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源氏物語画帖「その四十二 匂宮」(光吉筆:京博本)周辺 [源氏物語画帖]

42 匂宮(長次郎筆) =(詞)花山院定煕(一五五八~一六三九)   薫14歳-20歳

長次郎・匂宮.jpg

源氏物語絵色紙帖  匂兵部卿宮  画・長次郎
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html

花山院・匂宮.jpg

源氏物語絵色紙帖  匂兵部卿宮  詞・花山院定煕
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/db/index.html

(「花山院定煕」書の「詞」)

https://matuyonosuke.hatenablog.com/entry/2019/04/15/%E5%8C%82%E5%85%B5%E9%83%A8%E5%8D%BF_%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%86%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B6%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86_%E5%8C%82%E5%AE%AE_%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%86%E3%81%BF%E3%82%84

例の左あながちに勝ちぬれは例よりはとくこと果てて大将まかでたまふ兵部卿宮常陸宮后腹の五の宮と一つ車に招き乗せたてまつりてまかでたまふ宰相中将は負方にて音なくまかでたまひにける
(第二章 薫中将の物語 第七段 六条院の賭弓の還饗)

(周辺メモ)

http://www.genji-monogatari.net/

第四十二帖 匂兵部卿
 第一章 光る源氏没後の物語 光る源氏の縁者たちのその後
  第一段 匂宮と薫の評判
  第二段 今上の女一宮と夕霧の姫君たち
  第三段 光る源氏の夫人たちのその後
 第二章 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格
  第一段 薫、冷泉院から寵遇される
  第二段 薫、出生の秘密に悩む
  第三段 薫、目覚ましい栄達
  第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う
  第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格
  六段 夕霧の六の君の評判
  第七段 六条院の賭弓の還饗

(「三藐院ファンタジー」その四十二)

かぶき公家供揃図.jpg

「かぶき公家供揃図」(古田織部美術館蔵)
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=3461

http://jarsa.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/e7517-flyer.pdf

http://sengokudama.jugem.jp/?eid=4895
【 江戸初期の慶長年間(1596-1615)、京ではかぶき(傾き)者(いたずら者)の文化が一世を風靡していました。なかでも、「かぶき手の第一」(『当代記』)といわれたのが、織田信長の甥・織田左門頼長(道八)です。また、公家の世界では、「天下無双」の美男と称され、ファッションリーダーでもあった猪熊少将教利、彼と親しかった烏丸光広などの若い公家たちの行動が「猪熊事件」へと発展します。さらに、「天下一」の茶人だった古田織部が好んだ、奇抜で大胆な意匠の茶器や斬新な取り合わせも、数寄の世界でかぶきの精神を表現したものといえるでしょう。本展では、織部好みの茶器や刀、織田頼長の書状、猪熊事件に連座した公家衆の直筆短冊などの品を通して、かぶいた武士・公家衆の人物像を探ります。 

※「光源氏」になぞらえた京のファッションリーダー猪熊少将の「猪熊様」と言われた髪型をついに解明! → 「かぶき公家供揃図」には、月代(さかやき)を大きく剃った大額(おおひたい)に茶筅髷(まげ)、襟足を伸ばして立てるという異風の髪型の公家が描かれているが、これが「猪熊様(よう)」と推定されます。

※猪熊教利の父・兄弟
□ 38 和歌懐紙 「春日同詠遐齢如松」 四辻季満(1566~1608)筆 江戸時代初期
○ 39 和歌小色紙 「おくやまの」 四辻季継(1581~1639)筆 川勝宗久極札 江戸時代前期
□ 40 和歌短冊 「早梅」 高倉(薮)嗣良(1593~1653)筆 江戸時代前期
○ 41 表八句 断簡 「賦山何連歌」 曼殊院宮良恕法親王(東)・高倉(薮)嗣良・甘露寺時長・勧修寺経広・岩倉具起・覚阿上人他

※猪熊事件連座の若公家衆
□ 45 和歌懐紙 「春日詠花色映月」 烏丸光広(1579~1638)筆 江戸時代初期
○ 46 和歌懐紙 「林葉漸紅」「雲浮野水」 烏丸光広 筆 江戸時代初期
47 烏丸光広好 吉野絵 錫棗 江戸時代前期
□ 48 和歌短冊 「明暮に」 花山院忠長(1588~1662)筆 古筆了栄極札 江戸時代初期
□ 49 和歌短冊 「ぬれてほす」 花山院忠長 筆 朝倉茂入極札 江戸時代初期
○ 50 書 状 (年未詳)七月二十九日付・津軽信義宛 花山院忠長 筆 江戸時代前期
○ 51 和歌短冊 「湖上花」 飛鳥井雅賢(1585~1626)筆 江戸時代初期
□ 52 和歌短冊 「暁神祇」 難波宗勝(1587~1651)筆 江戸時代初期
□ 53 和歌短冊 「花を散さぬ風」 難波宗勝 筆 藤本了因極札 江戸時代初期
○ 54 和歌短冊 「聞恋」 飛鳥井雅胤(難波宗勝)筆 京古筆家極札 江戸時代前期
○ 55 和歌短冊 「玉嶋河」 飛鳥井雅宣(難波宗勝)筆 江戸時代前期

猪熊事件連座の女官の父
□ 56 和歌懐紙 「春日同詠鶯是万春友」 広橋兼勝(1558~1623)筆 江戸時代初期
○ 57 和歌短冊 「梅留客」 広橋兼勝 筆 京古筆家極札 江戸時代初期
□ 58 和歌短冊 「開路雪」 中院通勝(1556~1610)筆 江戸時代初期
○ 59 和歌短冊 「初冬暁」 水無瀬氏成(1571~1644)筆 江戸時代前期    】
(「かぶき者―織田頼長と猪熊教利―(古田織部美術館蔵・宮帯出版社 )」「後期展は(2017)5月14日(日)まで。春季展『古田織部と慶長年間のかぶき者』(古田織部美術館様)」 )

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2021-04-23

【猪熊事件(いのくまじけん)は、江戸時代初期の慶長14年(1609年)に起きた、複数の朝廷の高官が絡んだ醜聞事件。公家の乱脈ぶりが白日の下にさらされただけでなく、江戸幕府による宮廷制御の強化、後陽成天皇の退位のきっかけともなった。(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

公家衆への処分
慶長14年(1609年)9月23日(新暦10月20日)、駿府から戻った所司代・板倉勝重より、事件に関わった公卿8人、女官5人、地下1人に対して以下の処分案が発表された。

死罪    
左近衛少将 猪熊教利(二十六歳)
牙医 兼康備後(頼継)(二十四歳)

配流《年齢=発覚時=慶長十四年(一六〇九)時(『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男著)』》
左近衛権中将 大炊御門頼国《三十三歳》→ 硫黄島配流(→ 慶長18年(1613年)流刑地で死没)
左近衛少将 花山院忠長《二十二歳》→ 蝦夷松前配流(→ 寛永13年(1636年)勅免)
左近衛少将 飛鳥井雅賢《二十五歳》→ 隠岐配流(→ 寛永3年(1626年)流刑地で死没)
左近衛少将 難波宗勝《二十三歳》→ 伊豆配流(→ 慶長17年(1612年)勅免)
右近衛少将 中御門(松木)宗信《三十二歳》→ 硫黄島配流(→ 流刑地で死没)

配流(年齢=発覚時=慶長十四年(一六〇九)時=下記のアドレスの<女房一覧 桃山時代 106代正親町天皇―107代後陽成天皇>)
新大典侍 広橋局(広橋兼勝の娘)<二十歳?>→伊豆新島配流(→ 元和9年9月(1623年)勅免)
権典侍 中院局(中院通勝の娘)<十七歳?>→伊豆新島配流(→ 元和9年9月(1623年)勅免)
中内侍 水無瀬(水無瀬氏成の娘)<?>→ 伊豆新島配流(→元和9年9月(1623年)勅免)
菅内侍 唐橋局(唐橋在通の娘)<?>→ 伊豆新島配流(→元和9年9月(1623年)勅免)
命婦 讃岐(兼康頼継の妹)<?>→ 伊豆新島配流→ 元和9年9月(1623年)勅免)

恩免《年齢=発覚時=慶長十四年(一六〇九)時(『洛中洛外図・舟木本を読む(黒田日出男著)』》
参議 烏丸光広《三十一歳》
右近衛少将 徳大寺実久《二十七歳》       】

https://ameblo.jp/kochikameaikouka/entry-11269980485.html

【※広橋局と逢瀬を重ねていた公家は花山院忠長です。
※中院仲子については烏丸光広との密通を疑われた、と言われています。  】

https://toshihiroide.wordpress.com/2014/09/18/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E9%99%A2%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%85%EF%BC%881%EF%BC%89/

【権典侍中院局の兄で正二位内大臣まで上り詰めた中院通村(なかのいん・みちむら)が、後水尾帝の武家伝奏となって朝幕間の斡旋に慌ただしく往復していたころ、小田原の海を眺めつつ妹の身を案じて詠んだ歌がある。
  ひく人のあらでや終にあら磯の波に朽ちなん海女のすて舟
 一首は「私の瞼には、捨てられた海女を載せて波間を漂う孤舟が浮かぶ。いつの日か舟をひいて救ってくれる人が現れるであろうか。それとも荒磯に打ちあげられて朽ちてしまうのか。かわいそうに可憐な妹よ、私はいつもお前のことを憂いているのだよ」と。】

https://tracethehistory.web.fc2.com/nyoubou_itiran91utf.html

<女房一覧 桃山時代 106代正親町天皇―107代後陽成天皇>)


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yahantei

http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail31/id=3848

源氏物語と「匂宮」(川村清夫稿)

【 源氏物語は主人公の光源氏亡き後、第42帖「匂宮」から最後の第54帖「夢浮橋」まで、薫、匂宮、浮舟が主人公をつとめる、The Tale of Genji: the Next Generationと呼べる物語に代わる。もはや光源氏のような人並外れたプレイボーイ貴族は登場しない、現実の平安貴族の身の丈に合った恋愛物語に移行するのである。

 「匂宮」の冒頭には、光源氏亡き後の平安宮廷には、彼ほどの器量の男性貴族はいないありさまが書かれている。大島本の原文、渋谷栄一の現代語訳、ウェイリーとサイデンステッカーの英訳の順に見てみよう。

(大島本原文)光隠れたまひにし後、かの御影に立ちつぎたまふべき人、そこらの御末々にありがたかりけり。

(渋谷現代語訳)光源氏が御隠れになって後、あのお輝きをお継ぎになるような方、大勢のご子孫方の中にもいらっしゃらないのであった。

(ウェイリー英訳) Genji was dead, and there was no one to take his place.

(サイデンステッカー英訳)The shining Genji was dead, and there was no one quite like him.

 ウェイリーもサイデンステッカーも、光源氏亡き後のありさまを、簡潔に、思い入れのかけらもない翻訳をしている。

 源氏物語の新たな主役となった薫は、おもてむきは光源氏と女三宮の子息ということになっているが、本当は柏木と女三宮の子息であった。薫は冷泉院と秋好中宮にかわいがられて官位の昇進が早かったのだが、自分の出生に疑問を持っていた。ところが彼のまわりには出生の秘密を打ち明けてくれる者がおらず、薫は恋愛に消極的な、引っ込み思案の性格の貴公子になったのである。

(大島本原文)
「おぼつかな誰れに問はましいかにして
 初めも果ても知らぬわが身ぞ」

いらふべき人もなし。ことに触れて、わが身につつがある心地するも、ただならず、もの嘆かしくのみ、思ひめぐらしつつ、「宮もかく盛りの御容貌をやつしたまひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむきたまひけむ。かく、思はずなりけることの乱れに、かならず憂しと思しなるふしありけむ。人もまさに漏り出で、知らじやは、なほ、つつむべきことの聞こえにより、我にはけしきを知らする人のなきなめり」と思ふ。

(渋谷現代語訳)
「はっきりしないことだ、誰に尋ねたらよいものか
 どうして初めも終わりも分らない身の上なのだろう」

 答えることのできる人はいない。何かにつけて、自分自身に悪いところがある感じがするのも、気持ちが落ち着かず、何か物思いばかりがされ、あれこれ思案して、「母宮もこのような盛りのお姿を尼姿になさって、どのような御道心からか、急に出家されたのだろう。このように、不本意な過ちがもとで、きっと世の中が嫌になることがあったのだろう。世間の人も漏れ聞いて、知らないはずがあろうか。やはり、隠しておかなければならないことのために、わたしには事情を知らせる人がいないようだ」と思う。

(ウェイリー英訳)
“Who, who will rid me of my doubts? For groping now I know not whither I am carried nor whence into this would I came.”

But there was none to answer him.
He was constantly oppressed by a feeling of insecurity. He would turn the matter over and over in his mind, and just when he was half-convinced that his suspicions were in reality ungrounded, it would occur to him, for example, that his mother’s sudden retreat from the world just when she was looking her best was not likely to have been dictated solely by an access of religious feeling. Such actions were far more often the sequel to some scandal or disastrous entanglement. If anything of this kind had occurred there must be someone besides Nyosan who knew about it, and the fact that he had, no doubt quite deliberately, been left in such complete ignorance, only showed how unpalatable to him the real facts were judged to be.

(サイデンステッカー英訳)
“Whom might I ask? Why must it be
 That I do not know the beginning or the end?”

 But of course there was no one he could go to for an answer.
These doubts were with him most persistently when he was unwell. His mother, taking the nun’s habit when still in the flush of girlhood – had it been from a real and thorough conversion? He suspected rather that some horrible surprise had overtaken her, something that had shaken her to the to the roots of her being. People must surely have heard about it in the course of everyday events, and for some reason had felt constrained to keep it from him.

 薫の和歌は、ウェイリーよりサイデンステッカーの方が簡潔で正確な翻訳をしている。薫の心境「つつがある心地」に関しては、サイデンステッカーがunwellとしたのは誤訳で、ウェイリーのfeeling of insecurityの方が正しい。それ以降は、サイデンステッカーの翻訳の方が簡潔でわかりやすい。

 薫の消極的な性格は、第42帖以降の源氏物語で、彼に恋愛の不首尾と、浮舟に災難をまねくことになるのである。】
by yahantei (2021-07-27 09:36) 

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