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徳川義恭の「宗達の水墨画」(その七) [水墨画]

その七 「狗子(宗達筆・個人蔵)」周辺

宗達・狗子図.jpg

俵屋宗達筆「狗子図」一幅 紙本墨画 九〇・三×四五・〇 落款「宗達法橋」 印章「対青軒」朱文円印 (『琳派三 風月・鳥獣(紫紅社刊)』所収「174 犬図」)

【 極めて自然に即した無理のない単純化が行はれて居る。かう云ふ扱ひ方をすると、凡人ならば玩具の犬の様になり勝ちであるが、流石によく生命が通つて居る。鼻には物を嗅いだ時の一種の漂ひがあり、足には前へ少し重心の掛かつた動きがあり、腹には弾力のある固さがあり、尾には子犬の尾に特有の、あのぴりぴり動く感じがある。近景としての春の草花にも、葉の省略された蓮華層、薊、蕨、それに淡い地隈など在つて、全体にゆつたりとした温かい感情が充ちてゐる。又、中央に大胆に犬を置き、それが単なる奇抜でなく、画面全体に広々とした感じを与へるに役立つてゐる。草花の思ひ切つて薄いのも効果的である。子犬の尾の先が、写真ではよく分らないが、薄墨の線描きだけで、白く塗残されてゐる。之は真黒な子犬の尾の先だけは、大抵、少し白い所がある、其の写生であらう。
 此の絵の様なふつくりした感じは宗達独特のものであるが、題材から言つても、かう云ふのは珍しい。元代の絵にはよく在るが、感じがまるで違ふ。
 只、我国で鎌倉時代末期の作とされてゐる彫刻に、ちよつと似たのが在る。それは京都府高山寺蔵の木彫(高さ八寸五分)で、黒い子犬が座つてゐる様を現はしたものである。 】
(『宗達の水墨画・徳川義恭著・座右寶刊行会』所収「図版解説第五図」p8~p9)

【 宗達は牛とともに犬もよく描いているが、その中でももっともすぐれているのが、この図である。的確なたらし込みの技法によって仔犬のまるまるとよく肥えた身体や、柔らかい毛の感触までも効果的に表している。上部の空間と黒い犬、手前の薄墨による可憐な草花と構図は、じつにうまく決まっている。 】(『創立百年記念特別展 琳派(東京国立博物館)』所収「24 狗子図」 )

宗達・双犬図.jpg

http://www.art-precis.com/item/22.html

【双犬図(そうけんず) 江戸初期 京都 細見美術館蔵 (『琳派三 風月・鳥獣(紫紅社刊)』所収「176 犬図」=八二・五×四三・二 落款「宗達法橋」 印章「対青軒」朱文円印 )
戯れあう白黒の仔犬を水墨で表現する。黒犬は彫塗りにより、目や耳を柔らかくもくっきりとした線で示し、たらし込みでつややかな毛並みを表す。白犬は薄墨で太い輪郭線を施し、周りに薄く墨を刷く外隈で白さを際立たせる。宗達独特の温もりのある表現が、穏やかな気分を醸し出す。賛は、京都・嵯峨直指庵の住持で伊藤若冲の作品にも賛を寄せた黄檗(おうばく)僧無染浄善(丹崖)が、宗達没後に記した。 】

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74 狗子図  俵屋宗達 筆、一糸文守 賛 江戸 17世紀 ( 落款「宗達法橋」)

https://twitter.com/ishikawa_premus/status/971300253038235649/photo/1

http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/exhibition/5219/

http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/wp-content/uploads/2018/02/kikaku_room_1804.pdf

(再掲)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2017-11-26

「狗子図画賛」(応挙筆・蕪村賛) 

応挙合作一.jpg

「狗子図画賛」応挙筆・蕪村賛 一幅 紙本墨画 一九・六×二六・八cm 個人蔵

 応挙の画に、蕪村が句を賛した「応挙・蕪村」の合作の小品として夙に知られている作品である。この蕪村の句、「己(おの)が身の闇より吼(ほえ)て夜半(よは)の秋」は、
『蕪村句集(几董編)』では、「丸山氏が黒き犬を画(えがき)たるに、賛せよと望みければ」との前書きが付してある。
 この前書きと句を一緒にして、鑑賞すると、「円山氏(応挙)が黒き犬を描いて、それに賛せよと懇望されたので、『己が身の闇より吼て夜半の秋』と吟じて賛をした。句意は、『黒い犬は、己の心の闇(黒=煩悩)に慄いて吼え立てるのであろうか』というようなことです」と、応挙と蕪村とが一緒の席で、制作されたものと解せられるであろう。
 しかし、「蕪村叟消息・詠草」には、「くろき犬を画(えがき)たるに賛せよと、百池よりたのまれて」との前書きで、この応挙の黒き犬の画に「賛をせよ」と蕪村に懇望したのは、蕪村の若き門弟の寺村百池(寛延元年=一七四八~天保六年=一八三六)、その人というこになる。
 そして、この百池は、夜半亭門で俳諧を蕪村に、絵は応挙に、茶は六代藪内紹智に師事している。百池の寺村家は、京都河原町四条上ルに住している糸物問屋で、父三右衛門(俳号=三貫など)は、蕪村の師の夜半亭一世宋阿(早野巴人)門で、蕪村にも師事している。すなわち、三貫・百池の寺村家は、親子二代にわたり、夜半亭門で、共に蕪村に師事し、そして、蕪村と夜半亭門の有力後援者なのである。
 おそらく、画人蕪村と応挙との交遊関係の背後には、この百池などが介在してのであろう。

 己(おの)が身の闇より吼(ほえ)て夜半(よは)の秋 (『蕪村句集』他)

 この蕪村の句も、そして、この句の背景にある応挙の画も、小宴(酒宴など)の後の、席画的な「戯画・戯句」の類いのものではない。もとより、応挙の「狗子画」は、応挙の得意中の得意のレパートリーのもので、それは、「思わず抱き上げたくなる可愛い狗子たち」で、人気も高く、応挙の、この種の作画は多い。
 その中にあって、上記の「狗子図画賛」の、応挙の、この「一匹の黒き狗子」は、蕪村にとって、「煩悩の犬」「煩悩の犬は打てども去らず」を思い起こさせたのであろう。この「一匹の黒き狗子」は、蕪村自身であり(この句の「夜半の秋」の「夜半」は、それを暗示している)、同時に、この「一匹の黒き狗子」を描いた応挙の心の中にも、この「黒き闇、そして、煩悩の犬」が巣食っていることを、瞬時にして、見抜いたのであろう。
 蕪村にとって、「黒き闇、そして、煩悩の犬」とは、「夜半亭俳諧と謝寅南画の飽くなき追及」であり、そして、応挙にとって、それは、「応挙画風の樹立と革新的『写生・写実画』の飽くなき追及」というようなニュアンスに近いものであろう。

 筆灌ぐ応挙が鉢に氷哉      (「詠草・蕪村遺墨集」) 
 己が身の闇より吼て夜半の秋   (「詠草・蕪村叟消息」)

 この蕪村の応挙に対する「筆灌ぐ応挙が鉢に氷哉」は、同時に、応挙の蕪村への返句とすると、次の「応挙を蕪村」に変えての本句通りのものが浮かんで来る。
 
 筆灌ぐ応蕪村が鉢に氷哉  

補記一 「蕪村筆 呂恭大行山中採芝図」「応挙筆 虎図」「呉春筆 孔雀図」

http://www.kuroeya.com/05rakutou/index-2014.html

補記二 応挙の「狗子図」など

http://ommki.com/news/archives/4146

補記三 「江戸中・後期の京都の画人たち」など

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2017-05-29

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2017-10-31


杉戸狗子図.jpg

円山応挙筆「朝顔狗子図杉戸絵」二面 板地着色 各一六六・五×八一・三cm
「東京国立博物館・応挙館」→B図

(別掲)  「降雪狗児図」(芦雪筆)周辺  

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2017-09-30

古雪狗児図.jpg

「降雪狗児図」(芦雪筆)一幅 紙本墨画着色 一一四・八×五〇・五cm
逸翁美術館蔵 

これは、まさしく、若冲の「乗興舟」の世界であって、おそらく、芦雪は、若冲の「拓版画」ではなく、応挙門の一人として、応挙風の「写生・写実」をもって、「墨(淡彩)」「紙」「筆」のみで、若冲が案出した「乗興舟」の「黒」と「白」との世界を演出したのであろう。
 さらに、それだけでなく、この「降雪狗児図」の、この「降雪」は、これは、やはり、蕪村の「夜色楼台図」の、その偶発的な「夜の雪」に対して、「空間マジック」の芦雪ならではの、師の応挙その人が目指した、緻密な「計算し尽くした配合の妙」のような「降雪」を現出したという印象を深くする。
 すなわち、「夜色楼台図」(蕪村筆)の「雪」は、胡粉(白)を吹き散らして、たえまなく静かに降る雪なのに対して、「降雪狗児図」(芦雪筆)の「雪」は、胡粉(白)を垂らして、ぽつり・ぽつりと降る、この違いに着目したい。
この「吹き散らす」と「垂らす」とでは、それは、前者が「偶発性」を厭わないのに比して、後者は、それを極力排除するという、その創作姿勢と大きく関わっていて、ここに、両者の相違が歴然として来る。

(別掲) 「百犬図(若冲筆)」周辺

https://paradjanov.biz/jakuchu/colored/83/#toc1

百犬図.jpg

「百犬図(若冲筆)」 絹本着色 一幅 142.7×84.2cm 
寛政11年(1799年)=亡くなる一年前の作
款記は左上に「米斗翁八十六歳画」、「藤女鈞印」(白文方印)、「若冲居士」(朱文円印)、右下に「丹青活手妙通神」(朱文長方印)
※八十五歳没、還暦後の二年加算(?)=「米斗翁八十六歳画」。また、「百犬図」だが、実際には「五十九匹」とか。
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yahantei

応挙筆・蕪村賛「狗子図画賛」については、2017/11/26、円山応挙筆「朝顔狗子図杉戸絵」は、2017/10/31、「降雪狗児図」(芦雪筆)は、2017/10/31と、これらの、江戸の中期の画人たちは、江戸初期の俵屋宗達、そして、その工房(画房)の「狗子図」などに、親しみをもっていたことが伝わってくる。
 若冲の「百犬図」も、その三年前の頃、どこかで記した記憶があるのだが、自分のブログの検索でもヒットしなかった。しかし、パソコンの『ピクチャ」の「若冲」の中には、その画像が遺されている。
 過去の記事の整理など、これも関連記事にあわせ、再掲などして、二重にも三重にも、検索でヒットする手立てを講ずる必要もあろう。
 関連して、過去の画像などは、管理ページで、その過去の記事の画像の、コピー・貼り付けで、画像を一々アップする必要もない。
 さらに、過去の記事などの誤謬の修正も出来るなど、面倒くさいけれども、メリットは沢山ある。とは言うものの、「なかなか、その気にならない」は、どうしょうもない。呵呵少笑。
by yahantei (2021-01-05 10:42) 

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