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「抱一再見」(続「忘れがたき風貌・画像」) [抱一再見]

(その十)「建部巣兆」(その周辺)

建部巣兆像.jpg

鯉隠筆「建部巣兆像・(東京国立博物館蔵)」(「ウィキペディア」)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-03-16

(再掲)
 建部巣兆は、加舎白雄に俳諧を学び、その八大弟子の一人とされ、夏目成美・鈴木道彦と共に江戸の三大家に数えられ、俳人としては、名実共に、抱一を上回るとして差し支えなかろう。
 抱一は、姫路城十五万石の上流武家の生まれ、巣兆の父は、書家として知られている山本龍斎(山本家江戸本石町の名主)、その生まれた環境は違うが、その生家や俗世間から身を退き(隠者)、共に、傑出した「画・俳」両道の「艶(優艶)」の世界に生きた「艶(さや)隠者」という面では、その生き方は、驚くほど共通するものがある。
 鵬斎は、上記の巣兆句集『曽波可理』の「叙」の中で、巣兆を「厭世之煩囂」(世の煩囂(はんきょう)を厭ひて)「隠干関屋之里」(関谷の里に隠る)と叙している。抱一は、三十七際の若さで「非僧非俗」の本願寺僧の身分を取得し、以後、「艶隠者」としての生涯を全うする。
 この同じ年齢の、共に、この艶隠者としての、この二人は、上記の抱一の「序」のとおり、その俳諧の世界にあって、共に、「花晨月夕に句作して我(抱一)に問ふ。我も又句作して彼(巣兆)に問ふ。彼に問へば彼譏(そし)り、我にとへば我笑ふ。我畫(かか)ばかれ題し、かれ畫ば我讃す。かれ盃を挙げれば、、われ餅を喰ふ」と、相互に肝胆相照らし、そして、相互に切磋琢磨する、真の同朋の世界を手に入れたのであろう。
 これは、相互の絵画の世界においても、巣兆が江戸の「蕪村」を標榜すれば、抱一は江戸の「光琳」を標榜することとなる。巣兆は谷文晁に画技を学び、文晁系画人の一人ともされているが、そんな狭い世界のものではない。また、抱一は、光琳・乾山へ思慕が厚く、「江戸琳派」の創始者という面で見られがちであるが、それは、上方の「蕪村・応挙」などの多方面の世界を摂取して、いわば、独自の世界を樹立したと解しても差し支えなかろう。
 ここで、特記して置きたいことは、享和二年(一八〇二)に、上方の中村芳中が江戸に出て来て『光琳画譜』(加藤千蔭「序」、川上不白「跋」)を出版出来た背後には、上方の木村蒹葭堂を始めとする俳諧グループと巣兆を始めとする江戸の俳諧グループとの、そのネットワークの結実に因るところが多かったであろうということである。

曽波可理一.jpg

『曽波可理 / 巣兆 [著] ; 国むら [編]』「鵬斎・叙」(早稲田大学図書館蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he05/he05_06665/he05_06665.html

曽波可理二.jpg

『曽波可理 / 巣兆 [著] ; 国むら [編]』「抱一・巣兆句集序一」(早稲田大学図書館蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he05/he05_06665/he05_06665_p0004.jpg

曽波可理三.jpg

『曽波可理 / 巣兆 [著] ; 国むら [編]』「抱一・巣兆句集序二」(早稲田大学図書館蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he05/he05_06665/he05_06665_p0005.jpg

 『江戸文芸之部第27巻日本名著全集俳文俳句集』所収「曽波可理(そばかり)」から、上記の抱一の「巣兆句集序」の翻刻文を掲載して置きたい。

【 巣兆句集序
秋香庵巣兆は、もと俳諧のともたり。花晨月夕に句作して我に問ふ。我も又句作して彼に問ふ。彼に問へば彼譏(そし)り、我にとへば我笑ふ。我畫(かか)ばかれ題し、かれ畫ば我讃す。かれ盃を挙げれば、、われ餅を喰ふ。其草稿五車に及ぶ。兆身まかりて後、国村師を重ずるの志厚し。一冊の草紙となし梓にのぼす。其はし書きせよと言ふ。いなむべきにあらず。頓(とみ)に筆を採て、只兆に譏(そし)られざる事をなげくのみなり
文化丁丑五日上澣日        抱一道人屠龍記 (文詮印)   】

 上記の「巣兆発句集 自撰全集」の冒頭の句も掲載して置きたい。

【 巣兆発句集 自撰全集
   歳旦
 大あたま御慶と来けり初日影
  俊成卿
   玉箒はつ子の松にとりそへて
      君をそ祝う賤か小家まで
 けふとてぞ猫のひたひに玉はゝき
 竈獅子が頤(あご)ではらひぬ門の松
此句「一茶発句集」に見えたり       】

【 我庵はよし原霞む師走哉 (巣兆『曽波加里』)

 巣兆没後に刊行された巣兆句集『曽波加里』の最後を飾る一句である。この句は、「よし原」の「よし」が、「良し」「葦(よし)・原」「吉(よし)・原」の掛詞となっている。句意は、「我が関屋の里の秋香園は良いところで、隅田川の葦原が続き、その先は吉原で、今日は、霞が掛かっているようにぼんやりと見える。もう一年を締めくくる師走なのだ」というようなことであろう。
 そして、さらに付け加えるならば、「その吉原の先は、根岸の里で、そこには、雨華庵(抱一・蠣潭・其一)、義兄の鵬斎宅、そして、写山楼(文晁・文一)と、懐かしい面々が薄ぼんやりと脳裏を駆け巡る」などを加えても良かろう。
 これは、巣兆の最晩年の作であろう。この巣兆句集『曽波加里』の前半(春・夏)の部は巣兆の自撰であるが、その中途で巣兆は没し、後半(秋・冬)の部は巣兆高弟の加茂国村が撰し、そして、国村が出版したのである。
 巣兆俳諧の後継者・国村が師の巣兆句集『曽波加里』の、その軸句に、この句を据えたということは、巣兆の絶句に近いものという意識があったように思われる。巣兆は、文化十一年(一八一四)十一月十四日、その五十四年の生涯を閉じた。

(追記)『徳萬歳(巣兆著)』・『品さだめ(巣兆撰・燕市編)』の挿絵「徳萬歳」(中村芳中画)

「徳萬歳(中村芳中画)」.gif

『品さだめ(巣兆撰・燕市編)』中「徳萬歳(中村芳中画)」(早稲田大学図書館蔵)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he05/he05_06709/he05_06709.html

一 『徳萬歳(巣兆著)』と『品さだめ(巣兆撰・燕市編)』とは、書名は異なるが、内容は全く同じものである。上記のアドレスの書名の『俳諧万花』は「旧蔵者(阿部氏)による墨書」で為されたものである。

二 『徳萬歳(巣兆著)』は、『日本俳書大系(第13巻)』に収載されているが、その解題でも、この『品さだめ』との関連などは触れられていない。

三 燕市(燕士・えんし)は、「享保六年(一七二一)~寛政八年(一七九六)、七十六歳。
石井氏。俗称、塩屋平右衛門。別号に、燕士、二月庵。豊後国竹田村の商人。美濃派五竹坊・以哉(いさい)坊門。編著『みくま川』『雪の跡』」とある(『俳文学大辞典』)。  】

建部巣兆画「盆踊り図」一.jpg

建部巣兆画「盆踊り図」(絹本着色/下記の「蛍狩り図」と対/足立区立郷土博物館蔵)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/230488

建部巣兆画「盆踊り図」二.jpg

建部巣兆画「蛍狩り図」(絹本着色/上記の「盆狩り図」と対/足立区立郷土博物館蔵)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/285719

千住の文人 建部巣兆.jpg

「千住の文人 建部巣兆 / TAKEBE Socho」
https://speakerdeck.com/adachicitymuseum/takebe-socho?slide=4

千住の文人 建部巣兆二.jpg

千住の文人 建部巣兆 / TAKEBE Socho
https://speakerdeck.com/adachicitymuseum/takebe-socho?slide=8

「建部巣兆の俳句」

http://urawa0328.babymilk.jp/haijin/souchou-ku.html

霜の聲閑屋の槌をうらみ哉   『潮来集』(一艸編) 
かへるさに松風きゝぬ花の山  『衣更着集』(倉田葛三編)
関の戸にほのほの見ゆる糸瓜かな『春秋稿』(第六編)(倉田葛三編)
我宿ハさくら紅葉のひと木哉  『春秋稿』(第六編)(倉田葛三編)
しはしとて袴おしぬくこたつ哉 『はなのつと』(鹿古編)
芹生にてせり田持ちたし春の雨 『春秋稿』(編次外)(倉田葛三編) 
あたら菊をつますは花に笑れん 『春秋稿』(編次外)(倉田葛三編)
晨明の月より春ハまたれけり  『黒祢宜』(常世田長翠編)
芹生にて芹田もちたし春の雨  『波羅都々美』(五明編)
夏の菊皆露かげに咲にけり   『ななしどり』(可都里編)
ひたひたと田にはしりこむ清水かな『つきよほとけ』(可都里編)
いくとせも花に風ふく桜かな  『風やらい』
鶯の屋根から下る畠哉     『享和句帖』(享和3年5月)
柞原薪こるなり秋の暮     『鶴芝』(士朗・道彦編)
帆かけ舟朝から見えてはなの山 『鶴芝』(士朗・道彦編)
とくとくの水より青き若葉哉  『むぐらのおく』
いくとせも花に風吹櫻かな   『寢覺の雉子』(遠藤雉啄編)
さお姫の野道にたてる小はたかな『有磯蓑』
馬かりて伊香保へゆかんあやめかな 『頓写のあと』(倉田葛三編)
煤竹もたわめば雪の雀かな   『続雪まろげ』(藤森素檗編)
みかさと申宮城野に遊て    『おくの海集』(巣居編)
木の下やいかさまこゝは蝉ところ『おくの海集』(巣居編)
高ミから見ればはたらく案山子哉『曽良句碑建立句集』(藤森素檗編)
稲かけし老木の数や帰花    『萍日記』(多賀庵玄蛙編)
花桶もいたゝきなれし清水哉  『苔むしろ』
あし鴨の寝るより外はなかるべし『繋橋』
大竹に珠数ひつかけし時雨かな 『しぐれ会』(文化5年刊)
啼け聞ふ木曽の檜笠で時鳥   『玉の春』(巣兆編)
湯車の米にもなれて今朝の秋  『古今綾嚢』(黒岩鷺白編)
冬枯のなつかしき名や蓮台野  『しぐれ会』(文化6年刊)
時雨るゝや火鉢の灰も山の形り 『遠ほととぎす』(五柏園丈水編)
涼むなりかねつき坊が青むしろ 『菫草』(一茶編)
爺婆ゝの有がたくなる木葉哉  『物の名』(武曰編)
こそこそと夜舟にほどく粽かな 『続草枕』
はせを忌や笑ひあふたる破れ傘 『しぐれ会』(文化7年刊)
曲りこむ藪の綾瀬や行螢    『物見塚記』(一瓢編)
古郷やとうふ屋出来て春雨   『随斎筆記』(夏目成美編)
時鳥まだ見に来ずや角田川   『随斎筆記』(夏目成美編)
舟曳や五人見事に梅を嗅    『俳諧道中双六』(閑斎編)
遠くから見てもおかれぬ桜かな 『名なし草紙』(苅部竹里編)
二年子の大根の原やなく雲雀  『名なし草紙』(苅部竹里編)
はつ河豚や無尽取たるもどり足 『なにぶくろ』
ほし葉(ママ)釣壁をたゝけはかさかさと『栞集』(成蹊編)
手拭で狐つらふ(う)ぞ花の山 『株番』(一茶編)
蓮の根の穴から寒し彼岸過   『信濃札』(素檗編)
うそ鳴や花の霞の山中に    『木槿集』(一茶編)
梵論の行ふもとしづかに落葉哉 『世美冢』(白老編)
名月や小嶋の海人の菜つミ舟  『青かげ』(石井雨考編)
谷へはく箒の先やほとゝぎす  『三韓人』(一茶編)
見し人の鍋かいて居る清水哉  『的申集』(洞々撰)
御寝ならば裾になりなん嶺の月 『さらしな記行』(小蓑庵碓嶺編)
訪るゝも訪ふも狭筵月一夜   『さらしな記行』(小蓑庵碓嶺編)
朝露や鶴のふみこむ藤ばかま  『小夜の月』(渭虹編)
春は猶曙に来る片鶉      『阿夫利雲』(淇渓編)
菜の花や染て見たひは不二の山 『雪のかつら』(里丸編)
萩咲て夫婦のこことかくれけり 『しをに集』(亀丸編)
芦鴨の寝るより外はなかるへし 『わすれす山』(きよ女編)
時鳥まだ見に来ずやすみだ川  『墨多川集』(一茶編)
酒のみをみしるや雪の都鳥   『墨多川集』(一茶編)
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