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「洛中洛外図・舟木本(岩佐又兵衛作)」周辺探索(その七) [岩佐又兵衛]

(その七)四条河原の「遊女歌舞伎」の小屋から何が伝わってくるか?

四条河原の阿国歌舞伎.jpg
 
「四条河原の阿国歌舞伎」(右隻第六扇上部) → A図
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100318&content_part_id=001&content_pict_id=045&langId=ja&webView=null

四条河原に、「人形浄瑠璃」の小屋が二つ。その一つは「山中常盤」(「その五」で紹介)、もう一つは「阿弥陀胸割」。その「阿弥陀胸割」は、下記のアドレスなどが参考となる。

https://gatabutsu.net/2013/03/17/%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E3%81%A7%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E3%81%AE%E8%83%B8%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A1%80%E3%81%8C%E6%B5%81%E3%82%8C%E3%81%9F.html

 前回(「その六」)は、「能」の小屋で、そこでは「鞍馬天狗」が演じられていた。さらに、「歌舞伎」の小屋が二つ描かれている。その一つが、この「鶴丸紋」の幕を張り巡らせた小屋である。
 右端の下部に、「ねずみ木戸」と呼ばれる「櫓に開けられた二つの穴(「ねずみ木戸の入り口)」から観客が出入りしている。その「ねずみ木戸」に貼り紙がしてある。

「此(この)うちにおいて、かぶき/御座候 御(お)のそミ(お望み)のかたがた/御見物なさるべく候」

 この入口を小さくするのは、治安対策上のことと、、この「くぐり戸」を抜けると日常とは違った別世界(「浮世」の世界=遊里や演劇といった享楽的欲望を満たしてくれる世界)が開けてくるという意味合いがあるのかも知れない。
 その入口を入ると、櫓上に「太鼓」と「三つ道具」(刺又=棹先が鋤形のもの、熊手・突棒=棹先のT字形のもの、槍棒・袖搦=棹先が棘状のもの)が立て掛けられている。これは、過度の迷惑行為は許さないというような威厳を誇示しているものなのかも知れない。
 さて、この左端上部の「蛭巻の派手な太刀を肩に掛けて立つ『かぶき者=歌舞伎者=傾(かぶ)き者』」が、慶長八年(一六〇三)に、出雲の巫女、阿国が演じた「歌舞伎踊り」の出し物の一つの、「茶屋遊び」の一場面なのだ。
 しかし、これは、阿国が演じている「歌舞伎踊り」ではなく、阿国に扮した「遊女」の一人が、「遊女歌舞伎」の出し物の一つとしての、「茶屋遊び」の場面なのである。その違いは、この舞台には、演者以外の女性(遊女)が上がっていることと、演者の「かぶき者」、そして「茶屋のかか」(「かぶき者」の相手役、このA図では、柱の側で袖で口元を隠している女性)も、全て、女性(遊女)が演じていることなどで、識別をすることが出来る。
 本来の、阿国の「歌舞伎踊り」は、「かぶき者=阿国の男姿」の女性で、その相手役の「茶屋のかか=女性」は男性が演じるという、その倒錯的な設定と演技とが評判を呼び、それが瞬く間に全国に波及していたということに他ならない。(これらの記述は、『洛中洛外図舟木本―町のにぎわいが聞こえてくる(奥平俊六著)』を参考としている。 )

阿国歌舞伎.jpg

「阿国のかぶき踊り」(「阿国歌舞伎図屏風」・東京国立博物館蔵) → B図
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1075

【1603年(慶長【けいちょう】8年)に出雲の阿国【いずものおくに】が、京都で踊ったという記録が残っています。かぶき者と呼ばれる派手な服を着たり大きな刀を持って街を歩いたりしていた若い男の格好をして、流行の茶屋遊び【ちゃやあそび】などの様子を踊ったといわれています。
 茶屋遊びやかぶき者の服装など、当時の流行を取り入れた阿国の踊りは庶民【しょみん】に大人気となりました。そのため、阿国をまねて男の姿で踊る女性の芸人がたくさん出たといわれています。】

 このB図では、「かぶき者」(男装での阿国)が女性、相手役の「茶屋のかか」(女装の男性)と道化役の「猿若」が男性で、後方の「囃子方」は男性で、ここには、「三味線」の弾き手は出て来ない。
 上記のA図でも、「囃子方」は男性で、B図と同じように、「三味線」の弾き手は出て来ない。

遊女歌舞伎.jpg

「四条河原の遊女歌舞伎」(右隻第六扇上部) → C図
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100318&content_part_id=001&content_pict_id=045&langId=ja&webView=null

このC図は、A図(「四条河原の阿国歌舞伎」)の右脇の図である、A図の「歌舞伎」小屋の「三っ道具」((刺又=棹先が鋤形のもの、熊手・突棒=棹先のT字形のもの、槍棒・袖搦=棹先が棘状のもの)が見える。しかし、今度の「歌舞伎」小屋の舞台は、、A図の「かぶき踊り」(その代表的な「茶屋遊び」の男装姿の「遊女の踊り」)の場面に対して、今度は、椅子に座った「かぶき者(男装姿)」が三味線を手にして、その両脇にも、女装姿と男装姿の三味線を手にした「遊女」が控えている。
 この両脇に、男装の若衆姿の「遊女」が、右側に四人、左側に四人が、何やら、笛を床において、それを手にしている。後方の「囃子方」(太鼓方と鼓方)と、その脇の「道化役」は男性のようである。そして、その後ろに、男装と女装との「遊女と禿(遊女に使われる少女)」が控えている。

 ここで、「松平忠直」の父の、徳川二代目将軍「徳川秀忠」の兄に当たる、「結城秀康」の、次の逸話は、上記のA図(「四条河原の阿国歌舞伎」)よりも、 B図(「阿国のかぶき踊り」)に通ずるものであろう。

【 弟の秀忠が徳川将軍家を継いだとき、秀康は伏見城代を務めていた。出雲阿国一座を伏見城に招いて、阿国の歌舞伎を絶賛した後、「天下に幾千万の女あれども、一人の女を天下に呼ばれ候はこの女なり。我は天下一の男となることかなわず、あの女にさえ劣りたるは無念なり」と漏らしたと言う(『武家閑談』四)。 】(「ウィキペディア」)

 そして、「松平忠直」その人の、次の逸話は、このC図(「四条河原の遊女歌舞伎」)に関係するものであろう。

【 当地にては、皇帝に関する以外に消息なし。……先頃大阪にて二百人余、同地の人々を売買せし廉を以て死刑に処せられたり。乱鎮圧後、他の主なる兵士が都より一歌舞伎を盗みだし、発見されて苦悩に堪え兼ね、女の喉を(彼女の同意を得て)斬らんとして女を傷つけたれども、命に係わるものならざるが、彼は女に夫有りしことを知り、脇差を以て切腹したり。又先日、予に刀を与へし貴族三河守は都より歌舞伎を連去り、彼女の抱主に大判にて百貫目支払ひたり。予も其の金を得たものなり。 】(『慶元イギリス書翰』/黒田日出男『岩佐又兵衛と松平忠直 パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎』)P133)

これに続いて、「こうして、忠直は、元和二年から遊女を身近に侍らせるようになった。そして、この頃から、忠直と勝子(「秀忠」の娘、「忠直」の正室)の不和が兆し始めたと言い得るのではあるまいか」としている。

 ここで、「遊女歌舞伎」関連について、その背景を知るのには、次のアドレスのものが、参考となる。

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3498534_po_gaikoku43_11.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

「遊女歌舞伎(七) 高野敏夫稿」

【 観客像の模索
徳川家康が征夷大将軍に任じられたのは関ヶ原の合戦の三年後、慶長八(一六〇三)年二月十二日である。同年四月、出雲の阿国が北野天満宮の境内で歌舞伎踊をおどって大人気を博した。それと前後して、おそらく五月頃、阿国の人気に便乗して始まったのが遊女歌舞伎である。
(略)
遊女歌舞伎の男客が男装姿の遊女に愛着を寄せたのは、活気に満ちた彼女たちの舞台姿 に新鮮な魅力を感じたからである。男装姿の遊女に江戸開幕当初の清新な空気を直感し、 同時代性を見出し、それに共感した。まちがいなく、彼らは守旧派ではなく、革新派に属し ていた。しかも、その彼らの数はあなどりがたく、社会的流行の原動力となるだけの数量を そなえていた。(略)

  観客の具体像
 徳川家の将来を見据え、矢継ぎ早に布石を打つ家康は、幕府の基盤整備に躍起になって いた。東軍の勝利で城持ち大名にとり立てられた諸大名は、城下町の建設に没頭していた 。 新時代を迎えて日本中がごった返していたとき、社会上層部の苦労や意図とは無縁の位置 で、庶民は能天気に自分たちの「遊び」の世界に没頭していた。何ともいいようのない無責 任さが庶民の身上である。庶民は上層部の意図など最初から無視し、かたくなに背を向け る。そして彼らが視線を向けた対象が、遊女歌舞伎だったのである。遊女歌舞伎は彼らの生きる姿勢の投影であり、反映であった。(略)

  四条河原図     (略)
四条河原の遊女歌舞伎(略)
江戸の遊女歌舞伎  (前略) 

慶長八(一六〇三)年  諸大名の普請役で江戸市街地を造成。
慶長十(一六〇五)年  家康、征夷大将軍を辞し、秀忠が代わって任命される。
慶長十二(一六〇七)年 阿国、江戸城で歌舞伎踊を演じる。諸大名の普請役で江戸城天
            守閣および石垣を修築する。出羽、院内銀山を開く。
慶長十七(一六一二)年 江戸の「かぶき者」を捕え、大鳥逸兵衛らを処刑。幕府、喫煙
            を禁じる。 慶長十九(一六一四)年 大坂冬の陣。
慶長二十、元和元(一六一五)年  
大坂夏の陣。幕府、再び喫煙、煙草の売買、栽培を禁じる。こ
            の頃、操り・浄瑠璃流行。
元和二(一六一六)年  家康、太政大臣となる。家康、没。
元和三(一六一七)年  幕府、吉原遊廓の開設を許す。
元和六(一六二〇)年  江戸城の外堀工事完成。
元和八(一六二二)年  この冬、有力諸大名の謀反の噂が江戸に広まる。
            この年、幕府、外様大名の妻子を江戸におかせる。
元和九(一六二三)年  家光、征夷大将軍。
            幕府、江戸の芝でキリシタンを多数処刑。
寛永元(一六二四)年  中村勘三郎、江戸に猿若座を建てる。 寛永二(一六二五)年  関白近衛信尋ら諸公家・僧侶、家光の将軍襲職を祝うため江戸
            に下る。
            上野寛永寺竣工。
寛永三(一六二六)年  上野東照社建立。
寛永六(一六二九)年  幕府、辻斬防止のため江戸に辻番をおく。
            武家諸法度を改定。幕府、女舞・女歌舞伎を禁止。
寛永九(一六三二)年  旗本の法度(諸士法度)を定める。

遊女歌舞伎の本質 (略)  】
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yahantei

 ここ(「四条河原の阿国歌舞伎」「四条河原の遊女歌舞伎」)は、「洛中洛外図屏風・舟木本」の全体を理解する上でも、重要なところである。「洛中洛外図屏風・舟木本」の中に描かれているのは、「遊女歌舞伎(七) 高野敏夫稿」の年表でいけば、次の「慶長八(一六〇三)年」から「元和二(一六一六)年」までの、「下京・東山『享楽・歓楽・遊楽』図屏風」というネーミングのものになる。
 そして、この「慶長八(一六〇三)年 諸大名の普請役で江戸市街地を造成。」の事項は、「徳川家康が征夷大将軍に任じられたのは関ヶ原の合戦の三年後、慶長八(一六〇三)年二月十二日である。同年四月、出雲の阿国が北野天満宮の境内で歌舞伎踊をおどって大人気を博した。それと前後して、おそらく五月頃、阿国の人気に便乗して始まったのが遊女歌舞伎である」の、そのスタートということになる。
 そして、その時の「阿国の北野天満宮の境内で歌舞伎踊」が、

「阿国のかぶき踊り」(「阿国歌舞伎図屏風」・東京国立博物館蔵) → B図  ということになる。


https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1075

 この上記の年表は、「江戸の遊女歌舞伎」の全体に関するもので、「江戸時代の文化」の根底に、この京都の天満宮で演じられた「阿国の歌舞伎踊り(演目の一つ「茶屋遊び」)」が、そのスタート
なのである。
 そして、それは、「寛永六(一六二九)年  幕府、辻斬防止のため江戸に辻番をおく。武家諸法度を改定。幕府、女舞・女歌舞伎を禁止。」で、「女歌舞伎=遊女歌舞伎」は禁止される」ということになる。
 こういう観点からも、この年表を有する、「遊女歌舞伎(七) 高野敏夫稿」の一連の論稿は、「洛中洛外図屏風・舟木本」を理解する上での必須のものとなってくる。

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3498534_po_gaikoku43_11.pdf?contentNo=1&alternativeNo=









慶長八(一六〇三)年 諸大名の普請役で江戸市街地を造成。
慶長十(一六〇五)年 家康、征夷大将軍を辞し、秀忠が代わって任命される。
慶長十二(一六〇七)年 阿国、江戸城で歌舞伎踊を演じる。諸大名の普請役で江戸城天守閣および石垣を修築する。出羽、院内銀山を開く。
慶長十七(一六一二)年 江戸の「かぶき者」を捕え、大鳥逸兵衛らを処刑。幕府、喫煙を禁じる。
慶長十九(一六一四)年 大坂冬の陣。
慶長二十、元和元(一六一五)年 大坂夏の陣。幕府、再び喫煙、煙草の売買、栽培を禁じる。この頃、操り・浄瑠璃流行。
元和二(一六一六)年  家康、太政大臣となる。家康、没。
by yahantei (2021-09-03 16:19) 

yahantei

 この「コメント」欄は、後での修正ができないので、そのアップしたのを見たら、なにやら、その最後の方で、「空白と 。」があり、その後で、「年表」の抜粋が出てくる。ここに、何を書いたのかは、思い出しながら、再録すれば、良いのかもしれないが、何時ものことながら、面倒なので、ここは、そのままとし、先に進みたい。
by yahantei (2021-09-03 16:29) 

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