SSブログ

「鹿下絵新古今和歌巻」逍遥(その六) [光悦・宗達・素庵]

その六 西行法師

鹿下絵四.JPG
「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の四「西行法師・式子内親王」)」(『書道芸術第十八巻本阿弥光悦(中田勇次郎責任編集)』)
鹿下絵・西行二.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(西行法師)」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(サンリツ服部美術館蔵)

6 西行法師:覚束な秋はいかなるゆへのあればすずろに物の悲しかるらん
(釈文)覚束那秋盤い可な類遊へ濃安連半須々ろ尓物濃悲可るらん

(周辺メモ)

https://open.mixi.jp/user/17423779/diary/1965923738

おぼつかな秋はいかなるゆゑのあればすずろにものの悲しかるらん
 西行法師
 秋の歌とてよみ侍(はべり)ける
 新古今和歌集 巻第三 秋歌上 367

「どうもよく分からない。秋はどういうわけがあってこうむやみに物悲しいのであろう。」『新日本古典文学大系 11』p.118

山家集[西行の家集]「秋歌中に」。西行法師歌集。
すずろに=むやみに。「秋思」の歌。

(「西行と俊成」周辺メモ)

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖」(歌合)(その十八)皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)と西行

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-01-05

狩野永納筆「新三十六人歌合画帖」(その十八)入道三品釈阿と西行法師

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-02-17

「鹿下絵新古今集和歌巻」逍遥ノート(その四)

367 おぼつかな秋はいかなる故のあればすずろに物の悲しかるらむ(西行法師)
368 それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしづのをだまき(式子内親王)
369 ひぐらしのなく夕暮ぞ憂かりけるいつもつきせぬ思なれども(藤原長能)


「秋の夕暮」十首一連の作に続く、「秋思」の歌の三首である。この歌題の「秋の夕暮」に続く「秋思」三首一連の流れは、前回に続く「新古今和歌集(有吉保稿)」に因るものである。
 しかし、この「秋思」(そして「春愁」)については、より多く漢詩に由来するもので、「和歌・連歌・俳諧(連句・発句)」においては、その典型的(よく引用される)な例歌・例句は目にしない。
 漢詩には、菅原道真の「秋思詩(秋思の詩)」が名高い。

九月十日(重陽後一日) 菅原道眞
去年今夜待清涼 去年の今夜清涼に待す
 秋思詩編獨斷腸 秋思の詩編(下記=秋思詩)独り断腸
 恩賜御衣今在此 恩賜の御衣今此に在り
 捧持毎日拜餘香 捧持して毎日余香を拝す
秋思詩     ( 菅原道眞)
丞相度年幾樂思 丞相(大臣)年を度(わた)りて幾たびか楽思す
今宵觸物自然悲 今宵物に触れて自然に悲し
聲寒絡緯風吹處 声は寒し絡緯(秋の虫)風吹くの処
葉落梧桐雨打時 葉は落つ梧桐(青桐)雨打の時
君富春秋臣漸老 君(後醍醐天皇)は春秋に富ませたまい臣漸く老ゆ
恩無涯岸報猶遲 恩は涯岸無く報ゆること猶お遅し
不知此意何安慰 知らず此意何の安慰ぞ
酌酒聽琴又詠詩 酒を酌み琴を聴き又詩を詠ず

(上記の漢詩は、次のアドレスなどに因っている。)
http://shomon.livedoor.biz/archives/51879166.html

 ここで、「鹿下絵新古今和歌巻(全体図の四「西行法師・式子内親王」)」を凝視すると、歌は「秋思」の「西行(367)・式子内親王(368)」の二首が揮毫されているのだが、その図柄の二匹の鹿は、「著色(銀泥)」のもの(西行・367)と「線描主体の白い鹿」(式子内親王・368)のものと、明瞭に、その図柄の描写を転回しているものと解したい。
 そして、この「著色(銀泥)」のもの(西行・367)から「線描主体の白い鹿」(式子内親王・368)への転回は、「秋の夕暮」の景(上記の「全体図一・二・三」=「西行・定家・雅経・宮内卿・長明」)から「『秋の夕暮=西行(367)』そして『秋の月光の夜=式子内親王(368)』への転回の図柄」(全体図四)と理解をしたい。
 その上で、前回の「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(鴨長明)」と、今回の「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(西行法師)」とを、並列して鑑賞して見たい。

(再掲)

鹿下絵和歌巻・鴨長明.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(鴨長明)」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(MOA美術館蔵)
鹿下絵・西行二.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡(西行法師)」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(サンリツ服部美術館蔵)

 上記の断簡図(鴨長明))は、「鴨長明とその師・俊恵」若しくは「『秋の夕暮』」十首一連の作のスタート(摂政太政大臣)とゴール(鴨長明)」との見立てと解すると、下段の断簡図(西行法師)は、雄鹿を「西行法師」とすると、もう一匹は雌鹿のようで、とすれば、西行出家(二十三歳時)の理由の一つとされている「失恋説」の相手方(高貴なる女性=待賢門院璋子=西行より十七歳年長)のイメージでもなくはない。
 『西行(高橋英夫著)・岩波文庫』では、その「第二章武門からの出立―略伝(一)」の「悲恋―高貴なる女人」の中で、次の西行の三首を取り上げている。

知らざりき雲居のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは (『山家集』617)
おもかげの忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて(『山家集』621)
嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな(『山家集』)628・「千載集」・「百人一首」)

 そして、この一首目と三首目は、西行が最晩年になって自作を自ら選び、二つの「歌合」を作った『御裳濯河歌合』(「鹿下絵新古今和歌巻」逍遥メモ・その一)と『宮河歌合』(「鹿下絵新古今和歌巻」逍遥メモ・その二)の、その『御裳濯河歌合』(二十八番の「左」と「右」、「判詞=俊成)とが紹介されている。

左(『御裳濯河歌合』二十八番)
知らざりき雲居のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは (『山家集』617)
右(『御裳濯河歌合』二十八番)
嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな(『山家集』)628・「千載集」・「百人一首」)
判詞(『御裳濯河歌合』二十八番=俊成)
左右両首、ともに心すがた、ゆうなり。よき持(じ)とすべし。

【 この「ゆう」は「幽」であり、左右のどちらも「心」「すがた」において深遠にして微妙なものを示している。と俊成は見た。判定は「持」、つまり勝負なしの相い子、引き分けであった。しかも単なる「持」ではなくて「よき持」だというのである。おそらく俊成は、憚りあるをもって公けには語りえない西行の心底を察したのにちがいない。西行がこの二首を自歌合に組んだ衷情を心の中にのみこんで、「よき持とすべし」といたわったのではなかったか。
父、俊成が察したものを、子・定家は『小倉百人一首』の選定において再現したかのように感じられる。「知らざりき雲居のよそに見し月の……」では「雲居」という語がすでに「宮中」を暗示しているが、これに対して「嘆けとて月やはものを思はする……」ではすべてが包み隠されている。読み取れるのは、恋に発したものであるらしい「嘆き」の「涙」であり、情景の中に浮んで見えるのは、空の「月」である。通じない月、ただそれだけである。この歌の「月」は、言外に「雲居のよそに見し月」と等しいといえるにちがいない。  】(『西行(高橋英夫著)・岩波文庫』)
nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:アート

nice! 1

コメント 2

yahantei

「西行の出家」については、下記のアドレスが参考になる。

http://www.intweb.co.jp/saigyou/syukke3.htm

 そこで、待賢門院璋子については、(岩波新書「西行」高橋秀夫著) の下記を引用している。

「待賢門院璋子は人間として女性的魅力にすこぶる富んだ人物だったらしい。彼女が落飾(高貴な女性の出家)後に住んだ法金剛院に伝わっている肖像ば、尼として白衣をかづき、手に数珠をもった姿で描かれているが、ふっくらとして柔らかな雰囲気を漂わせている。とはいえ、これは男関係では、とかくの風評につきまとわれた女人に他ならない。彼女の立場は、「治天の君」白河の崩後は衰退し、さらに鳥羽上皇が長承二年(1133)藤原長実の女得子(後の美福門院)を後宮に入れるにいたってさらに後退してゆく。西行は、すでに記したように、徳大寺家とのかかわりで待賢門院に接しうる立場にあった。西行に「悲恋」があったとすれば、その「悲」の中には、時の流れによって衰退の定めを負った女人の悲哀に波長を合わせざるを得なかった部分も含まれていたといってよい。」

 これは、「第二章 武門からの出立」の「グレート・マザー」(神話的女性)からの引用なのであるが、この「グレード・マザー」に関連して、『本阿弥行状記記』に出てくる「光悦の母(妙秀)」がグレード・マザーで、待賢門院と西行、妙秀と光悦との関係というのは、上記の引用文と多くの関わりがあるように思われる。
by yahantei (2020-05-12 13:53) 

yahantei

 上記の「待賢門院と西行」そして「妙秀と光悦」との関係というのは、上記の記述で行くと、「待賢門院と西行」との関係のように、「妙秀(母)と光悦(子)」との関係も理解されやすが、そういうことではなく、この「グレート・マザー」(影響力の強いマザー)に、この二人の天才(西行と光悦)の生涯が決定付けられているような印象を受けるというのが、上記の記述ポイントなので付記して置きたい。
 『日本の美術№460光悦と本阿弥流の人々』の「鼎談 江戸文化をコーディネートした光悦」(渡辺憲司・田中優子・河野元昭)では、「マザコン」という表現で、さらに、「宗教と芸術」との「緊張関係」に言及されているが、それらの背景があることは、付記して置きたい。
by yahantei (2020-05-12 16:49) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。