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「洛中洛外図・舟木本(岩佐又兵衛作)」周辺探索(その一) [岩佐又兵衛]

(その一) 「洛中洛外図・舟木本(岩佐又兵衛作)」読解のための二つの「洛中洛外図」(歴博D本と歴博F本)との比較など

岩佐又兵衛の「洛中洛外図・舟木本」(国宝・東京国立博物館蔵・六曲一双)の全体図は、下記のものである。

右一・二・三・四・五・六.jpg

「洛中洛外図・舟木本」右隻(上部=豊国廟・妙法院・清水寺・祇園社・知恩院・四条河原
/中部=大仏堂(方広寺)・伏見街道・六波羅密寺・五条通・建仁寺・五条大橋・五条寺町
 /下部=三十三間堂・七条河原・鴨川・六条三筋町)→ A図

左一・二・三・四・五・六.jpg

「洛中洛外図・舟木本」左隻(上部=鴨川・三条大橋・寺町通・三条通・六角堂・紫宸殿・中長者町通・清涼殿・東洞院通 /中部=室町通・四条通・五条通・新町通・下立売通・二条通・堀川通・二条城 /下部=東本願寺・東寺・西本願寺)→ B図

https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100318&content_part_id=001&content_pict_id=044&langId=ja&webView=null

 上記のアドレスの、「東京国立博物館(e国宝)」の解説は、次のとおりである。

【京都の市中とその周辺を描く、洛中洛外図の1つで、もと滋賀の舟木家に伝来したため、舟木本の名で親しまれている。初期の町田本や上杉が示す洛中洛外図の一定型
――上京(かみきょう)と下京(しもぎょう)をそれぞれ東と西から別々に眺望して2図に描き分ける形式――
を破り、1つの視点からとらえた景観を左右の隻に連続的に展開させるものである。
右端には豊臣氏の象徴ともいうべき方広寺大仏殿の偉容を大きく描き、左端には徳川氏の二条城を置いて対峙させ、その間に洛中、洛東の町並が広がる。右隻を斜めによこ切る鴨川の流れが左隻に及び、2隻の図様を密に連繋させている。建物や風俗をとらえる視点は一段と対象に近づき、随所に繰り広げられる市民の生活の有様を生き生きと描出する。
右隻の上方には桜の満開する豊国廟をはじめ、清水寺、祇園などの洛東の名刹が連なり、鴨川の岸、四条河原には歌舞伎や操り浄瑠璃などが演じられ、歓楽街の盛況ぶりが手にとるように眺められる。左隻では祇園会の神輿(みこし)と風流が町を進行し、南蛮人の姿も認められる。右下の三筋町の遊廊では路傍で遊女と客が狂態を演じ、街々には各種の階層の人々がうごめき、その数はおよそ2500人に及ぶ。その活趣あふれる人物の諸態を見事に描き表した画家の名は不明であるが、岩佐又兵衛が候補にあげられている。景観の情況から元和初年(1615)頃の作とされている。】

 この「舟木本」に似通っているものに、次の「歴博D本」がある。

歴博D本右.jpg

「洛中洛外図」(歴博D本)右隻(上部=豊国廟・清水寺・八坂の塔=法観寺・祇園社・知恩院・粟田口・南禅寺・永観堂・吉田社・糺森・下鴨社 /中部・下部=三十三間堂・耳塚・大仏堂(方広寺)・五条橋・四条橋・芝居小屋・三条橋・誓願寺・妙養寺・内裏 ) →C図

歴博D本左.jpg

「洛中洛外図」(歴博D本)左隻(上部=鞍馬寺・貴船者・大徳寺・寺=鹿苑寺・北野社・北野経堂・嵯峨釈迦堂=清水寺・天龍寺・虚空蔵=法輪寺・桂川・松尾社 /中部=賀茂競馬・京都所司代・堀河通・二条城・神泉院・東寺・壬生寺・西本願寺 /下部=相国寺・六条三筋町・東本願寺) →D図
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/rakuchu_d/rakuchu_d_l.html

 この「歴博D本」は、大仏堂(方広寺)」での乱闘場面や六条三筋町の遊郭が描かれているなど「舟木本」との共通点が多い。しかし、「町並みは簡略化され、現実の京都というよりも、抽象化された町になっている。」(『都市を描く―京都と江戸―(人間文化研究機構連携展示・国立歴史民俗博物館/国文学研究資料館編/大学共同利用機関法人 人間文化研究機構刊)』

歴博本F本・右隻.jpg

「洛中洛外図」(歴博F本)右隻(上部=伏見稲荷・豊国廟・三十三間堂・大仏堂(方広寺)・清水寺・八坂の塔=法観寺・建仁寺・祇園社・芝居小屋・知恩院・南禅寺・永観堂・黒谷=金戒光明寺・銀閣寺=慈照寺・吉田社・比叡・山鞍馬山 /中部=鴨川・五条橋・四条橋・三条橋・下賀茂社・上賀茂社・賀茂の競馬 /下部=東本願寺) → E図

歴博本F本・左隻.jpg

「洛中洛外図」(歴博F本)左隻(上部=金閣寺・北野社・栂尾=高山寺・平野社・影向の松・高雄=神護寺・嵯峨釈迦堂=清水寺・御室(仁和寺)・妙心寺・二尊院・野の宮・天龍寺・虚空蔵=法輪寺・梅宮社・松尾社・尼寺=大通寺・山崎・西芳寺 中部=京都
所司代・二条城・神泉院・東寺・西本願寺 /下部=堀河通) → F図
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/rakuchu_f_ex/rakuchu_f_ex_l.html

 この「歴博F本」は、上記の「舟木本」と「歴博D本」を読み解くには、極めて参考になる。何よりも、下記のアドレスの、「職人風俗絵巻」(「歴博F本」と「同じ絵師・工房の作品」と思われる)と連動されると、興味が倍増してくる。

https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/shokunin_f/shokunin_f.pdf

「舟木本」に関連しては、上記に掲げた、「東京国立博物館(e国宝)」(アドレスは、下記に再掲)の「右隻・左隻」を「あれかこれか」していると、その全貌が見えてくる。

https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100318&content_part_id=001&content_pict_id=044&langId=ja&webView=null

(参考)

https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/webgallery_fo.html#b

「国立歴史民俗博物館」の「WEBギャラリー」での、「洛中洛外図屏風」は、次のものが紹介されている(※印の記述は、『都市を描く―京都と江戸―』(人間文化研究機構連携展示・国立歴史民俗博物館/国文学研究資料館編/大学共同利用機関法人 人間文化研究機構刊)などを参考としている。●印=「舟木本」読解のための二つの「比較本」)

一 洛中洛外図屏風(歴博甲本) 【重要文化財】 [16世紀前期](室町時代後期)
※現存最古の洛中洛外図屏風。狩野元信(1476-1559)作が有力。右隻に「内裏」、左隻に「幕府(花の御所)」の第一定型。
二 洛中洛外図屏風(歴博乙本) 【重要文化財】 [16世紀後期](桃山時代)
※初期洛中洛外図屏風のひとつ。狩野元信の子の松栄(1519-1592)周辺の作。第一定型。
三 洛中洛外図屏風(歴博C本) [江戸時代前期]
※寛永二条城行幸を描く片隻のみ。二条城が中心。遊興図要素は少ない。
●四 洛中洛外図屏風(歴博D本) [江戸時代前期]
※祇園会の祭礼行列や遊楽の場面が特色。第二定型(右隻=内裏、左隻=二条城)の構図だが、二条城は比較的小さい。統治者の視点で描かれていない。大仏の前での乱闘場面や六条三筋町の遊郭が描かれているなど「舟木本」との共通点が多い。町並みは簡略化され、現実の京都というよりも、抽象化された町になっている。
五 洛中洛外図屏風(歴博E本) [江戸時代中期]
※名所案内記『京童』の挿絵を使った異色作。第二定型の構図だが、二条城は名所の一つ(左隻)、「傾城町」(島原遊郭)が描かれるなど遊興的な色彩が強い。
●六 洛中洛外図屏風(歴博F本) [江戸時代中期]
※装飾的な絵画となった洛中洛外図屏風。「法眼具慶筆」落款あり。住吉具慶(1631-1705)
と関係の深い工房が量産していることも考えられる。第二定型(内裏=右隻、二条城=左隻)
※「職人風俗絵巻」と連動している(同じ絵師・工房の作品と思われる)。
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/shokunin_f/shokunin_f.pdf
【「職人風俗絵巻」 31.7×750 ㎝ 江戸時代中期 本館蔵 H-10
洛中洛外図屏風の市中の一部を切り取ったような、道に面した町屋にいろいろな職人を
配した巻物。描かれた職人は、ひとつずつの店として描かれており、職人名が記されてい
るのは、次の 24 種類である。
弓屋 くミや(組屋〔組紐〕) うちわや(団扇屋) つかまきや(柄巻屋) へにや
(紅屋) せと物や(瀬戸物屋) ことや(琴屋) やはき(矢作) かさはり(傘貼り)
かゝミや(鏡屋) まき物や(巻物屋) くつや(沓屋) そうめん屋(素麺屋) やり
屋(槍屋) えほしや(烏帽子屋) ひものや(檜物屋) ぬいものや(縫い物屋) 筆
屋 じゅずや(珠数屋) あふきや(扇屋) まりや(鞠屋) うつほや(靫屋) 太刀
や たはこや(煙草屋)
この他にも、路上に多くの人物が描かれており、名前は記されていないが、次のような
生業や芸能が見られる。
鉦叩(かねたたき)、獅子舞、琵琶法師、柴売り、山伏、草履(ぞうり)売り、傀儡師
(くぐつ=人形遣い)、虚無僧(こむそう)、八丁鉦(はっちょうがね=歌念仏の一種)、
猿曳(さるひき)、綿売り、高野聖(こうやひじり)、油売、竹売。
絵は洛中洛外図屏風「歴博F本」に似ており、同一の工房と思われる。この工房作の洛
中洛外図屏風などは他にも多く、嫁入り道具のような需要に応えていたと思われる。】
七 東山名所図屏風 [16世紀後期](桃山時代)
※清水寺を中心に東山と市街の一部を描いたもの。京都の名所を題材とした装飾的な絵画傾向が強くなってくる。
八 京都名所図屏風 [江戸時代後期]
※四条派の絵師・松川龍椿(1818-1830)の作。京都の東西の名所だけを描いたもの。内裏・二条城・祇園会などは登場しない。金雲の合間に名所を散りばめた構成は、名所への関心に回帰した洛中洛外図屏風の一つの終着点とも言える。
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yahantei

 近衛信尹、そして、土佐光吉(光吉門・長次郎)の「源氏物語画帖」の周辺を探索するのは、とにもかくにも、始めてのことぱかりで、ほとほと難渋した。
 その作業中に、例えば、「岩佐又兵衛」の、特に、「猪熊事件」と関係があるとする、『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男男)著」と、その一連の「岩佐又兵衛」周辺の「謎解き」には、示唆を受けると同時に、その周辺の情報が蓄積されてきた。
 それらの周辺情報を、散逸しないうちに、「源氏物語画帖」に続く、その「近衛信尹、そして、土佐光吉(光吉門・長次郎)」のそれに続く作業としては、避けて通れないないのかも知れない。
by yahantei (2021-08-18 16:15) 

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