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「鹿下絵新古今和歌巻」逍遥(その五) [光悦・宗達・素庵]

その五 鴨長明

鹿下絵三.JPG
「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の三「宮内卿・鴨長明」)」(『書道芸術第十八巻本阿弥光悦(中田勇次郎責任編集)』)
鹿下絵和歌巻・鴨長明.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(鴨長明)」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(MOA美術館蔵)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-04-14

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その六)

5 鴨長明:秋かぜのいたりいたらね袖はあらじ唯我からの露のゆふぐれ(MOA美術館蔵)

(釈文)秋可勢濃い多利以多らぬ袖盤安らじ唯我可ら濃霧乃遊ふ久れ

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tyoumei.html

   秋の歌とてよみ侍りける
秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただ我からの露の夕ぐれ(新古366)

【通釈】袖によって秋風が届いたり届かなかったりすることはあるまい。誰の袖にだって吹くのだ。この露っぽい夕暮、私の袖が露ならぬ涙に濡れるのは、ただ自分の心の悲しさゆえなのだ。
【語釈】◇秋風 「飽き」を掛け、恋人に飽きられたことを暗示。秋の夕暮の寂しさに、片恋の悲しみを重ねている。
【『方丈記』の名文家として日本文学史に不滅の名を留める鴨長明であるが、散文の名作はいずれも最晩年に執筆されたもののようで、生前はもっぱら歌人・楽人として名を馳せていたらしい。後鳥羽院の歌壇に迎えられたのは四十代半ばのことであった。当初、気鋭の新古今歌人たちの「ふつと思ひも寄らぬ事のみ人毎によまれ」ている有り様に当惑する長明であったが、その後急速に新歌風を習得していったものと見える。少年期からの長い歌作の蓄積と、俊恵の歌林苑での修練あってこその素早い会得であったろう。『無名抄』には、自己流によく噛み砕いた彼の幽玄観が窺え、興味深い。しかし、彼が文の道で己の芯の鉱脈を掘り当てたのは、家代々の禰宣職に就く希望を打ち砕かれ、いたたまれなくなって御所歌壇を去り、出家してのちのことであった。そしてそれは、歌人としてではなかったのである。】
【『無名抄(鴨長明)』→「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、すずろに涙のこぼるるがごとし。これを、心なき者は、さらにいみじと思はず、ただ眼に見ゆる花・紅葉をぞめではべる。」 】

(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )

【「歌と『鹿』―べたづけの忌避」  鹿が妻恋いのため悲しげに鳴くのは秋である。そこから鹿は秋の季語となり、紅葉や萩とともに描かれるようにもなった。先の崗本天皇の一首も、もちろん秋の雑歌に入れられている。鹿は秋歌二八首を書写する和歌巻の下絵として、きわめてふさわしいことになる。しかも秋歌には、三夕の和歌にみるような夕暮、あるいは月や夜を詠んだものが多いからこの点でも夕暮に鳴く鹿はよく馴染む。
さらに重要なのは、この場合も二八首中に鹿を歌った和歌が一首もないという事実であろう。「心なき」の六首前には、摂政太政大臣の「萩の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半のさおしかの声」があったわけだから、もし光悦がここから書き出したとすれば、べたづけになってしまう。ましてや『新古今和歌集』巻五「秋歌 下」の巻初から始めたとすれば、下絵は歌の絵解き、歌は下絵の説明文になってしまったであろう。「秋歌 下」の巻初から一六首は、これすべて鹿を詠んだ歌だったからである。このような匂づけ的関係にも、光悦と下絵筆者宗達との親密な交流を読み取りたいのである。 】(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)

【(参考)「連歌・連句」の付合(はこび)関連

http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2012_11_03.html

〇連句の付合(運び)の力学の認識について(付く・付かないということ)
「俳諧(連句)は茄子漬の如し、つき過ぎれば酢し。つかざれば生なり。つくとつかざる処に味あり」(根津芦丈)
「連句は付き合った二つの句の間に漂う何物かを各人が味わうものですから、前句と付句があまりピッタリしていては(意味的・論理的に結合されていては)それこそ味も素っ気も出て来ません。・・・発句に対する脇のようなぴったり型の付句ではなく、脇に対する第三のような飛躍型の付句が望ましいのです。」(山地春眠子)
「必然的な因果関係によって案じた句→付け過ぎ(ベタ付け)、偶然的な可能性の高さで案じた句→不即不離、偶然的な可能性の低さで案じた句→付いていない」(大畑健治)
◎要するに、付かず離れず。車間距離ならぬ句間距離の塩梅が連句の付け味の味噌。前二句(前句と打越の句)の醸成する世界から、別の新しい世界を開いていく意識(行為)が「転じ」(連句の付合)ということ。
「むめがゝに」歌仙付合評一覧
初表
1むめがゝにのつと日の出る山路かな 芭蕉(発句 初春)
  (かるみ→おおらかでさらりとした発句)
2 処どころに雉子の啼たつ     野坡(脇 三春)
  (ひびき→発句の「のっと」に「なきたつ」が音調・語感のうえでひびき合う)
3家普請を春のてすきにとり付いて   仝(第三 三春)
  (匂付→雉子の鳴きたつ勇壮で気ぜわしげな気分を、金槌や鋸の音で活気にあふれた普請はじめの心はずむさまで受ける)(変化→発句・脇の山路の景を巧みに山里の人事へと転じた第三らしい展開)
4 上のたよりにあがる米の値    芭蕉(雑(無季))
  (匂付・心付→前句、棟上げの祝いをする農家の景気がよろしきさまに上向きの米相場を付ける)
5宵のうちばらばらとせし月の雲    仝(三秋)
(匂付=移り→前句の物価騰貴の不安の余情の移り)(変化→前句の農家の立場から都会人(江戸町人)の立場へ転換) 】

(「鴨長明」周辺メモ)

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖」(歌合)(その十七)家永朝臣(源家永)と俊恵法師

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-12-31

「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二)「序」その二

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-02-22


「鹿下絵新古今集和歌巻」逍遥ノート(その三)

※①357 おしなべて思ひしことの数々になほ色まさる秋の夕暮れ(摂政太政大臣作?)
(大体において物思いしたことの数々よりもさらに悲しみの色が勝る秋の夕暮れです。)
②358 暮れかかるむなしき空の秋を見て覚えずたまる袖の露かな(摂政太政大臣作?)
(日が沈んで暗くなるころ、ただただ広がる大空の虚しくなる秋の風情を見て、知らず知らずのうちに袖に涙がたまっています。)
③359 もの思はでかかる露やは袖に置くながめてけりな秋の夕暮れ(摂政太政大臣作?)
(物思いをしないでこの様な涙が袖に置くでしょうか。知らず知らずのうちに物思いをしながら秋の夕暮れを眺めていたのですね。)
④360 み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲の夕暮れの空 (前大僧正慈円)
(山路はいつから秋を感じさせる色合いになってるのでしょう。見たことのないような色合いの雲が夕暮れの空に広がってます。)
⑤361 さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ (寂連法師)
(寂しさは色彩的なものではない。常緑樹が並ぶ山の秋の夕暮れも寂しいと感じるのだから。目に見えてどうというわけでもないのです。)
※※⑥362 心なき身にもあわれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ (西行法師)
(世を捨てて出家したはずの我が身にも人生の無常観が身にしみます、秋の夕暮れ時、鴫が羽音を残して飛び立ったあとの静けさよ。)
⑦363 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ (藤原定家朝臣)
(見渡すと、春の桜も秋の紅葉も何もありません。ただ海辺の苫葺(とまぶき)の小屋があるだけの秋の夕暮れのこの寂しい景色よ。)
⑧364 たへてやは思ひありともいかがせむむぐらの宿の秋の夕暮れ (藤原雅経)
(もしあの人に恋慕の思いがあったとしてもどうすることが出来るでしょうか、できません。葎が茂る荒れた庭の秋の夕暮れのもとで。)
⑨365 思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞ問ふ (宮内卿)
(気に病むようなこともさしてこれがそうだというようなものはないのに、秋の夕べはどうして悲しくなるのか自分の心に問いてみます。)
※※※⑩366 秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただわれからの露の夕暮れ (鴨長明)
(秋風がやって来る袖やって来ない袖というのはないのです。ただ自分の責任で袖に涙を置いてしまう夕暮れです。)

(上記の歌の「表記」と「歌意」などは、次のアドレスのものを参考としている。)

http://www.karuta.ca/koten/koten-kan4.html 

 上記の十首は、夕暮れ歌群の「秋の夕暮」十首一連の作として名高い(『鑑賞日本古典文学第17巻 新古今和歌集・山家集・金塊和歌集』所収「新古今和歌集(有吉保稿)」)。
 ここで、「新古今和歌集(有吉保稿)」の、上記の十首の考察について記して置きたい。

【 右の十首一連は、『新古今集』の一応の完成時点である元久二年(一二〇五)三月二十六日竟宴においては④(補入の時期=省略)・⑦(補入の時期=省略)の二首の構成であったと推定される。その場合の構成をみると①②③は三首とも良経作であり、⑤⑥⑧は、前の三首によって創られた寂寞とした心緒に映る秋の夕暮れの点景である。三首ともに、三句切の歌であり、下句はそれぞれ景を異にして、しかも末句が「秋の夕暮」で統一された一群である。⑨⑩は、夕暮れの点景が心に寂寞とした情を起こさせ、物思いに沈める二首であり、次の歌題である「秋思」三首一連に続ける世界である。
次に、④⑦を補入した理由を考えてみると、まず④は、三句切の歌であること、上句の「深山路やいつより秋の色ならん」が、⑤の「その色としもなかりけり」「槇立つ山」を連想させることにおいて、次の歌群への橋渡し役を務めている。しかし、④が補入されることにより、③と⑤⑥⑧とが末句を「秋の夕暮」で終わる統一を乱すことになった。そして、さらに、「いつより秋の色ならん」と暗に、秋の夕暮れの点景を要求することになり、⑤⑥⑧の歌群の再吟味の必要が生じたと思われる。そこで、その歌群の特徴である(イ)三句切、(ロ)下句に景物をもつこと、(ハ)末句が「秋の夕暮」で終わることなどの諸点を条件として選歌されて補入されたのが⑦であったと思われる。⑦が補入されて、⑤―⑧の歌群は、「山」「沢」「浦」という三つの対蹠的世界が輝き、⑧が目立たなくなり、三夕の歌として広く親しまれていったものと思われる。
三夕の歌は、「新古今集竟宴」後に補入されることによって生じた、構築された新古今的美の世界であると思う。竟宴後に補入されることにより、『新古今集』の構成美は磨かれてゆくのであるが、また、それなりに瑕瑾を残すものであった。例えば追加した⑦の歌は、上句において⑤⑥⑧のごとく心緒を述べる面に欠けているのである。だからこそ、元久二年の竟宴後三十余年を経て、隠岐御遷幸の身となった院御自身の手によって成った隠岐本『新古今集』においては、この「秋の夕暮」十首一連の構成は、①③⑤⑥⑧と半減しており、三夕の歌も除棄されている。秋の夕暮れという語を末尾に有し、秋の物悲しさという哀愁を湛えており、孤島生活の院の心に染みる歌ばかりが残されたと思われる。 】(『鑑賞日本古典文学第17巻 新古今和歌集・山家集・金塊和歌集』所収「新古今和歌集(有吉保稿)」)

(再掲)

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「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の一「西行・定家」)」(『書道芸術第十八巻本阿弥光悦(中田勇次郎責任編集)』)
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「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の二「藤原雅経」)」(『書道芸術第十八巻本阿弥光悦(中田勇次郎責任編集)』)
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「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の三「宮内卿・鴨長明」)」(『書道芸術第十八巻本阿弥光悦(中田勇次郎責任編集)』)

 「鹿下絵新古今和歌巻」のこれまでの流れ(上記の「全体図一・二・三」=「西行・定家・雅経・宮内卿・長明」)は、上記の「秋の夕暮」十首一連の作ですると、「※※⑥362(西行)・⑦363(定家)・⑧364(雅経)・⑨365(宮内卿)・※※※⑩366(長明)」ということになる。
 即ち、「鹿下絵新古今和歌巻」のこれまでの流れ(上記の「全体図一・二・三」=「西行・定家・雅経・宮内卿・長明」)の背景には、上記の十首一連の「秋の夕暮」の歌(※①357~※※※⑩366)が横たわっているということになる。
 同時に、これまでの「鹿下絵新古今和歌巻」の画面(上記の「全体図一・二・三」)は、全て「秋の夕暮」の情景となってくる。 
 そして、次の二度目の西行の歌は、「秋の夕暮の情景」から「秋の夜の情景」への「橋渡し」的な役割を有しているということになる。と同時に、この二度目の西行の歌は、「秋の景物」の歌から「秋思」の歌へと転換している歌となって来る。
 なお、上記の「秋の夕暮」十首一連の作の前の歌は、次のものである。

356 荻の葉に吹けばあらしの秋なるを待ちける夜半(は)のさを鹿の声 (摂政太政大臣)
(荻の葉に吹き始めると山風は草木をしおれさせる秋の風となるが、夜、それを待ってたように妻恋いの牡鹿の鳴き声が聞こえてくる。)

 この歌については、上記(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )の「歌と『鹿』―べたづけの忌避」(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)でも紹介されているが、この一首は「秋の夕暮」の歌ではなく、「秋の夜半」の歌で、この「鹿下絵新古今集和歌巻」の表には登場しないが、この歌もまた、この「鹿下絵新古今集和歌巻」の直接的な主題であることは言うまでもない。
 その上で、この「鹿下絵新古今集和歌巻」の「秋の夕暮」十首一連の末尾を飾る「※※※⑩366 秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただわれからの露の夕暮れ」に関連して付した、 
次の鴨長明の『無名抄』の一節は、この「鹿下絵新古今集和歌巻」の揮毫者・光悦の心底に流れているものであろう。

【『無名抄(鴨長明)』→「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、すずろに涙のこぼるるがごとし。これを、心なき者は、さらにいみじと思はず、ただ眼に見ゆる花・紅葉をぞめではべる。」 】
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yahantei

「見立(て)」については、下記のアドレスのものなどが詳しい。
http://doi.org/10.15055/00000928

俳諧と見立て : 芭蕉前後
光田 和伸
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要

 この「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(鴨長明)」の画面の二匹の「雄鹿」の見立ては、鴨長明とその師・俊恵という雰囲気であるが、「秋の夕暮」十首一連の作との関連ですると、鴨長明と摂政太政大臣(藤原良経=九条良経)=摂政太政大臣(十首一連の作のスタートの作者)と鴨長明(そのゴールの作者)との見立てもあろう。
 この「見立て」と「付け合い」とは、「連歌・俳諧」の世界のみならず、「光悦(書)と宗達(画)」とのコラボ的な作品鑑賞においても、応用できるものなのであろう。
 

by yahantei (2020-05-10 08:10) 

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