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「洛中洛外図・舟木本(岩佐又兵衛作)」周辺探索(その五) [岩佐又兵衛]

(その五)四条河原の「山中常盤浄瑠璃」は何を語っているのか?

山中常盤操り.jpg

「四条河原の『山中常盤操り』」(右隻第五扇上部) → A図
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100318&content_part_id=001&content_pict_id=045&langId=ja&webView=null

 右隻の第五・六扇の上部に、「四条河原のも諸芸能の見世物小屋」が描かれている。「かぶき小屋が二つ、人形あやつり小屋が二つ、そして、能の小屋が一つ」である。これは、その「人形あやつり小屋」の一つで、「山中常盤(物語)人形操り(浄瑠璃)」が演じられている。
 この左端の白い被衣(かずき。かつぎ=外出するときに頭からかぶった衣服)の女性が目を覆って泣いている。この演じられている右の二人の女性は、「常盤御前と侍従」、そして、左の三人は、六人の「盗賊」のうちの三人であろう。

山中常盤四.jpg

「山中常盤(山中常盤物語絵巻)」(重要文化財 全十二巻 各34.1×1239.0~1263.0 MOA美術館蔵)の「 美濃の国、山中の宿にたどり着いた常盤は、盗賊に襲われて刀で胸を突き刺される。侍従は常盤を抱き、さめざめと泣く(第四巻)」 → B図
http://www.moaart.or.jp/?event=matabe-2019-0831-0924

「舟木本」(A図)の「常盤御前と従者」は、「山中常盤(山中常盤物語絵巻)」(B図)では、盗賊に襲われ、辱めを受け、虐殺されるのである。

宿の老夫婦に看取られて常盤の死.jpg

「山中常盤(山中常盤物語絵巻)」(重要文化財 全十二巻 各34.1×1239.0~1263.0 MOA美術館蔵)の「常盤は宿の主人夫妻に自らの身分を明かし、牛若への形見を託す」(第五巻)→ C図

 この場面は夙に知られている。『岩佐又兵衛(辻惟雄・山下裕二著)・とんぼの本・新潮社』の表紙を飾り、その副題は「血と笑いとエロスの絵師」である。その内容は、次の二篇から構成されている(一部、要点記述)。

第一篇(人生篇)― その画家卑俗にして高貴なり (辻惟雄解説)
その一    乱世に生まれて 
その二    北の新天地で花ひらく
その三    江戸に死す
第二篇(作品篇)― 対談(辻惟雄+山下裕二 )
 その一 笑う又兵衛 ― 古典を茶化せ! 合戦も笑い飛ばせ!
 その二 妖しの又兵衛 ― 淫靡にして奇っ怪、流麗にしてデロリ、底知れぬカオス
 その三 秘密の又兵衛 ―「浮世又兵衛」(吃又兵衛=『傾城反魂香』)
 その四 その後の又兵衛― 又兵衛研究の総決算ここにあり!→『岩佐又兵衛―浮世絵
をつくった男の謎』(辻惟雄著・文春新書)→ 表紙=C図)

 これらに出てくる、「血と笑いとエロス」「淫靡にして奇っ怪、流麗にしてデロリ、底知れぬカオス」というネーミングを有する、これらの「岩佐又兵衛風古浄瑠璃絵巻群』(辻惟雄の命名)は、その作風を、次のように評されることになる(『岩佐又兵衛と松平忠直―パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎(黒田日出男著)』P25-27「『又兵衛風絵巻群』についての辻仮説」要点記述)。

一 「荒々しいサディズムが横溢している。」
二 田中喜作によって「気うとい物凄さ」と評された一種の「妖気」も、「又兵衛風絵巻群」の「モノマニアックな表出性」にそのままつながる。
三 「又兵衛風絵巻群」の「派手な原色の濫用、表出的要素の誇張、人物の怪異な表情、非古典的な卑俗味といった要素」は、主として外的な諸要因によるものであり、それと又兵衛自身の特異な内的素質の相乗作用によって出来上がったものである。
 
 また、「又兵衛風絵巻群」の共通点として、次の七点が列挙される(『黒田・前掲書』P25-27「二冊の『岩佐又兵衛』」要点記述)

一 長大であること。
二 金銀泥や多様性の顔料を使った原色的色調による華やかな装飾性。
三 同じ場面の執拗な反復。
四 詞書の内容の細部にわたる忠実な絵画化。
五 劇的場面に見られる詞書の内容を越えたリアルでなまなましい表現性。
六 残虐場面の強調。
七 元和・寛永期の風俗画に共通する卑俗性。

 これらの「岩佐又兵衛画の作風」や「又兵衛風絵巻群の特徴」などに関しては、「美術」側(美術史研究家)の「辻惟雄シリーズ集」(そのライフワーク的諸研究)の要約の一端なのであるが、そこに「歴史」側(絵画史料研究家)の視点からのメス(「注文主を中心とした絵画資料読解」)を入れたのが、一連の「黒田日出男シリーズ集」と理解することが出来よう。

一 『江戸図屏風の謎を解く(黒田日出男著・角川選書471)』
二 『豊国祭礼図を読む(黒田日出男著・角川選書533)』
三 『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男著・角川選書564)』

四  徳川美術館蔵「豊国祭礼図」の注文主(黒田日出男稿)
https://www.tokugawa-art-museum.jp/academic/publications/kinshachi/items/%E9%87%91%E9%AF%B1%E5%8F%A2%E6%9B%B846.pdf

五 『岩佐又兵衛と松平忠直(黒田日出男著・岩波現代全書1.03)』
六 『岩佐又兵衛風絵巻の謎を解く(黒田日出男著・角川選書637)』

 そして、上記の「美術」側(美術史研究家)の「岩佐又兵衛論」に、「歴史」側(絵画史料研究家)の、次の、新しい「岩佐又兵衛論」の一ページを加えようと試みていることになる((『岩佐又兵衛と松平忠直―パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎(黒田日出男著)』P209-210、
以下、要点記述)。

【第一に、豊後(大分県)に配流された松平忠直は、寛永五年(一六二八)二月吉日に、母清涼院か弟忠昌を介して、「又兵衛風絵巻群」を描いた「岩佐又兵衛画工集団」に制作を依頼した「熊野権現縁起絵巻」(全十三巻)を「津守熊野神社」に奉納した。この「熊野権現縁起絵巻」の奥書(巻第十三)の「新田之門葉松平宰相源朝臣忠直、令寄進熊野権現之本地此十三之画軸当所之鎮守権現之社団者也、仍如件、于時寛永五年戊辰衣更着吉日 大分郡之神主 右衛門大夫」(P190-191)は、その他の記録(忠直の「祈念願書・寄進状」など)と照合して正しい。

第二に、「又兵衛風絵巻群」の棹尾に位置する津守本「熊野権現縁起絵巻」が寛永五年(一六二八)二月吉日に奉納されたことに鑑みて、その他の六作品群の絵巻は、それ以前の、又兵衛が越前下向した元和二年(一六一六)から、この寛永五年(一六二八)までに絞られ、この十二年の間に、集中的に制作された作品群である。さらに、この「熊野権現縁起絵巻」以外の作品群は、配流される元和九年(一六二三)までに作られたものと解せられる。

第三に、忠直は、豊後の配流地に「又兵衛風絵巻群」を持参した。それらの絵巻は元和九年から寛永四年十一月までは萩原の屋敷にあった。それ以降は津守の屋敷にあり、忠直が慶安三年(一六五〇)に亡くなるまで彼の書院に置かれ続けたのであろう。美術史的には「又兵衛風絵巻群」という命名でも構わないが、注文主忠直の趣味が色濃く表れていることや、それらの絵巻の制作を思い立った彼の意図を重視すると、「忠直絵巻群」と呼ぶのがふさわしい。越前藩主の忠直の将軍秀忠に対する反抗と表裏の関係をもって生み出された絵巻群として、近世初期の政治史にも位置づけられるべきであろう。「又兵衛風絵巻群」は、美術史と政治史にまたがる稀有な作品群だったのである。

(付記) 「又兵衛風絵巻群」(『岩佐又兵衛風古浄瑠璃絵巻群』)

一 残欠本「堀江物語絵巻」(香雪本上巻・香雪本中巻・三重県立美術館本・京都国立博物館本・香雪本下巻・長国寺本など) 
二 「山中常盤物語絵巻」(全十二巻)(重要文化財・MOA美術館蔵) 
三 「上瑠璃(浄瑠璃物語絵巻)」(全十二巻)(重要文化財・MOA美術館蔵) 
四 「をぐり(小栗判官絵巻)」(全十五巻)(宮内庁三の丸尚蔵館蔵・総長約三二四メートル)
五 「堀江巻双紙」(全十二巻)(MOA美術館蔵)
六 「村松物語(村松物語絵巻)」(全十八巻)(このうち、十二巻=海の見える美術館蔵、三巻=アイルランドのチェスター・ビーティ・ライブラリー蔵、三巻=所在不明)
七 「熊野権現縁起絵巻」(全十三巻)(津守熊野神社蔵、大分市歴史資料館寄託)  】
((『岩佐又兵衛と松平忠直―パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎(黒田日出男著)』P209-210、
以下、P174-208 など)

これらの記述に接すると、この「洛中洛外図・舟木本」の一角に、「四条河原の『山中常盤操り』→ A図」(右隻第五扇上部)が描かれており、これは、「注文主忠直の趣味が色濃く」宿っていると解したい。

(参考)「注文主を中心とした絵画史料読解」

注文主を中心とした絵画史料読解.jpg

https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0292030.pdf

(参考)特集展示「一伯公 松平忠直」

http://www.city.oita.oita.jp/o205/bunkasports/rekishi/documents/h28nennpou.pdf

特集展示「一伯公 松平忠直」
平成 28 年は、NHK 大河ドラマ「真田丸」が放送さ
れ、戦国武将ブームが再燃した年となった。この真
田丸の主人公・真田幸村(信繁)を討ち取った武将
として注目されることとなったのが、「一伯公」こ
と松平忠直である。
松平忠直は、徳川家康の孫として生まれ、越前福
井 68 万石の 2 代藩主として、大坂の夏の陣では幸
村を討ち取り、大坂城に一番乗りを果たすなど、大
変な活躍をみせた人物である。このような輝かしい
経歴をもちながら、幕府との軋轢から 29 歳の若さ
で藩主の地位を追われ大分(大分市萩原)へ移され
る。その後、大分市津守に移り、周辺の寺社を再建
するなど、地域の人たちに親しまれると同時に、自
らの生活や家族の安泰を第一に考えた余生をおくっ
たといわれる。
本展では、熊野神社に奉納された一伯公の遺品や
中根コレクションなどから生前の一伯公の勇姿や足
跡を紹介した。

展示品 熊野権現縁起絵巻[大分市指定有形文化
財]・熊野権現縁起絵巻見返紙・兜蓑・元和年中萩
原村絵図・松平忠直記念状(熊野神社)/本田忠勝書
「政」・大坂御陣図[大坂冬の陣図]・大坂陣図[大
坂夏の陣図](個人)/日根野時代府内藩領図(当館)
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yahantei

https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0292030.pdf

「注文主を中心とした絵画史料読解」


上記のアドレスには、その「目次」の「プロローグ」のみが搭載されている。この「目次」は、「五『岩佐又兵衛と松平忠直(黒田日出男著・岩波現代全書1.03)』」のもので、「第七章 配流地の忠直と『熊野権現縁起絵巻』の奉納」が、それまでの、「又兵衛風絵巻群」
の制作年次を覆すもので、詳細な考証がなされている。

by yahantei (2021-08-29 11:28) 

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