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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十四) [光悦・宗達・素庵]

(その二十四)「鶴下絵和歌巻」L図(2-2伊勢)

鶴下絵和歌巻L図.jpg

2-2伊勢 三輪の山いかに待ち見む年経とも 尋ぬる人もあらじと思へば(「撰」「俊」)
(釈文)三輪濃山如何尓待見舞としふともたづぬる人もあらじ登於もへ半

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/ise.html

  仲平の朝臣あひしりて侍りけるを、離(か)れがたになりにければ、
父が大和の守に侍りけるもとへまかるとて、よみてつかはしける
2-2 みわの山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば(古今780)

【通釈】三輪山で、どのように待って、あなたに逢えるというのだろうか。たとえ何年経とうとも、訪ねてくれる人などあるまいと思うので。
【語釈】◇みわの山 奈良県桜井市の三輪山。円錐形の美しい山容をもつ。日本最古の神社とも言われる三輪神社(大神神社)があり大物主神を祀る。◇たづぬる人 仲平を指す。
【補記】傷心のすえ、大和守であった父のもとに移り住もうと決心した時、仲平に書き送った歌。大和国府は三輪山麓にあった。しかもこの山は、古歌に「恋しくはとぶらひ来ませ」と詠まれ、大和国のシンボル的な山でもあるから、歌い起しに用いるには恰好であった。「いかに待ち見む」には、男の訪問へのかすかな期待に縋る心情と、どのように待ち暮らそうとも結局虚しいだろう、との諦念がせめぎあって哀れ深い。

伊勢一.jpg

伊勢/青蓮院宮尊純親王:狩野探幽/慶安元年(1648) 金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

みわの山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば(古今780)

伊勢二.jpg

『三十六歌仙』(伊勢)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

みわの山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば(古今780)

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その二)

鹿下絵和歌巻・宮内卿.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦 (五島美術館蔵)
紙本金銀泥画・墨書/一幅 江戸時代初期・17世紀  縦34.0cm 横87.7cm 

https://www.gotoh-museum.or.jp/collection/col_03/08074_001.html

 絵師俵屋宗達(?~1640頃)が描いたと伝える金銀泥の鹿の下絵に、『新古今和歌集』より選んだ28首の秋の和歌を本阿弥光悦(1558~1637)が書写した、もとは約22メートルに及ぶ一巻の巻物(益田鈍翁〈どんのう〉旧蔵)。現在は断簡となり、前半部は静岡・MOA美術館、東京・山種美術館他、諸家が分蔵、後半部分はアメリカ・シアトル美術館が所蔵する。本品は、雄鹿とそれを振り返る雌鹿を描いた料紙に、宮内卿の和歌(巻第四「秋歌上」365番)を書いた部分。

(周辺メモ・釈文など)

秋濃哥と天よ見ハべ利介る   → 秋の歌とてよみ侍りける
宮内卿            → 後鳥羽院宮内卿
おもふ事左し亭曽禮とハな支物を→ 思ふことさしてそれとはなきものを
秋濃ゆふべを心尓曽ととふ   → 秋の夕べを心にぞ問ふ

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kunaikyo.html

  秋の歌とてよみ侍りける
思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ(新古365)

【通釈】思い悩むことはこれと言ってないのに…。なぜ秋の夕べは何とはなしに物思いがされるのか、我が心に問うてみるのだ。
(宮内卿)
後鳥羽院宮内卿とも。右京権大夫源師光の娘。泰光・具親の妹。母は後白河院女房安藝。父方の祖父は歌人としても名高い大納言師頼。母方の祖父巨勢宗茂は絵師であった。後鳥羽院に歌才を見出されて出仕し、正治二年(1200)、院二度百首(正治後度百首)に詠進。建仁元年(1201)の「老若五十首歌合」「通親亭影供歌合」「撰歌合」「仙洞句題五十首」「千五百番歌合」、同二年(1202)の「仙洞影供歌合」「水無瀬恋十五首歌合」など、院主催の歌会・歌合を中心に活躍した。
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