「洛中洛外図・舟木本(岩佐又兵衛作)」周辺探索(その六) [岩佐又兵衛]
(その六) 四条河原の「能」の小屋は何を演じているのか?
「四条河原の『能』の小屋」(右隻第五扇中部) → A図
『洛中洛外図舟木本―町のにぎわいが聞こえてくる(奥平俊六著)』では、「舞台では『橋弁慶』が演じられている」とするが、『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男著)では「鞍馬天狗」と軌道修正をしている。
「能・鞍馬天狗」
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_025.html
【(あらすじ)
春の京都、鞍馬山。ひとりの山伏が、花見の宴のあることを聞きつけ、見物に行きます。稚児を伴った鞍馬寺の僧たちが、花見の宴を楽しんでいると、その場に先の山伏が居合わせていたことがわかります。場違いな者の同席を嫌がった僧たちは、ひとりの稚児を残して去ります。
僧たちの狭量さを嘆く山伏に、その稚児が優しく声をかけてきました。華やかな稚児に恋心を抱いた山伏は、稚児が源義朝の子、沙那王[牛若丸]であると察します。ほかの稚児は皆、今を時めく平家一門で大事にされ、自分はないがしろにされているという牛若丸に、山伏は同情を禁じ得ません。近隣の花見の名所を見せるなどして、牛若丸を慰めます。その後、山伏は鞍馬山の大天狗であると正体を明かし、兵法を伝授するゆえ、驕る平家を滅ぼすよう勧め、再会を約束して、姿を消します。
大天狗のもと武芸に励む牛若丸は、師匠の許しがないからと、木の葉天狗との立ち合いを思い留まります。そこに大天狗が威厳に満ちた堂々たる姿を現します。大天狗は、牛若丸の態度を褒め、同じように師匠に誠心誠意仕え、兵法の奥義を伝授された、漢の張良(ちょうりょう)の故事を語り聞かせます。そして兵法の秘伝を残りなく伝えると、牛若丸に別れを告げます。袂に縋る牛若丸に、将来の平家一門との戦いで必ず力になろうと約束し、大天狗は、夕闇の鞍馬山を翔け、飛び去ります。 】
これもまた、源義経の幼少期を題材とした能で、他の同趣の能と同様『義経記』からの影響というよりも、「古浄瑠璃」(語り物)などと深く関わりのある演目の一つなのであろう。
この「鞍馬天狗」でも、「能の牛若の物語を好み、源氏(新田氏)の後裔という強烈な自覚をもった注文主(とも思われる)、すなわち松平忠直」の好みの「語り」が、この舞台から伝わってくる。
【子方 「さん候誰今の稚児達は平家の一門。中にも安芸の守清盛が子供たるにより。
一寺の賞鑑他山の覚え時乃花たり」
みずからも同山には候へども。よろづ面目もなきことどもにて。
月にも花にもすてらて候。
シテ 「あら痛はしや候。流石に和上﨟は。常磐腹には三男。毘沙門乃沙の字をかたどり。
御名を紗那王とつけ申す。」
あら痛はしや御身を知れば。所も鞍馬の木陰の月。」
(略)
地 上 「抑も武略の誉れの道。抑も武略の誉れの道。
源平藤橘四家にも取り分き彼の家乃水上は清和天皇乃後胤として。
あらあら時節を考え来たるに驕れる平家を西海におっくだし
遠波滄波の浮雲に飛行の自在を受けて。
敵を平らげ會稽を雪がん御身と守るべしこれまでなりや。
お暇申して立ち帰れば牛若袂にすがり給えばげに名残あり。
西海四海乃合戦といふとも影身を離れず弓矢の力をそへ守るべし。
頼めやたのめと夕影暗き。頼めやたのめと夕影暗き鞍馬の梢にかけって。
失せにけり。 】
『岩佐又兵衛と松平忠直―パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎(黒田日出男著)』では、「四条河原の忠直」として、次のように記述している。
【 では、忠直は古浄瑠璃や浄瑠璃操りとどこで出会ったのであろうか。父秀康が阿国のかぶき踊りを見て、我が身の不運を嘆いたという有名な逸話があるように、不遇・不満のある武将たちは、かぶき踊りや「遊女歌舞伎」「浄瑠璃操り」などの諸芸能の見物で憂さを晴らしたのであろう。忠直も、次章で紹介するが、遊女歌舞伎の遊女を身請けしたぐらいだから、四条河原などの芸能空間に出掛けて、「遊女歌舞伎」などを熱心に観ていたことは間違いない。 】(『岩佐又兵衛と松平忠直―パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎(黒田日出男著)』P96)
これらのことは、これを描いた「岩佐又兵衛」にも、均しく当て嵌まることであろう。
「四条河原の『能』の小屋」(右隻第五扇中部) → A図
『洛中洛外図舟木本―町のにぎわいが聞こえてくる(奥平俊六著)』では、「舞台では『橋弁慶』が演じられている」とするが、『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男著)では「鞍馬天狗」と軌道修正をしている。
「能・鞍馬天狗」
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_025.html
【(あらすじ)
春の京都、鞍馬山。ひとりの山伏が、花見の宴のあることを聞きつけ、見物に行きます。稚児を伴った鞍馬寺の僧たちが、花見の宴を楽しんでいると、その場に先の山伏が居合わせていたことがわかります。場違いな者の同席を嫌がった僧たちは、ひとりの稚児を残して去ります。
僧たちの狭量さを嘆く山伏に、その稚児が優しく声をかけてきました。華やかな稚児に恋心を抱いた山伏は、稚児が源義朝の子、沙那王[牛若丸]であると察します。ほかの稚児は皆、今を時めく平家一門で大事にされ、自分はないがしろにされているという牛若丸に、山伏は同情を禁じ得ません。近隣の花見の名所を見せるなどして、牛若丸を慰めます。その後、山伏は鞍馬山の大天狗であると正体を明かし、兵法を伝授するゆえ、驕る平家を滅ぼすよう勧め、再会を約束して、姿を消します。
大天狗のもと武芸に励む牛若丸は、師匠の許しがないからと、木の葉天狗との立ち合いを思い留まります。そこに大天狗が威厳に満ちた堂々たる姿を現します。大天狗は、牛若丸の態度を褒め、同じように師匠に誠心誠意仕え、兵法の奥義を伝授された、漢の張良(ちょうりょう)の故事を語り聞かせます。そして兵法の秘伝を残りなく伝えると、牛若丸に別れを告げます。袂に縋る牛若丸に、将来の平家一門との戦いで必ず力になろうと約束し、大天狗は、夕闇の鞍馬山を翔け、飛び去ります。 】
これもまた、源義経の幼少期を題材とした能で、他の同趣の能と同様『義経記』からの影響というよりも、「古浄瑠璃」(語り物)などと深く関わりのある演目の一つなのであろう。
この「鞍馬天狗」でも、「能の牛若の物語を好み、源氏(新田氏)の後裔という強烈な自覚をもった注文主(とも思われる)、すなわち松平忠直」の好みの「語り」が、この舞台から伝わってくる。
【子方 「さん候誰今の稚児達は平家の一門。中にも安芸の守清盛が子供たるにより。
一寺の賞鑑他山の覚え時乃花たり」
みずからも同山には候へども。よろづ面目もなきことどもにて。
月にも花にもすてらて候。
シテ 「あら痛はしや候。流石に和上﨟は。常磐腹には三男。毘沙門乃沙の字をかたどり。
御名を紗那王とつけ申す。」
あら痛はしや御身を知れば。所も鞍馬の木陰の月。」
(略)
地 上 「抑も武略の誉れの道。抑も武略の誉れの道。
源平藤橘四家にも取り分き彼の家乃水上は清和天皇乃後胤として。
あらあら時節を考え来たるに驕れる平家を西海におっくだし
遠波滄波の浮雲に飛行の自在を受けて。
敵を平らげ會稽を雪がん御身と守るべしこれまでなりや。
お暇申して立ち帰れば牛若袂にすがり給えばげに名残あり。
西海四海乃合戦といふとも影身を離れず弓矢の力をそへ守るべし。
頼めやたのめと夕影暗き。頼めやたのめと夕影暗き鞍馬の梢にかけって。
失せにけり。 】
『岩佐又兵衛と松平忠直―パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎(黒田日出男著)』では、「四条河原の忠直」として、次のように記述している。
【 では、忠直は古浄瑠璃や浄瑠璃操りとどこで出会ったのであろうか。父秀康が阿国のかぶき踊りを見て、我が身の不運を嘆いたという有名な逸話があるように、不遇・不満のある武将たちは、かぶき踊りや「遊女歌舞伎」「浄瑠璃操り」などの諸芸能の見物で憂さを晴らしたのであろう。忠直も、次章で紹介するが、遊女歌舞伎の遊女を身請けしたぐらいだから、四条河原などの芸能空間に出掛けて、「遊女歌舞伎」などを熱心に観ていたことは間違いない。 】(『岩佐又兵衛と松平忠直―パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎(黒田日出男著)』P96)
これらのことは、これを描いた「岩佐又兵衛」にも、均しく当て嵌まることであろう。
この「洛中洛外図屏風・舟木本」は、前回の「源氏物語画帖」以上に難所が多く、大変な所に突入した感じである。
ここで、「能・鞍馬天狗」の、この「鞍馬天狗の団扇」が、「傘鉾・三人の母衣武者の三番目の武者」(左隻第二扇上部)の、その「三番目の母衣武者」の背の「指物」(旗指物、背旗)なのかと、あらためて、この「左隻第二扇上部」の、山鉾の見立てのようなも「三人の母衣武者」がクロ-ズアップされてきた。
by yahantei (2021-09-02 08:37)