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源氏物語画帖「その四十四 竹河」(光吉筆:京博本)周辺 [源氏物語画帖]

44 竹河(長次郎筆)=(詞)四辻季継(一五八一~一六三九)     薫14,5歳-23歳

長次郎・竹河.jpg

源氏物語絵色紙帖  竹河  画・長次郎
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html

四辻・竹河.jpg

源氏物語絵色紙帖  竹河  詞・四辻季継
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html

(「四辻季継」書の「詞」)

https://matuyonosuke.hatenablog.com/entry/2019/04/17/%E7%AB%B9%E6%B2%B3_%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%83%BB%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%80%90%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E_%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B8%96_

藤のおもしろく咲きかかりたるを水のほとりの石に苔を蓆にて眺めゐたまへりまほにはあらねど世の中恨めしげにかすめつつ語らふ
  手にかくるものにしあらば藤の花松よりまさる色を見ましや
(第三章 玉鬘の大君の物語 冷泉院に参院 第六段 冷泉院における大君と薫君)

(周辺メモ)

http://www.genji-monogatari.net/

第四十四帖 竹河
 第一章 鬚黒一族の物語 玉鬘と姫君たち
  第一段 鬚黒没後の玉鬘と子女たち
  第二段 玉鬘の姫君たちへの縁談
  第三段 夕霧の息子蔵人少将の求婚
  第四段 薫君、玉鬘邸に出入りす
 第二章 玉鬘邸の物語 梅と桜の季節の物語
  第一段 正月、夕霧、玉鬘邸に年賀に参上
  第二段 薫君、玉鬘邸に年賀に参上
  第三段 梅の花盛りに、薫君、玉鬘邸を訪問
  第四段 得意の薫君と嘆きの蔵人少将
  第五段 三月、花盛りの玉鬘邸の姫君たち
  第六段 玉鬘の大君、冷泉院に参院の話
  第七段 蔵人少将、姫君たちを垣間見る
  第八段 姫君たち、桜花を惜しむ和歌を詠む
 第三章 玉鬘の大君の物語 冷泉院に参院
  第一段 大君、冷泉院に参院決定
  第二段 蔵人少将、藤侍従を訪問
  第三段 四月一日、蔵人少将、玉鬘へ和歌を贈る
  第四段 四月九日、大君、冷泉院に参院
  第五段 蔵人少将、大君と和歌を贈答
  第六段 冷泉院における大君と薫君
  第七段 失意の蔵人少将と大君のその後
 第四章 玉鬘の物語 玉鬘の姫君たちの物語
  第一段 正月、男踏歌、冷泉院に回る
  第二段 翌日、冷泉院、薫を召す
  第三段 四月、大君に女宮誕生
  第四段 玉鬘、夕霧へ手紙を贈る
  第五段 玉鬘、出家を断念
  第六段 大君、男御子を出産
  第七段 求婚者たちのその後
 第五章 薫君の物語 人びとの昇進後の物語
  第一段 薫、玉鬘邸に昇進の挨拶に参上
  第二段 薫、玉鬘と対面しての感想
  第三段 右大臣家の大饗
  第四段 宰相中将、玉鬘邸を訪問

(参考)

四辻季継和歌懐紙.jpg

「四辻季継筆和歌懐紙」(慶應義塾ミュージアム・コモンズ(センチュリー赤尾コレクション)
https://objecthub.keio.ac.jp/object/792

【四辻季継〈よつつじすえつぐ・1581-1639〉は、室町~江戸時代にかけての公卿。公遠の二男。初名は教遠。正二位・権大納言に至る。四辻家は代々、和琴や箏による雅楽をもって朝廷に仕えた。また季継は近衛流の書を能くした。これは、歌題により新年の御会始で詠まれたものと知る。季継が位署の左中将在任は、慶長11年〈1606〉から元和元年〈1615〉まで、すなわち26歳から35歳の間である。30歳前後の筆。骨力ある線を、緩急自在に歯切れよく運んだ筆致で書かれている。近衛流を掌中した見事な筆致である。また、松平不昧が、禁裡より拝領した二巻中の一葉であるという伝来をもつ一幅である。「春の日、同じく「池水、澄むこと久し」ということを詠める倭歌/参議左近衛権中将藤原季継/さゞれいしの巌とならむゆく末を契ぎりて澄める庭の池水」

(釈文)

春日同詠池水久澄倭歌参議左近衛権中将藤原季継さゞれいしのいはほとならむゆく末をちぎりてすめる庭のいけ水        】


(「三藐院ファンタジー」その三十四)

豊国祭礼図・秀頼.jpg

「かぶき者けんか図」(岩佐又兵衛筆・「豊国祭礼図屏風・徳川美術館蔵」より)
http://jarsa.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/e7517-flyer.pdf

http://sengokudama.jugem.jp/?eid=4895

かぶき者の鞘の銘.jpg

「かぶき者けんか図」(岩佐又兵衛筆・「豊国祭礼図屏風・徳川美術館蔵」より)の「鞘の銘記文」

《「廿三」は秀頼の死没年齢》(『豊国祭礼図を読む(黒田日出男著・角川選書533)』P263-264)

「《いきすぎたるや廿三 八まん ひけはとるまい》は、 近世史家杉森哲也氏の見事な着眼による、《豊臣秀頼の死没年齢なのである。》 これまでの多くの論者は「かぶき者」大島一兵衛にだけ惹きつけられていて、豊臣秀頼と大阪夏の陣のことに思いもおよばなかったのである。すなわち、画家岩佐又兵衛は、大阪夏の陣を「かぶき者」たちの喧嘩に「見立て」て、このもろ肌脱ぎの「かぶき者」を「豊臣秀頼」に「見立て」ているのである。この「八まん ひけはとるまい」とは「戦(いくさ)」のこと、大阪夏の陣で、決死の覚悟で「徳川方」に挑んでいる、その決死の銘文なのである。」(メモ=「八まん」は、「戦の神様の『八幡太郎義家(源義家)』の「比喩」的用例と解したい。)

豊国祭礼図屏風・秀頼・淀・高台院.jpg

「かぶき者けんか図」(岩佐又兵衛筆・「豊国祭礼図屏風・徳川美術館蔵」より)
二の一 重文「豊国祭礼図屏風(右隻)」(岩佐又兵衛(伝)徳川美術館蔵)の「右隻第六扇・拡大図(その一)」

https://artsandculture.google.com/asset/festival-of-h%C5%8Dkoku-shrine-right-screen-iwasa-matabei/2AFW7iv6tr1u3g?hl=ja

 この図(「右隻第六扇・拡大図(その一)」)の左の下方が「かぶき者」に見立てた「豊臣秀頼」で、それに対する、この図の右の下方の「かぶき者」は「徳川秀忠」の「見立て」だというのである。

《卍紋・梅鉢紋・鷹羽紋は語る》(『豊国祭礼図を読む(黒田日出男著・角川選書533)』P264-265)

「左側の若者が秀頼であるならば、右側の武士たちは徳川側である。相手になろうとしているのは秀忠であろう(七十歳を超えていた大御所家康の姿ではない)。この秀忠の周りにいて喧嘩を止めようとしている男の衣服は卍紋と梅鉢紋である。卍紋は蜂須賀家であり、梅鉢紋は前田家である。秀忠の後で刀を抜こうとして男の衣服の紋は鷹羽紋で浅野家の紋である(こま図の右側に鷹羽紋の男が出てくる)。」
 
 この図の中央に、この秀頼と秀忠との喧嘩を止めようとしている僧侶がいるが、これは、大阪冬の事件の切っ掛けとなった「方広寺鐘銘事件」の、問題の「国家安康」(家康の身首両断を意図している呪文の文字)と「君臣豊楽」(豊臣家の繁栄を祈願している文字」とを撰した、東福寺の長老・文英清韓(ぶんえいせいかん)などの見立てなのであろう。

《倒れ掛かる乗物のなかの淀殿》(『豊国祭礼図を読む(黒田日出男著・角川選書533)』P265-266)

豊国祭礼図・秀頼周辺.jpg

『豊国祭礼図を読む(黒田日出男著・角川選書533)』カバー表紙図

「このもろ肌脱ぎの若者(秀頼)の上部に倒れかかった立派な乗物(駕籠)が描かれている。この乗物には、家紋が鏤められている。この乗物の紋尽くしの中心にあるのは、豊臣家の家紋で、この倒れかかった乗物から、にゅーと女性の手が出ている。この乗物には、大阪城で秀頼と運命をともにした淀殿が乗っていることを暗示している。」

《後家尼姿の高台院》(『豊国祭礼図を読む(黒田日出男著・角川選書533)』P265-266)

「この倒れかかった乗物の上部に、破れ傘を持ってあわてて飛び退いている後家尼の老女が描かれている。この老後家尼こそ、秀吉の妻おね(北政所)つまりは高台院の姿なのである。」

これらは、『豊国祭礼図を読む(黒田日出男著・角川選書533)』での著者の考察なのであるが、これらの考察は、次の論稿により、さらに、深化を深めて行く。


徳川美術館蔵「豊国祭礼図」の注文主
―桟敷に坐る武士の姿と蜂須賀家政の肖像画―(黒田日出男稿)

https://www.tokugawa-art-museum.jp/academic/publications/kinshachi/items/%E9%87%91%E9%AF%B1%E

「倒れ掛かった乗物(駕籠)から、女の手が突き出ている。この乗物に鏤められているさまざまな家紋の殆どは「目くらまし」であり、豊臣氏の「桐紋」がある。乗っているのは淀殿なのだ。そして、この乗物を担いでいる揃いの短衣を着た駕籠かき二人は、大野治長・治房兄弟であろう。
 乗物の向こう側、すぐ脇に後家尼の老女がいて、破れ傘をもったまま慌てて飛び退いている。後家尼の姿だから、これは高台院(秀吉の妻おね、北政所)である。背後の首に赤布を巻いている女は、高台院に仕えていた女性(孝蔵主?)などではあるまいか。
 さらに上の方には、侍女に傘をさしかけられた、被衣姿の貴女がいる。喧嘩の騒ぎを眺めているようだ。今のところ確かな論拠は示せないのだけれども、大阪城から脱出した千姫の姿が描かれているように思われる。
 こうして徳川美術館本の右隻の一角には、大阪夏の陣の豊臣秀頼と徳川秀忠の戦いが「かぶき者」たちの喧嘩に見立てて描かれていたのであった。それは、この屏風の注文主にとって必須(あるいは必要)な表現であり、しかも、徳川方の者が見ても気付かれにくい「見立て」の表現だったのである。」(「二 徳川美術館本の「かぶき者」の喧嘩と大阪夏の陣」の要点要約)

 ここまで来ると、上記の図・上部の「大阪城から脱出した千姫」と思われる貴女の、左後方の屋敷から、喧嘩の状況を見極めているような人物は、千姫を大阪城の落城の時に、家康の命により救出した「坂崎直盛(出羽守)」という「見立て」も可能であろう。
 さらに、この図の下部の「秀頼と秀忠との喧嘩を止めようとしている僧侶(三人?)
のうちの中央の身分の高い僧衣をまとった人物は、「方広寺鐘銘事件」が勃発した時の、方広寺門跡「興意法親王(誠仁親王の第五皇子・一五七六~一六二〇)」の「見立て」と解することも、これまた、許容されることであろう。
そして、この後陽成天皇の弟にあたる興意法親王(照高院)の前の、家忠に懇願しているような僧が、「方広寺鐘銘事件」の、問題の「国家安康」(家康の身首両断を意図している呪文の文字)と「君臣豊楽」(豊臣家の繁栄を祈願している文字」とを撰した、禅僧の「文英清韓」という「見立て」になってくる。
 この「方広寺鐘銘事件」と「興意法親王(照高院)」との関連などについては、下記のアドレスで取り上げている。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2021-05-26

ここで、先の(参考一)に、興意法親王(照高院)も入れて置きたい。

(参考一)「源氏物語画帖」と「猪熊事件」そして「豊国祭礼図」「洛中洛外図・舟木本」との主要人物一覧

※※豊臣秀吉(1537-1598) → 「豊臣政権樹立・天下統一」「豊国祭礼図屏風」
※※土佐光吉(1539-1613) → 「源氏物語画帖」
※※徳川家康(1543-1616) →「徳川政権樹立・パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」
花山院定煕(一五五八~一六三九)  →「夕霧」「匂宮」「紅梅」
※※高台院 (1561? - 1598) →  「豊国祭礼図屏風」
近衛信尹(一五六五~一六一四)   →「澪標」「乙女」「玉鬘」「蓬生」
久我敦通(一五六五~?)      →「椎本」
※※淀殿(1569?-1615) →  「豊国祭礼図屏風」「大阪冬の陣」「大阪夏の陣 」
後陽成院周仁(一五七一~一六一七) →「桐壺」「帚木」「空蝉」
日野資勝(一五七七~一六三九)   →「真木柱」「梅枝」
※※興意法親王(照高院)(一五七六~一六二〇) → 「方広寺鐘銘事件」
※大炊御門頼国(1577-1613) →「猪熊事件」

※※岩佐又兵衛(1578-1650)→「豊国祭礼図屏風」「洛中洛外図・舟木本」

※※徳川秀忠(1579-1632) →「豊国祭礼図屏風」「大阪冬の陣」「大阪夏の陣」
※烏丸光広(一五七九~一六三八) →「猪熊事件」→「蛍」「常夏」 
八条宮智仁(一五七九~一六二九) →「葵」「賢木」「花散里」
四辻季継(一五八一~一六三九)  →「竹河」「橋姫」

※織田左門頼長(道八)(1582-1620) →「猪熊事件」「大阪冬の陣」「大阪夏の陣」
※猪熊教利(1583-1609)      →「猪熊事件」
※徳大寺実久(1583-1617)     →「猪熊事件」

飛鳥井雅胤(一五八六~一六五一)   →「夕顔」「明石」
中村通村(一五八七~一六五三)    →「若菜下」「柏木」 
※花山院忠長(1588-1662) →「猪熊事件」
久我通前(一五九一~一六三四     →「総角」    
冷泉為頼(一五九二~一六二七)     → 「幻」「早蕨」
※※豊臣秀頼(1593-1615)  → 「豊国祭礼図屏風」「大阪冬の陣」「大阪夏の陣」
菊亭季宣(一五九四~一六五二)    →「藤裏葉」「若菜上」
近衛信尋(一五九九~一六四九)    →「須磨」「蓬生」
烏丸光賢(一六〇〇~一六三八)   →「薄雲」「槿」
西園寺実晴(一六〇〇~一六七三)   →「横笛」「鈴虫」「御法」
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yahantei

http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail31/id=3865

源氏物語と「竹河」(川村清夫稿)

【 「竹河」の帖は、髭黒大将の遺族の後日譚である。髭黒大将は後で太政大臣に昇進して他界した。彼の未亡人である玉鬘は、大君と中君という2人の娘の嫁ぎ先に迷っていた。大君は、薫や、夕霧の五男である蔵人少将から求婚されていた。特に蔵人少将は3月に玉鬘邸を訪問して、姉妹の兄弟の左近中将たちがいない間に、彼女たちが咲き誇る桜の木を賭けて碁を打つ姿をのぞき見するのである。

 蔵人少将が大君と中君の姿をのぞく場面を、大島本原文、渋谷栄一の現代語訳、ウェイリーとサイデンステッカーの順に見てみよう。

(大島本原文)
中将など立ちたまひてのち、君たちは、打ちさしたまへる碁打ちたまふ。昔より争ひたまふ桜を賭物にて、
「三番に、数一つ勝ちたまはむ方には、なほ花を寄せてむ」
と、戯れ交はし聞こえたまふ。暗うなれば、端近うて打ち果てたまふ。御簾巻き上げて、人びと皆挑み念じきこゆ。折しも例の少将、侍従の君の御曹司に来たりけるを、うち連れて出でたまひにければ、おほかた人少ななるに、廊の戸の開きたるに、やをら寄りてのぞきけり。
かう、うれしき折を見つけたるは、仏などの現れたまへらむに参りあひたらむ心地するも、はかなき心になむ。夕霧の霞の紛れは、さやかならねど、つくづくと見れば、桜色のあやめも、それと見分きつ。げに、散りなむ後の形見にも見まほしく、匂ひ多く見えたまふを、いとど異ざまになりたまひなむこと、わびしく思ひまさらる。若き人びとのうちとけたる姿ども、夕映えをかしう見ゆ。

(渋谷現代語訳)
中将などがお立ちになった後、姫君たちは、途中で打ち止めていらした碁を打ちになる。昔からお争いになる桜を賭物として、
「三番勝負で、一つ勝ち越しになった方に、やはり花を譲りましょう」と、ふざけて申し合いなさる。暗くなったので、端近くで打ち終えなさる。御簾を巻き上げて、女房たちが皆競い合ってお祈り申し上げる。ちょうどその時、いつもの蔵人少将が、藤侍従の君の部屋に来ていたのだが、兄弟連れ立ってお出になったので、だいたいが人が少ない上に、廊の戸が開いていたので、静かに近寄って覗き込んだ。
このように、嬉しい機会を見つけたのは、仏などが姿を現しなさった時に出会ったような気がするのも、あわれな恋心というものである。夕暮の霞に隠れて、はっきりとはしないが、よくよく見ると、桜色の色目も、はっきりそれと分かった。なるほど、花の散った後の形見として見たく、美しさがいっぱいお見えなのを、ますますよそに嫁ぎなさることを、侘しく思いがまさる。若い女房たちのうちとけている姿姿が、夕日に映えて美しく見える。

(ウェイリー英訳)
When Sakon no Chujo went away his sisters resumed their game of draughts. It was to be the best out of three, and the winner, they laughingly decided, should have the cherry-tree for her own. As it was getting dark they moved the board as close as possible to the window, and their respective waiting-women, raising the blinds, gathered round, each bent on the victory of her own side.
Presently, as usual, Kurodo no Shosho arrived and went straight to Jiju’s room; but Jiju had gone out with his brothers. There seemed indeed to be no one about, and as the door of the corridor leading to the women’s apartments was ajar, Kurodo stepped lightly towards it and looked in. he was dumbfounded at his own good fortune. His heart stood still as it might have done if Buddha himself had suddenly risen up in front of him. It was misty as well as late, but soon among the mass of dark figures he distinguished the sharp contrasts of a “cherry” dress. Yes, that surely was she. He gazed and gazed, that he might at least have something to remember “when the flowers were fallen.” He saw her clearly now; but her beauty filled him only with a greater sadness. Better now than ever before he knew how much it was that he was doomed to lose.
The young girls in attendance, who were for the most part very lightly and negligently clad, presented a charming spectacle in the evening light.

(サイデンステッカー英訳)
When their brothers had left, the ladies turned again to the Go board. They now made the disputed cherry tree their stakes.
“Best two of three,” said someone.
They came out to the veranda as evening approached. The blinds were raised and each of them had an ardent cheering section. Yugiri’s son the lieutenant had come again to visit the youngest son of the house. The latter was off with his brothers, however, and his rooms were quiet. Finding an open gallery door, the lieutenant peered cautiously inside. An enchanting sight greeted him, like a revelation of the Blessed One himself (and it was rather sad that he should be so dazzled). An evening mist somewhat obscured the scene, but he thought that she in the red-lined robe of white, the “cherry” as it is called, must be the one who so interested him. Lovely, vivacious- she would be “a memento when they have fallen.” He must not let another man have her. The young attendants were also very beautiful in the evening light.

 碁をウェイリーはdraughts(チェッカー)と訳したが、違うゲームだ。サイデンステッカーはGoと正しく訳した。サイデンステッカーは蔵人少将をlieutenant(中尉)と訳したが、誤訳だ。少将とは五位相当の近衛府の少将で、朝廷の高官なのだ。また仏をウェイリーはBuddhaと正しく訳したが、サイデンステッカーはBlessed Oneと訳した。これでは意味がわからない。

 蔵人少将は夢中だったが、玉鬘は大君を冷泉院の妃に、中君を尚侍にしたのである。】
by yahantei (2021-07-30 16:40) 

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