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源氏物語画帖「その三十八 鈴虫」(光吉筆:京博本)周辺 [源氏物語画帖]

38 鈴虫(長次郎筆)=(詞)西園寺実晴(一六〇〇~一六七三)  源氏50歳夏-秋

長次郎・鈴虫.jpg

源氏物語絵色紙帖  鈴虫  画・長次郎
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html

西園寺・鈴虫.jpg

源氏物語絵色紙帖  鈴虫 詞・西園寺実晴
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html

(「西園寺実晴」書の「詞」)

https://matuyonosuke.hatenablog.com/entry/2019/04/11/%E9%88%B4%E8%99%AB_%E3%81%99%E3%81%9A%E3%82%80%E3%81%97%E3%80%90%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%B8%96%E3%80%91

御硯にさし濡らして、香染めなる御扇に書きつけたまへり。宮
   隔てなく蓮の宿を契りても君が心や住まじとすらむ
(第一章 女三の宮の物語 持仏開眼供養 第二段 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす)

1.2.11 御硯にさし濡らして、 香染めなる御扇に書きつけたまへり。宮、
(御硯に筆を濡らして、香染の御扇にお書き付けになった。宮は、)
1.2.12  隔てなく蓮の宿を契りても  君が心や住まじとすらむ
(蓮の花の宿を一緒に仲好くしようと約束なさっても、あなたの本心は悟り澄まして一緒にとは思っていないでしょう)


(周辺メモ)

http://www.genji-monogatari.net/

第三十八帖 鈴虫
 第一章 女三の宮の物語 持仏開眼供養
  第一段 持仏開眼供養の準備
  第二段 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす
(「西園寺実晴」書の「詞」)  →  
第三段 持仏開眼供養執り行われる
  第四段 三条宮邸を整備
 第二章 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴
  第一段 女三の宮の前栽に虫を放つ
  第二段 八月十五夜、秋の虫の論
  第三段 六条院の鈴虫の宴
  第四段 冷泉院より招請の和歌
  第五段 冷泉院の月の宴
 第三章 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う
  第一段 秋好中宮、出家を思う
  第二段 母御息所の罪を思う
  第三段 秋好中宮の仏道生活

http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail31/id=3764

源氏物語と「鈴虫」(川村清夫稿)

【 柏木が世を去って2年たち、光源氏は50歳になっていた。光源氏は、出家した女三宮のために、六条院の庭に大量の鈴虫を放して、彼女と和歌のやりとりをしながら、琴を弾いた。そこへ、宮中の月の宴が中止になったので、公卿たちが六条院にやって来て、光源氏は期せずして、鈴虫の宴を催し、今は亡き柏木の美意識を顕彰するのであった。

 初めて源氏物語を英語に全訳したウェイリーは、この「鈴虫」の帖を完全に省略している。その理由はわかっていないが、国文学者の加納孝代は理由を、ウェイリーが初めて枕草子を英語に抄訳した本の、そのあとがきに求めている。ウェイリーが省略したのは、原文が退屈なところ、意味をはかりかねるところ、くりかえし、たとえが混み入っていて説明なしにはわからないところであった。たとえ退屈であっても、意味が難解であっても、翻訳家は原作を省略せずに誠実に翻訳するべきである。それをしないウェイリーは翻訳家ではなく、改作者と呼ぶべきである。サイデンステッカーは、ウェイリーのような文才がなかっただけ、理想的な翻訳ができている。

 それでは鈴虫の宴の場面を、大島本原文、渋谷栄一の現代語訳、サイデンステッカーの英訳の順に見てみよう。

(大島本原文)
御琴どもの声々掻き合はせて、おもしろきほどに、
「月見る宵の、いつとてもものあはれならぬ折はなきなかに、今宵の新たなる月の色には、げになほ、わが世の外までこそ、よろづ思ひ流さるれ。故権大納言(柏木)、何の折々にも、亡きにつけていとど偲ばるること多く、公、私、ものの折節のにほひ失せたる心地こそすれ。花鳥の色にも音にも、思ひわきまへ、いふかひあるかたの、いとうるさかりしものを」
などのたまひ出でて、みづからも掻き合はせたまふ御琴の音にも、袖濡らしたまひつ。御簾の内にも、耳とどめて聞きたまふらむと、片つ方の御心には思しながら、かかる御遊びのほどには、まづ恋しう、内裏などにも思し出でける。
「今宵は鈴虫の宴にて明かしてむ」
と思したまふ。

(渋谷現代語訳)
お琴類を合奏なさって、興が乗ってきたころに、
「月を見る夜は、いつでももののあわれを誘わないことはない中でも、今夜の新しい月の色には、なるほどやはり、この世の後の世界までが、いろいろと想像されるよ。故大納言が、いつの折にも、亡くなったことにつけて、一層思い出されることが多く、公、私、共に何かある機会に物の栄えがなくなった感じがする。花や鳥の色にも音にも、美をわきまえ、話相手として、大変に優れていたのだったが」
などとお口に出されて、ご自身でも合奏なさる琴の音につけても、お袖を濡らしなさった。御簾の中でも耳を止めてお聴きになって入るだろうと、片一方のお心ではお思いになりながら、このような管弦の遊びの折には、まずは恋しく、帝におかせられてもお思い出しになられるのであった。
「今夜は鈴虫の宴を催して夜を明かそう」
とお考えになっておっしゃる。

(サイデンステッカー英訳)
“One is always moved by the full moon,” said Genji, as instrument after instrument joined the concert, “but somehow the moon this evening takes me to other worlds. Now that Kashiwagi is no longer with us I find that everything reminds me of him. Something of the joy, the luster, has gone out of these occasions. When we were talking of the moods of nature, the flowers and the birds, he was the one who had interesting and sensitive things to say.”
The sound of his own koto had brought him to tears. He knew that the princess, inside her blinds, would have heared his remarks about Kashiwagi.
The emperor too missed Kashiwagi on nights when there was music.
Genji suggested that the whole night be given over to admire the bell cricket.

 紫式部の美的観念「もののあはれ」を含んだ光源氏の台詞「月見る宵の、いつとてもものあはれならぬ折はなき」を、サイデンステッカーはOne is always moved by the full moon.と訳しているがそっけなく、「もののあはれ」が生かされていない。藤原道長の和歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることの無しと思へば」から啓発されたと思われる「今宵の新たなる月の色には、げになほ、わが世の外までこそ、よろづ思ひ流さるれ」は、but somehow the moon this evening takes me to other worldsと訳している。柏木をほめた台詞「故権大納言、何の折々にも、亡きにつけていとど偲ばるること多く、公、私、ものの折節のにほひ失せたる心地こそすれ」は、Now that Kashiwagi is no longer with us I find that everything reminds me of him. Something of the joy, the luster, has gone out of these occasions.と訳している。「にほひ」はsomething of joy, the lusterと解釈されている。「花鳥の色にも音にも、思ひわきまへ、いふかひあるかたの、いとうるさかりしものを」は、When we were talking of the moods of nature, the flower and the birds, he was the one who had interesting and sensitive things to say.と訳している。

光源氏は、女三宮と密通した柏木を非難したが、柏木の美意識を顕彰する度量も持っていたのであった。  】

(「三藐院ファンタジー」その二十八)

https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%AE%B6%EF%BC%88%E6%B8%85%E8%8F%AF%E5%AE%B6%EF%BC%89

(西園寺公益) →「後陽成・近衛信尹」時代(「西園寺実晴」の父)

生没年:1582-1640
父:右大臣 西園寺実益
号:空直院、真空院
1583 従五位下
1583 侍従
1588 従五位上
1589 左近衛中将
1592 正五位下
1597 従四位下
1611 従四位上
1612 正四位下
1613 従三位
1614 権中納言
1615 踏歌外弁
1616 正三位
1617 権大納言
1619 従二位
1620 正二位
1629 神宮伝奏
1631-1632 内大臣
1635 従一位
室:
1601-1673 実晴
室:慈教院 久野殿山内康豊
1603-1684 大宮季光(大宮家へ)
1610-1674 大僧正 性演
1627 娘

(西園寺実晴)  →「後水尾・近衛信尋」時代

生没年:1601-1673
父:内大臣 西園寺公益
号:大恵院
1611 従五位下
1613 従五位上
1613 侍従
1614 正五位下
1615 左近衛中将
1615 従四位下
1616 従四位上
1619 正四位下
1619 参議
1621 従三位
1627 権中納言
1628 正三位
1630 従二位
1632-1640 権大納言
1632 踏歌外弁
1634 正二位
1635 神宮伝奏
1637-1638 右近衛大将
1649-1650 内大臣
1654 右大臣
1660 従一位
1667-1668 左大臣
1672 出家
妻:徳姫(父:侍従 細川忠隆)
1622-1651 公満
1625-1670 公宣
妻:家女房
1663-1678 公遂
空誉

(「西園寺実晴」周辺メモ=ウィキペディア)
※元和5年(1619年)に参議となって以降、内大臣・右大臣・従一位左大臣を歴任。 慶安4年(1651年)に朝廷は徳川家光に対して正一位太政大臣の追贈と「大猷院」の諡号を決め、内大臣西園寺実晴を勅使として日光に派遣している。寛文12年(1672年)に出家して大忠院入道と号し、法名は性永。
※正室は細川忠興とガラシャの子の細川忠隆(1604年の廃嫡後は長岡休無と号す)の長女・徳姫(1605-1663)であり、京都在住の休無から助成金が毎年西園寺家へ贈られている。また休無遺産として500石が徳姫(西園寺家)に相続され、西園寺家の財政の基盤となった。子は23代目となった公満のほかに、公遂、公宣(別名公義又は随宜)。なお、末子の西園寺公宣は京都の公家生活を嫌って、長岡休無の子の長岡忠春(1622-1704年、細川内膳家祖)を頼って肥後国に移り住み菊池(現熊本県菊陽町)で死去したが、そこで生まれた娘(也須姫もしくは安姫)が京に戻って鷹司家から婿(西園寺実輔)を取り西園寺家を継いだ。
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yahantei

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E8%8F%AF%E5%AE%B6



【清華家(せいがけ)は、公家の家格のひとつ。最上位の摂家に次ぎ、大臣家の上の序列に位置する。大臣・大将を兼ねて太政大臣になることのできる主に7家(三条・西園寺・徳大寺・久我・花山院・大炊御門・今出川)を指す。

摂家と清華家の子弟は、公達(きんだち)と呼ばれた。近衛大将・大臣を兼任し、最高は太政大臣まで昇進できる。江戸時代においては、従五位下侍従を振り出しに、近衛権中将、権中納言、権大納言を経て、右近衛大将を兼ね大臣に至る。ただし、江戸時代の太政大臣は摂政・関白経験者(摂家)に限られ、清華家の極官は事実上左大臣であった。



西園寺家
藤原北家閑院流。同じく公実の三男権中納言西園寺通季(1090年 - 1128年)を祖とする。通季は母藤原光子が正妻だったため嫡子とされたが、早世したために兄弟の中でも官位が最も低かった。四代目の太政大臣公経に至って、親幕派として承久の乱後権勢を誇り、摂関家から外戚の地位と関東申次の世襲職を奪った。公経は京洛北山に氏寺西園寺を建立して、家名の由来となった。
庶流に菊亭家、羽林家の清水谷家や四辻家や橋本家、大宮家等あり。
家業:琵琶。江戸時代の家禄:597石、家紋:尾長左三つ巴。近代の爵位:侯爵 → 公爵。

菊亭家(今出川家)
藤原北家閑院流、西園寺家の庶流。鎌倉期の太政大臣西園寺実兼の子左大臣兼季が分家し、今出川殿を居所としたため、今出川および号として菊亭を名乗る。明治維新後は苗字の統一を図り、菊亭を名字とした。
家業:琵琶。:江戸時代の家禄:約1655石、家紋:三つ楓。近代の爵位:侯爵。 】
by yahantei (2021-07-19 16:20) 

yahantei

 「ねののあはれ」
   ↓
【紫式部の美的観念「もののあはれ」を含んだ光源氏の台詞「月見る宵の、いつとてもものあはれならぬ折はなき」を、サイデンステッカーはOne is always moved by the full moon.と訳しているがそっけなく、「もののあはれ」が生かされていない。藤原道長の和歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることの無しと思へば」から啓発されたと思われる「今宵の新たなる月の色には、げになほ、わが世の外までこそ、よろづ思ひ流さるれ」は、but somehow the moon this evening takes me to other worldsと訳している。柏木をほめた台詞「故権大納言、何の折々にも、亡きにつけていとど偲ばるること多く、公、私、ものの折節のにほひ失せたる心地こそすれ」は、Now that Kashiwagi is no longer with us I find that everything reminds me of him. Something of the joy, the luster, has gone out of these occasions.と訳している。「にほひ」はsomething of joy, the lusterと解釈されている。「花鳥の色にも音にも、思ひわきまへ、いふかひあるかたの、いとうるさかりしものを」は、When we were talking of the moods of nature, the flower and the birds, he was the one who had interesting and sensitive things to say.と訳している。】
by yahantei (2021-07-19 16:44) 

yahantei

「ねののあはれ」→「もののあはれ」

この種の「ミスが多い」。

それにしても、サイデンステッカーの英訳などを通して、始めて、「もののあはれ」の一端が見えてくるということは、「つくづくと考えさせられる」ことが多い。
by yahantei (2021-07-19 16:49) 

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