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「南蛮屏風幻想」(リスボン・ファンタジー)その七 [南蛮美術]

(その七)「花鳥蒔絵螺鈿聖聖龕」周辺

花鳥蒔絵螺鈿聖龕.jpg

「花鳥蒔絵螺鈿聖龕(かちょうまきえらでんせいがん)」 1基 高61.5 巾39.5 厚5.0 安土桃山時代 16世紀 九州国立博物館蔵
http://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=101345&content_part_id=0&content_pict_id=0

【 本品はキリスト教の聖画を収納する聖龕で、桃山時代に我が国からヨーロッパへ向けて輸出されたいわゆる南蛮漆器の一つである。
 南蛮漆器の製作は、16世紀半ば以降、主としてポルトガルから来日したキリスト教宣教師が、祭儀に用いる聖餅箱や書見台、聖龕などを京都の漆工職人に注文したことに始まる。 
 こうした日本製の祭儀具は、宣教師たちが帰国の際に持ち帰り、やがて本国からの注文を受け製作されたと考えられ、箪笥や櫃などの調度品とともにおびただしい数の漆器が交易品として海を渡った。
 本品は、近年ヨーロッパから里帰りしたもので、聖画を収める聖龕としては国内に伝存する類品の中でも、最大のものである。唐破風(からはふ)状の屋根をもち、正面の観音扉の表裏には金銀の蒔絵と螺鈿を用いて、幾何学文で縁取られた空間を隙間なく埋め尽くすように草花鳥獣文様をあらわす。内部に収められた銅板油彩画には、中央に眠れるキリストを見守る聖母マリア、左に聖ヨゼフ、右に口に人差し指を当て十字を持つ聖ヨハネが描かれ、絵の下部にはラテン語で「われは眠る、されど心は目覚めて」の一文が記されている。
 入念な漆芸技法を駆使して豪華な装飾をほどこした優品であり、大航海時代における国際交易の様相を反映した南蛮漆器の代表作として貴重である。 】

https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/shikki/nanban.html

「南蛮漆器物語(なんばんしっきものがたり)」(京都国立博物館)

花鳥蒔絵螺鈿洋櫃.jpg

「花鳥蒔絵螺鈿洋櫃(ようびつ)」 <京都国立博物館蔵>

【 ヨーロッパの人達が初めて我が国に来たのは、天文(てんもん)12年(1543)。ポルトガル人が種子島(たねがしま)に上陸した時です。その後多くの西洋人が色々な目的をもって来日しました。このときヨーロッパから日本にもたらされた二つの重要なものがありました。一つは鉄砲、もう一つはキリスト教です。
 鉄砲は戦国時代に日本統一を果たすため用いられたことはよく知っていますね。キリスト教が当時の日本に爆発的に広まったことも知られています。
 このキリスト教を日本に広めるために来たのが、ローマから派遣された宣教師達でした。
ルイス・フロイスの名前など聞いたことがあるでしょう。彼らは、日本のことを熱心に勉強して、その教えを広めることに役立てました。
 日本の美術品や工芸品にも当然興味をもちました。特に「蒔絵(まきえ)」という日本ならではの工芸品に大変魅力を感じたのです。
 「蒔絵」というのは、漆の木からとれるゴムのような液体(塗ると輝きがあり、強力な接着力がある)で文様を描き、そこに金粉をちりばめて装飾した工芸品です。黒い漆の面に金がキラキラと輝く素晴らしいものです。そして、宣教師達は、この「蒔絵」で自分達の教会の道具類を作らせるほど好きになってしまったのです。
 キリストの像や聖母マリヤの像などを入れる額、聖書をのせる台などを作ったのです。
これらの道具を作ったのは京都の蒔絵師という職人さん。宣教師にいわれたとうりの形を作り、そこに得意な「蒔絵」で装飾をしたのです。縁取りは直線や斜線、丸などを組み合わせた幾何学文様、これは彼らの注文で描き、その他の花や樹などは職人さんたちが描きなれた日本の四季の植物を自由に文様にしました。
 その頃来日したのは宣教師ばかりではありません。スペインやポルトガルなど多くの国々から商人たちが貿易をするために渡来していたのです。実は彼らも日本からの貿易品としてのこの珍しい「蒔絵」の品々に興味をもちました。ヨーロッパに持ち帰れば高値で売ることが出来ると考えたのです。西洋でも装飾品として売れる形のもの、たとえば洋風の箪笥、飾り箱などで、なんと400年も前の日本でコーヒーカップまで作らせていたのです。
 さらに彼らは、当時の日本ではあまり作られていなかった「螺鈿(らでん)」という技法(貝を磨いて貼りつける)に目をつけ、「蒔絵」の装飾にこれを加えてより高値に売ることを考えました。貝の工芸品はスペイン、ポルトガルの人々に親しみがあり、とても豪華に見えたからです。
 このような工芸品を「南蛮漆器」と呼んだのです。(中国では古くから南の人を野蛮人だとして「南蛮」と呼び、日本でもその言い方をしていました。)この「南蛮漆器」のうちで一番多く作られたのは下の写真のような洋櫃(ようびつ)でした。  】(「京都国立博物館: 工芸室・灰野」)

花鳥蒔絵螺鈿洋櫃(部分).jpg

「花鳥蒔絵螺鈿洋櫃(部分)」<京都国立博物館蔵>

【 その下に孔雀が描かれていますね。樹木や草花は日本のものですが動物や鳥などは、職人さんたちが見たこともない虎やライオン。西洋の絵で見せられて描いたのでしょう。大変だったでしょうね。
 この「南蛮漆器」と呼ばれる工芸品は、正しくは「近世初期輸出漆器」といわれています。ヨーロッパ人が好んだこの華やかな工芸品は江戸時代、日本が鎖国するともう作られなくなりました。 】(「京都国立博物館: 工芸室・灰野」)

IHS花入籠目文蒔絵螺鈿書見台.jpg

「IHS花入籠目文蒔絵螺鈿書見台(しょけんだい)」<京都国立博物館蔵>
https://artsandculture.google.com/asset/folding-lectern-with-ihs-insignia-and-linked-hexagrams-in-makie-and-mother-of-pearl-inlay-unknown/6wFvjNHVepR9Qg?hl=ja

【 キリスト教の聖書をのせる折りたたみ式の見台。イエズス会の紋章をあしらっている。IHS紋の蒔絵の見台はいくつか知られ、紋の回りの文様が異なる。本品は、螺鈿(らでん)と泥絵(でいえ)のような細かな金粉の平蒔絵(ひらまきえ)で、市松文の縁取りのなかに籠目を作り、輪違い状の装飾や花のような文様を足した幾何学文である。受け台の裏には絵梨地(えなしじ)もまじえて橘を描き、背面は「南蛮唐草」で縁取ったなかに背板では蔦唐草、脚部では朝顔をすきまなく描いている。一枚板から蝶番(ちょうつがい)を彫り出す構造は日本の木工の伝統には見られず、イスラム圏のコーランの見台の構造を模したものとされる。同じ形、同じ構造をしながらインドの銀細工で覆われた見台が存在することから、本品は、コーランの見台を目にした人々が日本に来て蒔絵や螺鈿の品の制作を指示したものと考えられる。大航海時代のアジアの海の交流史を如実に伝える品である。 】

イエズス会紋章入七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱(.jpg

「イエズス会紋章入七宝繋蒔絵螺鈿聖餅箱(せいへいはこ)」<南蛮文化館蔵>
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2008/shiteibunkazai/shiteibunkazai_item.html

【 大阪府指定文化財 1合 器高9.7cm 径11.5cm 北村芳郎(南蛮文化館 大阪市北区) 桃山時代(16世紀末~17世紀初頭)

 ミサに用いるオスチャ(聖餅)を入れる円筒形の容器で、器全体が蒔絵と青貝の螺鈿技法により美しく仕上げられている。昭和41年(1966)にポルトガルのリスボンより里帰りした作品で、合口造り、懸子付きの聖餅箱である。
 蓋の表面にはイエズス会の紋章である十字架とIHSの三文字と三本釘とが美しい魚紋交じりで意匠され、周囲には放射光、また蓋と身の側面には青貝を七宝繋紋にちりばめたみごとなキリシタン工芸品のひとつである。
 上記の「イエズス会紋章入蔦蒔絵螺鈿聖餅箱」が日本の国内信者向けの聖餅箱であったのに対し、本品は外国向けの輸出用品であり、またデザイン的にも特徴のあり、貴重である。 】

花鳥蒔絵螺鈿角徳利及び櫃.jpg

「花鳥蒔絵螺鈿角徳利及び櫃(カチョウマキエラデンカクドックリオヨビヒツ)」<京都国立博物館蔵> 縦:24.2cm 横:41.5cm 高:33.5cm 6本1合 重要文化財 
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/564542

【 桃山時代、ヨーロッパ向けに輸出用として造られた「南蛮漆器」と呼ばれる角徳利。おそらく葡萄酒を入れたものであろう。6本1組で櫃に納められている。南蛮漆器の器種は教会の儀式に用いられた聖餅箱・聖龕・書見台や、装飾調度として洋櫃・洋箪笥・双六盤などが造られた。そして、技法・意匠は金平蒔絵と螺鈿でそのほとんどが花鳥を全面に配したものである。この徳利もその典型的な遺品であり、櫃に入って保存されたため製作当初の姿をとどめている。南蛮漆器中でも優品に数えられるものの1つであろう。近年イギリスから逆輸入されたものである。 】

蒔絵南蛮人文鞍.jpg

「蒔絵南蛮人文鞍(まきえなんばんじんもんくら)」(「神戸市立博物館蔵・池長孟コレクション) 越前北庄 井関作 江戸時代、慶長9年/1604年 木に漆、蒔絵 高27.5 幅35.9
(後輪)高26.5 幅40.1 1背
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/455129

【 全体に黒漆をかけ、前輪、後輪(しずわ)の表側に南蛮人を金銀蒔絵の意匠を施した海有水干鞍(うみありすいかんぐら)。南蛮人やその従者をみると、両手を付いて腰掛けるような姿や、軍配を手にする姿など動的表現に富む姿態が描かれています。蛍光X線分析によって、金蒔絵部分には銀や銅を含む金を蒔き、銀色の平文部分には錫の薄板、銀の薄板を併用していることが指摘されています。また、平文の接着に用いた赤色漆はベンガラ(鉄)で着色されたもので、おきめ(下書き線)には朱(水銀)で着色された漆が使用されていると推定されています。    
 居木裏(いぎうら)に黒漆による銘「慶長九/七月/吉日/於越州北庄」「井関造之(花押)」と、力皮通穴(ちからがわとおしあな)の内側に確認できる井関の細工印「◇」から、近江国北郡出身(現滋賀県)の鞍部の家系の井関が北庄(現福井市)で製作したことがわかっています。南蛮意匠を採る漆工芸品という点に加えて、記録の残りにくい製作者、製作時期といった情報も今日まで伝来している稀有な作例です。
 来歴:山村耕花→池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館
 参考文献:
・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
・サントリー美術館・神戸市立博物館『南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎』展図録 2011-12
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
・早川泰弘 「蛍光X線分析による南蛮人蒔絵鞍の材質調査」、志賀太郎 「南蛮人蒔絵鞍の復元制作について」(『福井市立郷土歴史博物館 研究紀要』 第11号) 2003  】

(特記事項)

一 この「蒔絵南蛮人文鞍(まきえなんばんじんもんくら)」は、≪居木裏(いぎうら)に黒漆による銘「慶長九/七月/吉日/於越州北庄」「井関造之(花押)」≫の記録から、製作年月が「慶長九年(一六〇四)七月」、そして、製作者は「越州北庄(現福井市)・鞍部の家系(馬具の鞍職人の家系)の井関(氏)」と特定できるということは、その他の「南蛮美術」の「製作(制作)者・製作(制作)時期」に関しても、貴重な参考事項の一つになるであろう。

二 冒頭の「花鳥蒔絵螺鈿聖龕(かちょうまきえらでんせいがん)」は、「南蛮漆器の製作は、16世紀半ば以降、主としてポルトガルから来日したキリスト教宣教師が、祭儀に用いる聖餅箱や書見台、聖龕などを京都の漆工職人に注文したことに始まる。こうした日本製の祭儀具は、宣教師たちが帰国の際に持ち帰り、やがて本国からの注文を受け製作されたと考えられ、箪笥や櫃などの調度品とともにおびただしい数の漆器が交易品として海を渡った」とあるとおり、その由来は、「京都の漆工職人」(町衆の「蒔絵屋」の漆工職人)などの手によるもので、それが「おびただしい数の漆器が交易品として海を渡った」と、当時の日本と西欧とを結ぶ交易品の代表的なものになったのであろう。

三 これらの「蒔絵」(「漆工芸」の代表的な加飾技法の一つで、漆で絵や文様を描き、漆が固まらないうちに蒔絵粉(金・銀などの金属粉)を蒔いて表面に付着させるもので、粉を蒔いて絵にするところから『 蒔絵(まきえ)』」と呼ばれる)の全体については、次のアドレスの、「蒔絵について」などが参考となる。

https://shop.urushiarthariya.com/?mode=f3

さらに、「南蛮美術と蒔絵」などに関しては、次のアドレスの「南蛮(-NAMBAN-)昇華した芸術」などが参考となる。

http://www.seinan-gu.ac.jp/museum/wp-content/uploads/2015/publish/nanban.pdf

Ⅰ 萌芽の兆し-西欧文化の訪れ
Ⅱ 創出された意匠-南蛮美術
Ⅲ 新たな文化への転機-鎖国と紅毛文化
論考 
西欧における南蛮・紅毛漆器の受容(西南学院大学博物館学芸員 内島美奈子)
出島に出入りした商人や職人たち ―オランダ商館員の文物収集(西南学院大学博物館学芸研究員 野藤妙)
用語解説
蒔絵
漆を使った装飾技法。文様を表す部分にあらかじめ漆を塗り、その漆が乾かないうちに金銀の細かい粉を蒔き付けて文様とする。技法の違いから次の3種類にわけられる。
① 研出蒔絵(塗った漆の上に金銀の粉を蒔き付け、乾燥後に表面全体に漆を塗り込み、金銀の粉が表面に出るまで炭などの研磨剤で研ぎ出す技法)
② 高蒔絵(下地や漆で文様とする部分を高く盛り上げ、蒔絵を行ったあと、さらに研出して文様とする技法)
③平蒔絵(目的とする文様を漆で描きその上に金銀粉を蒔き付ける。漆の乾燥後に粉の表面を磨いて仕上げる技法)。さらに、金属粉を蒔いた後、絵漆が乾かないうちに尖った串などで蒔絵部分を引っかくようにして線を描く針描という技法もある。
螺鈿
巻貝や二枚貝の殻を加工して漆の表面に張り付けて文様をあらわす技法。
鮫皮貼
エイの皮を器面に貼り付け、黒漆を塗り込め研ぎ出す技法。黒漆の中から白い水玉文様が浮かび上がるのが特徴である。

四 その上で、この「蒔絵南蛮人文鞍(まきえなんばんじんもんくら)」の製作された「慶長九年(一六〇四)」というのは、「秀吉七回忌に際し豊国大明神臨時祭礼が行われた」年なのである。
 この「秀吉七回忌に際し豊国大明神臨時祭礼」周辺については、下記のアドレスなどで、狩野内膳と岩佐又兵衛の、その「豊国祭礼図屏風」を種々の角度から鑑賞してきたところのものである。そして、これらの「豊国祭礼図屏風」の背後の立役者は「高台院」(豊臣秀吉の「正室・北政所・寧々=ねね・御寧=おね)ということについては、しばしば触れてきた。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2021-09-14

【 〇桟敷の主人公は高台院、彼女が読解の焦点
※「天下人」徳川家康も、大阪の豊臣秀頼・淀殿も、豊国大明神臨時祭礼には出席していない。この秀吉七回忌に、豊臣家を代表して桟敷にいたのは高台院(北政所、秀吉の妻おね)のみである。
〇豪奢極まりない臨時祭礼(※「イエズス会宣教師報告」による)   】

 そして、いわゆる「蒔絵」というのは、≪桃山時代の傑作、京都・高台寺の霊屋( おたまや )や調度に描かれている「 高台寺蒔絵 」は平蒔絵技法で描かれている≫(上記の「蒔絵について」)が基本で、そして、ここから、「南蛮漆器(螺鈿蒔絵など)が誕生してくる」
(上記の「南蛮(-NAMBAN-)昇華した芸術」)ということなのである。

五 ここで、「高山右近」(キリシタン大名「陸の司令官」)と並び称せられる「小西行長」(キリシタン大名「海の司令官」)に由来があるとされる「梅花皮写象牙鞍(伝小西行長所用)」を紹介して置きたい。

小西行長文鞍.jpg

「梅花皮写象牙鞍(かいらぎうつしぞうげくら) 伝小西行長所用」(安土桃山時代・16世紀 個人蔵)
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s39.html

【 梅花皮を模した象牙をふんだんに散りばめた美麗な鞍。小西行長が息女・マリアを対馬の大名・宗義智に嫁がせた際に持たせたものといいます。関ヶ原合戦で行長は斬罪に処されてしまい、徳川政権下での生き残りを図る義智は、マリアを離縁しました。行長の栄光と悲劇を伝える名品です。  】
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