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「東洋城・寅彦、そして、豊隆」(漱石没後~寅彦没まで)俳句・連句管見(その十二)  [東洋城・寅日子(寅彦)・蓬里雨(豊隆)]

その十二「昭和三年(一九二八)」

[東洋城・五十一歳。「東洋城百詠」刊。渋柿大会開催。新那須温泉、大平山に遊ぶ。東洋城百茶碗が作られた。]

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[歌舞伎十八番之内『勧進帳』 明治23年 豊原国周(1835年-1900年)筆] 
http://yagi.la.coocan.jp/image1/kanjincho_01509.gif

「歌舞伎十八番の内 勧進帳 百十一句」(東洋城作)の十句(抜粋)

歌舞伎十八番勧進帳や春茲に(前書「開幕 舞台面」)
白梅やすこし藍さす白よけれ(前書「富樫(左団次)の顔」)
桜貝義経は若うつくりけり(前書「義経(宗十郎)の出」)
どんじりに弁慶田螺ひかへけり(前書「弁慶(羽左衛門)の出」)
薄霞む安宅の関へかゝりけり(前書「いざ通らんと旅衣」)
春浅き勧進帳の白紙かな(前書「固より勧進帳のあらばこそ」)
九字の真言春郭然と説かれけり(前書「夫れ九字の真言と云つぽ」)
春見張る団十郎の眼や昔(前書「元禄見得」)
打擲(チョウチャク)す笠の音なり春霰(前書「思へば憎しや」)

勧進帳二.jpg

https://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/673/
【左】[左から]源義経(坂田藤十郎)、武蔵坊弁慶(市川團十郎)、富樫左衛門(松本幸四郎) 平成24年10月新橋演舞場
【右】[左から]駿河次郎(市川高麗蔵)、亀井六郎(大谷友右衛門)、武蔵坊弁慶(松本幸四郎)、片岡八郎(中村鴈治郎)、常陸坊海尊(松本錦吾)、富樫左衛門(市川團十郎) 平成24年10月新橋演舞場

唄の喉※伊十郎とはうらゝかな(前書「つひに泣かぬ弁慶も」、※=長唄・芳村移十郎)
寄り離れ小貝と春の浪とかな(前書「判官御手をとり給ひ」)
春淋しきさだめと人の嘆きけり(前書「いかなれば義経は」)
舞ひ舞ふや扇と数珠と皆うらゝ(前書「たえずとうたり」)
一飛び二飛びや東風に遠かる(前書「虎の尾を踏み毒蛇の口を」)
袖巻きの見得やすくりと松余寒(前書「幕切(富樫舞台真中へ)」)


[寅日子(寅彦)・五十一歳。1月17日、地震研究所談話会で「関東地震に関係せる地殻の
移動に就て」(宮部と共著)を発表。
2月12日、帝国学士院で“On the Vertical Displacement of the Sea Bottom in Sagami Bay Discovered after the Great Kwanto Earthquake of 1923”, “On the Horizontal Displacements of the Primary Trigonometrical Points Discovered after the Kwanto Earthquake”(with N. Miyabe)および“On the Geophysical Significance of the Crustal Movement Found after the Great Earthquake of 1923”を発表。
3月12日、帝国学士院で“On an Irregular Mode of Spherical Propagation of Flame”(with K. Yumoto)を発表。3月20日、地震研究所談話会で「丹後地震に於ける地殻変動に就て」(宮部と共著)および「関東地震と海面」(山口生知と共著)を発表。
3月21日、測地学委員会の用件で酒田へ向かう。4月12日、帝国学士院で“On Gustiness of Winds”を発表。4月23日、航空学談話会で「Convectionに依る渦流」を発表。
4月24日、地震研究所談話会で「丹後地震と地殻変動」(宮部との共著)を発表。
5月12日、帝国学士院で“Effect of an Irregular Sucession of Impulses upon aSimple Vibrating System—Its Bearing upon Serismometry”(with U. Nakaya), “Relation betweenHorizontal Deformation and Postseismic Vertical Displacement of Earth Crust which Accompanied the Tango Earthquake”(with N. Miyabe)および“Postseismic Slow Vertical Displacement of Earth Crust and Isostasy”(with N. Miyabe)を発表。
5月22日、地震研究所談話会で「丹後地方地殻変動」(宮部・東庄三郎と共著)および「火山の形に就て」(東と共著)を発表。5月頃から、バイオリンを水口幸麿について習うようになる。
6月12日、帝国学士院で“Vertical Displacements of Sea Bed off the Coast the Tango Earthquake District”(with S. Higasi)を発表。
6月19日、地震研究所談話会で「気圧と海水面」および「地震と海底変動」を発表。
7月3日、同談話会で「横圧に依る砂層の崩壊」(宮部と共著)および「島弧の形状に就て」を発表。7月12日、帝国学士院で“On a Characteristic Mode of Deformation of Sea Bed”(with S. Higasi)を発表。
9月25日、地震研究所談話会で「地震史料の調査(第一報)」および「地震帯に就て」を発表。10月12日、帝国学士院で“Ignition of Gas by Spark and Its Dependency on the Nature of Spark”(with K. Yumoto)および“On the Effect of Cyclone
upon Sea Level”(with S. Yamaguti)を発表。
11月26日、航空学談話会で「液体に浮遊する粉末と液との相対運動に就て」(玉野と共著)を発表。

談話「ロンドン大火と東京火」、『日本消防新聞』、1月。
「日本楽器の名称と外国との関係」、『大阪朝日新聞』、1月。
「土佐の地名」、『土佐及土佐人』、1月。
詩「三毛の墓」、『渋柿』、2月。
「比較言語学に於ける統計的研究法の可能性に就て」、『思想』、3月。
「最上川象潟以後」、『渋柿』、4月。
「夏目先生の俳句と漢詩」、『漱石全集』第13巻、月報、5月。
「羽越紀行」、『渋柿』、5月。
「子規の追憶」、『日本及日本人』、9月。
「スパーク」、『東京帝国大学理学部会誌』、9月。
「ルクレチウスと科学」、岩波講座『世界思潮』、9月。
「雑感」、『理科教育』、11月。
「二科狂想行進曲」、『霊山美術』、11月。


※[「夏目先生の俳句と漢詩」、『漱石全集』第13巻、月報、5月。]

https://yahan.blog.ss-blog.jp/archive/c2306351243-1

※[「子規の追憶」、『日本及日本人』、9月。]

https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card24418.html

※「小宮豊隆宛寅彦書翰」の句など(大正十一年・一九二四~昭和三年・一九二八)

(大正十一年・一九二四)

物言へど猫は答へぬ寒さ哉(「日記の中より 二句」、一月三十一日)
冰(コオ)る夜や顔に寄り来る猫の鬚(ヒゲ) (同上)

(大正十二年・一九二五)

春の江は靄(モヤ)に暮れ行く別れ哉(「小宮豊隆氏送別の句(錦水にて)」、三月)

(大正十四年)

葉がくれに秋にうなづく柘榴哉(「小宮豊隆氏宛手紙の中より」、九月三十日)

(大正十五年・昭和元年・一九二六)

狼の群に入らばや初時雨(「小宮豊隆氏宛端書の中より」、一月十四日)

(昭和二年・一九二七)

稍(ヤヤ)寒く余白の※出来し(※再案=のこりし)手紙哉(小宮豊隆氏宛手紙、九月二十五日)

(付記)「寺田寅彦年譜」の「昭和二年(一九二七)」に、「八月、小宮豊隆、松根東洋城、津田青楓と塩原温泉に行き、連句を実作する」とあるが、この時の連句は、『松根東洋城全句集(下巻)』にも『寺田寅彦全集・文学篇・第七巻』にも収載されていない。また、この年の七月に、「十八日仙台に行き、十句日小宮豊隆と松島に遊んだ。瑞巌寺、五大堂を見てパークホテルに投じ月を待つて連句を作つた」(『寺田寅彦全集・文学篇・第七巻』)とあるが、この連句も収載されていない。なお、この時の俳句は、昭和二年に、次のとおり、四句収載されている。

島は暮れて残る明りの海と空(七月十九日松島、三句)
塩釜は夕立するらん沖夕映(同上)
涼風や寝起の心よみがへる(同上)
波に飛ぶ蛍を見たり五大堂(「松島より一句」・「渋柿(九月)」)

(昭和三年・一九二八)

※ 上記の年譜に「3月21日、測地学委員会の用件で酒田へ向かう。」とあるが、これは、寅彦の「羽越紀行」(昭和三年五月「渋柿」)で、さながら、寅彦の「奥の細道」(句入りの散文)でまとめられている(『寺田寅彦全集・文学篇・第七巻』)。

「羽越紀行」(昭和三年五月「渋柿」)一部抜粋

[ 昭和三年三月二十一日
 夜の九時半上野駅を出で立つ。(中略)

駅の名の峠と呼ぶや雪の声
粉雪やいづこ隙間を漏るゝ風

 生来五十余年未だ北国の冬を知らず、(中略)

雪の国もんぺ(モンペ)の国へ参りける(「出羽の国=山形・秋田」の山形の米沢?)

 やがて赤湯を過ぐ。

温泉の町は雪に眠りて旭日哉(赤湯温泉)

 新庄にて乗換ふ。

雪の汽車北と西とへ別れ哉

 雪国の自然には暖国の人の思ひ及ばざる現象もありけり。

雪の原穴の見ゆるは川ならめ

 最上川は雪解の水を集めたり。(中略)

山の根の雪を噛む濁り哉(最上川)

 右岸既に春をきざせど、左岸は日を背にして未だ厳冬の鎖し難く。

あのやふに曲がりて風の氷柱哉

 山は左右に開けて汽車日本海岸に近づく。(中略)

荘内の野に日は照れど霰哉(荘内平野)

 酒田の町になにがしの役場をたづねて後、(中略)

しべりあ(シベリア)の雪の奥から吹く風か(坂田)
渡船は帆を巻きおろす霰哉(同上)
やふやふ(ヨウヨウ)に舟岸につく霰かな(同上)

 明くる朝まだき象潟に赴く。(中略)

象潟は陸になりける冬田哉(象潟)
しんかんと時雨るゝ松や蚶満寺(同上)
やよ鴉汝(ナレ)もしぐれて居る旅か(同上)

 有耶無耶の関の跡此のあたりかと汽車の窓より眺めて過ぐれとさだかならす、(中略)

有耶無耶の関は石山霰哉
あの島に住む人ありて吹雪哉

 終日海岸を西へ南へ越後に下る。途上温海といへる温泉の町に一汽車の暇を立ち寄る。(中略)

自動車のほこり浴びても蕗の薹(温海温泉)

 日本海は悠久の「地の悲み」を湛へて沖の彼方に遠く消え去るを見る。

雪霰帆一つ見えぬ海淋し
荒海に消え入る雲の何ともな

 (前略) 翌朝阿賀川の峡谷を遡る。

残雪や名のない山の美しう(阿賀川)

 (前略) 会津の野を過ぎて猪苗代に近づく、磐梯山は神々しく碧空に輝きてめでたく。

御山雪裾野芝原蕗の花
眠るかや湖(ウミ)をめぐらす雪の山

 旅三日雪の国々めぐりて再び武蔵野に入れば、(中略)

しばらくの留守をたづねて来た春か
飛行機と見えしは紙鳶(タコ)に入る日かな

 旅は愛し侘し、天下の広き、(中略)

三毛よ今帰つたぞ門の月朧

 三日の留守も三年の旅も「量」こそかはれ「質」は変らじ。

珍らしや風呂も我家の朧月

 さればこそ旅は楽しく面白けれ。(中略)

蝸牛の角がなければ長閑かな

又想ふ。

蝸牛の角があつても長閑かな


[豊隆(蓬里雨)・昭和三年(一九二八)、四十五歳。四月翻訳シュニツラー『アナトール』(岩波文庫)出版。]

http://karatsujuku.com/wp-content/uploads/2022/06/karatsujuku_lecture147_resume.pdf

[「寺田寅彦の俳諧と物理学(大嶋 仁)」(抜粋)

「東洋城・寅日子・蓬里雨の三吟」

雪の蓑ひとつ見ゆるや峡(かひ)の橋  東洋城
空はからりと晴れわたる朝       蓬里雨
⼊営を見送る群の旗立てて       寅日子
酒にありつく人のいやしき         城
後の月用もないのに台所          雨  
飛んで出でしは竈馬(いとど)なり     子
(「渋柿」1926 所収の歌仙の初6句)

松根東洋城は漱石に英語を習う。漱石や高浜虚子と異なり連句を目指す。
小宮豊隆は漱石に英文学を習った独文学者で蕉風復興を目指す。
寺田寅彦は上記二者と仲がよく、共に連句制作をした。

「寅彦の連句論」

連句の一句の顕在的内容は、やはりその作者の非常に多数な体験のかなめである。そうしてその多くの潜在的思想の網が部分的に前句と後句に引っかかっているのである。
もちろん前句には前句の作者の潜在思想の網目がつながっているのであるが、付け句の作者の見た前句にはまたこの付け句作者自身の潜在的な句想の網目につながるべき代表的記号が明瞭に現われているのである。
そうしてまたこの二つの句を読む第三者がこの付け合わせを理解し評価しうるためにはこの第三者の潜在思想中で二句が完全に連結しなければならないのである。しかもこの際読者の網目と前句作者の網目と付け句作者の網目とこの三つのものが最もよく必然的に重なり合い融け合う場合において、その付け合わせは最もすぐれた付け合わせとして感ぜられるのである。このような機巧によって運ばれる連句の進行はたしかにフロイドの考えたような夢の進行に似ているのである。
しかし夢の場合はそれが各個人に固有なものであって必ずしもなんらの普遍性をもたなくてもよい。しかし連句においては甲の夢と乙の夢との共通点がまた読者の多数の夢に強く共鳴する点において立派な普遍性をもっており、そこに一般的鑑賞の目的物たる芸術としての要求が満足されているのである。 (「連句雑俎」1931)

 映画と連句とが個々の二つの断片の連結のモンタージュにおいてほとんど全く同一であるにかかわらず、全体としての形態において著しい相違のあるのは、いわゆる筋が通っているのと通っていないのとの区別である。多くの映画は一通りは論理的につながったストーリーの筋道をもっているのに、連句歌仙の三十六句はなんらそうした筋をもたないのである。
(…)しかし「アンダルーシアの犬」と称する非現実映画(往来社版、映画脚本集第二巻)になるともはやそういう明白な主題はない。そのモンタージュは純然たる夢の編成法であり、しかもかなりによく夢の特性をつかんでいる。
たとえば月を断ち切る雲が、女の目を切る剃刀を呼び出したり、男の手のひらの傷口から出て来る蟻の群れが、女の脇毛にオーバーラップしたりする。そういう非現実的な幻影の連続の間に、人間というものの潜在的心理現象のおそるべき真実を描写する。この点でこの種の映画の構成原理は最も多く連句のそれに接近するものと⾔わなければならない。 (「映画芸術」1932)  ]
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