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応挙工房周辺(大乗寺(その二 郭子儀図)) [応挙]

その四 大乗寺(その二 郭子儀図)

郭子儀図襖.jpg

応挙筆「郭子儀図襖」八面の内 紙本金地着色 天明八(一七八八)
各一八六・〇×一一五・〇cm 大乗寺(客殿郭子儀の間)

【 天明八年一月、香住・大乗寺のために描かれた襖絵。応挙の代表作の一つである。金地を背景に、郭子儀とその孫たち七人が描かれている。郭子儀は安史の乱の平定に大功があった唐の名将。長寿を保ち、子や孫の多くが立身出世したという人物である。この絵の見どころは狂いのない描線、そして、彩色のバランスの良さであろう。応挙は金地を背景にした場合、どのような色が映えるのかを知っていた絵師だった。なお、この完成直後、天明の大火が起きている。 】
(『別冊太陽 円山応挙』所収「作品解説・五十嵐公一稿」)

 現在、大乗寺にある応挙の作品は、障壁画(「松孔雀図」「郭子儀図」「山水図」)、天袋(「菓子図」)、掛軸(「王義之龍虎図」「鍾馗図」「龍門鯉魚図」「波上白骨坐禅図」「柳下狗子図」「野分図」)、屏風(「十六羅漢の図①~⑧」)(補記一のとおり)と、まさに応挙寺の名称に相応しい印象を深くする。
 中でも、「波上白骨坐禅図」は、当時関心の高かった解剖学ともかかわり、骨格に基づいて人体を描こうとする応挙の作画姿勢の一端を物語るであろう。

破上白骨坐禅図.jpg

応挙筆「波上白骨坐禅図」一幅 紙本墨画淡彩
一三二・六×五九・〇cm 大乗寺蔵

【 郭子儀図 円山応挙筆
 本図の中に白い衣を着けた老人として描かれている郭子儀は、中国唐代の武将であり政治家でもあって、八人の息子と七人の娘に恵まれたことから、お目出度い題材として扱われてきた。ここでは芭蕉の葉で遊ぶ子供達への慈愛の視線を送る姿が描かれている。仏教上の方位で十一面観音の南に位置する部屋であることから、増長天の司る政治の世界をイメージさせる画題という解釈もなされている。総金地に緑青、群青、朱等、高価な絵の具を使用しており、郭子儀の顔面の表現には、当時中国から持ち来たらされた相学の知識を駆使して、高貴さを象徴する目、鼻、口等を選び、品格ある顔立ちを構成している。 】
(『大乗寺(佐々木丞平・正子編著)』所収「郭子儀の間」)

補記一 「大乗寺デジタルミュウジアム 」

http://museum.daijyoji.or.jp/04sakka/04_01.html

応挙の作品・文書一覧(大乗寺蔵)



補記二 応門十哲について

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%B1%B1%E5%BF%9C%E6%8C%99

応門十哲

(「大乗寺障壁画制作者(参加者)」を中心とすると、次のような案もあろう)

嶋田元直 (「応挙書簡」に載るメンバー)
呉春(松村月渓)(同上)・「農業の間」「群仙露頂の間」  
山本守礼   (同上)・「狗子の間」
円山応瑞   (同上)・「鯉の間」「仏間」
駒井源琦  「鴨の間」
長沢芦雪  「猿の間」
亀岡規礼  「使者の間」
奥文鳴(源正勤)「藤の間」
秀雪亭   「仙人の間」
森徹山   (「猿の間」)小壁

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