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川原慶賀の世界(その五) [川原慶賀の世界]

川原慶賀の世界(その五)
(その五)「ドゥーフ像」と「プロムホフ家族図」周辺

ドゥーフ像.jpg

「ドゥーフ像」(川原慶賀作か?) 江戸時代、享和3年〜文化14年/1803年〜1817年
紙本著色 35.0×23.0(額の外寸) 1面 (「神戸市立博物館」蔵)
款記「Hendrik Doeff Junior Opperhofd van ao1803 Tot Ao」
来歴:長崎川島友一→池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館
参考文献:・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/456559
≪解説
ヘンドリック・ドゥーフ(1777~1835)は、享和3年(1803)に荷倉役から商館長となり、文化14年(1817)の離日まで14年間商館長を勤めました。当時の西洋人の肖像画にありがちな日本人臭を感じさせない本図は、ドゥーフの容貌をかなり正確に伝えていると思われます。諸色売込人(しょしきうりこみにん)川島家の旧蔵品です。繊細な青貝細工を施した漆器製の額には「Hendrik Doeff Junior Opperhofd van ao1803 Tot Ao」と、商館長就任期間の最後をあけて銘が記されています。制作動機は、商館長就任の記念、あるいは、文化6年に商館長居宅で催された日蘭友好200年記念パーティーと推察されますが、確定にはいたりません。池長蒐集当時より作者は川原慶賀に帰属されますが、落款がなく、制作時期と連動する問題でもあり、検討の余地があります。≫(「文化遺産オンライン」)

「長崎港図・ブロンホフ家族図」のうちの「ブロンホフ家族図」.jpg

「長崎港図・ブロンホフ家族図」のうちの「ブロンホフ家族図」(川原慶賀筆)
江戸時代、文政元年以降/1818年以降 絹本著色 69.0×85.5 1基2図
題記「De Opregte Aftekening van het opper hoofd f:cock BIomhoff, Zyn vrouw en kind, die in Ao1818 al hier aan gekomen Zyn,」
来歴:(シーボルト→長崎奉行所?)→北川某→1931池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館
参考文献:
・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
・神戸市立博物館特別展『日本絵画のひみつ』図録 2011
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
・勝盛典子「プルシアンブルーの江戸時代における需要の実態について-特別展「西洋の青-プルシアンブルーをめぐって-」関係資料調査報告」(『神戸市立博物館研究紀要』第24号) 2008
・神戸市立博物館特別展『絵図と風景』図録 2000
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/455049
≪解説
 衝立の両面に、19世紀に長崎の鳥瞰図と、オランダ商館長コック・ブロンホフとその家族の肖像が描かれています。この衝立は、作者の川原慶賀(1786-?)がシーボルトに贈呈したものの、文政11年(1828)のシーボルト事件に際して長崎奉行所によって没収されたという伝承があります。その後長崎奉行の侍医・北川家に伝来した。昭和6年(1931)に池長孟が購入しました。
現在のJR長崎駅付近の上空に視座を設定して、19世紀の長崎とその港の景観を俯瞰しています。画面左中央あたりに当時の長崎の中心部、唐人屋敷・出島・長崎奉行所が描かれ、それをとりまく市街地の様子も克明に描かれています。
 この衝立の片面に描かれているブロンホフ家族図には、慶賀の款印(欧文印「Toyoskij」と帽子形の印「慶賀」)が見られる。コック・ブロンホフは文化6年(1809)に荷倉役として来日。文化10年のイギリスによる出島奪還計画に際し、その折衝にバタビアへ赴き、捕らえられイギリスへ送られたました。英蘭講和後、ドゥーフ後任の商館長に任命され、文化14年に妻子らを伴って再来日。家族同伴の在留は長崎奉行から許可されず、前商館長のヘンドリック・ドゥーフに託して妻子らはオランダ本国に送還されることになりました。この話は長崎の人々の関心を呼び、本図をはじめとする多くの絵画や版画として描かれました。≫
(「文化遺産オンライン」)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-08-04

川原慶賀「長崎港ずブロンホフ家族図」.jpg

「長崎港図・ブロンホフ家族図」(川原慶賀筆)
江戸時代、文政元年以降/1818年以降 絹本著色 69.0×85.5 1基2図

阿蘭陀加比丹並妻子之図・ブロンホフ家族図.jpg

●作品名:阿蘭陀加比丹並妻子之図・ブロンホフ家族図(川原慶賀筆)
●Title:Bromhoff's family
●分類/classification:阿蘭陀人/Duch and other
●形状・形態/form:絹本彩色、額装/painting on silk, with amount(縦18.3,横124.6,)
●所蔵館:東京大学総合図書館 General Library, The University of Tokyo
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=3506&cfcid=164&search_div=kglist

 『シーボルトと町絵師慶賀(兼重護著)』(長崎新聞新書)では、この「長崎港図・ブロンホフ家族図」の「ブロンホフ家族図」(「神戸市立博物館」蔵)と「阿蘭陀加比丹並妻子之図・ブロンホフ家族図」(「東京大学総合図書館」蔵)とについて、前者(神戸本)は「実写あるいはそれに近い条件の下に描かれ、それをもとに本図(後者・東大本)が制作された」としている(『兼重・同書』p106)。
 そして、後者(東大本)は、それが所蔵されている箱の内書に「文政元戌寅歳阿蘭陀加比丹妻子等召連肥州長崎江着船候 珍敷儀付於公辺人物写茂被仰候由 而右写絵図一枚御出入大通辞末永甚左衛門より指上候事」があることを紹介している。  
 この「阿蘭陀加比丹並妻子之図・ブロンホフ家族図」(「東京大学総合図書館」蔵)は、「シーボルトの21世紀」(東京大学コレクションXVI)にも展示され、その「シーボルトの21世紀」展 展示品一覧」の「解説」は、次のとおりである。

http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/2003Siebold21/index.html

≪12 阿蘭陀加比丹并妻子之図
紙本彩色,文政元年(1818),縦18.3,横124.6,木箱入り,東京大学附属図書館蔵.

ブロムホフ家族図は,文化14年(1817)に出島商館長として来日したブロムホフの一家を描いている.当時,西洋婦人の上陸は許されず,妻子は前館長ヅーフ(Hendrik Doeff)とともにオランダに帰国した.
 箱書きによると,商館長ヤン・コック・ブロムホフ(Jan Cock Blomhoff)39歳,妻デッタベル・フスマ31歳,倅ヨハンネス・コック・ブロムホフ2歳,乳母プレトルネルラ・ミュンツ23歳,下女マラテイ33歳が描かれており,この図は幕府からの指示で,一家の絵を描かせ,大通辞の末永甚左衛門が提出したとある.
 文政20年(1823)ブロムホフは6年間にわたる任期を終えて長崎を去り,新しい商館長ステューレルと医官シーボルトが着任する.(T)≫「シーボルトの21世紀」(東京大学コレクションXVI)

 この「阿蘭陀加比丹並妻子之図・ブロンホフ家族図」(「東京大学総合図書館」蔵)が描かれたのが「文政元年(1818)」とすると、川原慶賀が、三十一・二歳の頃で、「文政三年(一八二〇)」の「長崎奉行から江戸町奉行に転任する筒井和泉守政憲」に同行して「阿蘭陀芝居図巻」などを描いた三年前ということになる。

「ブロンホフ家族図」石崎融思筆.jpg

「ブロンホフ家族図」石崎融思筆 (1768-1846) 日本画 / 江戸 江戸時代、文化14年/1817年 紙本著色 90.0×28.1 1幅 神戸市立博物館
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/402831
≪画中人名・朱書「Tetta ber hsma 蛮酋(カピタン)妻テッタベルフスマ/Johannes Cok Blomhoff 子ヨハネス・コック・ブロンホフ/Maraty 下女厶アラテイ/Pretorra Muts 乳母プルトラミュッツ」款記「文化丁丑秋照写於蛮酋館長崎賞鑒家石崎融思」白文方印「融思字士斎」朱文方印「鳳嶺」
来歴:長崎、吉村善三郎→池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館
参考文献:
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
・勝盛典子「プルシアンブルーの江戸時代における需要の実態について-特別展「西洋の青-プルシアンブルーをめぐって-」関係資料調査報告」(『神戸市立博物館研究紀要』第24号) 2008 ≫(「文化遺産オンライン」)

ブロンホフ家族図(川原慶賀筆?).jpg

●作品名:ブロンホフ家族図(川原慶賀筆?)
●Title:Bromhoff's family
●分類/classification:阿蘭陀人/Duch and other
●形状・形態/form:紙本彩色、軸/painting on paper,hanging scroll
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden

 『シーボルトと町絵師慶賀(兼重護著)』(長崎新聞新書)では、上記の「ブロンホフ家族図」(石崎融思筆)と、「ブロンホフ家族図」(川原慶賀筆「神戸市立博物館」蔵)・「阿蘭陀加比丹並妻子之図・ブロンホフ家族図」(川原慶賀筆「東京大学総合図書館」蔵)とを比較して、「一八一七(文化一四)出島オランダ商館長としてヤン・コック・ブロンホフとその家族が渡来し、融思、慶賀ともにその家族図を描いている。融思はあきらかに家族一人一人(夫人、幼児、乳母、召使)を記録的に写し取っている。それに対し慶賀は、後述するように、記録性というよりも鑑賞画的性格の強い家族の肖像を描いている。この時点での融思と慶賀の接触はあきらかであるが、このとき慶賀三二歳、融思五〇歳であった」と記述している(『兼重・同書』p93-94)。

 しかし、それだけではなく、川原慶賀は、この時に、上記の「ブロンホフ家族図」(川原慶賀筆?「ライデン国立民族学博物館」蔵)のとおり、記録性を重視した、その「ブロンホフ家族図」(石崎融思筆)を、融思が書いたと思われる落款(画中の「人名」など)を含めて、一枚の「ブロンホフ家族図」に仕立てているようなのである。

ブロンホフ家族図(石崎融思?).gif

●作品名:ブロンホフ家族図(石崎融思筆?)
●Title:Bromhoff's family
●分類/classification:阿蘭陀人/Duch and other
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite/target/kgdetail.php?id=1714&cfcid=164&search_div=kglist

 この「ブロンホフ家族図」(「ライデン国立民族学博物館」蔵)には、「ブロンホフ家族図」(「神戸市立博物館」蔵)や「阿蘭陀加比丹並妻子之図・ブロンホフ家族図」(「東京大学総合図書館」蔵)に描かれている「ブロンホフ」その人は描かれておらず、その左端の落款の「戌寅秋月 石崎融思 (?)写」と印章など、その詳細は不明であるが、これは「川原慶賀」作ではなく、「石崎融思」作(?=謹・敬・照・無・?)、そして、この「戌寅秋月」(「文政元年=1818」の「秋・月」の候)の、「慶賀=三一~三二歳、融思=四九歳~五〇歳」の頃は、これらの作品は、「川原慶賀・川原慶賀工房」作というよりも、「石崎融思・石崎融思工房(その筆頭格の絵師=川原慶賀)」作と解するのが一番しっくりするような印象を深くする。
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