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源氏物語画帖「その三十六 柏木」(京博本)周辺 [源氏物語画帖]

36 柏木(長次郎筆) =(詞)中院通村(一五八七~一六五三)  源氏48歳正月-秋

長次郎・柏木.jpg

源氏物語絵色紙帖  柏木  画・長次郎
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html

通村・柏木.jpg

源氏物語絵色紙帖  柏木  詞・中院通村
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html


(「中院通村書の「詞」)

人の申すままに、さまざま聖だつ験者などの、をさをさ世にも聞こえず、深き山に籠もりたるなどをも、弟の君たちを遣はしつつ、尋ね召すに、けにくく心づきなき山伏どもなども、いと多く参る
(第一章 柏木の物語 女三の宮、薫を出産 第三段 柏木、侍従を招いて語る)

1.3.1 人の申すままに、さまざま聖だつ験者などの、をさをさ世にも聞こえず、深き山に籠もりたるなどをも、弟の君たちを遣はしつつ、尋ね召すに、けにくく心づきなき山伏どもなども、いと多く参る。
(誰彼のお勧め申すがままに、いろいろと聖めいた験者などで、ほとんど世間では知られず、深い山中に籠もっている者などをも、弟の公達をお遣わしお遣わしになって、探し出して召し出しになるので、無愛想で気にくわない山伏連中なども、たいそう大勢参上する。)

(周辺メモ)

http://www.genji-monogatari.net/

第三十六帖 柏木
 第一章 柏木の物語 女三の宮、薫を出産
  第一段 柏木、病気のまま新年となる
  第二段 柏木、女三の宮へ手紙
  第三段 柏木、侍従を招いて語る
  第四段 女三の宮の返歌を見る
 (「中院通村書の「詞」)  →  1.3.1 
  第五段 女三の宮、男子を出産
  第六段 女三の宮、出家を決意
 第二章 女三の宮の物語 女三の宮の出家
  第一段 朱雀院、夜闇に六条院へ参上
  第二段 朱雀院、女三の宮の希望を入れる
  第三段 源氏、女三の宮の出家に狼狽
  第四段 朱雀院、夜明け方に山へ帰る
 第三章 柏木の物語 夕霧の見舞いと死去
  第一段 柏木、権大納言となる
  第二段 夕霧、柏木を見舞う
  第三段 柏木、夕霧に遺言
  第四段 柏木、泡の消えるように死去
 第四章 光る源氏の物語 若君の五十日の祝い
  第一段 三月、若君の五十日の祝い
  第二段 源氏と女三の宮の夫婦の会話
  第三段 源氏、老後の感懐
  第四段 源氏、女三の宮に嫌味を言う
  第五段 夕霧、事の真相に関心
 第五章 夕霧の物語 柏木哀惜
  第一段 夕霧、一条宮邸を訪問
  第二段 母御息所の嘆き
  第三段 夕霧、御息所と和歌を詠み交わす
  第四段 夕霧、太政大臣邸を訪問
  第五段 四月、夕霧の一条宮邸を訪問
  第六段 夕霧、御息所と対話

http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail31/id=3743

源氏物語と「柏木」(川村清夫稿)

【 朱雀院の50歳祝賀のための試楽の場で、光源氏から痛烈な皮肉を言われた柏木は、女三宮を妊娠させた罪悪感もあって、死の床に伏してしまった。夕霧は柏木の友人で、見舞いに行ったところ、柏木は夕霧に、不興を買った光源氏にとりなしてくれるよう頼んだ。太政大臣一家が悲しむなか、柏木は「泡の消えるように」この世を去ってしまった。女三宮は薫を出産して、生後50日のお祝いに光源氏は薫を抱き上げ、即座にその顔が柏木に似ていると感じ、我が子を見ることなく死んだ柏木を思って感涙にむせぶのだが、対面上感情を押し隠すのであった。

 ウェイリーは「柏木」の帖を、夕霧をめぐる状況にしぼって翻訳しており、光源氏が幼い薫を見つめる場面を省略している。それでは定家自筆本、渋谷栄一の現代語訳、サイデンステッカーの英訳の順に見てみよう。

(定家自筆本原文)
この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみの薫りて、笑がちなるなどを、いとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほ、いとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかに恥づかしきさまも、やう離れて、薫りをかしき顔ざまなり。
宮はさしも思し分かず。人はた、さらに知らぬことなれば、ただ一所の御心の内にのみぞ、「あはれ、はかなかりける人の契りかな」
と見たまふに、大方の世の定めなさも思し続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌みすべき日をと、おし拭ひ隠したまふ。
「静かに思ひて嗟くに堪へたり」
と、うち誦うじたまふ。五十八を十取り捨てたる御齢なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。「汝が爺に」とも、諫めまほしう思しけむかし。

(渋谷現代語訳)
この若君、とても上品な上に加えて、かわいらしく、目もとがほんのりとして、笑顔がちでいるのなどを、とてもかわいらしいと御覧になる。気のせいか、やはり、とてもよく似ていた。もう今から、まなざしが穏やかで人に優れた感じも、普通の人とは違って、匂い立つような美しいお顔である。
宮はそんなにもお分かりにならず、女房たちもまた、全然知らないことなので、ただお一方のご心中だけが、
「ああ、はかない運命の人であったな」
とお思いになると、世間一般の無常の世も思い続けられなさって、涙がほろほろとこぼれたのを、今日の祝いの日には禁物だと、拭ってお隠しになる。
「静かに思って嘆くことに堪えた」
と、朗誦なさる。五十八から十とったお年齢だが、晩年になった心地がなさって、まことにしみじみとお感じになる。「おまえの父親に似るな」とでも、お諫めなさりたかったのであろうよ。

(サイデンステッカー英訳)
This boy was beautiful, there was no other word for it. He was always laughing, and a very special light would come into his eyes which fascinated Genji. Was it Genji’s imagination that he looked like his father? Already there was a sort of tranquil poise that quite put one to shame, and the glow of the skin was unique.
The princess did not seem very much alive to these remarkable good looks, and of course almost no one else knew the truth. Genji was left alone to shed a tear for Kashiwagi, who had not lived to see his own son. How very unpredictable life is! But he brushed the tear away, for he did not want it to cloud a happy occasion.
“I think upon it in quiet,” he said softly, “and there is ample cause for lamenting.”
His own years fell short by ten of the poet ‘s fifty-eight, but he feared that he did not have many ahead of him. “Do not be like your father.” This, perhaps, was the admonition in his heart.

 薫の容貌の「愛敬づき、まみの薫りて、笑がちなるなどを、いとあはれと見たまふ」を、サイデンステッカーはHe was always laughing, and a very special light would come into his eyes which fascinated Genjiと訳しているが、「愛敬づき」を訳さず「笑がちなる」をalways laughingとしたのは不正確である。「眼居ののどかに恥づかしきさまも」をthere was a sort of tranquil poise that quite put one to shame, としたのは誤訳である。「薫りをかしき顔ざまなり」をthe glow of the skin was uniqueと訳したのも、原文の情趣が伝わってこない。

 光源氏の独白「あはれ、はかなかりける人の契りかな」をHow very unpredictable life is!としたが、誤訳である。

 末尾にある「静かに思ひて嗟くに堪へたり」と「汝が爺に」は、白氏文集の第58巻2821番にある「自嘲」という漢詩に由来する。「静かに思へば喜ぶに堪へ、亦嗟くに堪へたり」と「盃を持ちて祝願するに、他の語無し。慎んで頑愚、汝が爺に似ること勿れ」とある。白楽天は58歳にして子息をもうけたのを自嘲して、この詩を作った。光源氏は48歳にして薫の名目上の父になり、白楽天の心境を思い出したのである。サイデンステッカーは前者をI think upon it in quiet, and there is ample cause for lamenting、後者をDo not be like your fatherと訳している。

 柏木と女三宮の密通で生まれた薫は、宇治十帖の優柔不断な主人公になるのである。 】

(「三藐院ファンタジー」その二十六)

中院通村・詠草.jpg

「中院通村筆詠草」(慶應義塾ミュージアム・コモンズ(センチュリー赤尾コレクション)
https://objecthub.keio.ac.jp/object/726

【 中院通村〈なかのいんみちむら・1588-1653〉は、江戸時代前期の公卿。通勝の子。はじめ通貫と称し、慶長5年〈1600〉叙爵、このとき通村と改名した。号は後十輪院。正二位・権大納言に至る。後水尾天皇の信任厚く、たびたび江戸へ下向したが、寛永6年〈1629〉天皇が幕府の専制に反発して譲位を強行すると、この謀議に参画したという咎を受けて、江戸に幽閉された。その後、僧・天海のとりなしで赦免されて帰京し、正保4年〈1647〉内大臣に任じられたがほどなく辞し、承応2年〈1653〉66歳で没した。書は世尊寺流の名手で、中院流の祖とされる。博学で和歌にもすぐれ、家集『後十輪院集』を残している。また「関戸本古今集」の巻末識語ほか、古筆の鑑定にも才能を発揮した。これは、寛永15年〈1638〉正月14日の仙洞御会始のための詠草である。歌道の師であった父・通勝の添削をもとめたものではなかったか。「鴬声和琴」という兼題の歌会(あらかじめ歌題が示される歌会)で、御会始当日は、第1首目の「鴬のなくねも」を披講している。「通村/鴬声琴に和す/鴬の鳴く音も春に弾く琴の調べ変はらず千世鳴らさなむ/鴬のそのこととなき声も猶春の調べの折にあふらむ」

(釈文)

通村鴬声和琴鴬のなくねも春にひくことのしらべかはらず千世ならさなむうぐひすのそのことゝなき声も猶春のしらべのおりにあふらむ       】
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yahantei

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2021-04-23

【猪熊事件(いのくまじけん)は、江戸時代初期の慶長14年(1609年)に起きた、複数の朝廷の高官が絡んだ醜聞事件。公家の乱脈ぶりが白日の下にさらされただけでなく、江戸幕府による宮廷制御の強化、後陽成天皇の退位のきっかけともなった。(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

公家衆への処分

慶長14年(1609年)9月23日(新暦10月20日)、駿府から戻った所司代・板倉勝重より、事件に関わった公卿8人、女官5人、地下1人に対して以下の処分案が発表された。

死罪 
   
左近衛少将 猪熊教利(二十六歳)
牙医 兼康備後(頼継)(二十四歳)

配流《年齢=発覚時=慶長十四年(一六〇九)時(『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男著)』》

左近衛権中将 大炊御門頼国《三十三歳》→ 硫黄島配流(→ 慶長18年(1613年)流刑地で死没)
左近衛少将 花山院忠長《二十二歳》→ 蝦夷松前配流(→ 寛永13年(1636年)勅免)
左近衛少将 飛鳥井雅賢《二十五歳》→ 隠岐配流(→ 寛永3年(1626年)流刑地で死没)
左近衛少将 難波宗勝《二十三歳》→ 伊豆配流(→ 慶長17年(1612年)勅免)
右近衛少将 中御門(松木)宗信《三十二歳》→ 硫黄島配流(→ 流刑地で死没)

配流(年齢=発覚時=慶長十四年(一六〇九)時=下記のアドレスの<女房一覧 桃山時代 106代正親町天皇―107代後陽成天皇>)

新大典侍 広橋局(広橋兼勝の娘)<二十歳?>→伊豆新島配流(→ 元和9年9月(1623年)勅免)
権典侍 中院局(中院通勝の娘)<十七歳?>→伊豆新島配流(→ 元和9年9月(1623年)勅免)
中内侍 水無瀬(水無瀬氏成の娘)<?>→ 伊豆新島配流(→元和9年9月(1623年)勅免)
菅内侍 唐橋局(唐橋在通の娘)<?>→ 伊豆新島配流(→元和9年9月(1623年)勅免)
命婦 讃岐(兼康頼継の妹)<?>→ 伊豆新島配流→ 元和9年9月(1623年)勅免)

恩免《年齢=発覚時=慶長十四年(一六〇九)時(『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男著)』》

参議 烏丸光広《三十一歳》
右近衛少将 徳大寺実久《二十七歳》       】

https://ameblo.jp/kochikameaikouka/entry-11269980485.html

【※広橋局と逢瀬を重ねていた公家は花山院忠長です。
※中院仲子については烏丸光広との密通を疑われた、と言われています。  】

https://toshihiroide.wordpress.com/2014/09/18/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E9%99%A2%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%85%EF%BC%881%EF%BC%89/

【権典侍中院局の兄で正二位内大臣まで上り詰めた中院通村(なかのいん・みちむら)が、後水尾帝の武家伝奏となって朝幕間の斡旋に慌ただしく往復していたころ、小田原の海を眺めつつ妹の身を案じて詠んだ歌がある。
  ひく人のあらでや終にあら磯の波に朽ちなん海女のすて舟
 一首は「私の瞼には、捨てられた海女を載せて波間を漂う孤舟が浮かぶ。いつの日か舟をひいて救ってくれる人が現れるであろうか。それとも荒磯に打ちあげられて朽ちてしまうのか。かわいそうに可憐な妹よ、私はいつもお前のことを憂いているのだよ」と。】

https://tracethehistory.web.fc2.com/nyoubou_itiran91utf.html

<女房一覧 桃山時代 106代正親町天皇―107代後陽成天皇>)

by yahantei (2021-07-15 16:29) 

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