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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十八) [光悦・宗達・素庵]

鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十八)
(その二十八)「鶴下絵和歌巻」N図(2-6 小野小町)

鶴下絵和歌巻N図.jpg

2-6 小野小町 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける(「撰」「俊」)
(釈文)色見え天う徒路ふも濃盤世中乃人乃心の華尓曽有介る
中納言朝忠(藤原朝忠) 万代の初めと今日を祈り置きて今行末は神ぞ知るらむ(「撰」「俊」)
藤原高光 かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/komati.html

   題しらず
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今797)

【通釈】花は色に見えて変化するものだが、色には見えず、知らぬうちに変化するもの、それは恋仲にあって人の心に咲く花だったのだ
【補記】「世の中」は男女の仲。「心の花」は実のない心を花に喩えた語。謎を掛けるように歌い起こし、下でそれを解くという構成の歌として最初期の例。

小野小町一.jpg

小野小町/青蓮院宮尊純親王:狩野探幽/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今797)

小野小町二.jpg

『三十六歌仙』(小野小町)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

   文屋康秀が三河の掾(ぞう)になりて、
   県見(あがたみ)にはえいでたたじやと、
   いひやれりける返り事によめる
わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ(古今938)

【通釈】侘び暮らしをしていたので、我が身を憂しと思っていたところです。浮草の根が切れて水に流れ去るように、私も誘ってくれる人があるなら、一緒に都を出て行こうと思います。
【語釈】◇うき草 「うき」に「憂き」の意が掛かる。
【補記】国司として三河国に下ることになった文屋康秀から、「私と田舎見物には行けませんか」と戯れに誘われて、その返事として贈った歌。康秀は小町と同じく六歌仙の一人。仁明天皇の国忌の日に詠んだ歌があり、同じ天皇に近侍したと思われる小町とは旧知の間柄だったのだろう。諧謔味を籠めてはいるが、おかしさよりもしみじみとした情感がまさって聞こえる。後世の小町流浪説話のもととなった歌でもある。


(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その六)

(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )

3 藤原雅経:たへてやはおもいあり共如何にせむむぐらの宿の秋の夕暮(サントリー美術館蔵)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-04-10

4 宮内卿:おもふ事さしてそれとはなき物を秋のゆうふべを心にぞとふ(五島美術館蔵)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2020-04-09

5 鴨長明:秋かぜのいたりいたらね袖はあらじ唯我からの露のゆふぐれ(MOA美術館蔵)

鹿下絵和歌巻・鴨長明.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦(MOA美術館蔵)

(「鴨長明」周辺メモ)

(釈文)秋可勢濃い多利以多らぬ袖盤安らじ唯我可ら濃霧乃遊ふ久れ

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tyoumei.html

   秋の歌とてよみ侍りける
秋風のいたりいたらぬ袖はあらじただ我からの露の夕ぐれ(新古366)

【通釈】袖によって秋風が届いたり届かなかったりすることはあるまい。誰の袖にだって吹くのだ。この露っぽい夕暮、私の袖が露ならぬ涙に濡れるのは、ただ自分の心の悲しさゆえなのだ。
【語釈】◇秋風 「飽き」を掛け、恋人に飽きられたことを暗示。秋の夕暮の寂しさに、片恋の悲しみを重ねている。
【『方丈記』の名文家として日本文学史に不滅の名を留める鴨長明であるが、散文の名作はいずれも最晩年に執筆されたもののようで、生前はもっぱら歌人・楽人として名を馳せていたらしい。後鳥羽院の歌壇に迎えられたのは四十代半ばのことであった。当初、気鋭の新古今歌人たちの「ふつと思ひも寄らぬ事のみ人毎によまれ」ている有り様に当惑する長明であったが、その後急速に新歌風を習得していったものと見える。少年期からの長い歌作の蓄積と、俊恵の歌林苑での修練あってこその素早い会得であったろう。『無名抄』には、自己流によく噛み砕いた彼の幽玄観が窺え、興味深い。しかし、彼が文の道で己の芯の鉱脈を掘り当てたのは、家代々の禰宣職に就く希望を打ち砕かれ、いたたまれなくなって御所歌壇を去り、出家してのちのことであった。そしてそれは、歌人としてではなかったのである。】
【『無名抄(鴨長明)』→「秋の夕暮の空の景色は、色もなく、声もなし。いづくにいかなる趣あるべしとも思えねど、すずろに涙のこぼるるがごとし。これを、心なき者は、さらにいみじと思はず、ただ眼に見ゆる花・紅葉をぞめではべる。」 】

(「鹿下絵新古今集和歌巻」周辺メモ )

【「歌と『鹿』―べたづけの忌避」  鹿が妻恋いのため悲しげに鳴くのは秋である。そこから鹿は秋の季語となり、紅葉や萩とともに描かれるようにもなった。先の崗本天皇の一首も、もちろん秋の雑歌に入れられている。鹿は秋歌二八首を書写する和歌巻の下絵として、きわめてふさわしいことになる。しかも秋歌には、三夕の和歌にみるような夕暮、あるいは月や夜を詠んだものが多いからこの点でも夕暮に鳴く鹿はよく馴染む。
さらに重要なのは、この場合も二八首中に鹿を歌った和歌が一首もないという事実であろう。「心なき」の六首前には、摂政太政大臣の「萩の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半のさおしかの声」があったわけだから、もし光悦がここから書き出したとすれば、べたづけになってしまう。ましてや『新古今和歌集』巻五「秋歌 下」の巻初から始めたとすれば、下絵は歌の絵解き、歌は下絵の説明文になってしまったであろう。「秋歌 下」の巻初から一六首は、これすべて鹿を詠んだ歌だったからである。このような匂づけ的関係にも、光悦と下絵筆者宗達との親密な交流を読み取りたいのである。 】(『日本の美術№460 光悦と本阿弥流の人々(河野元昭著)』)

【(参考)「連歌・連句」の付合(はこび)関連

http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2012_11_03.html

〇連句の付合(運び)の力学の認識について(付く・付かないということ)
「俳諧(連句)は茄子漬の如し、つき過ぎれば酢し。つかざれば生なり。つくとつかざる処に味あり」(根津芦丈)
「連句は付き合った二つの句の間に漂う何物かを各人が味わうものですから、前句と付句があまりピッタリしていては(意味的・論理的に結合されていては)それこそ味も素っ気も出て来ません。・・・発句に対する脇のようなぴったり型の付句ではなく、脇に対する第三のような飛躍型の付句が望ましいのです。」(山地春眠子)
「必然的な因果関係によって案じた句→付け過ぎ(ベタ付け)、偶然的な可能性の高さで案じた句→不即不離、偶然的な可能性の低さで案じた句→付いていない」(大畑健治)
◎要するに、付かず離れず。車間距離ならぬ句間距離の塩梅が連句の付け味の味噌。前二句(前句と打越の句)の醸成する世界から、別の新しい世界を開いていく意識(行為)が「転じ」(連句の付合)ということ。
「むめがゝに」歌仙付合評一覧
初表
1むめがゝにのつと日の出る山路かな 芭蕉(発句 初春)
  (かるみ→おおらかでさらりとした発句)
2 処どころに雉子の啼たつ     野坡(脇 三春)
  (ひびき→発句の「のっと」に「なきたつ」が音調・語感のうえでひびき合う)
3家普請を春のてすきにとり付いて   仝(第三 三春)
  (匂付→雉子の鳴きたつ勇壮で気ぜわしげな気分を、金槌や鋸の音で活気にあふれた普請はじめの心はずむさまで受ける)(変化→発句・脇の山路の景を巧みに山里の人事へと転じた第三らしい展開)
4 上のたよりにあがる米の値    芭蕉(雑(無季))
  (匂付・心付→前句、棟上げの祝いをする農家の景気がよろしきさまに上向きの米相場を付ける)
5宵のうちばらばらとせし月の雲    仝(三秋)
(匂付=移り→前句の物価騰貴の不安の余情の移り)(変化→前句の農家の立場から都会人(江戸町人)の立場へ転換)    】
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yahantei

「見立(て)」については、下記のアドレスのものなどが詳しい。
http://doi.org/10.15055/00000928

俳諧と見立て : 芭蕉前後
光田 和伸
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要


by yahantei (2020-05-10 07:53) 

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