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最晩年の光悦書画巻(その十一) [光悦・宗達・素庵]

(その十一)草木摺絵新古集和歌巻(その十一・藤原実方朝臣)

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花卉摺下絵新古今集和歌巻(部分) 本阿弥光悦筆 (4-5)(藤原実方朝臣)
MOA美術館蔵 紙本墨画 金銀泥摺絵 一巻 縦34.1㎝ 長907.0㎝

 上記の左側が、藤原実方の次の一首である。

中々に物思ひそめて寝ぬる夜ははかなき夢もえやは見えける(新古1158)

(釈文)中々尓物思曽め天年多る夜ハハ可那幾遊免もえやハ見え介る

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanekata.html

    題しらず
中々に物思ひそめて寝ぬる夜ははかなき夢もえやは見えける(新古1158)
【通釈】中途半端に恋心を抱き始めた頃は、夜寝ても、はかない夢での逢瀬さえ見ることができようか。
【語釈】◇中々に なまじっか。かえって。◇はかなき夢もえやは見えける はかない夢での逢瀬さえ、かなわない。あれこれ悩んで眠ることが出来ず、夢も見られない、ということ。

藤原実方(ふじわらのさねかた) 生年未詳~長徳四(998)

小一条左大臣師尹の孫。侍従定時の子。母は左大臣源雅信女。子には朝元(従四位下陸奥守)ほか。父が早世したため、叔父藤原済時の養子となる。左近将監・侍従・右兵衛佐・左近少将・右馬頭などを経て、正暦二年(991)、右近中将。同四年、従四位上。同五年、左近中将。長徳元年(995)、陸奥守に任ぜられ、三年後の長徳四年、任地で没した。四十歳前後であったと見られる。
実方の陸奥下向には様々な伝説がつきまとい、『古事談』『十訓抄』などは、侮蔑的な発言をした藤原行成に対し殿上で狼藉をはたらき、一条天皇より「歌枕見て参れ」との命を下されたとする。またその死について『源平盛衰記』などは、出羽国の阿古耶(あこや)の松を訪ねての帰り道、名取郡の笠島道祖神の前を騎馬で通過しようとして落馬し、その傷がもとで亡くなった、とする。
寛和二年(986)六月の内裏歌合に出詠するなど、若くして歌才をあらわし、円融・花山両院の寵を受けた。当代の風流才子として名を馳せ、恋愛遍歴も華ばなしく、清少納言・小大君らとの恋歌の贈答がある。また源宣方・藤原道信・道綱・公任らと親交があった。
拾遺集初出。勅撰入集六十七首。家集『実方朝臣集』がある(以下「実方集」と略)。中古三十六歌仙。


 『菟玖波集(下・巻十四)』に、藤原公任(前大納言公任)と藤原実方(実方朝臣)との短連歌(二句掛合・唱和)が収載されている。

      殿上のをの子ども桂川に逍遥し侍るけるに、
     夜に入りて帰るとて、川を渡り侍るに、星
     の影の水にうつりて見えければ、
 水底にうつれる星の影見れば         前大納言公任
     と侍るに
1387 天の戸わたる心地こそすれ          実方朝臣

 「桂川」は、「嵐山周辺および上流域では『大堰(おおい)川』または『大井川』」(大堰と大井は同義)、嵐山下流域以南では「桂川」または「葛河(かつらがわ)」と称されるようになった。嵐山の「渡月橋からほんのわずか下流に桂の里があって、桂離宮がり、桂のひとびとは古来、桂川とよんできた」ことに由来がある。
 「殿上のをの子(男子)」は、「『公卿〔くぎょう〕・殿上人〔てんじょうびと〕・地下〔じげ〕・庶人〔しょにん〕』」の「殿上人」(昇殿を許された五位以上の人)と「蔵人」(位階に関係なく天皇の側周りの用を勤める蔵人など)の意であろう。
 この「校注」(福井久蔵校注)に、「星と天の戸寄合。実方集、公任集には所見なく、小大君集に載っている」とある。
 この「寄合」は、「連歌・俳諧の付合(つけあい)で、前句の中の言葉や物に縁のあるもの。例えば、松に鶴、梅に鶯など」の用例で、ここでは、「前句・付句にある言葉の関連性のある用語」として、の縁語」(修辞法の一つで、一つの言葉に意味上縁のある言葉を使って表現に面白みを出すこと)の例として「星と天の戸」が「寄合語(掛合語)」になっているということであろう。
 「天の戸」は、「天の岩戸」(「万葉集・四四六五)、「日月の渡る空の道。大空」」(「古今集・秋上」)、「天の川の川門(かわと)」(「後撰集・秋上)」の意などあるが、ここは「天の川の川門」の意であろう。そして、前句の「星」と付句の「天の川」とが「掛合語」「「寄合語」「縁語」で、この「掛合」(付合)は「星合」(陰暦 七月 七日 の夜、 牽牛・織女 の 二つ の星が 出合う)の二句(「連歌」の前句と付句、「短歌」の「上の句」と「下の句」)ということになろう。
 「新古今和歌集巻第四秋歌上」の「星合」の歌の、次のとおりである。

「新古今和歌集巻第四秋歌上」の「星合」の歌

313 大空をわれもながめて彦星の妻待つ夜さへひとりかも寝む (紀貫之)
314 この夕べ降りつる雨は彦星のと渡る舟の櫂のしづくか   (山辺赤人)
315 年をへてすむべき宿の池水は星合の影も面なれやせむ   (権大納言長家)
316 袖ひちてわが手にむすぶ水の面に天つ星合の空を見るかな (藤原長能)
317 雲間より星合の空を見わたせばしづ心なき天の川波    (祭主輔親)
318 七夕の天の羽衣うち重ね寝る夜涼しき秋風ぞ吹く     (太宰大弐高遠)
319 七夕の衣のつまは心して吹きな返しそ秋の初風      (小弁)
320※ 七夕のと渡る舟の梶の葉に幾秋書きつ露の玉章     (皇太后宮大夫俊成)
321 ながむれば衣手涼し久方の天の河原の秋の夕暮れ     (式子内親王)
322 いかばかり身にしみぬらむ七夕のつま待つ宵の天の川風  (藤原兼実)
323※ 星合の夕べ涼しき天の川もみぢの橋を渡る秋風     (権中納言公経)
324 七夕の逢ふ瀬絶えせぬ天の川いかなる秋か渡りそめけむ  (待賢門院堀河)
325 わくらばに天の川波よるながら明くる空には任せずもがな (女御徽子女王)
326 いとどしく思ひけぬべし七夕の別れの袖における白露   (大中臣能宣朝臣)
327 七夕は今や別るる天の川川霧たちて千鳥鳴くなり     (紀貫之)

 特に、※の、「320※」(藤原俊成)と「323※」(藤原公経)の歌は、上記の公任と実方の短連歌の「本歌・派生歌」のような「参考歌」ということになろう。
 なお、下記のアドレスで、実方の「殿上のをのこども、花見むとて東山におはしたりけるに」の詞書のある「撰集抄」(鎌倉時代の仏教説話)に収載されている歌も紹介されている。

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanekata.html

【 昔、殿上のをのこども、花見むとて東山におはしたりけるに、俄に心なき雨ふりて、人々げにさわぎ給へりけるに、実方の中将、いとさわがず、木の本に立ち寄りて、
桜がり雨はふりきぬおなじくは濡るとも花のかげにやどらむ(撰集抄)
  と詠みて、かくれ給はざりければ、花よりもりくだる雨に、さながらぬれて、装束しぼりかね侍り。此の事、興有ることに人々おもひあはれけり。
【通釈】桜狩しているうち、雨は降ってきた。同じことなら、濡れるにしても、花の陰に宿ろう。
【補記】「桜がり」は桜の花を求めて野山を逍遥すること。この歌は拾遺集に読人知らずの歌として載り(第五句「かげに隠れむ」)、実方の作とは思えないが、彼の風流士ぶりを伝える有名な歌であるので、参考として掲げておく。 】

 また、実方と清少納言との関係を匂わせている次の二首も紹介されている。

【  清少納言、人には知らせで絶えぬ中にて侍りけるに、
   久しう訪れ侍らざりければ、よそよそにて物など言
   ひ侍りけり、女さしよりて、忘れにけりなど言ひ侍
   りければ、よめる
忘れずよまた忘れずよ瓦屋の下たくけぶり下むせびつつ(後拾遺707)
【通釈】忘れないよ、返す返すも忘れることなどないよ。瓦を焼く小屋の下で煙に咽ぶように、ひそかな思いに咽び泣きをしながら、あなたのことを変わらず恋しく思っているよ。
【語釈】◇忘れにけり あなたは私をお忘れになったのね。◇瓦屋(かはらや) 瓦を焼く窯。「変はらず」を掛ける。◇下むせびつつ ひそかにむせび泣きをしながら。「むせび」は煙の縁語で、喉がつまる意もある。
【補記】清少納言とのひそかな仲が絶え、長く訪問することがなかった後、よそよそしく会話を交わす機会があったが、その時清少納言に「あなたは私を忘れたのね」と言われて詠んだ歌。清少納言の返しは「葦の屋の下たく煙つれなくて絶えざりけるも何によりてぞ」。

    元輔が婿になりて、あしたに
時のまも心は空になるものをいかで過ぐしし昔なるらむ(拾遺850)
【通釈】しばし別れている間も、これ程心はうわの空になるというのに、あなたと結ばれる以前、滅多に逢えなかった頃は、一体どんなふうに過ごしていたというのだろう。
【語釈】◇元輔 清原元輔か。だとすれば実方は清少納言と結婚したことになる。但し、この「元輔」を藤原元輔とみる説もある。 】

(追記メモ) 「公任と実方の短連歌(星合)」と「小大君集」など

      殿上のをの子ども桂川に逍遥し侍るけるに、
    夜に入りて帰るとて、川を渡り侍るに、星
    の影の水にうつりて見えければ、
 水底にうつれる星の影見れば         前大納言公任
     と侍るに
1387 天の戸わたる心地こそすれ          実方朝臣

 「菟玖波集」所収のこの短連歌(付合)が、『実方集』や『公任集』ではなく『子大君集』に搭載されているということは(『菟玖波集』の「福井久蔵校注」)、次のアドレスなどのものが参考となる。

https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3984/YMN005401.pdf

「実方集と私家集(三)・仁尾雅信稿」

https://core.ac.uk/download/pdf/268267875.pdf

「王朝歌人と陸奥守(久下裕利稿)」
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