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川原慶賀の世界(その二十五) [川原慶賀の世界]

(その二十五)「川原慶賀の樺太風俗図」周辺

「樺太風俗図」全体.png

「樺太風俗図」筆者不詳/江戸時代・19世紀/1帙65枚/東京国立博物館蔵(「文化遺産オンライン」)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/430788

『樺太風俗図』の貼り紙.jpg

「樺太風俗図」(1?/65)=『樺太風俗図』の貼り紙→『東韃紀行』の挿絵の模写(川原慶賀画)【この「張り紙」には、『東韃紀行』とあるが、『北夷分界余話 巻之1~巻之8』 の挿絵の模写で、シーボルトが川原慶賀にその模写を依頼して描かせたもののようである。なお、「The Study of Comparing Color Prints in Siebold'NIPPON'」(宮崎克則/九州大学総合研究博物館/九州大学学術情報リポジトリ: Kyushu University Institutional Repository)=後出。】
※「樺太風俗図」(1?/65)関連

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/430788

※『北夷分界余話 巻之1~巻之8』関連

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002130&ID=&NO=1&TYPE=large&DL_TYPE=pdf

樺太風俗図(15?65).jpg

樺太風俗図(15?/65)→「北夷分界余話 巻之3」(男夷?)

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樺太風俗図(25?/65)→「北夷分界余話 巻之5」(海豹漁?)

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樺太風俗図(34?/65)→「北夷分界余話 巻之6」(鍛冶?)

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「樺太風俗図」(39?/65)→「北夷分界余話 巻之8」(女夷育子?)

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樺太風俗図(59?/65)→「北夷分界余話 巻之8」(網漁?)

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樺太風俗図(64?/65)→「北夷分界余話 巻之8」(児夷戯猟?)

「樺太風俗図」(65?65).jpg

「樺太風俗図」(65?/65)→「北夷分界余話 巻之5」(点火衝魚?)

これらの、いわゆる「シーボルト事件」で長崎奉行所に没収された資料の一つの「樺太風俗図(1帙65枚/東京国立博物館蔵)」(作者未詳とされているが「川原慶賀画=模写」)に関連して、「The Study of Comparing Color Prints in Siebold'NIPPON'」(宮崎克則/九州大学総合研究博物館/九州大学学術情報リポジトリ: Kyushu University Institutional Repository)
で、下記のとおり詳細に紹介されている。

【蝦夷・樺太に関する『NIPPON』の本文は、間宮林蔵『東韃地方紀行』・『北夷分界余話』の翻訳である。シーボルトは本文の注記で次のように記している。

 彼(間宮林蔵)は『東韃紀行』(To-tats ki ko)すなわち東部タタリア地方への旅として書きしるし、旅した土地に関して多くの写生や地図を付し、その写本を江戸の幕府文庫に収めた。ヨーロッパの航海家もほとんど訪れたことのない樺太島やあまり知られていない黒竜江地方の土地や住民についての貴重な情報が、われわれの1826年江戸滞在のおり、幕府お抱えの天文学者高橋作左衛門によって知らされ、その後、われわれの日本の友人J.Ts〔吉雄忠次郎〕の仲介でその写本を手に入れることができた。しかし残念なことに、1829年の幕府による取調べの際、われわれに連座する日本の友人を救うために、この写本と付録の写生画を長崎奉行に渡すはめになった。幸いにも、当地の学者J.Tsのはからいで、写本の翻訳書と写生画の数枚は手放さずにすんだ。これらは、われわれの『NIPPON』に若干の写生画と注釈を付して解説する。

『北夷分界余話』は文化5年7月~8月、間宮林蔵・松田伝十郎による第1次樺太調査の記録であり、アイヌ・スメレンクルなどの習俗を記述する。『東韃地方紀行』は、間宮林蔵が文化6年(1809)1月から8月末におよぶ第2次樺太・山旦(黒竜江下流地方)調査記録であり、樺太半島説を排し、サハリンと樺太が同一であることを指摘したものである。流布本が『東韃紀行』として知られる。この両書は、文化7年に間宮林蔵が口述した内容を松前奉行配下の村上貞助が筆録したもので、翌8年に浄書して幕府に献上した。シーボルトも「幕府文庫」にあると述べており、現在は国立公文書館に所蔵されている(ともに重要文化財)。

 シーボルトは上の注記のなかで『東韃紀行』と記しているが、『NIPPON』には『東韃地方紀行』・『北夷分界余話』の両書が翻訳され、挿絵は『北夷分界余話』から採用されている。彼は、天文方兼御書物奉行の高橋作左衛門(景保)の案内で、「幕府文庫」の「紅葉山(もみじやま)文庫」を密かに訪れたとき、伊能忠敬の日本図の他にこれらの写本も要求したのである。写本を作成したのは、高橋とシーボルトの間の通訳を務め、天文方の翻訳方であった吉雄忠次郎であった。
 間宮の報告書は吉雄が翻訳を担当したが、写生図は彼でなく、川原慶賀が作成している。
上の注記にある長崎奉行に提出したという写生図は、現在、東京国立博物館に所蔵されている。それは『樺太風俗図』と題され、縦約35㎝×横約43.5㎝のオランダ紙に彩色された65枚の絵が収められている。表紙内側の貼り紙には、長崎でシーボルトから取り上げたことが記されている。慶賀は、文政9年、シーボルトとともに参府しており、シーボルトが高橋景保や最上徳内らと会う際に同席して細部にわたる描写や風俗について説明を受けたと考えられている。慶賀が描いた65枚のアイヌ習俗画は幕府へ差し出されたが、いくつかはシーボルトの手許に残っており『NIPPON』に掲載された。現在、その一部はライデン国立民族学博物館に残る。】(「The Study of Comparing Color Prints in iebold'NIPPON'」(宮崎克則/九州大学総合研究博物館/九州大学学術情報リポジトリ: Kyushu University Institutional Repository)/p46-47) 

(参考一)「北夷分界余話」周辺

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0400000000/0403030000/00


「北夷分界余話」(挿絵四図).png

「北夷分界余話」(挿絵四図)(「国立公文書館デジタルアーカイブ」)
【間宮林蔵(1775-1844)は,幕府の命により文化5、6年(1808、9)にかけて、樺太の西岸を北上し、樺太が島であることを発見する(間宮海峡の発見)とともに、黒竜江下流地域の東韃(とうだつ)地方まで調査を行いました。本書は林蔵の樺太探検について口述したものを村上貞助(1780-1846)が編集・筆録したものです。 文化7年(1810)の成立で、翌8年に幕府に献上しました。本書は、同じ間宮林蔵の樺太探検について記した「東韃地方紀行」(とうだつちほうきこう)(3帖)、「北蝦夷島地図」(きたえぞとうちず)(7鋪1帖)ともに、「間宮林蔵北蝦夷等見分関係記録」(全14帖7鋪)として、平成3年国の重要文化財に指定されています。】(「国立公文書館デジタルアーカイブ」)

(参考二)「シーボルド事件」で押収された「シーボルト関連の絵図」など

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-08-07

(再掲)

【 「シーボルトの所持品捜査押収(原文:内閣文庫文政雑記より翻刻→翻刻省略、一部抜粋)」

http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_siebold_main.html

文政十一年戌子 →文政11年
十一月十日出島隠密御用手続左之通→11月10日出島の穏密捜査手続(1828年)
        本多佐渡守様御家来    
         御用人   伊藤半右衛門
         目安方   遠藤  兵蔵
                古沢 内蔵助
               矢野 兵大夫
               御役小付両組
                 弐拾人
            右手付探番 小役
右之通十日正六時御役所江相揃、御内密御用之次第承り
右人数手分追々出島江繰入、加比丹部屋ニ而外科阿蘭
陀人シーボルト呼出、左之通被仰渡 →シーボルトを呼出し以下申渡す
          阿蘭陀人
              かひたん江  → 商館長へ
          阿蘭陀人
              シーホルト  → シーボルトへ 
右之者儀江府拝礼罷出候節、高橋作左衛門江度々致面会
日本地図并蝦夷地之図、其外相頼同人より差送候旨
此度於江府作左衛門御詮義ニ相成居候、依之シーホルト
所持之品者荷物ニ至迠致封印置、其方共立会之上封解明
相改、御制禁之品々取上ケ、其余之品ハ無構相渡遣ス、
其旨相心得、正路ニ改を受候様可申渡候
   子十一月            →文政11年11月
右御書付之趣通詞致和解、かひたん江申渡、シーホルト
義一通り御詮義中、同人留守部屋江出役致手分罷越、
所持之手道具并荷物ニ至迄封を付置、出役一同かひたん
召連シーホルト部屋御改ニ相成候所、改出相成候品々
左之通御取上御役所江持帰候事        → 押収品は下記の通り
    一 分間江戸絵図       完
    一 新増細見京絵図      全
    一 琉球国地図        壱枚
    一 絵            壱枚
    一 江戸名所絵        壱枚
    一 装束図式         弐冊
    一 朝鮮国図         壱枚
    一 天象儀象候儀       壱冊
    一 浪華以儀麻道撰      壱枚
    一 凡例           壱枚
    一 大日本細見指掌全図    上紙
    一 脇差           壱腰
    一 刀            壱腰
    一 丸鏡           壱面
    一 書物           壱巻
    一 長崎入口之図       壱冊
    一 絵図           九枚
    一 公家之図         壱枚
    一 古銭           七色
    一 桶狭間合戦略記      壱冊
    一 同古跡記         壱枚
    一 無間鐘由来記録      壱冊
    一 中山刃雉子        壱冊
    一 夜泣石敵討        壱冊
    〆
右之品々シーホルト部屋江有之御制禁之品々ニ而御取
上ケ相成、右之外シーホルト大蔵二軒封ヲ付いまだ御改
ハ無御座候、此内ニ具足・鎗抔も有之様風聞候得共全く
推量之儀共ニ候哉と奉存候   】
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