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川原慶賀の世界(その十四) [川原慶賀の世界]

(その十四)「川原慶賀の長崎歳時記(その六)七夕の節句(笹の節句)」周辺

『NIPPON』 第1冊図版(№179)「七夕」(A図).gif

『NIPPON』 第1冊図版(№179)「七夕」(A図) 福岡県立図書館/デジタルライブラリー
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html

七夕(B図).gif

●作品名:七夕(B図) 「シーボルト・コレクション」
●Title:Tanabata (Star Festival) July
●分類/classification:年中行事、7月/Annual events
●形状・形態/form:紙本墨画、冊子/drawing on paper, album
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden

七夕(C図).jpg

●作品名:七夕(C図) 「シーボルト・コレクション」
●Title:Tanabata(Star Festival), July
●分類/classification:年中行事・7月/Annual events
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite//target/kgdetail.php?id=1258&cfcid=142&search_div=kglist
絹本着色 27.4×36.6㎝
(『川原慶賀展―幕末の『日本』を伝えるシーボルトの絵師(「出品目録№12」)

七夕(D図).jpg

●作品名:七夕(D図) 「フイッセル・コレクション」
●Title:Tanabata(Star Festival), July
●分類/classification:年中行事・7月/Annual events
●形状・形態/form:紙本彩色、めくり/painting on paper, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite//target/kgdetail.php?id=1258&cfcid=142&search_div=kglist
紙本著色 30.5×40.0㎝
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「出品目録№6」)

七夕(E図).jpg

●作品名:供琴、七夕(E図) 「ブロムホフ・コレクション」
●Title:Tanabata(Star Festival), July
●分類/classification:年中行事・7月/Annual events
●形状・形態/form:紙本彩色、めくり/painting on paper, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite//target/kgdetail.php?id=969&cfcid=142&search_div=kglist
紙本著色 26.0×38.0㎝
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「出品目録№24」)
『 7月6日(旧暦)は七夕様の待夜(たいや)といって、芸事を習う家ではこの夜それぞれの楽器を七夕様にお供えして芸の上達を願うという風習があった。長崎歳時記に次のように記している。
夜にいたりて机子(つくえ)に鏡餅、素麺、西瓜などを供し、燈(ともしび)を点して乞功奠(きっこうてん)とす。 』
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「主要作品解説」)

「シーボルト・コレクション」の「七夕(B図)」(紙本墨画)も「七夕(C図)」(絹本彩色)も「川原慶賀(又は慶賀工房)」作のもので、大まかには「川原慶賀」筆としても違和感は抱かない。
そして、『NIPPON』 第1冊図版(№179)「七夕」(A図)は、この「七夕(B図)」(紙本墨画)と「七夕(C図)」(絹本彩色)との両者の上に成り立った「石販挿絵画」(西洋人作)という印象を抱くのである(全体の構図や風景描写は「B図」を基本として、人物の構図や描写は「C図」で修正している)。
 その上で、「シーボルト・コレクション」の「七夕(C図)」(絹本彩色)と「フイッセル・コレクション」の「七夕(D図)」(紙本本彩色)とを比較鑑賞していくと、この中景の「一階の格子戸の背景が、左図(D図)に人影があるのに対して、右図(C図)では、その人影が全く見られない。
 これは、下記のアドレスで触れた、「葛飾北斎」のゴーストライターともいわれている、北斎の三女「葛飾応為」(名は「栄」)の、川原慶賀が大きく影響を受けている、その「吉原格子先之図」の、その「光と影」(「光と影、明と暗を強調した応為の創意工夫)が、この「シーボルト・コレクション」の右図(C図)では度外視されているのである。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-09-27

七夕(C図)と(D図).png

左図=「フイッセル・コレクション」の「七夕(D図)」(紙本本彩色)
右図=「シーボルト・コレクション」の「七夕(C図)」(絹本彩色)

 この左図の「フイッセル・コレクション」の「七夕(D図)」(紙本本彩色)は、上記のアドレスで取り上げた「節分」(豆まき)に関連しての、川原慶賀の傑作画に数えられる、「川原慶賀筆「青楼」紙本著色 25.3×49.2 ライデン国立民族学博物館蔵(「ブロムホフ・コレクション」)に連なるのと解したい。
 それを再掲して置きたい。

(再掲)

川原慶賀筆「青楼」(E図).jpg

川原慶賀筆「青楼」紙本著色 25.3×49.2 ライデン国立民族学博物館蔵(「ブロムホフ・コレクション」) The Nagasaki gay quarter (E図)
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「出品目録№87」)
『あかあかと明かりのついた遊郭を、通りに視点を置いて描いている。格子越しに見える内部、それを表からのぞいてひやかす客たち、二階には三味を弾かせ太鼓を叩いて陽気に騒ぐ客、提燈を持って通りを行き交う人々、そば屋、これらの人々が生き生きと描写されている。そして、本図で最も注意すべきことは、夜の人工的な光の錯綜を見事に捉えていることである。室内はろうそくの明かりで照らし出され、その室内の光は外にもれて通りの人々が持つ提燈の光とともに複雑な影を地面に作り出している。
 妓楼格子先を表した図は多く見ることができるが、本図ほど光と影を意識して描かれたものはないのではなかろうか。その点だけでも、本図を描いた慶賀を日本の近代絵画の先駆者として位置づけることができるであろう。(兼重護稿)』(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「主要作品解説」)

 次に、「ブロムホフ・コレクション」の「供琴、七夕(E図)」(紙本彩色)であるが、これはまた、「フイッセル・コレクション」の「七夕(D図)」(紙本本彩色)でも、「シーボルト・コレクション」の「七夕(C図)」(絹本彩色)の世界でもなく、これまた、「川原慶賀」の別な世界を垣間見せてくれる。
 そして、これもまた、「葛飾応為の美人画」の世界(下記のF図など)を、その「光と影」の世界と同じく、慶賀は、応為から、その技法を学び取ろうしている姿勢が、この「供琴、七夕(E図)」の拡大図(E-2図)などから窺えるように思えるのである。

「供琴、七夕(拡大図)」(E-2図).jpg

「供琴、七夕(拡大図)」(E-2図)川原慶賀筆(「ブロムホフ・コレクション」)

「『女重宝記』四「女ぼう香きく処」(葛飾応為筆)」(F図).gif

「『女重宝記』四「女ぼう香きく処」(葛飾応為筆)」(F図)
https://hokusai-museum.jp/taiketsu/

(参考) 酒井抱一筆「五節句図」の「乞巧奠」と川原慶賀筆の「乞巧奠」「(「供琴・七夕」)
周辺

酒井抱一筆「五節句図」.jpg

酒井抱一筆「五節句図」(「大倉集古館」蔵)→ (G図)
左より「重陽宴 - 菖蒲臺 - 小朝拝 - 曲水宴 - 乞巧奠」
五節句: 小朝拝(1月1日)・曲水宴(3月3日)・菖蒲臺(5月5日)・乞巧奠(7月7日)・「重陽宴(9月9日)それぞれを1幅ずつ描いた5幅からなる連作。」
http://kininaruart.com/wp/2013/05/%E5%A4%A7%E5%80%89%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%B2%BE%E8%8F%AF%E2%85%A0%E3%80%80%E9%85%92%E4%BA%95%E6%8A%B1%E4%B8%80%E3%81%AE%E3%80%8E-%E4%BA%94%E7%AF%80%E5%8F%A5/

「五節句より『重陽宴(ちょうようのえん)- 菖蒲臺・輿 (あやめのだい・こし)- 小朝拝(こちょうはい) - 曲水宴(ごくすいのえん) - 乞巧奠(きっこうでん)』
1827(文政10)年 絹本着色 五幅対
『小朝拝(1月1日)・曲水宴(3月3日)・菖蒲臺(5月5日)・乞巧奠(7月7日)・「重陽宴(9月9日)の五節句の宮中行事を五幅の掛軸に表した作品。端正な人物像は抱一晩年の円熟した画風を象徴する。行事の由来を抱一自身が美麗な冊子に記し、室町時代中期の公家、一条兼良(かねら)の『公事根源(くじこんげん)』を典拠とすることも付記されている。注文主鴻池儀兵衛(こうのいけぎへい)やその手代に充てた書簡もともに伝来している。(岡野智子稿)」(『別冊太陽 江戸琳派の粋人 酒井抱一』)

 酒井抱一(1761-1828)と葛飾北斎(1760?-1849)とは、全く同時代の人なのである。そして、川原慶賀(1786-1849)と葛飾応為(生没年未詳)とは、シーボルト事件(1828)前後に、その画業の制作が盛んな頃で、この二人も同時代の人と捉えることができる。
 ここで、このシーボルト事件(1828)が起きた年の十一月二十九に、抱一は雨華庵で、その六十八年の生涯を閉じている(北斎=六十九歳)。その前年(1827)に、抱一は、上記の「五節句図」(「大倉集古館」蔵)を制作している。
 この「五節句図」は、抱一の遺作ともいえるものの一つで、江戸琳派の祖と仰がれている抱一が、その琳派(尾形光琳風)の古典人物像の描写(ユニークな表情を特徴とする)ではなく、「建物も人物も細かく謹直な線描で描かれている、特に顔は、やまと絵の伝統的な「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」を明らかに意識した精緻な描写である」(「岡野・前稿)と、「やまと絵(土佐派・住吉派)」への回帰をも暗示している。
 この画人としてのスタートは、北斎と同じく、浮世絵(特に「美人画」)の世界なのである。
 これらのことについては、下記のアドレスで紹介している。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-01-20

抱一 村雨図.jpg

酒井抱一「松風村雨図」(細見美術館蔵)→ (H図)
「『松風村雨図』は浮世絵師歌川豊春に数点の先行作品が知られる。本図はそれに依ったものであるが、墨の濃淡を基調とする端正な画風や、美人の繊細な線描などに、後の抱一の優れた筆致を予測させる確かな表現が見出される。兄宗雅好みの軸を包む布がともに伝来、酒井家に長く愛蔵されていた。」(『酒井抱一と江戸琳派の全貌』所収「二章 浮世絵制作と狂歌」)

抱一・文読む美人図.jpg

酒井抱一筆「文読む美人図」一幅 太田記念美術館蔵→ (I図)
「二十代の抱一が多数描いた美人画の中でも最初の段階を示す作らしく、手つき足首など、たどたどしく頼りなさがあるが、側面の顔立ちが柔和で、帯の文様など真摯な取り組みが初々しい。安永期に活躍し影響の大きかった浮世絵師、磯田湖龍斎による美人画の細身なスタイルの反映があることも、制作時期の早さを示す。『楓窓杜綾畫』と署名し、『杜綾』朱文印を捺す。」(『酒井抱一と江戸琳派の全貌』所収「二章 浮世絵制作と狂歌」)

ここでは、この「往時流行した『紅(べに)嫌い』の趣向の抱一筆「松風村雨図(H図)」が、上記の「フイッセル・コレクション」の慶賀筆「七夕(D図)に対して、「ブロムホフ・コレクション」の慶賀筆「供琴、七夕)」(E図・E-2図)は、その「紅嫌い」の「墨画」調ではなく、「紅(赤)」を効果的に活かした「彩色画」の、抱一筆「文読む美人図」(I図)の世界との印象を抱くのである。
 それと同時に、酒井抱一と川原慶賀は、その両人の生涯において、何らの直接的な接点は見出されないが、シーボルト事件(1828)の年に永眠した抱一の遺作ともいうべき、その「五節句図」の「乞巧奠」と、いわゆる「長崎歳時記」の一環の数ある「五節句」のうちの一つの、その「乞巧奠」とは、抱一のそれが「古典(やまと絵)的風俗画」の世界のものとすると、まさに、「現代(浮世絵)的風俗画」という思いに駆られてくる。
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