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「西洋人(シーボルト)」と「日本人(川原慶賀)」らの「江戸参府」紀行(その六) [シーボルト・川原慶賀そして北斎]

(その六)「下関から室津上陸」周辺

室の滞在.gif

『シーボルト 江戸参府紀行(呉秀三訳注・昭和三年刊・駿南社)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/

(再掲)

16  3/2  1/24 晴 下関出帆  
17  3/3  1/25 晴 船中 夜風強まり屋代島の近くに舟をつなぐ
18  3/4  1/26 晴 屋代島の東南牛首崎に上陸・象の臼歯化石発見・三原沖に停泊
19  3/5  1/27 晴 船中 水島灘・阿伏兎観音・琴平山・内海の景観・日比に停泊
20  3/6  1/28 晴 早朝上陸 日比の塩田と製塩法
21  3/7  1/29 晴 日比-室津上陸 室のホテル(建築様式・家具など)
22  3/8  1/30 晴 室滞在 室の付近について・娼家・室明神・室の産物
(室から大阪への陸の旅)
23  3/9  2/1 晴、夜雪 室-姫路 肥料・穢多・非人・大名の献上品など
24  3/10  2/2 雪 姫路-加古川 高砂の角力者の招待
25  3/11  2/3 晴 加古川-兵庫 敦盛そば・兵庫の侍医某来訪
26  3/12  2/4 晴 兵庫-西宮 楠正成の墓・生田明神
27  3/13  2/5 吹雪 西宮-大坂  

上関・日比.gif

『日本』に掲載されている「上関の港(上図)・日比の製塩所(下図)」(Nippon Atlas. 5-p21)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD820&bibid=1906469#?c=0&m=0&s=0&cv=16&r=0&xywh=-94%2C485%2C3901%2C4358

室の明神.gif

『日本』に掲載されている「神社(上図)・室明神の社(下図)」(Nippon Atlas. 5-p22)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD820&bibid=1906469#?c=0&m=0&s=0&cv=21&r=0&xywh=396%2C1022%2C2709%2C3026

≪ 三月二日 〔旧一月二四日〕 

 八時ごろ、われわれは西風をうけて出帆し、潮流に援けられ速い速力でファン・デル・カベレン海峡を通過する。
 満珠島の沖合で九州の田野浦に対し南から南二分の一南〔南二分の一東の誤りであろう〕に向けて舵をとり、江崎〔今日の部崎か〕を南45度東、本山岬(MOTOJAMA)を南75度東に望む。これらふたつの岬と、満株・干株というふたつの小さい島は、海峡に船を進める場合には頼りになる目標である。
正午ごろ九州の東北端を認め、御崎の沖合で太陽の高度を計った。これによると、われわれは北緯33度53分にいたのである。
 ここには多数の大小の島々が散在する水路がひらけ、日本の三つの主要な島、すなわち、日本〔本州〕・九州および四国に取り囲まれ、東北の方向に約60地理学的マイルにわたり、北緯33度一13から34度50分、グリニッチ東経130度52分15秒から135度25分の間にひろがっている。
三つの入口がこの島の多い内海に通じている。西にあるのがファン・デル・カベレン海峡、南にあるふたつのうち西にあるものを、タスマン海峡〔現在の豊予海峡〕、東にあるのをリンスホーテン海峡〔今は紀州海峡というを注しているが紀淡海峡のことであろう〕という。
 この内海に散在する島嶼(とうしょ)・岩塊・岩礁・浅瀬の数は非常に多い。幕府の天文家高橋作左衛門の言によれば、 その数は1000以上に達するという。これらは皆知られてい、われわれがヨーロッパヘ持ち帰った日本の地図や海図に挙げられいている。
 日本人はこの広々とした多鳥海を三つの灘あるいは海域に分けている。すなわち、
  周防灘(SUWO‐NADA)
  水島灘(MISIMA‐NADA)
  および
  播磨灘(HARIMA‐NADA) である。

 第一のは周防領から名づけ、最後のは播磨領から名をとっているが、中の灘は三島から名をつけたもので、三島というのは甘い水〔淡水〕の出る島の意味である。
この海域を形成している海岸の地形ははなはだ不規則で、ある所では細長い岬となり、険しい前山となって海峡に向かって突出し、ある所では入り込んで湾や入江となっている。
 周囲の大きい島々は、海岸と海岸の間に横に広がって無数の海峡を形成し、そのため外国船にとってはこの迷路を通って危険な航海をすることは今日まで不可能であったけれども日本の船乗りはこの水路に精通しているので、われわれはすっかり任せておいても安心である。ヨーロッパの船舶が、もしこの海に船を乗り入れようとするならば、航行の際に比較的大きな日本の船をいちぱん確かな水先案内人として目を離してはならない。
 すなわち数世紀以来日本の商船のために航路が開かれていて、内海の東端にこの国最大の商業都市大坂が位する。われわれが持っている海図にはこの主要航路と同様に小舟のための狭い水路・港の入口などが詳しく記されている。最も注目すべき島嶼ならびに地点は旅行の行き帰りの際にお知らせすることにする。…… 
 午後に偉高地を東南から東に望む。四国の伊予ならびに土佐領の山々である。内海の南の入口を示している姫島〔大分県国東半島北方紺5キロ〕の位置は南23度東、それからまもなく佐田岬の低く細長い半島〔佐田岬半島を四国の西海岸に認める。その半島は九州の東海岸にある関崎〔佐賀関半島〕と見たところひとつになっているようであるが、内海の入口は約三里の幅がある。
 下関ら17里はなれているという向島〔山ロ県防府市の南〕・野島〔向島の東南約10キロ〕・笠間島〔徳山市南方の笠戸島であろう〕のかたわらを過ぎ、タ方には航路を東北から東の長島に向け、上関〔長島にある村〕と室津の間の海峡を通過した。
この海峡は島の北端と周防の南角の間にある。われわれは10時まで帆をあげたままにし、沖家室と屋代島〔柳井市の東で大島ともいう〕の牛の首崎の間に錨を降ろす。やっと数隻の船の長さしかない上関の海峡は南42度東にある。
われわれの真前には平郡島がある。右舷には横島・秋島・八島および宇和島などの島々がある。潮流は速く、船が通過する際に南72度東に針路をとるのは、南に流れがちな潮流のため右舷にある岩に打ち当たらないためである。≫(「山梨県歴史文学館 山口素堂とともに」:『江戸参府紀行(シーボルト著・斎藤信訳、東洋文庫87:平凡社)』)


(追記)「日本の知識への寄与」(フイッセル著・アムステルダム)周辺「(日文研データベース)その四

https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/book/000153338/

日本のアルファベット.jpg

≪被写体:いわゆる片仮名文字による日本のアルファベット
掲載書:日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」
編集者名:フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)
年代:1833 
第2章(88ページ)は学問と言語を扱い、かな文字の一覧図が掲載されています。ここでは日本語の考察に特に力が入れられており、ドゥーフ(Hendrik Doeff, 1777-1835)がフランソワ・ハルマ(François Halma, 1653-1722)による蘭仏辞書を基礎として作成した蘭和辞書ドゥーフ・ハルマも賞賛しながら紹介しています(92ページ)。また、100ページからは、オランダ語とアルファベットで表記した日本語とを併記した会話帳も収録しています。    ≫
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/ja/detail/?gid=GE011004&hid=55&thumbp=

 『東洋文庫326 日本風俗備考1(庄司三男・沼田次郎:訳注)』では、「Ⅱ科学 付:日本語構文法」と題する第2章の「扉絵」として、この図が紹介されている。

長崎屋宴会図.jpg

桂川甫賢筆『長崎屋宴会図』(文政5年、1822年)
長崎屋番外編(2)
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=916

 この図の、左端の「和装の正装で頭巾を被っている男」が、「プロムホム・フイッセル」の「江戸参府」(1822)時の、「オランダ商館長(カピタン)」・「157代(149代)、※ヤン・コック・ブロンホフ」である。
 そして、その右手前の、「和装の正装のザンバラ髪の男」が、この時の「江戸参府」の実質的な切り盛りをした、そして、後に、『日本風俗備考−原題「日本国の知識への寄与」』を著した、「フィッセル(フィスヘル)/(Overmeer Fisscher, J. F. van)」その人ということになる。

長崎屋宴会図2.jpg

桂川甫賢筆『長崎屋宴会図』(文政5年、1822年)
長崎屋番外編(2)
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=916

 これらの「桂川甫賢筆『長崎屋宴会図』(文政5年、1822年)」については、下記のアドレスで触れている。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-06-26

(再掲)

(参考その二)

「桂川甫賢筆長崎屋宴会図について(著者・松田清) 雑誌名・神田外語大学日本研究所紀要12 p 234-170 発行年2020-03-30」
URL http://id.nii.ac.jp/1092/00001662/

【はじめに (略)
第1 章 文政5 年以前の長崎屋図 (略)
第2 章 桂川甫賢筆長崎屋宴会図 (抜粋)

桂川甫賢筆 長崎屋宴会図.gif

図14 桂川甫賢筆 長崎屋宴会図 神田外語大学附属図書館蔵
第3 章 仮装宴会の企画と演出  (略)  
おわりに ―長崎屋宴会図の由来― (略)   】
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