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四季花卉下絵古今集和歌巻(その十) [光悦・宗達・素庵]

その十 「本阿弥辻子」から「本法寺」へ ―光悦(書・作庭)そして等伯(像・画)―

本法寺マップ.jpg

(A図:「本阿弥辻子」(白峯神社)から「本法寺」(本阿弥家菩提寺)へ
https://www.meguru-kyoto.com/event/detail.html?id=32

 この図面(A図)の「中小川町」近辺が「本阿弥家」が居住していた「本阿弥辻子(横丁)」で、その小川通りを行くと、「妙顕寺」そして、本阿弥家の菩提寺の「本法寺」に至る。

洛中絵図・本法寺.jpg

B図:寛永後萬治前洛中絵図(部分図・京都大学附属図書館蔵)
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/libraries/uv-wrapper/uv.php?archive=metadata_manifest&id=RB00000143#?c=0&m=0&s=0&cv=0&xywh=30213%2C8303%2C3087%2C6111&r=270

 これ(B図)は、寛永(一六二四~一六四五)後、萬治(一六五八~一六六一)前の、京都(上京区)の部分図である。この下辺の「本阿弥」と表示されている(何軒か表示されている)ところが、「本阿弥辻子」で、その上方に、「本法寺」(右に「妙顕寺」、左に「妙蓮寺」)がある。
 この「本法寺」の、本堂の扁額は「本阿弥光悦筆」である。

https://kyotofukoh.jp/report287.html

本法寺・額字.jpg

【本堂扁額「本法寺」は、本阿弥光悦筆による。】

 ここには、光悦の「作庭」の「三巴の庭」も下記のアドレスで紹介されている。

https://otogoze.exblog.jp/6550753/

三巴の庭.jpg

【三巴の庭】手前の半円形の石を二つ合わせた円石は「妙」を表わし蓮池と合わせて「妙法蓮華経」となる(メモ:手前の二つ合わせた円石は「日」、そして、「蓮池」は「蓮」の、「日蓮」とも読める。また、この「蓮池」を「八つ橋の池」で紹介しているものもある=(『光悦―琳派の創始者―(河野元昭編)所収))。

この庭は全体が法華経の宇宙観を表わし、その中ほどには十本の切石を円形に組んで縁石にした池が造られ、その池の中には白蓮が植えられています。

蓮池を縁取る十本の切石で、法華経(妙法蓮華経)を最上の経典とする天台宗の宗祖である天台智顗(ちぎ)大師の著書「法華玄義十巻」を表現して組み「法華経」を意味し、
 また「十界勧請(仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天人界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)」「三世十方(過去・現在・未来の三世と東・西・南・北・北東・北西・南東・南西・上・下の十方)」という法華経の宇宙観が表わされています。

つまり法華経においては「十」という数が重要な意味を持つのです。

 そして経題(妙法蓮華経)に含まれている蓮華(白蓮)は法華経の核となる存在であり、釈迦さらには日輪をも象徴しています。
 法華経のサンスクリット(梵語)の原典名「サッダルマ・ブンダリカ・スートラ」を直訳すると「何よりも正しい白蓮のような教え」という意味になります。

白蓮は池底の泥濘から花茎を伸ばし、やがて水面に清浄無垢な白い花を咲かせる。妙法蓮華経(法華経)の教えは最上のすぐれたものであり、美の極致ともいうべき蓮華、中でも最も秀でた白蓮に託してその至上性を標榜しているのです。



蓮下絵断簡.jpg

【蓮下絵百人一首和歌巻断簡】 個人蔵 俵屋宗達の蓮の下絵に光悦が和歌を書き散らした。

https://blog.goo.ne.jp/38_gosiki/e/e898fa686f05612b4dc583c5a6d3eb65

等伯像.jpg

境内に建つ等伯の銅像(メモ:後方の松は「本阿弥光悦手植えの松」か?)

長谷川等伯は1571(元亀2)年頃、故郷の七尾の菩提寺の本山だった本法寺を頼り、京都に出てきました。七尾ですでに画業で名を挙げていましたが、京都で絵の腕にさらに磨きをかけようとしたのでしょうか。現在も本法寺に隣接する塔頭の教行院(きょうぎょういん)に生活の拠点を得て、当時の最先端都市だった京や堺で絵を学びます。並行して千利休ら有力者とのパイプを築いていったと考えられています。

https://media.thisisgallery.com/works/hasegawatohaku_06

仏涅槃図.jpg

仏涅槃図(長谷川等伯筆)・本法寺蔵(メモ:光悦の寄進した「法華題目抄: 三九・七㎝×一四八八㎝」と「如説修行抄: 三九・七㎝×一四七二㎝」とも、長大な一巻である。)
【作品解説 
東福寺、大徳寺所蔵のものと並び、京都の三大涅槃図に数えられる作品です。縦約10メートル、横約6メートルという巨大な作品で、首を上下左右に動かさなければ全体を見ることができません。この作品は完成後に宮中に披露された後、等伯が深く信頼を寄せていた本法寺に寄進されました。釈迦の入滅と、その死を嘆く弟子や動物たちが集まっている様子が、鮮やかな色合いで表情豊かに描かれています。裏面には、等伯が信仰していた日蓮宗の祖師たちの名、本法寺の歴代住職、等伯の親族、そして長谷川一門を担う存在として期待を寄せていた長男・久蔵たちの供養名が記されています。等伯の信仰の深さと、一族への祈りが込められた作品といえるでしょう。】

(本法寺の重要文化財) 『ウィキペディア(Wikipedia)』

重要文化財(国指定)
長谷川等伯関係資料
絹本著色日堯像(長谷川信春(等伯)筆)
絹本著色日通像(長谷川等伯筆)
紙本墨画妙法尼像(長谷川等伯筆)
紙本著色仏涅槃図(長谷川等伯筆)
等伯画説(日通筆)
附:日通書状
附:法華論要文(日蓮筆)
附:本尊曼荼羅(日親筆)
絹本著色日親像 伝狩野正信筆 - 2017年度指定[4][5]。
紙本金地著色唐獅子図 四曲屏風一隻[6][7]
金銅宝塔 応安三年(1370年)銘
紙本墨画文殊寒山拾得像[8] 3幅(文殊:啓牧筆、寒山拾得:啓孫筆)
絹本著色蓮花図(伝・銭舜挙筆)
絹本著色群介図
紫紙金字法華経(開結共)10巻
附:花唐草文螺鈿経箱
附:正月十三日本阿弥光悦寄進状
※法華題目抄(本阿弥光悦筆)
※如説修行抄(本阿弥光悦筆)

(周辺メモ)

※法華題目抄(本阿弥光悦筆)→『書道芸術第十八巻 本阿弥光悦』作品解説138
 紙本 一巻 三九・七㎝×一四八八㎝ 

※如説修行抄(本阿弥光悦筆)→『書道芸術第十八巻 本阿弥光悦』作品解説139
紙本 一巻 三九・七㎝×一四七二㎝ 
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yahantei

 「四季花卉下絵古今集和歌巻」のスタートの時点で、よもや、長谷川等伯の「仏涅槃図」などに遭遇するとは、予想だにしなかった。この「仏涅槃図」や「松林図」などは、確かに、「東京国立博物館」で見て、その企画展の最後の部屋で、壁面一杯に飾られた「仏涅槃図」に圧倒された思い出がある。
 この等伯が、本阿弥毛の菩提寺の「本法寺」の、本阿弥家(そして光悦)と双璧を為す大檀越(?)であるなとどは、全然素通りしていた。

大涅槃図(京都・本法寺)
慶長4年(1599年)。1幅 紙本著色 重要文化財。
水墨山水図(京都・ 隣華院)
慶長4年(1599年)。襖20面 紙本墨画 重要文化財。
商山四晧図(京都・真珠庵)
慶長6年(1601年)。襖4面 紙本墨画 重要文化財。
蜆子猪頭図(京都・真珠庵)
慶長6年(1601年)。襖4面 紙本墨画 重要文化財。
梅に叭々鳥図(京都・真珠庵)
慶長6年(1601年)。襖2面 紙本墨画 重要文化財。
禅宗祖師図(京都・天授庵)
慶長7年(1602年)。襖16面 紙本墨画 重要文化財。
商山四皓図(京都・天授庵)
慶長7年(1602年)。紙本淡彩 襖8面 重要文化財。
松鶴図(京都・天授庵)
慶長7年(1602年)。襖8面 重要文化財。
龍虎図屏風(ボストン美術館)
慶長11年(1606年)六曲一双 紙本墨画
日通上人像(京都・本法寺)
慶長13年(1608年)。1幅 絹本著色 重要文化財。
弁慶・昌俊図絵馬(京都・北野天満宮)
慶長13年(1608年)。1面 板絵金地著色 重要文化財
烏鷺図屏風(現代芸術振興財団(DIC川村記念美術館旧蔵))
六曲一双 紙本墨画 重要文化財 。「法眼」の署名がある。
萩芒図屏風(京都・相国寺蔵、承天閣美術館保管)
一双 紙本金地著色。
故事人物図屏風(MOA美術館)

 この等伯の60代以後(慶長四年から同十五年)は、まさに、「光悦書・宗達下絵」の数々の「和歌巻」が誕生した時期と重なる。
 それにしては、「等伯・光悦・宗達」との、三人を俎上した「活字且つネット情報」は、まるで、思い出さない。
by yahantei (2020-12-11 16:06) 

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