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徳川義恭の「宗達の水墨画」(その四) [水墨画]

その四 「鴛鴦図一(宗達筆・個人蔵)」周辺

鴛鴦その一.jpg

俵屋宗達筆 鴛鴦 一幅 紙本墨画淡彩 九三・八×四七・六 落款「法橋宗達」 
印章「対青軒」朱文円印 (『琳派三 風月・鳥獣(紫紅社刊)』)

【 鴛鴦が一羽爽かに飛んでゐる。画面には其の他に何の添景も無い。鳥の配置も効果的であるし、色の濃淡や筆触も洗練されてゐて、よく飛ぶ鳥の軽さと、それに伴ふあの一種の緊張感を現はしてゐる。頬と喙(くちばし)には薄く赤味がつけてあり、頭上の羽毛の中には、柔かく藍が入つてゐる。目つきも旨いし、羽の表現も感覚的である。何処にも鈍い所が無い。松村呉春の絵に、鷺の飛立つのを描いたのが在る。あれは呉春としては上出来のものだらうが、此の鴛鴦に比べると随分落ちる。只、伯林(ベルリン)に牧谿の雁の図がある。これは気持のいゝ程鋭い絵であつて、此の種の絵の傑作であらう。……所りで、宗達の此の絵は、宗達として稍初期のものと言へる。それは「破調」が無く、筆数が多い事で分る。用紙も他の作品とは違つて居り、唐紙が用ひられてゐる。他の作品が殆ど白唐紙かと思はれる。
宗達の絵で、水墨淡彩といふのは少い。さう云ふ意味でも此の絵は珍しい。宗達は、淡い色を使ふ時は思ひ切つて濃く、又、薄い色の時は、在るか無いかの淡いのを使゛ふ。それで゛何れの場合でも、非常に高い境地を表現してゐる。濃彩の絵は今更述べる迄もないが、極く薄い色を着けたものは、此の鴛鴦の他に、金沢から発見された歌仙の図数枚がある。……これは宗達法橋の長方形の白丈方印が添へてある。その印の字は今の所、まだ読めてゐない。又、最近、色紙形の伊勢物語図の中に、やはり方印を捺したものが発見されたと矢代幸雄先生から御教示を受けたが、それは前者とは又別のものらしいと云ふ事であつた。尚、水墨淡彩の狗子図(稍初期)を最近見た。 】(『宗達の水墨画・徳川義恭著・座右寶刊行会』所収「図版解説第二図」p4~p6)

https://www.nanao-cci.or.jp/tohaku/big/19.html

等伯・花鳥図屏風.jpg

【長谷川等伯筆「花鳥図屏風」6曲1隻 紙本著色 縦149.5・横360.0 室町時代末期~桃山時代初期(16世紀)制作 岡山県・妙覚寺所蔵 横 一四九・〇㎝ 縦 三六〇㎝ 重要文化財
(解説)
本図は水墨を基調に要所に色彩を施した作品で、モチーフを画面の端に集めた構図で安定感を感じさせる作風である。等伯40歳代頃の筆といわれ、画面中の鳥などの描写は生き生きとして表現されている。 】

【 岸辺の梅と鴛鴦の番を中心に雪景でまとめたこの屏風は、数点の作品が知られる伝雪舟筆の花鳥図屏風の形式を受けつぐ典型的な作例である。とはいえ、雪舟系花鳥図屏風では画中の生き物が冬の大自然のなかに閉じこめられ、ひっそりと呼吸しているのに対し、生き物たちとそれをとりまく自然との関係がこの作品では逆転している。小鳥たちは気ぜわしく小枝を飛びまわり、梅の根もとの紅白の薔薇や竹の青さが冬のきびしさを少しも感じさせない。雪舟系花鳥図屏風の重苦しい迫る雪の遠山もこの作品ではすっかり後退し、光の空間が画面を満たしているのだ。等伯は『等伯画説』の中で、雪舟につらなる画系にみずからを位置づけているから、この作品は信春から等伯への変貌を画風のうえから考えるためにも注目すべき作品である。なお、本作品は、京都の金工家後藤家から妙覚寺へ寄進された、と従来考えられていたが、明治年間に京都の相馬家から寄進されたものであることが同寺の史料から判明した。 】(『名宝日本の美術 永徳・等伯』所収「作品解説27(鈴木広之稿)」)

 この等伯の「花鳥図屏風」(六曲一隻)の第五扇に、等伯の二羽の鴛鴦が描かれている。それは、下記のアドレスのとおり、昭和五十二年(一九七七)に、「大和絵 花鳥図(鳥)切手」として、国際文通週間記念に、その図柄の切手が発行されている。



https://kaitori-navisan.com/kitte/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%B5%B5-%E8%8A%B1%E9%B3%A5%E5%9B%B3%E9%B3%A5%E5%88%87%E6%89%8B/

等伯・鴛鴦.jpg

「大和絵 花鳥図(鳥)切手」(長谷川信春=等伯筆「花鳥図屏風」の部分図)

https://intojapanwaraku.com/art/972/

永徳・梅に小禽.jpg

狩野永徳筆「四季花鳥襖」(「松に鶴」「梅に小禽」「芦雁図」)の「梅に小禽」の部分図)
国宝 十六面 紙本墨画 各 横一七五・五㎝ 縦一四二・五㎝ 永禄九年(一五六六) 聚光院所蔵 (『名宝日本の美術 永徳・等伯』所収「作品解説1・2・3・4・5・6(鈴木広之稿)」)

 等伯が、同時代(桃山時代)の画家として、生涯に亘ってライバル意識を持ち続けた、その人は、狩野永徳ということになろう。その永徳の「四季花鳥襖」にも、上記の「梅に小禽」のほんの片隅(上記の左の襖の水面)に、永徳の「鴛鴦」らしきものが描かれている。この「四季花鳥襖」は、大徳寺の塔頭の一つの「聚光院」所蔵の国宝となっている。
 そして、等伯の「枯木猿猴図」(その三で紹介した作品)は、その「聚光院」の近くの、同じ大徳寺の塔頭の一つの「龍泉庵」所蔵の重要文化財となっている。さらに、この「聚光院」と「龍泉庵」に連なる、臨済宗大徳寺派の大本山「大徳寺」には、日本水墨画の源流とも目せられる、中国の宋末元初(13世紀後半)の画僧・牧谿の代表作「観音猿鶴図 」が、その国宝に指定されている。
 その「牧谿→永徳・等伯」の、日本水墨画の流れは、その間に、日本水墨画の大成者として目せられている室町後期の画僧「雪舟」が介在していることになる。その雪舟の「鴛鴦」が、次のアドレスで、下記のとおり見ることが出来る。

https://artsandculture.google.com/exhibit/DAIS7zfQjogqIA?hl=ja

雪舟・鴛鴦.jpg

【四季花鳥図屏風(15世紀)雪舟筆 (補綴: 「四季花鳥図屏風」六曲一双 紙本着色 各 縦一八一・六㎝ 横三七五・二㎝ 京都国立博物館蔵 重要文化財 → 左隻「第二・三扇」=『没後五〇〇年 特別展 雪舟(東京国立博物館・京都国立博物館編))

水墨画の巨人、画聖などと仰がれて人口に膾炙(かいしゃ)する雪舟(1420~1506?)。備中国(今の岡山県)に生まれた彼は、上京して相国寺に入り、禅と画業に励んだのち周防国山口に居を移した。その後、遣明使節団に加わって入明し、本場の水墨画に親しんだことが知られる。帰国後、その作画意欲はますます高まり、絵筆を携えて諸国を遊歴するなど旺盛な活動を展開した。
本図はかなりの数が遺る伝雪舟筆花鳥図屏風絵群の中にあって、唯一、彼の真筆と目される作品である。両隻とも松や梅の巨木によって画面が支えられ、その周囲に四季の草花や鳥たちが配されているが、まるで爬虫類のような松梅の不気味な姿とアクの強い花鳥の描写によって、画面には独特の重苦しい雰囲気がもたらされている。おそらく呂紀(りょき)の作品に代表される明代の花鳥図が参考にされたのであろう。】

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yahantei

 宗達の「鴛鴦図」というのは、『琳派三 風月・鳥獣(紫紅社刊)』という収録図版が多い大冊でも、二例しか収載されていない。その二例とも、水墨画で、今回(その四)のものと、次回(その五)のものと、その二例で、今回の「鴛鴦一」図の落款の署名は「法橋宗達」で、次回の「鴛鴦二」図の署名は「宗達法橋」である。
 この「法橋宗達」(一人称的用例)と「宗達法橋」(三人称的用例)関連については、次回(その五)で詳述したい。
 今回は、宗達の、小品の水墨画の「鴛鴦」図は、宗達の一時代前の等伯の大作「花鳥図屏風」や、永徳の「四季花鳥襖」の、ほんの片隅に描かれている「鴛鴦」図の、その流れの中での、宗達の習作的な作品ではないかということにウェートを置いている。
 そして、「永徳・等伯」の、これらの大作も、水墨画の大成者の雪舟の「四季花鳥図屏風(15世紀)」を踏まえてのものということが、このけし粒ほどの「鴛鴦」の図柄などを仲介とすると、それらの、相互関連ということが浮かび上がってくる。
 そのけし粒ほどの一例の「鴛鴦」(等伯作)が、切手で、上記の「大和絵 花鳥図(鳥)切手」(長谷川信春=等伯筆「花鳥図屏風」の部分図)と、偶然に、大きくアップされると、これこそ、「鴛鴦」図の典型というのが、なかなか面白い。
by yahantei (2020-12-24 15:34) 

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