちて間宮と交代して帰府する折、オランダ側は筒井らの厚意に感謝する意味で素人芝居をみせたのである。」(「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」について(宮永孝稿)」(「法政大学学術機関リポジトリ」)

 ここに出てくる、「文政三年(一八二〇)」、川原慶賀、天明六年(一七八六)生まれとすると、慶賀、三十四・五歳の頃、「長崎奉行から江戸町奉行に転任する筒井和泉守政憲」の、その「一人の画家を(今日の一行に)同行させてあったが、その画家は、将軍に送るために、俳優たち、舞台、ならびに様々な動作のすべてをスケッチした」という。「一人の画家」(een shcilder)とは、川原慶賀であったことは間違いないようだ」と、「出島出入り絵師・川原慶賀(通称は「登与助(とよすけ)」)の、これは、デビュー作品ともいうべきものとなってくる。

 ここで、「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」について(宮永孝稿)」(「法政大学学術機関リポジトリ」)の、その末尾の「注3」に記載されている「町絵師川原慶賀の伝記」は、次のとおりである。

≪ 「町絵師川原慶賀の伝記」
町絵師川原慶賀の伝記については分らぬことが多い。生没年もはっきりしないが、天明六年(一七八六)の生れであるらしく、父香山も絵事を善くしたという(古賀十二郎「長崎絵画全史」北光書房、昭和19.8)。

 通称「登与助」といい、諱は種美、号は聴月楼といった。はじめ氏を川原といい、のち田口に変えた(氷見徳太郎「川原慶賀に就て(上)」(「国華」六八七号、昭和249.6)。

 文政六年(一八二三)八月、出島の医官シーボルトが来日すると、今下町に住む慶賀は、その画業をシーボルトに見出され、出島出入りの絵師となるのだが、かれは写生に長じ動・植物、人物、風俗、肖像、風景画などを描いた。来舶のオランダ人の中には慶賀の絵を求める者が多かったという(黒田源次「長崎系洋画』創元社、昭和7.4)。

 同九年(一八二六)正月、シーボルトとともに江戸参府に従い、シーボルトが採取した植物を写生したり、各地の風俗風景などを描いたり、地図、地形図を作成した(林源吉「町絵師慶賀」(『長崎談叢』第十一号所収、昭和7.12)。

 文政十一年(一八二八)八月九日の夜から翌十日の夕刻まで、長崎を襲った台風は出島の諸所を破壊したばかりか(「甲子夜話」「増補長崎略史年表」)、シーポルトの荷を積んだ船が稲佐の海岸に打ち寄せられ、このとき国禁品(葵紋服、日本地図など)の数々が露見した。  
 任期満ちて帰国寸前のシーボルトは帰国を禁じられた(「シーボルト事件」)。慶賀はこのとき事件に連座し処罰された。参府のとき、シーボルトのために「薬草絵図」などを描いたことが糾弾され、同年十二月末に入牢し、翌十二年正月末に出牢し、町預けとなった(「長崎奉行所犯科帳[第百七])。

 謹慎中の慶賀は絵筆をやすめず、相変らず作画に従事していたが、西役所を写し、港内警備を担当していた細川藩、鍋島藩の番船の幕にその紋章をあずかり描いたために天保十三(一八四二)九月預を命じられ、のち手鎖預り、十一月には江戸・長崎払を申し渡された。 
 その後、慶賀は故郷を離れ他郷に身を置かざるをえなくなった。が、いつの頃かふたたび故郷に舞いもどり、酒屋町四十七番地に住し、名を田口と変えた。

 弘化のころ(一八四○年代)、慶賀の子・登七郎(号は”盧谷”、嫁のおとしは江戸生まれ)は、今下町で版画や銅版画を作り、これを売り出していたらししいい。万延元年(一八六○)に慶賀は七十五歳であったことはたしかであるが、その後亡くなったものらしい。が、没年月日、法号、墓石もわかっていない。

 いずれにせよ、慶賀はじつに見事な数々の細密画を描いたが、シーボルトはその巧みなる力量を高く評価していた。「かれの絵画数百は余の著書(『日本』l引用者)の中に掲げられて彼の功績を語るなり」(呉秀三『シーボルト先生その生涯及び功業3』東洋文庫昭和52.2)。 ≫(「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」について(宮永孝稿)」・「法政大学学術機関リポジトリ」)

 もう一人、「阿蘭陀芝居巻」の主役を演じた「ヨハン・フレデリク・ファン・オーフェルメール・フィッセル(Johan Frederik van OvermeerFisscher, 1799‐1848)」についても、ここに再掲をして置きたい。

フィッセル.jpg

(「出島ホームページ」)
ヨハン・フレデリク・ファン・オーフェルメール・フィッセル( 1800-1848)

http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/dejimasyoukan/dejimasyoukan.html

≪ オランダのハルデルウェクに生まれる。1820年出島に商館員として赴任。9年間出島に滞在し、1822年にはブロンホフの江戸参府に随行し、絵画や大工道具などをコレクションした。帰国後、豊富な収集品や日本での経験に基づき『日本風俗誌』を著した。1820年ブロンホフが長崎奉行や役人を招待して上演した芝居の中心人物としても知られる。
 オランダ、ハルダーワイク生まれ。フィッシャーは1820年にオランダ東インド会社の従業員として出島に到着し、9年間出島に滞在しました。1822年(文政5年)、ブロムホフに続いて江戸の首都を訪れ、絵画や大工の道具などのコレクションを作った。
帰国後、日本で蓄積した豊富なコレクションと経験をもとに、日本のマナーや習慣を解説した『日本風俗備考(原書名・「日本国の知識への寄与」)』を執筆。彼はまた、ブロムホフが1820年に長崎の治安判事と政府関係者を招待して上演した演劇の重要人物としても有名です。≫

 この『日本風俗備考(原書名・「日本国の知識への寄与」)』の執筆者として知られている「フィッセル」が、出島に初来日にしたのも、この「阿蘭陀芝居」が演じられた「文政三年(1820)なのである。
 即ち、「川原慶賀(通称「登与助」)とフィッセル」との出会いも、この「文政三年(1820)
の「阿蘭陀芝居」で幕開けしたのであろう。
 これら「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」について(宮永孝稿)」(「法政大学学術機関リポジトリ」の、その論稿の目次は次のとおりである。
 
≪ はじめに
一 さまよえる「阿蘭芝居巻」(川原慶賀筆)
二 オランダ芝居の上演
三 オランダ芝居の素材
四 「阿蘭芝居巻」の中味について
五 登場人物たちの衣装
六 オランダ芝居が上演された場所
七 舞台の構造について
八 オランダ芝居の筋書に関する日本側文献
九 オランダ芝居に関係ある蘭人の名刺
あとがき      ≫(「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」について(宮永孝稿)」・「法政大学学術機関リポジトリ」)

川原慶賀筆『阿蘭陀芝居巻.gif

川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」(「黒船館」蔵)
(「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」について(宮永孝稿)」・「法政大学学術機関リポジトリ」)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-08-12

≪この「川原慶賀筆『阿蘭陀芝居巻』は、「巻子(巻き軸で巻いたもの)仕立ての絵(27.5㎝×36.3㎝)が七枚描かれている」。「慶賀がこの絵巻をつくった年代は定かでないが、おそらく江戸後期—芝居が上演された文政三年庚辰年(一八二○年)のことであろう。時に、慶賀は三十五歳であった。その三年後の文政六年(一八二三年)にシーボルトが来日し、かれはそのお抱え絵師となるのである」。
 「オランダ芝居を描いたこの絵巻は、アムステルダムの公文書館やネーデルラント演劇研究所にもあることから考えて、複数模写されたものであろう」。
 「黒船館」所蔵のものは、上記図のとおり、その形態は「巻物」であるが、「アムステルダム市立公文書館」所蔵のものは、「めくり(未表装)」とあり、額装にはなっていない「未表装」の「一枚もの」として保存しているように思われる。「ネーデルラント演劇研究所」ものも、その「めくり(未表装)」ものなのかどうか、それらは定かではない。≫
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