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「東洋城・寅彦、そして、豊隆」(漱石没後~寅彦没まで)俳句・連句管見(その十五) [東洋城・寅日子(寅彦)・蓬里雨(豊隆)]

 その十五「昭和六年(一九三一)」

[東洋城・五十四歳。「渋柿二百号記念号」刊。改造社の『俳句講座』に執筆。能成(※安倍能成)の寄稿始まる。]

俳誌・渋柿(600号).jpg

「俳誌・渋柿(600号/昭和39・4)・『渋柿』六百号記念号」所収「六百号に思ふ / 安倍能成/p7~7」
https://dl.ndl.go.jp/pid/6071677/1/6
[扉(一句) / 野村喜舟
六百号に思ふ / 安倍能成/p7~7
四方の花(百句) / 野村喜舟/p8~13
Variétés 1 さよりと水母 / 松根東洋城/p49~49
Variétés 2 幼い詩情 / 松根東洋城/p55~55
Variétés 3 照葉狂言 / 松根東洋城/p61~61
Variétés 4 国語問題 / 松根東洋城/p67~67
Variétés 5 声と寺 / 松根東洋城/p73~73
Variétés 6 真珠貝供養 / 松根東洋城/p79~79
巻頭句 / 野村喜舟/p14~48
澁柿六百号を語る ≪座談会≫ / 水原秋櫻子 ; 秋元不死男 ; 安住敦 ; 楠本憲吉/p50~54,56~60,62~66,68~70
俳句における音韻的音調 / 西岡十四王/p71~72,74~78,80~82
たなごゝろを合せること / 礒部尺山子/p83~86
芭蕉覚書(2) / 渡部杜羊子/p87~92
空白の雄弁性 / 島田雅山/p93~93
もののあはれ / 三輪青舟/p94~97
寺田寅日子雑感 / 牧野寥々/p98~101
渋柿の立場 / 田中拾夢/p106~108
日曜随想 / 吉本杏里/p108~113
自然性の一考察 / 青木誠風/p113~115
五つの話 / 火野艸/p115~119
顔 / 高畠明皎々/p120~121
渋柿一号より六百号までの主要論文とその要旨 / 不破博/p122~127
巻頭句成績累計表 / 牧野寥々/p128~130
俳誌月且(1) / 不破博/p131~131
四月集 / 青舟 ; 十四王 ; 鬼子坊 ; 尺山子 ; 壺天子 ; 春雨/p102~103
新珠集 / 村上壺天子/p104~105
無題録 / 野口里井/p143~143
各地例会だより/p132~136
巻頭句添削実相/p136~136
処々のまとゐ/p137~137
栃木の伝統を語る 座談会 / 栃木同人/p138~142
選後片言 / 野村喜舟/p144~145
東洋城近詠(病院から)/p146~146    ]

※ この「俳誌・渋柿(600号/昭和39・4)・『渋柿』六百号記念号」が刊行された、その年の十二月二十七日に、松根東洋城は、その八十七年の生涯を閉じる。その最後の、「俳誌・渋柿(600号/昭和39・4)・『渋柿』六百号記念号」の、その巻頭言は、「阿部能成」(評論家、哲学者、教育家。愛媛県出身。夏目漱石門下。京城帝国大学教授。一高校長。第二次大戦後、文相、学習院院長を歴任。主著に「西洋近世哲学史」。明治一六~昭和四一年(一八八三‐一九六六)で、その「渋柿」でのデビューは、「昭和六年(一九三一)」の、「渋柿二百号記念号」ということになる。
 阿部能成は、昭和十年(一九三五)十二月に、寺田寅彦が没した時に、友人総代として弔辞を読む。そして、昭和三十九年(一九六四)十月に、松根東洋城の没した時にも、友人総代として弔辞を捧げている。
 東洋城の没後の、昭和四十一年(一九六六)に、『東洋城全句集(上・中・下巻)』の刊行に際して、編者(「安倍能成・小宮豊隆(友人代表)、野村喜舟(「渋柿」代表)、松根宗一(親族代表)」)の一人として名を連ね、その完成(昭和四十一年八・十月、昭和四十二年一月)を待たずに、その年の五月に、小宮豊隆、その一か月後の六月に、安倍能成も没している。

我影の丈高ければ冴えにけり(前書「自笑」)
読み耽る花五百首や春の夜半(前書「渋柿句集を撰む日々夜々たり 二句」)
人々やわが春睡の諫め役(同上)
付句今何の起情の霞かな
坂の渇きまこと濡らしけり汗の玉(前書「登山」)
駒形でどじようくひけり梅雨のうち(前書「俳諧消息」)
広重の絵の具の空や秋の暮(前書「墨江鐘ヶ淵にて」)
この里の人情歌へ高灯籠(前書「旅」)
初汐と或(アルイ)はいふや秋出水(前書「月明墨江下る」)
一くらみ又しきる雪に急ぎけり(前書「旅」)


[寅彦(寅日子)・五十四歳。
1月15日、幸田露伴を初めて訪問。
2月17日、地震研究所談話会で「三島町の被害に就て」(宮部と共著)を発表。2月18日、雑誌『科学』創刊号につき、編集主任石原純、相談にあずかる(寺田も編集者の中の一人)。
3月9日、航空学談話会で「パラヂウム膜の亀裂に就て(第二報)」(田中と共著)を発表。3月17日、地震研究所談話会で「島弧の曲率に就て(第二報)」および「三島町の被害に就て」を発表。
4月13日、帝国学士院で“On the Curvature of Islands Arc and Its Relation to the Latitude”および“On Heterogeneous Distribution of Houses Destroyed by Earthquake”(with N.Miyabe)を発表。4月21日、地震研究所談話会で「地震と雷雨との関係」を発表。4月、服部報公会常置委員を委嘱される。
5月28日、理化学研究所学術講演会で「火災の物理的研究(第一報)」(内ヶ崎と共著)および「固体の破壊に関する二三の考察」を発表。6月12日、帝国学士院で“Analogy of Crack and Electron”を発表。6月16日、地震研究所談話会で「ワレメに就て」を発表。
7月7日、地震研究所談話会で「地震群に就て」を発表。
8月、この頃から玉を突くようになる。
9月15日、地震研究所談話会で「深川に於けるメタン瓦斯湧出地」(宮部と共著)を発表。10月15日、アーレニウス『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(寺田訳、岩波文庫)が出版される。
11月12日、帝国学士院で“Relation between Frequencies of Earthquake and Thunderstorm”を発表。11月17日、地震研究所談話会で「三鷹菱形基線の変化の地震頻度」を発表。11月25日、理化学研究所学術講演会で「硝子板の割目(Ⅰ)」(平田・山本龍三と共著)および「山林火災と不連続線」(内ヶ崎と共著)を発表。
12月15日、地震研究所談話会で「三鷹菱形基線の変化と関東地方の頻度との関係(続報)」を発表。この年、しきりに連句を試みる。
「時事雑感」、『中央公論』、1月。
「火山の名に就て」、『郷土』、1月。
「女の顔」、『渋柿』、1月。
談話「地震に伴ふ光の現象」、『日本消防新聞』、1月。
「『芭蕉連句の根本解説』に就て」、『東京朝日新聞』、1月。
「曙町より」、『渋柿』、2月〜1935年11月。
「連句雑俎」、『渋柿』、3〜12月。
「日常身辺の物理的諸問題」、『科学』、4月。
「映画雑記より」、『文芸春秋』、5月。
「風呂の寒暖計」、『家庭』、6月。
「映画雑記」、『時事新報』、6月。
「青衣童女像」、『雑味』、9月。
翻訳アーレニウス『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』、岩波書店、10月。
「量的と質的と統計的と」、『科学』、10月。
「映画雑感」、『中央公論』、10月。
「天然の芸術——「アフリカ」は語る」、『帝国大学新聞』、11月。
「カメラに掲げて」、『大阪朝日新聞』、11月。
「蓑田先生」、『東京帝国大学理学部会誌』、12月。
「こはいものの征服」、『家庭』、12月。
「ラヂオ・モンタージュ」、日本放送協会『調査時報』、12月。
「青磁のモンタージュ」、『雑味』、12月。    ]

 (十二月十八日小宮豊隆氏宛手帳の中より二句)
小春日やにげた小鳥は何処の空
霜の朝鳥は逃げたる小鳥籠

 (十二月二十六日小宮豊隆氏宛絵端書の中より)
子供等に歳聞かれけりクリスマス


小宮豊隆宛 [年賀絵はがき].jpg

明治42年(1909) 一月一日 (金) 小宮豊隆宛 [年賀絵はがき]/寺田寅彦 / 明治42年一月一日(1909)/書簡 / 書簡(みやこ町歴史民俗博物館/WEB博物館「みやこ町遺産」)
https://adeac.jp/miyako-hf-mus/viewer/mp200010-200020/061v2/

 この明治四十二年(一九〇九)の「年賀絵はがき」の全文は、『寺田寅彦全集 文学篇 第十五巻』に収載されている。

[一月一日 金 午前七時~八時 小石川区原町一〇より本郷区森川町一小吉館小宮豊隆氏へ (新年絵はがき)
思ひ切つたハイカラの御年賀申上候。此れは多分原口君のデザインになりたるものと存じ候美祢子嬢へも同様のを差出すつもり
三四郎 様   ](『寺田寅彦全集 文学篇 第十五巻』)

※ この「三四郎 様」の「三四郎」は、明治四十一年(一九〇八)、「朝日新聞」の九月から十二月にかけて連載され、翌年五月に春陽堂から刊行された、『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ『三四郎』の主人公の名で、その「三四郎」は、小宮豊隆がモデルとされている。ちなみに、寺田寅彦は、「三四郎の先輩(三四郎より7歳ほど年上)」の「野々宮宗八」のモデルとされている。また、この文面中の「原口君」の「原口」のモデルは「黒田清輝」、「美祢子嬢」のモデルは「平塚雷鳥」とされている。(「ウィキペディア」)

平塚らいてふ.jpg

(2014.11.26朝日新聞より)
https://blog.goo.ne.jp/takimoto_2010/e/f12d9e288c77b8a84f604562b9c0e488


[豊隆(蓬里雨)・昭和六年(一九三一)、四十八歳。二月合著『続続芭蕉俳諧研究』出版。]

※寺田寅彦と小宮豊隆が、東洋城が主宰する「渋柿」に毎号執筆(「巻頭言」)するようになったのは、大正九年(一九二〇)、東洋城・寅彦(四十三歳)、豊隆(三十七歳)の頃である。
この頃の、「寺田寅彦の小宮豊隆宛書簡(はがき二葉)」に、次のような、寅彦の「変体詩」がある。

小宮豊隆宛 [はがき二葉]一.jpg

大正9年(1920) 十月八日 (金) 小宮豊隆宛 [はがき二葉]/寺田寅彦 / 大正9年十月八日(1920)/書簡 / 書簡(みやこ町歴史民俗博物館/WEB博物館「みやこ町遺産」)
https://adeac.jp/miyako-hf-mus/viewer/mp200550-200020/594/

小宮豊隆宛 [はがき二葉]二.jpg

大正9年(1920) 十月八日 (金) 小宮豊隆宛 [はがき二葉]/寺田寅彦 / 大正9年十月八日(1920)/書簡 / 書簡(みやこ町歴史民俗博物館/WEB博物館「みやこ町遺産」)
https://adeac.jp/miyako-hf-mus/viewer/mp200550-200020/594/

[  変体詩 其一
 歯ぐきが脹れて耳が鳴る
 網膜の上をデカルトの渦が躍り廻る
 冷たい物質と物質が
 熱い血の中を喰ひ合つて居る
 歯ぐきでも耳でも胃袋でも
 歯ぐきよ胃袋よさようなら
 空腹の生んだ科学も
 性慾の生んだ芸術も
 さようならさようなら
 米と塩はあるかい
 それでいゝさようなら   Alles pech! Alles pech!

   変体詩 其二
 鶏頭が倒れかゝつて居る
 起こしてくれ、おれは歯が痛い
 蜻蛉の群れが
 夥しい蜻蛉の群れが
 隊を立てゝ飛んで居る
 蜻蛉よ
 少しじつとして居てくれ
 おれは今歯が痛い
  十月八日作 フズドールスキー  (以上はがき一)

   変体詩 其三
 林檎が棚からおつこつた
 星の欠けらを一寸なめた
  オムレツカツレツガーランデン
  カントにヘーゲル、アインシュタイン
 みゝずの眼玉は見付けたが
 碧い瞳に一寸ほれた
  フアウスト、ハムレット、バーベリオン
  ドンナーウェターパラプリユイ
 ――――――――――――――――――――――――――――
 ひとりでにこんなものが出来ましたから御笑草に御目にかけます。弱陽性といふのが案外持続してとれないで居ます。もうそろそろよくなるでしやう。
   十月八日
 今計って見たら七度八分ある、多分歯齦(はぐき)の熱でしやう。
 此んな事ばかり書いて強いて憐みを乞ひたくはないがし方ない。やつぱり黙って居るのは苦しいから許してくれ玉へ  (以上はがき二)   ](『寺田寅彦全集 文学篇 第十五巻』)


(補記)

「『芭蕉連句の根本解説』に就て」、『東京朝日新聞』、1月。

『寺田寅彦全集 文学篇 第十八巻』に、寺田寅彦の「書籍批評」が収載されている。なお、『芭蕉連句の根本解説(太田水穂著)』については、次のアドレスで閲覧することが出来る。

https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1088431?page=3

 なお、『芭蕉連句の根本解説(太田水穂著)』は、下記のアドレスで閲覧することが出来る。その目次は次のとおりである。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1880003/1/1

[目次
序/1
冬の日
狂句木枯の卷/3
はつ雪の卷/49
つゝみかねの卷/96
炭賣の卷/138
霜月の卷/182
曠野
雁がねの卷/225
ひさご
木のもとの卷/263
猿みの
鳶の羽の卷/299
市中の卷/339
灰汁桶の卷/378
炭俵
梅が香の卷/421
空豆の卷/451
振賣の卷/478
續猿みの
八九間の卷/515
猿みのの卷/549
夏の夜の卷/582
連句索引/615
内容索引/637 ](「国立国会図書館デジタルコレクション」)

「連句雑俎」、『渋柿』、3〜12月。

https://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=2461

『芭蕉の研究』(小宮豊隆著・岩波書店)

https://dl.ndl.go.jp/pid/1213547/1/1

[目次
芭蕉/1         → 昭和七年十一月四日(論文)
不易流行説に就いて/56  → 昭和二年四月五日(論文)
さびしをりに就いて/107 → 昭和五年八月七日(論文)
芭蕉の戀の句/139    → 昭和七年五月二十日(論文)
發句飜譯の可能性/167  → 昭和八年六月五日(論文)
『冬の日』以前/175   → 昭和三年十二月七日(論文)
『貝おほひ』/199    → 昭和四年三月三日(論文)
芭蕉の南蠻紅毛趣味/231 → 昭和二年二月(論文) 
芭蕉の「けらし」/261  → 大正十五年七月(論文)
芭蕉の眞僞/290     → 昭和六年十月十五日(論文)
二題/296        → 昭和三年九月九日(「潁原退蔵君に」)
            → 昭和七年八月二十三日(「矢数俳諧」)
『おくのほそ道』/303  → 昭和七年一月十四日(論文)
立石寺の蟬/326     → 昭和四年八月二十日(「斎藤茂吉」との論争)
芭蕉の作と言はれる『栗木庵の記』に就いて/330 →昭和六年七月七日(論文)
『おくのほそ道』畫卷/375 → 昭和七年六月十九日(論文) 
芭蕉と蕪村/379      → 昭和四年十月(論文)
附錄
蕪村書簡考證/419     → 昭和三年六月二十八日(論文)
西山宗因に就いて/452   → 昭和七年九月二十日(論文)
宗因の『飛鳥川』に就いて/489 →昭和八年二月十二日(論文)  ](「国立国会図書館デジタルコレクション」)
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