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「鹿下絵新古今和歌巻」逍遥(その四) [光悦・宗達・素庵]

その四 宮内卿

鹿下絵三.JPG
「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の三「宮内卿・鴨長明」)」(『書道芸術第十八巻本阿弥光悦(中田勇次郎責任編集)』)
鹿下絵和歌巻・宮内卿.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦 (五島美術館蔵)
紙本金銀泥画・墨書/一幅 江戸時代初期・17世紀  縦34.0cm 横87.7cm 

https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/col_03/08074_001.html

【 絵師俵屋宗達(?~1640頃)が描いたと伝える金銀泥の鹿の下絵に、『新古今和歌集』より選んだ28首の秋の和歌を本阿弥光悦(1558~1637)が書写した、もとは約22メートルに及ぶ一巻の巻物(益田鈍翁〈どんのう〉旧蔵)。現在は断簡となり、前半部は静岡・MOA美術館、東京・山種美術館他、諸家が分蔵、後半部分はアメリカ・シアトル美術館が所蔵する。本品は、雄鹿とそれを振り返る雌鹿を描いた料紙に、宮内卿の和歌(巻第四「秋歌上」365番)を書いた部分。 】

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-04-09

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その二)

(周辺メモ・釈文など)

4 宮内卿:おもふ事さしてそれとはなき物を秋のゆうふべを心にぞとふ

秋濃哥と天よ見ハべ利介る   → 秋の歌とてよみ侍りける
宮内卿            → 後鳥羽院宮内卿
おもふ事左し亭曽禮とハな支物を→ 思ふことさしてそれとはなきものを
秋濃ゆふべを心尓曽ととふ   → 秋の夕べを心にぞ問ふ

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kunaikyo.html

  秋の歌とてよみ侍りける
思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ(新古365)

【通釈】思い悩むことはこれと言ってないのに…。なぜ秋の夕べは何とはなしに物思いがされるのか、我が心に問うてみるのだ。
(宮内卿)
後鳥羽院宮内卿とも。右京権大夫源師光の娘。泰光・具親の妹。母は後白河院女房安藝。父方の祖父は歌人としても名高い大納言師頼。母方の祖父巨勢宗茂は絵師であった。後鳥羽院に歌才を見出されて出仕し、正治二年(1200)、院二度百首(正治後度百首)に詠進。建仁元年(1201)の「老若五十首歌合」「通親亭影供歌合」「撰歌合」「仙洞句題五十首」「千五百番歌合」、同二年(1202)の「仙洞影供歌合」「水無瀬恋十五首歌合」など、院主催の歌会・歌合を中心に活躍した。

(「宮内卿」周辺メモ)

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖」(歌合・その十四)宮内卿と正二位秀能(藤原秀能)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-12-16

狩野永納筆「新三十六人歌合画帖」(その十四)後鳥羽院宮内卿と藤原秀能

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-02-08


「鹿下絵新古今集和歌巻」逍遥ノート(その二)

 この「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(宮内卿)」の画面で、角のない雌鹿が登場して来る。この雌鹿は、「新古今集』編纂の権化のような、時の帝王「後鳥羽院」(天皇・上皇)が見出した、二十歳前後で夭折したとされている女流歌人の「宮内卿」の見立てと解することは自然の流れであろう。
 しかし、この「鹿下絵古今和歌巻」は、西行(その一)と定家(その二)とを主題としていると仮定すると、謡曲「定家」のシテ(式子内親王の霊)で登場する、後白河法王の第三皇女且つ当代随一の女流歌人、式子内親王その人の見立てと解する方が、能・謡曲に精通している揮毫者・光悦には、より相応しいようにも思えて来る。
 とすると、この雌鹿に近づいて行く雄鹿は、若き日(二十歳代)の定家の見立てということになる。
 定家と式子内親王との出会いというのは、治承五年(一一八一)正月三日、定家二十歳の春である(式子内親王は定家より八歳年長である)。

【 仰せによって内親王(式子内親王)の御所に参上した彼(定家)は、几帳越しに薫る内親王の香に心を溶かされた。若き日の詩人の胸にときめくような思いが走ったにちがいない。定家は、その後しばしば内親王のもとに参上する。歌友であり、また、病弱であった内親王を気づかって定家は一喜一憂するのだった。が、定家とは身分違いの高貴な女性である。はたして、恋愛と呼べるような事実があったかどうかはわからない。かなわぬ恋と自覚しつつも、定家の心には、断ち切れぬ思慕の情があった。式子内親王は、定家四十歳のときに亡くなる。後世、謡曲「定家」のなかで、内親王の墓に葛となってまとわりつく定家の思いは、彼が味わった悲恋の深さを物語っている。】(『太陽№210藤原定家と百人一首・冷泉家古文書公開記念特集』)
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yahantei

「鹿下絵和歌巻」所収の二十八首のうち、「西行・式子内親王・家隆」の歌は、二首出て来る。これは、能の「ワキ・シテ」の「従・主」のように解して、進めると面白い感じ。それよりも、この後の、「式子内親王」の歌あたりから、ガラッと画面は一変して、白日夢のような、月光の下で、白描の「雄鹿・雌鹿」が乱舞して来る。
 この画面が一変するのは、能の進行のようで、それには、謡曲「定家」そして「江口」などが連想されて来る。

by yahantei (2020-05-08 09:44) 

yahantei

ここで、「定家と式子内親王」との、謡曲「定家」をイメージするのは、やや、早急の感じがしている。

本来は、次の「夕暮十首一連」が、そのイメージなのかも知れない。


※0356 荻の葉に吹けばあらしの秋なるを待ちける夜はのさを鹿の声 (摂政太政大臣)
(荻の葉に吹き始めると山風は草木をしおれさせる秋の風となるが、夜、それを待ってたように妻恋いの牡鹿の鳴き声が聞こえてくる。)
0357 おしなべて思ひしことの数々になほ色まさる秋の夕暮れ(摂政太政大臣作?)
(大体において物思いしたことの数々よりもさらに悲しみの色が勝る秋の夕暮れです。)
0358 暮れかかるむなしき空の秋を見て覚えずたまる袖の露かな(摂政太政大臣作?)
(日が沈んで暗くなるころ、ただただ広がる大空の虚しくなる秋の風情を見て、知らず知らずのうちに袖に涙がたまっています。)
0359 もの思はでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮れ(摂政太政大臣作?)
(物思いをしないでこの様な涙が袖に置くでしょうか。知らず知らずのうちに物思いをしながら秋の夕暮れを眺めていたのですね。)
0360 み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲の夕暮れの空 (前大僧正慈円)
(山路はいつから秋を感じさせる色合いになってるのでしょう。見たことのないような色合いの雲が夕暮れの空に広がってます。)
0361 さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ (寂連法師)
(寂しさは色彩的なものではない。常緑樹が並ぶ山の秋の夕暮れも寂しいと感じるのだから。目に見えてどうというわけでもないのです。)

※※0362 心なき身にもあわれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ (西行法師)
(世を捨てて出家したはずの我が身にも人生の無常観が身にしみます、秋の夕暮れ時、鴫が羽音を残して飛び立ったあとの静けさよ。)
0363 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ (藤原定家朝臣)
(見渡すと、春の桜も秋の紅葉も何もありません。ただ海辺の苫葺(とまぶき)の小屋があるだけの秋の夕暮れのこの寂しい景色よ。)
0364 たへてやは思ひありともいかがせむむぐらの宿の秋の夕暮れ (藤原雅経)
(もしあの人に恋慕の思いがあったとしてもどうすることが出来るでしょうか、できません。葎が茂る荒れた庭の秋の夕暮れのもとで。)
0365 思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞ問ふ (宮内卿)
(気に病むようなこともさしてこれがそうだというようなものはないのに、秋の夕べはどうして悲しくなるのか自分の心に問いてみます。)
※※※0366 秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただわれからの露の夕暮れ (鴨長明)

by yahantei (2020-05-08 17:03) 

お名前(必須)

「夕暮十首一連」については、『鑑賞日本古典文学第17巻 新古今和歌集・山家集・金塊和歌集』の「新古今和歌集」(有吉保稿)に、大きな示唆を受けた。


by お名前(必須) (2020-05-08 17:36) 

yahantei

上記の冒頭の下記の一首は、「夕暮十首一連」の前の歌で、「秋の夕暮」の歌ではない。

※0356 荻の葉に吹けばあらしの秋なるを待ちける夜はのさを鹿の声 (摂政太政大臣)
(荻の葉に吹き始めると山風は草木をしおれさせる秋の風となるが、夜、それを待ってたように妻恋いの牡鹿の鳴き声が聞こえてくる。)

しかし、その次の「0357 おしなべて思ひしことの数々になほ色まさる秋の夕暮れ(摂政太政大臣作?)(大体において物思いしたことの数々よりもさらに悲しみの色が勝る秋の夕暮れです。)」の前提となるような一首で、これも、「鹿下絵和歌巻」の主題であることは間違いない。




by yahantei (2020-05-09 16:35) 

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