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「抱一再見」(続「忘れがたき風貌・画像」) [抱一再見]

(その十六)「宝井其角」(その周辺)

其角肖像一.jpg
宝井其角(『國文学名家肖像集』)(「ウィキペディア」)
『国文学名家肖像集(47/101)』(書誌情報:著者・永井如雲 編/出版者・博美社/出版年月日・昭14)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1120068/1/47
≪寛文元年7月17日(1661年8月11日) - 宝永4年2月30日(1707年4月2日。一説には2月29日(4月1日)[1])は、江戸時代前期の俳諧師。本名は竹下 侃憲(たけした ただのり)。別号は「螺舎(らしゃ)」「狂雷堂(きょうらいだう)」「晋子(しんし)」「宝晋斎(ほうしんさい)」など。≫(「ウィキペディア」)

其角肖像二.jpg
「其角肖像真蹟 / 渡辺崋山画, 1793-1841」([和泉屋市兵衛], [出版年不明]/ 早稲田大学図書館)
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he05/he05_05704/index.html

 渡辺崋山が描いた「其角肖像真蹟」に付せられている、其角の色紙の句「饅頭で人をたつねよ山桜」(其角自筆色紙)は、其角の「聞句」(謎句)として、『去来抄(同門評)』で取り上げられている。

https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/reference/kyoraisyou/dohmonhyo/d30_manjuude.htm

《  まんぢうで人を尋ねよ山ざくら        其角
 許六曰 、是ハなぞといふ句也*。去來曰、是ハなぞにもせよ、謂不應と云ふ句也*。たとへバ灯燈で人を尋よといへるハ直に灯燈もてたづねよ也*。是ハ饅頭をとらせんほどに、人をたづねてこよと謂へる事を、我一人合點したる句也*。むかし聞句といふ物あり。それハ句の切様、或ハてにはのあやを以て聞ゆる句也。此句ハ其類にもあらず*。 
(注記)
※許六曰 、是ハなぞといふ句也:許六が、この句は謎の多い句だね、と言った。
※去來曰、是ハなぞにもせよ、謂不應と云ふ句也:私は、謎かもしれないが、言いおおせずという句だろうね、と答えた。
※たとへバ灯燈で人を尋よといへるハ直に灯燈もてたづねよ也:たとえば、「灯篭で人を訪ねろ」と言ったらそれは「灯篭を持って人を訪ねろ」ということだ。
※是ハ饅頭をとらせんほどに、人をたづねてこよと謂へる事を、我一人合點したる句也:これは、饅頭をほうびにやるから、訪ねて来いと、作者一人が勝手に喜んでいる句だよ。去来の解釈は、「山桜が咲いた。それを一緒に見たいから、なんなら饅頭持って拙宅に遊びに来てくれないか」だが、これで十分と言えないところにこの句の「謎」がある。
※むかし聞句といふ物あり。それハ句の切様、或ハてにはのあやを以て聞ゆる句也。此句ハ其類にもあらず :昔、「聞き句」と言うものがあって、句の切り方、「て、に、は」の微妙な使い方などを学ぶ句なのだが、この其角の句はそれでもなさそうだね。 》(「芭蕉DB」所収「去来抄」)

去来(『去来抄』)の句意=饅頭をほうびにやるから、訪ねて来い。
桃隣(『陸奥衛』・前書=「餞別」)の句意=芭蕉翁の旅姿の如くまんじゅう頭の法体で行脚して来たらよかろう。
旨原・其角(『五元集』・前書=「花中尋友」)の句意=尋ねる友は花より団子の下戸ゆえ、お花見の浮かれた雑踏の中でも、饅頭を食っている男を目当てに尋ねたら見つかるだろう。

 そもそも、其角自身、この句を最初に作句した時(元禄九年=『韻塞』・『桃舐集』、元禄十年=『末若葉』)には、前書が無く、そして、この元禄十年(一六九六)の『陸奥衛』に掲載された時に、「餞別」という前書が付せられて、上記の『陸奥衛』のような句意の取り方が一般的だったようである。
 それが、『五元集』(其角自選、小栗旨原編。延享四年(一七四七)刊)で、「「花中尋友」の前書が付せられ、晩年の其角(宝永四年=一七〇七没)は、上記の『五元集』の句意のように、其角自身で、転換していると解せられるのである。
 これらのことに関して、下記アドレスの「『五元集』に於ける前書について(二上貴夫稿)」
では、次のような示唆に富んだ指摘をしている。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/haibun1951/2008/114/2008_114_48/_pdf/-char/ja

≪ 連句の付け合いでは、付句が付くことによって、前句にあった意味内容が変わってしまう事がしばしばある。これは「連句的作意」というものだが、其角最晩年の自選発句集『五元集』をみると、意図的に前書を付け替えることで(或いは新たに前書を付す事で)発句の意味する内容を変えるという試みが幾つかの句でなされているのに気づく。
 『五元集』千四句中、「前書あり」の発句が五百十八句。その内、当初の前書を新しく書き直した句、当初は前書のなかった発句に新しく付けた句、また『五元集』に初めて出て来
る未発表の句で前書のある句、これらの跡をたどることで其角晩年の思想をうかがう事が出来、また、其角が前書を付すという方法で「本説取」を考えていた事が分かるだろう。 ≫「『五元集』に於ける前書について(二上貴夫稿)」

 この「連句的作意」(「前句」と「付句」との句意の転換)と「前書と発句の『本説取』」(「前書」を「本説取」とする句意の多重化)などが、「其角俳諧(洒落風俳諧)」の特徴であり、この其角の「連句的作意」と「前書と発句の『本説取』」を、「抱一俳諧(「東風流俳諧」)」
の基本に据えていることが察知されるのである。
 そして、その「連句的作意」と「前書と発句の『本説取』」の底流には、「唱和と反転」(「前句・前書」に「唱和」して、それに、新しい世界を付与する「反転」化する)との、この二つの原理が大きく作用しているということが明らかになってくる。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-09-30

(再掲)
抱一・其角肖像二.jpg
酒井抱一筆「晋子肖像(夜光る画賛)」一幅 紙本墨画 六五・〇×二六・〇

「晋子とは其角のこと。抱一が文化三年の其角百回忌に描いた百幅のうちの一幅。新出作品。『夜光るうめのつぼみや貝の玉』(『類柑子』『五元集』)という其角の句に、略画体で其角の肖像を記した。左下には『晋子肖像百幅之弐』という印章が捺されている。書風はこの時期の抱一の書風と比較すると若干異なり、『光』など其角の奔放な書風に似せた気味がある。其角は先行する俳人肖像集で十徳という羽織や如意とともに表現されてきたが、本作はそれに倣いつつ、ユーモアを漂わせる。」(『別冊太陽 酒井抱一 江戸琳派の粋人』所収「抱一の俳諧(井田太郎稿)」)

 この著者(井田太郎)が、『酒井抱一---俳諧と絵画の織りなす抒情』(岩波新書一七九八)を刊行した(以下、『井田・岩波新書』)。
 この『井田・岩波新書』では、この「其角肖像百幅」について、現在知られている四幅について紹介している。

一 「仏とはさくらの花の月夜かな」が書かれたもの(伊藤松宇旧蔵。所在不明)
二 「お汁粉を還城楽(げんじょうらく)のたもとかな」同上(所在不明)
三 「夜光るうめのつぼみや貝の玉」同上(上記の図)
四 「乙鳥の塵をうごかす柳かな」同上(『井田・岩波新書』執筆中の新出)

 この四について、『井田・岩波新書』では、次のように記述している。

【 ここで書かれた「乙鳥の塵をうごかす柳かな」には、二つの意味がある。第一に、燕が素早い動きで、「柳」の「塵」、すなわち「柳絮(りゅうじょ)」(綿毛に包まれた柳の種子)を動かすという意味。第二、柳がそのしなやかで長い枝で、「乙鳥の塵」、すなわち燕が巣材に使う羽毛類を動かすという意味。 】『井田・岩波新書』

 この「燕が柳の塵を動かす」のか、「柳が燕の塵を動かす」のか、今回の『井田・岩波新書』では、それを「聞句(きくく)」(『去来抄』)として、その「むかし、聞句といふ物あり。それは句の切様、或はてにはのあやを以て聞ゆる句也」とし、この「聞句」(別称、「謎句」仕立て)を「其角・抱一俳諧(連句・俳句・狂句・川柳)」を読み解く「補助線」(「幾何学」の補助線)とし、その「補助線」を補強するための「唱和と反転」(これも「聞句」以上に古来喧しく論議されている)を引いたところに、この『井田・岩波新書』が、これからの「井田・抱一マニュアル(教科書)」としての一翼を担うことであろう。
 そして、次のように続ける。

【 これに対応する抱一句が、第一章で触れた「花びらの山を動かす桜哉」(『句藻』「梶の音」)である。早くに詠まれたこの句は『屠龍之技』「こがねのこま」にも採録され、『江戸続八百韻』では百韻の立句にされており、抱一自身もどうやら気に入っていたとおぼしい。句意は、大きな動きとして、桜の花びらが散れば、桜花爛漫たる山が動くようにみえるというのが第一。微細な動きとして、桜がさらに花弁を落とし、すでにうず高く積もった花弁の山を動かすというのが第二。
 燕の速度ある動きと柳の悠然たる動き、桜の大きな動きと微細な動き、両句ともに、こういった極度に相反する二重の意味をもつ「聞句」である。また、有名な和歌「見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(『古今和歌集』巻第一)をはじめとし、柳と桜は対にされてきたから、柳を詠む其角に対し、意図的に抱一が桜を選んだと考えられる。抱一句は全く関係のないモティーフを扱いながら、其角句と見事に趣向を重ねているわけで、これは唱和のなかでも反転にほかならないと確認される。 】『井田・岩波新書』

  乙鳥の塵をうごかす柳かな  其角 (『五元集』)
  花びらの山を動かす桜哉   抱一 (『屠龍之技』)

 この両句は、其角の『句兄弟』(其角著・沾徳跋)をマニュアル(教科書)とすると、「其角句=兄句/抱一句=弟句」の「兄弟句」で、其角句の「乙鳥」が抱一句の「花びら」、その「塵」が「山」、そして「柳」が「桜」に「反転」(置き換えている)というのである。
 そして、其角句は「乙鳥が柳の塵を動かすのか/柳が乙鳥の塵を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」だとし、同様に、抱一句も「花びらが桜の山を動かすのか/桜が花びらの山を動かすのか」(句意が曖昧=両義的な解釈を許す)、いわゆる「聞句=謎句仕立て」というのである。
 さらに、この両句は、「其角句=前句=問い掛け句」、そして「抱一句=後句=付句=答え句」の「唱和」(二句唱和)の関係にあり、抱一は、これらの「其角体験」(其角百回忌に其角肖像百幅制作=これらの其角体験・唱和をとおして抱一俳諧を構築する)を実践しながら、「抱一俳諧」を築き上げていったとする。
 そして、その「抱一俳諧」(抱一の「文事」)が、江戸琳派を構築していった「抱一絵画」(抱一の「絵事」)との、その絶妙な「協奏曲」(「俳諧と絵画の織りなす抒情」)の世界こそ、「『いき』の構造」(哲学者九鬼周三著)の「いき」(「イエスかノーかははっきりせず、どちらにも解釈が揺らぐ状態)の、「いき(粋)の世界」としている。
 さらに、そこに「太平の『もののあわれ』」=本居宣長の「もののあわれ」)を重奏させて、それこそが、「抱一の世界(「画・俳二道の世界」)」と喝破しているのが、今回の『井田・岩波新書』の最終章(まとめ)のようである。

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2018-01-22

(再掲)

  ここで、さらに、抱一の「俳」(俳諧)の世界を注視すると、実に、抱一の句日記は、自筆稿本十冊二十巻に及ぶ『軽挙館句藻』(静嘉堂文庫)として、天明三年(一七八三)から、その死(一八二八)の寸前までの、実に、その四十五年分の発句(俳句)が現存されているのである。
 それだけではなく、抱一は自撰句集として『屠龍之技(とりゅうのぎ)』を、文化九年(一八一二)に刊行し、己の「俳諧」(「俳諧(連句)」のうちの「発句(一番目の句)」=「俳句」)の全容を世に問うっているのである(その全容の一端は、補記一の「西鶴抱一句集」で伺い知れる)。
 抱一の「俳」(俳諧)の世界は、これだけではなく、抱一の無二の朋友、蕪村(「安永・天明俳諧)の次の一茶の時代(「化政・文化の俳諧)に、「江戸の蕪村」と称せられた「建部巣兆(たけべそうちょう)」との、その切磋琢磨の、その俳諧活動を通して、その全貌の一端が明らかになって来る。
 巣兆は、文化十一年(一八一四)に没するが、没後、文化十四年(一八一しち)に、門人の国村が、『曾波可理』(巣兆句集)を刊行する。ここに、巣兆より九歳年長の、義兄に当たる亀田鵬斎と、巣兆と同年齢の酒井抱一とが、「序」を寄せている。
 抱一は、その「序」で、「巣兆とは『俳諧の旧友』で、句を詠みあったり着賛したり、『かれ盃を挙れハ、われ餅を喰ふ』と、その親交振りを記し、故人を偲んでいる。」(『酒井抱一と江戸琳派の全貌』所収「四章 江戸文化の中の抱一・俳諧人ネットワーク」)
 この「序」に出て来る、「かれ(巣兆)盃を挙れハ、われ(抱一)餅を喰ふ」というのは、
巣兆は、「大酒飲みで、酒が足りなくなると羽織を脱いで妻に質に入れさせた」との逸話があるのに比して、抱一は下戸で、「餅を喰ふ」との、抱一の自嘲気味の言なのであろう。
 この巣兆と抱一との関係からして、抱一が、馬場存義門の兄弟子にも当たる、京都を中心として画・俳の二道で活躍した蕪村に、当然のことながら関心はあったであろうが、その関心事は、「江戸の蕪村」と称せられる、朋友の巣兆に呈したとしても、あながち不当の言ではなかろう。
 いずれにしろ、蕪村の回想録の『新花摘』(其角の『花摘』に倣っている)に出て来る、其角逸話の例を出すまでもなく、蕪村の「其角好き」と、文化三年(一八〇六)の「其角百回忌」に因んで、「其角肖像」を百幅を描いたという、抱一の「其角好き」とは、両者の、陰に陽にの、その気質の共通性を感ずるのである。

補記一 西鶴抱一句集(国立国会図書館デジタルコレクション)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/875058/1

補記二 抱一の俳句

http://haiku575tanka57577.blogspot.jp/2012/10/blog-post_6.html

1  よの中は團十郎や今朝の春
2  いく度も清少納言はつがすみ
3  田から田に降ゆく雨の蛙哉
4  錢突(ぜについ)て花に別るゝ出茶屋かな
5  ゆきとのみいろはに櫻ちりぬるを
6  新蕎麥のかけ札早し呼子鳥
7  一幅の春掛ものやまどの富士
8  膝抱いて誰もう月の空ながめ
9  解脱して魔界崩るゝ芥子の花
10 紫陽花や田の字づくしの濡ゆかた
11 すげ笠の紐ゆふぐれや夏祓
12 素麺にわたせる箸や銀河あまのがは
13 星一ッ殘して落る花火かな
14 水田返す初いなづまや鍬の先
15 黒樂の茶碗の缺かけやいなびかり
16 魚一ッ花野の中の水溜り
17 名月や曇ながらも無提灯
18 先一葉秋に捨たるうちは哉
19 新蕎麥や一とふね秋の湊入り
20 沙魚(はぜ)釣りや蒼海原の田うへ笠
21 もみぢ折る人や車の醉さまし
22 又もみぢ赤き木間の宮居かな
23 紅葉見やこの頃人もふところ手
24 あゝ欠(あく)び唐土迄も秋の暮
25 燕(つばくろ)の殘りて一羽九月盡くぐわつじん
26 山川のいわなやまめや散もみぢ
27 河豚喰た日はふぐくうた心かな
28 寒菊の葉や山川の魚の鰭
29 此年も狐舞せて越えにけり


(再掲)

http://yahantei.blogspot.com/search/label/%E5%85%B6%E8%A7%92?updated-max=2007-03-23T10:43:00%2B09:00&max-results=20&start=11&by-date=false

其角とその周辺・一(一~九)
其角とその周辺・二(十~二十)

http://yahantei.blogspot.com/search/label/%E5%85%B6%E8%A7%92?updated-max=2007-04-24T08:59:00%2B09:00&max-results=20&start=6&by-date=false

其角とその周辺・三(二十一~三十二)
其角とその周辺・四(三十三~四十五)
其角とその周辺・五(四十六~五十五)
其角とその周辺・六(五十六~六十五)
其角とその周辺その七(六十六~七十一)

http://yahantei.blogspot.com/search/label/%E5%85%B6%E8%A7%92

其角とその周辺(その八・七十二~八十)
其角とその周辺(その九・八十一~九十)
其角の『句兄弟・上』一(一~十一)
其角の『句兄弟・上』二(その十一~二十五)


其角肖像三.jpg
(其角肖像)
其角の『句兄弟・上』三(二十六~三十四)
其角の『句兄弟・上』四(三十五~三十九)
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