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渡辺崋山の「俳画譜」(『崋山俳画譜(鈴木三岳編)』) [渡辺崋山の世界]

(その七) 『崋山俳画譜(鈴木三岳編)』の「野々口立圃(燈下読書)」

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『崋山俳画譜(鈴木三岳編)』の「野々口立圃《燈下読書図》」」(「早稲田大学図書館蔵」)
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_a1175/index.html
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_a1175/bunko31_a1175_p0005.jpg

≪「燈下読書図」立圃画意 雛屋ハ松花堂ニ/辯香スルニ似タリ ≫(『俳人の書画美術11 江戸の画人(鈴木進執筆・集英社))』所収「図版資料(森川昭稿)」に由っている。)

≪ 立圃は俳諧をよくし、俳画としての作品もかなり世に遺っている。「松花堂ニ/辯香スルニ似タリ」と評されているが、既に松花堂の風韻は著しく、洒脱に、軽妙に転化されているのである。立圃の作品に「休息三十六歌仙」がある。歌仙を休息のていたらくに描き、俳諧をそえて歌仙画巻の形式をとった俳諧的気分にあふれている。 ≫(『俳人の書画美術11 江戸の画人(鈴木進執筆・集英社))』所収「図版資料(森川昭稿)」に由っている。)

野々口立圃筆兼好法師自画賛.jpg

「野々口立圃筆兼好法師自画賛」(作者:野々口(雛屋)立圃)( 「慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)」)
https://objecthub.keio.ac.jp/ja/object/1782
≪ 野々口立圃〈ののぐちりゅうほ・1595-1669〉は、江戸時代初期の俳諧師。名は親重(ちかしげ)、紅染めの名人としても知られ、紅屋庄右衛門という通称もある。松翁・松斎の別号がある。京都に出て雛人形の細工を業としたため、雛屋立圃(ひなやりゅうほ)の名で親しまれた。松永貞徳〈まつながていとく・1571-1654〉に俳諧を学び、貞門七俳仙に名を連ねる。中でも立圃と松江維舟〈まつえいしゅう・1602-1680〉はとくに傑出して貞門二客と称された。俳諧のほかに、連歌・和歌・書・画・和学などにも通暁、多才な人であった。和歌を烏丸光広〈からすまるみつひろ・1579-1638〉、画を狩野探幽〈かのうたんゆう・1602-1674〉に学んだ。書は青蓮院流(尊朝流)を学び、堂上公卿とも親交をもった。吉田兼好〈よしだけんこう・1283?-1350?〉はその著『徒然草』第13段に「ひとり灯のもとに書物をひろげて、見も知らぬ昔の人を友とすることこそ、この上なく心の慰むことである」と語る。
 この図は、その原文の部分に加えて、「その兼好法師自身でさえ、はるか遠い昔の人となってしまった。人の命は花のようにはいかないものよ」という立圃自詠の一句を添えて賛とし、灯火に読書する兼好法師の姿を描いたものである。俳画の先駆ともいうべき新境地を拓いた立圃の面目躍如たる自画賛である。軽妙洒脱な筆であらわされた兼好像は、あるいは、立圃の自画像であったのではなかろうか。

ひとりともし火のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするなん、こよなうなぐさむわざなれ。といひし人も見ぬ世の人となれり。見る人も花よ見ぬ世のふる反古 ≫( 「慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)」)

https://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/juni/

(抜粋)

「野々口立圃撰並画 寛文6年(1666) 自筆」(1巻 25.2×342.5cm)(「早稲田図書館蔵」)

≪ 貞門の俳人、野々口立圃(1595-1669)の自筆句合画巻。十二支の動物に装束を着せて一対ずつ左右に向かわせ、立圃自作の発句を合わせたもの。動物の組み合わせは、辰と戌、巳と亥のように、7番目同士を合わせる「七ツ目」というめでたい組み方で配列されている。最初の辰と戌の組には、辰に「夕立の水上いづこたつの口」、戌に「犬山やふるもまだらの雪の色」とある。奥書に「七十二老」とあり、寛文6年(1666)の染筆とわかる。
 立圃は松江重頼と並び称された貞門の重鎮。のち貞徳のもとをはなれ一流派をひらいた。雛人形屋を業とし、若くして連歌・和歌・書を学んだ。絵は晩年の習事と伝えるが、「書画は習はずして自由自在に書ちらし」(『立圃追悼集』)とも見える。元禄以後の俳画の盛行は立圃に端を発するともいわれている。
 本画巻の、淡彩をほどこした動物たちの飄々たる姿は、立圃晩年の円熟の境地を伝え、数多い立圃自筆資料のうちでも秀作ということができる。横山重旧蔵。

(釈文) 省略

(左一・辰、右一・戌)

左一・辰、右一・戌.jpg

https://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/juni/juni03h.jpg
「左一・辰」=夕立の水口いつ(づ)こたつの口
「右一・戌」=犬山の雪もまた(だ)らの雪の色

(左二・己、右(二)・亥)

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「左二・己」=祓する己の日や魚の毒なか(が)し
「右(二)・亥」=白黒やゐの子にしろき砂糖餅

(左三・午、右(三)・子)

(左三・午、右(三)・子).jpg

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「左三・午」=竹馬や杖に月毛のよるの道
「右(三)・子」=小松をやけふ引(き)あそへ(べ)初鼠

(左四・未、右(四)・丑)

(左四・未、右(四)・丑).jpg

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「左四・未」=羊をや五月つくしの花車
「右(四)・丑」=ひかりそふ露や北野の年の玉

(左五・申、右(五)・寅)

(左五・申、右(五)・寅).jpg

https://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/juni/juni07h.jpg
「左五・申」=猿丸の歌の紅葉や顔の色
「右(五)・寅」=虎の尾ハちるともふむな桜花

(左六・酉、右(六)・卯)

(左六・酉、右(六)・卯).jpg

https://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/juni/juni08h.jpg
「左六・酉」=霜夜には鐘や一番二番鳥
「右(六)・卯」=短夜に月の兎の耳もかな
     七十二翁放将
     書之乎口之号
           立圃(朱方印)      ≫

立圃肖像並賛「かくとたに.jpg

「立圃肖像並賛「かくとたに」 / 生白 [画],立圃 [賛](「早稲田図書館蔵」)
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_d0153/bunko31_d0153_p0001.jpg

(野々口立圃の俳句)

あらはれて見えよ芭蕉の雪女(ゆきをんな) (『そらつぶて』)
≪季語=雪女(冬)。謡曲「芭蕉」の「芭蕉の精」と、「雪の精」の「雪女」とを背景にしている一句。≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

絵に似たる顔やヘマムシ夜半の月 (『そらつぶて』)
≪季語=月(秋)。「ヘマムシ」は、「へのへのもへじ」のような文字遊戯の一種。「へ」=頭と眉、「マ」=目、「ム」=鼻、「シ」=口。「ヘマムシヨ」の「ヨ」=耳。江戸時代には手習草子として山水天狗と共に戯書の双璧であった。≫ (『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

霧の海の底なる月はくらげかな (『誹諧発句帳』)
≪季語=月(秋)。「霧」が一面にかかっているのを「霧の海」と見立て、その「月」を「海月(くらげ))と見立て、さらに、月の光が暗いという「暗気(くらげ)」を掛けている。≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

源氏ならで上下に祝ふ若菜かな (『犬子集』)
≪季語=若菜(春・新年)。『源氏物語』の「上・下」二部にわかれている「若菜(三十四帖)」 は「若菜上・下」にまたがっていることと、「身分」の「上・下」とを掛けている。立圃は、『十帖源氏』や『稚源氏』などの「源氏物語梗概書」を有する、名うての「源氏物語通」で知らりている。 ≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

声なくて花や梢の高笑ひ (『そらつぶて』)
≪季語=「花」(春)。「花の咲く」ことを「花の笑う」という意から、「梢に高く咲く花」は「高笑い」だという、「洒落」の一句。 ≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

月影をくみこぼしけり手水鉢 (『そらつぶて』)
≪季語=月(秋)。「手水鉢(ちょうずばち)の水とともに、千々にくだけ散る月の光を「汲みこぼす」表現したのが、この句の眼目。≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

天も花に酔へるか雲の乱れ足 (『犬子集』)
≪季語=「花」(春)。『和漢朗詠集』の「天酔于花 桃李盛也(天ノ花ニ酔ヘルハ、桃李ノ盛ナルナリ)を踏まえ、雲の動きを「雲脚」と、「天・雲」を擬人化した一句。 ≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

ほころぶや尻も結ばぬ糸桜 (『犬子集』)
≪季語=糸桜(春)。「尻も結ばぬ糸」(玉どめを作らないで縫う糸)のために、「花が『ほころぶ』(咲く)との見立ての妙味。その技巧が嫌味になっていないのが立圃調。≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

花ひとつたもとにすがる童かな (『句兄弟』)
≪季語=「花」(春)。貞門誹諧に普通みられる言葉の技巧はまったくない。実際の体験からでないと作れない。実感のある句。其角の『句兄弟』で取り上げられている。≫(『俳句大観(明治書院))』所収「立圃(森川昭稿)」)

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(再掲)

十八番
   兄 立圃
 花ひとつたもとにすか(が)る童かな
   弟 (其角)
 花ひとつ袂に御乳の手出し哉

(兄句の句意)花一輪、その花一輪のごとき童が袂にすがっている。
(弟句の句意)花一輪、それを見ている乳母が袂に抱かれて寝ている童にそっと手をやる。
(判詞の要点)兄の句は「ひとつ(一つ)だも」と「たもと」の言い掛けの妙を狙っているが(大切な童への愛情を暗に暗示している)、弟句ではその童から「お乳」(乳母)への「至愛」というものに転回している。
(参考)一 其角の判詞(自注)には、「たもとゝいふ詞のやすらかなる所」に着眼して、「花ひとつたもと(袂)に」をそれをそのままにして、句またがりの「すか(が)る童かな」を「御乳の手出し哉」で、かくも一変させる、まさに、「誹番匠」其角の「反転の法」である。この「反転の法」は、後に、しばしば蕪村門で試みられたところのものであるという(『俳文学大辞典』)。

二 (謎解き・六十九)では、兄句の作者を其角としたが、ここは、立圃の句。野々口立圃。1595~1669。江戸前期の俳人、画家。京都の人。本名野々口親重。雛屋と称し、家業は雛人形細工。連歌を猪苗代兼与に、俳諧を貞徳に師事。『犬子集』編集に携わるが、その後貞徳から離反、一流を開く。『俳諧発句帳』『はなひ草』ほか多数著作あり。 ≫
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