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四季花卉下絵古今集和歌巻(その九) [光悦・宗達・素庵]

その九 蔦

四季花卉下絵古今集和歌巻77-1.jpg

「尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展―継承と変奏(東京国立博物館・読売新聞社編)」
所収「1-01 俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆 四季草花下絵古今和歌巻・重要文化財・畠山記念館蔵」(「四季花卉下絵古今集和歌巻」=『光悦……琳派の創始者(河野元昭編)』所収「書画の二重奏への道……光悦書・宗達画和歌巻の展開(玉蟲敏子稿)」) 三三・七×九一八・七

    題しらず
882 天の河雲のみをにてはやければ光とどめず月ぞ流るる(読人知らず)
(天の川は雲の「水脈(みを)=水路」で流れが早いので、月も光を留めず流れて行く。)

釈文(揮毫上の書体)=(『書道芸術第十八巻 本阿弥光悦』)

882 天河(あまのかは)雲濃(の)三於(みを)尓(に)天(て)ハ(は)や介(け)連(れ)者(ば)光と々(ど)め須(ず)月曾(ぞ)な可(が)る々

※雲濃(の)三於(みを=雲の水脈。雲の水路。天の川を雲の川と見立てる。
※月曾(ぞ)な可(が)る々=月ぞ流るる。天の川の流れの早い水脈の中を月が流されてゆくという見立ての一首。この月にも、月日の「月」を掛けているの意に解したい。

 この「和歌巻」の最終章の、この「月」の歌の一首は、それまでの、「877(読人知らずの「月」の歌)、 878(読人知らずの「月」の歌)、 879(在原業平の「月」の歌)、 880(紀貫之の「月」の歌)、 881(紀貫之の「月」の歌)」を締め括るとともに、巻頭の次の「天の川」の歌に対応している。ここで、その巻頭の一首と、この巻末の一首を並列して掲げて置きたい。

(巻頭の一首)
863  わが上に露ぞ置くなる天の川とわたる舟のかいのしずくか(読人知らず)
(私の体が濡れているのは露が降りているのだそうだ。それならその露は天の川の渡し場を彦星が渡る舟の櫂から落ちた雫なのであろうか。)

(巻末の一首)
882  天の河雲のみをにてはやければ光とどめず月ぞ流るる(読人知らず)
(天の川は雲の「水脈(みを)=水路」で流れが早いので、月もまさに「※『光陰矢の如し』さながらに」光を留めず流れて行く。)

 この「和歌巻」の末尾を飾る一首の「歌意」に、「※『光陰矢の如し』さながらに」の、この修飾語を加えて置きたい。


(参考) 「四季花卉下絵古今集和歌巻」(「その一~その三」「その四~その六」「その七~その九)

四季花卉下絵古今集和歌巻一.jpg
「四季草花下絵古今和歌巻」(その一・その二・その三)

四季花卉下絵古今集和歌巻二.jpg
「四季草花下絵古今和歌巻」(その四・その五・その六)

四季花卉下絵古今和歌巻.jpg
「四季草花下絵古今和歌巻」(その七・その八・その九)

 この「四季草花下絵古今和歌巻」については、下記アドレスの、「宗達の金銀泥絵と明代の花卉図について―畠山記念館蔵《重文 金銀泥四季草花下絵古今集和歌巻》の分析を中心として―(仲町啓子稿)」の全文に接することが出来る。

https://ci.nii.ac.jp/naid/120006250417

「宗達の金銀泥絵と明代の花卉図について―畠山記念館蔵《重文 金銀泥四季草花下絵古今集和歌巻》の分析を中心として―(仲町啓子稿)」

 この論稿の、巻末(蔦)と巻頭(竹)との部分を抜粋して置きたい。

巻末(蔦)―抜粋―

【『蔦』
 最後の大団円に位置するのが蔦(挿図29)である。竹(新春)、梅(早春)、躑躅(夏)に続いて秋の季節を表すものと思われる。ただ秋を示すだけなら、ことさら蔦を選択する必要もなかったように思われる。むしろ薄や萩などの秋草あるいはそれに月などを取り合わせるほうが、よほどふさわしいように思われる。蔦は『伊勢物語』第九段宇津山の場面に因んだモチーフとして、少なくとも室町時代より表されているが、そこでは「紅葉の蔦」ではない。それなのに何故ここで「秋」のモチーフとして蔦が選択されたのであろうか。ちなみに《ベルリン本》では、蔦は夏に割り当てられている。実はこの蔦の構図こそ、宗達が最も挑戦したかった部分であった。そこには全体の構図的バランスを考えた、宗達ならではの意図があったのではないかと推測する。
(略)
《畠山本》は画面が広いせいか、最も複雑に多くの要素が盛り込まれる。躑躅の上方に垂れ下がる小さめの葉に始まり、続いて急にクローズアップされた葉が濃淡をつけられつつ描かれる。そこでは蔓や葉柄がまるでスウィングしているかのような独特なリズムを奏でている。こうした濃淡をつけられた「面的な葉が画巻の上端から下がる構図」の採用を宗達に促したものこそ、徐渭に代表される何らかの中国の花卉雑画巻(挿図14、挿図36)を実見した体験であったと思われる。横長の画面に蔓植物を描くということでは、滋賀・都久夫須麻神社の長押上の小壁に描かれた狩野派の《藤図》などの例は見られるが、巻物という画面形式、没骨法、画面上端から下へ向けての動感を強調した構図、濃淡を付けられた面を交錯させる構成、などいくつかの重要な造形的な要素が、右記の《藤図》には欠落している。しかもそれらの諸要素こそ、宗達が最も見せたかったものであり、巻物の最後のクライマックスで蔦が選ばれた理由でもあった。  】(「宗達の金銀泥絵と明代の花卉図について―畠山記念館蔵《重文 金銀泥四季草花下絵古今集和歌巻》の分析を中心として―(仲町啓子稿)」)

巻頭(竹)―抜粋―

四季花卉下絵古今集和歌巻70.jpg

【『竹』
《畠山本》の巻頭に描かれるのは竹(挿図1)である。大小十一本の竹幹のみを金泥に濃淡をつけながら描き出している。竹のモチーフは、《小謡本》(挿図2)、《百番本》には二図(挿図3、挿図4)、《花卉風景図扇面》(挿図5)、《秋草本》(挿図6)、《ベルリン本》(挿図7)、《隆達節巻》(挿図8)に登場する。《桜山吹本》以外はすべてに取り上げられていることになる。
(略)
宗達はすでに自然物の一部をトリミングした構図を採用しているが、それを巻物形式に応用するにはかなりの飛躍が必要であるように思われる。徐渭ないしはそれに類した作品を見知っていて、それをヒントにして奇抜な構図を生み出したと考えたい。ただ、宗達はそれを文様風な構成へと変えて、巧妙にも原画とは異なった印象の画面にしているため、原図様がわかりにくくなっていることも事実である。】(「宗達の金銀泥絵と明代の花卉図について―畠山記念館蔵《重文 金銀泥四季草花下絵古今集和歌巻》の分析を中心として―(仲町啓子稿)」)
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yahantei

https://ci.nii.ac.jp/naid/120006250417

上記のアドレスの「宗達の金銀泥絵と明代の花卉図について : 畠山記念館蔵《重文 金銀泥四季草花下絵古今集和歌巻》の分析を中心として
Sotatsu's Gold-and-Silver Paintings and Flowers and Plants Scrolls of the Ming Dynasty : Focusing on Handscroll poem anthology, poems from "Kokin waka-shu", with design of flowers of four seasons, Hatakeyama Memorial Museum of Fine Art」に接することが出来たのは、大きな収穫であった。

この論稿中の、「《小謡本》(挿図2)、《百番本》には二図(挿図3、挿図4)、《花卉風景図扇面》(挿図5)、《秋草本》(挿図6)、《ベルリン本》(挿図7)、《隆達節巻》(挿図8)」や「中国の花卉雑画巻(挿図14、挿図36)」などとの関連を、論稿の通りに見ていくと、いろいろと示唆を受けることが多い。
by yahantei (2020-12-09 09:18) 

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