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川原慶賀の世界(その十六) [川原慶賀の世界]

(その十六)「川原慶賀の長崎歳時記(その八)面浮立・くんち」周辺

浮流面おどり(A図).jpg

●作品名:浮流面おどり(A図) 「フイッセル・コレクション」
●Title:Mask dance, Autum
●分類/classification:年中行事、秋/Annual events
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite//target/kgdetail.php?id=1137&cfcid=142&search_div=kglist
「面浮立(めんふりゅう) 絹本著色 24.6×38.8㎝ 朱文方印「慶賀」
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「出品目録№15」)
「 肥前地方の佐賀藩、大村藩の領内では秋祭りには面浮立が競って奉納されていた。娯楽の少なかった当時の農村にとって秋祭りの浮立興行は唯一の楽しみであり、村をあげて大いに賑わったものである。
 浮立には面浮立、ササラ、掛うち、獅子等と各種の曲目があるが、本図のように鬼の面をかぶって踊る面浮立は、その代表的なものである。」
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「主要作品解説」)

 この「フイッセル・コレクション」の「浮流面おどり・面浮立」(A図)には、右下端に「慶賀」の朱文方印が捺されており、「慶賀」筆として差し支えなかろう。

面浮流(B図).jpg

●作品名:面浮流(B図) 「シーボルト・コレクション」?
●Title:Mask dance, Autum
●分類/classification:年中行事・秋/Annual events
●形状・形態/form:絹本彩色、めくり/painting on silk, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite//target/kgdetail.php?id=1137&cfcid=142&search_div=kglist
(『川原慶賀展―幕末の『日本』を伝えるシーボルトの絵師(「出品目録№20」)』)
絹本著色 27.1×36.6㎝

 この「面浮流」(B図)は、『川原慶賀展―幕末の『日本』を伝えるシーボルトの絵師(「出品目録№20」)の配列順序の作品(№18=「月見」、№19=「夏涼み」)からすると、「シーボルト・コレクション」の作品のように思われる。そして、この作品の一連のものの「シーボルト・コレクション」の作品は、「フイッセル・コレクション」の「浮流面おどり・面浮立」(A図)や、次の「ブロムホフ・コレクション」の「くんち」(C図)に比して、「川原慶賀作」と断定せず、「川原慶賀(又は「慶賀工房)作」と、含みを持たせて置きたい。 

くんち(C図) .jpg

●作品名:くんち(C図) 「ブロムホフ・コレクション」
●Title:Nagasaki-kunchi;Festival of Suwa-shrine, Septmber
●分類/classification:年中行事・9月/Annual events
●形状・形態/form:紙本彩色、めくり/painting on paper, sheet
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden
http://www.nmhc.jp/keiga01/kawaharasite//target/kgdetail.php?id=970&cfcid=142&search_div=kglist
「秋祭り(長崎くんち)」 紙本著色 26.5×38.0㎝
(『鎖国の窓を開く:出島絵師 川原慶賀展(西武美術館)』所収「出品目録№26」)

この「くんち・秋祭り(長崎くんち)」(B図)は、「ブロムホフ・コレクション」のもので、これまでに取り上げてきた「ブロムホフ・コレクション」の「凧揚げ」「雛祭り」「花祭り」「陸(おか)ペーロン」、そして、次回に取り上げる「月見宴」と一連の、「慶賀」筆と解したい。

「くんち、万屋町、くじら」(D図).gif

●作品名:「くんち、万屋町、くじら」(D図) →「シーボルト・コレクション」(?) 
●Title:Nagasaki-kunchi;Festival of Suwa-shrine, Yorozuya-machi, Whale September
●分類/classification:年中行事、9月/Annual events
●形状・形態/form:紙本墨画、冊子/drawing on paper, album
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden

「くんち、樺島町、コッコデショ」(E図).gif

●作品名:「くんち、樺島町、コッコデショ」(E図)→「シーボルト・コレクション」(?)
●Title:Nagasaki-kunchi;Festival of Suwa-shrine, Kabashima-machi, KotKodeshyo, September
●分類/classification:年中行事、9月/Annual events
●形状・形態/form:紙本墨画、冊子/drawing on paper, album
●所蔵館:ライデン国立民族学博物館 National Museum of Ethnology, Leiden

 その上で、これらの「シーボルト・コレクション」と思われる、紙本墨画の「くんち、万屋町、くじら」(C図)と「くんち、樺島町、コッコデショ」(D図)については、これらの「秋祭り(長崎くんち)」を、シーボルトの『NIPPON(日本)』の、その「石版挿絵」の一枚にとの意図を有している、その下絵のように思われる。そして、これらの下絵には、どの程度、慶賀自身が主体的に描いたものかということは、やはり「慶賀(又は慶賀工房)」作と解したい。
 そして、この「くんち、万屋町、くじら」(C図)は、下記のアドレスの、「捕鯨図」(『NIPPON』図版)や、ブランデンシュタイン城博物館蔵の「捕鯨図」に連動しているものと解すると、「慶賀工房」作というよりも、「川原慶賀」作という方向に傾いてくる。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2022-08-18

(再掲)

捕鯨図2.gif

九州大学付属図書館医学分館蔵
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?reqCode=frombib&lang=0&amode=MD820&opkey=&bibid=1906477&start=&bbinfo_disp=0#?c=0&m=0&s=0&cv=15&r=0&xywh=442%2C640%2C3251%2C3631
『NIPPON』 第2冊図版(№338)「捕鯨」 福岡県立図書館/デジタルライブラリー
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/home/4000115100/topg/theme/siebold/nippon.html

捕鯨図1.gif

ブランデンシュタイン城博物館蔵「捕鯨」

(参考)「長崎くんち・鯨の潮吹き・太鼓山(コッコデショ)」周辺(「ウィキペディア」)

(長崎くんち)→「諏訪神社の祭礼」

長崎くんち(ながさきくんち)、長崎おくんちは、長崎県長崎市の諏訪神社の祭礼である。10月7日から9日までの3日間催される。国の重要無形民俗文化財に指定されている(昭和54年指定、指定名称は「長崎くんちの奉納踊」)。
 「龍踊(じゃおどり)」「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」「阿蘭陀万才(おらんだまんざい)」「御朱印船(ごしゅいんせん)」など、ポルトガルやオランダ、中国・ベトナムなど南蛮、紅毛文化の風合いを色濃く残した、独特でダイナミックな演し物(奉納踊)を特色としており、傘鉾、曳物(山車・壇尻)、太鼓山など、京都や堺の影響も窺える。
 「くんち」の名称は、旧暦の重陽の節句にあたる9月9日(くにち、九州北部地方の方言で「くんち」)に行ったことに由来するという説が有力である。「宮日」「供日」と表記されることもあるがこれは後年の当て字で、諏訪神社への敬意を表して「御」をつけたことから「おくんち」とも呼ばれるようになった。

(鯨の潮吹き)→「万屋町が奉納する演し物」

 万屋町が奉納する演し物で1778年(安永7年)に、たまたま町内に来ていた唐津呼子の者の勧めで奉納されたのを始まりとする。鯨の姿をした曳物と小船の曳物、納屋の形をした曳物で構成され、鯨を港に引き込み納屋で大漁を祝う様子を表現する。前日に出てくる鯨は大きく動き回るが、後日になると縛り付けるように網をかけられ、納屋にも雪や氷柱などが付き、冬の鯨の追い込みの姿を表している。


 演目の主役であり、曳き回しを行って鯨の泳ぐ姿を表現する。中には人が入っており、からくりを操作して水を4 - 5メートルの高さまで吹き上げる。
納屋
 演し物の主体となる曳物に囃子方を乗せることが出来ないため、囃子方は納屋の形をした専用の曳物の中から楽器を演奏する。
小船
 船頭衆を演じる子供が上に乗る小さな曳物で、船頭衆はこの上に立ち上がって「鯨引きうた」を歌う。

(太鼓山・コッコデショ)→「樺島町が奉納する演し物」

 樺島町が寛政11年(1799年)より、上町が平成28年(2016年)に奉納している演し物である。正式には太鼓山という名称で、コッコデショは担ぐときの掛け声から来ている。江戸時代、長崎で陸揚げされた貿易品は堺商人の廻船で全国に運ばれており、商船の船頭や水夫は樺島町の宿を定宿としていた。この船頭衆から堺壇尻や各地の踊りが伝わり、各地の要素が合わさって樺島町独自の演し物になったと考えられている。太鼓山は船、采振りは船頭、踊りは船や波の動きを表している。
 山車は担ぎ屋台となっており、4本の担ぎ棒に大太鼓を囲む櫓を組み、その上に5色の大座布団を載せて屋根としている。太鼓の四方には、赤い投げ頭巾を被った4人の男の子が座り、演技に合わせて太鼓を叩く。担ぎ棒に采振り4人を載せ、担ぎ手が足元を抑え、采振りが体を逸らし、大きく采を振って「ホーライエ」を歌いながら入場する[9]。
 踊りは太鼓山が長坂に向けて突っ込む「トバセ」、掛け声に合わせて山車を天空に投げて片手で受け止める「コッコデショ」、踊り馬場の中央で山車を回転させる「マワセ」、再び山車を投げる「コッコデショ」で1回が構成され、これが4回繰り返される。2回目の演技が終えたところで一旦退場しかけ、観客の「モッテコイ」に応えて3回目を行う。3回目の途中の「コッコデショ」で担ぎ手は一斉にに法被を投げ上げ、更に4回目の演技を終えたところで退場する。
 退場する際は再び采振り4人を担ぎ棒に乗せ、「ホーライエ」を歌いながら踊り馬場を後にする。

構成
 総指揮1名
指揮1名
長采3名
棒先(指揮が指示する方向に1〜8番棒の先端の縄を引っ張る)8名
采振り(コッコデショの周りで采を振る)4名
太鼓山(櫓の上で太鼓をたたく)2班4名ずつ
担ぎ手(山車を肩に担ぐ)36名
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