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渡辺崋山の「俳画譜」(『崋山俳画譜(鈴木三岳編)』) [渡辺崋山の世界]

(その一) 『崋山俳画譜(鈴木三岳編)』の「崋山の序」周辺

『崋山俳画譜(鈴木三岳編)』の「崋山の序」.jpg

『崋山俳画譜(鈴木三岳編)』の「崋山の序」(「早稲田大学図書館蔵」)
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_a1175/index.html
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_a1175/bunko31_a1175_p0003.jpg

≪ 俳諧絵は唯趣を第一義とといたし候。元禄のころ一蝶許六などあれども風韻は深省などまさり候。此風流の趣は古き所には無く、滝本坊、光悦など昉(はじま)りなるべし。はいかゐには立圃見事に候。近頃蕪村一流を昉(はじ)めおもしろく覚候。かれこれを思ひ合描くべし。すべておもしろかく気あしく、なるたけあしく描くべし,これを人にたとへ候に世事かしこくぬけめなく立板舞物のいひざまよきはあしく、世の事うとく訥弁に素朴なるが風流に見へ候通、この按排を御呑込あるべし。散人 ≫(『俳人の書画美術11 江戸の画人(鈴木進執筆・集英社))』所収「図版資料(森川昭稿)」に由っている。)

(補記)

一 「俳諧絵」=「俳画」=「俳画(はいが)は、俳句を賛した簡略な絵(草画)のこと。一般には俳諧師の手によるものであり、自分の句への賛としたり(自画賛)、他人の句への賛として描かれるが、先に絵がありこれを賛するために句がつけられる場合や、絵と句が同時に成るような場合もある。さらに敷衍して、句はなくとも俳趣を表した草画全般をも指す言葉としても用いられる。『俳画』という呼称は渡辺崋山の『全楽堂俳諧画譜』にはじまるとされており、それ以前の与謝蕪村などは『俳諧物の草画』と称していた。」(「ウィキペディア」)

二 「一蝶」=「英 一蝶(はなぶさ いっちょう、承応元年(1652年) - 享保9年1月13日(1724年2月7日))は、日本の江戸時代中期(元禄期)の画家、芸人。本姓は藤原、多賀氏、諱を安雄(やすかつ?)、後に信香(のぶか)。字は君受(くんじゅ)。幼名は猪三郎(ゐさぶらう)、次右衛門(じゑもん)、助之進(すけのしん)(もしくは助之丞(すけのじょう))。剃髪後に多賀朝湖(たがちょうこ)と名乗るようになった。俳号は「暁雲(ぎょううん)」「狂雲堂(きょううんだう)」「夕寥(せきりょう)」。
 名を英一蝶、画号を北窓翁(ほくそうおう)に改めたのは晩年になってからであるが、本項では「一蝶」で統一する。尚、画号は他に翠蓑翁(すいさおう)、隣樵庵(りょうしょうあん)、牛麻呂、一峰、旧草堂、狩林斎、六巣閑雲などがある。」(「ウィキペディア」)

三 「許六」=「森川 許六(もりかわ きょりく)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。」(「ウィキペディア」)

四 「深省」=「尾形 乾山(おがた けんざん、 寛文3年(1663年) - 寛保3年6月2日(1743年7月22日)は、江戸時代の陶工、絵師。諱は惟充。通称は権平、新三郎。号は深省、乾山、霊海、扶陸・逃禅、紫翠、尚古斎、陶隠、京兆逸民、華洛散人、習静堂など。一般には窯名として用いた「乾山」の名で知られる。)(「ウィキペディア」)

五 「滝本坊」=「松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、天正10年(1582年) - 寛永16年9月18日(1639年10月14日))は、江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。姓は喜多川、幼名は辰之助、通称は滝本坊、別号に惺々翁・南山隠士など。俗名は中沼式部。堺の出身。書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出し、近衛信尹、本阿弥光悦とともに『寛永の三筆』と称せられた。なお松花堂弁当については、日本料理・吉兆の創始者が見そめ工夫を重ね茶会の点心等に出すようになった「四つ切り箱」、それを好んだ昭乗に敬意を払って『松花堂弁当』と名付けられたとする説がある。」(「ウィキペディア」)

六 「光悦」=「本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人。通称は次郎三郎。号は徳友斎、大虚庵など[1]。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。」(「ウィキペディア」)

七 「立圃」=「雛屋 立圃(ひなや りゅうほ、文禄4年〈1595年〉 - 寛文9年9月30日〈1669年10月24日〉)は、江戸時代初期の日本の京都で活動した絵師であり、俳人でもある。姓は野々口(ののぐち)、名は親重(ちかしげ)[1]。立圃、立甫、甫、松翁、日祐、風狂子と号している。野々口 立圃としても知られる。また、俗称として、紅屋庄衛門、市兵衛、次郎左衛門、宗左衛門など諸説がある。絵師としては狩野派に属する。」 (「ウィキペディア」)

八 蕪村=「与謝 蕪村(與謝 蕪村、よさ ぶそん、よさの ぶそん 享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、文人画(南画)家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩『帰去来辞』に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」「謝寅(しゃいん)」など複数ある。」(「ウィキペディア」)

(参考)「渡辺崋山の草体画(2)―崋山と洒脱なへたうま画の極み俳諧画―」(「おもしろ日本美術3」No.6)

http://www.bios-japan.jp/omoshiro6.html

≪ 崋山は俳句の宗匠太白堂の知己を得て、自ら俳句を詠み、俳句関係の版本『桃下春帖』『いわい茶』『華陰稿』『月下稿』等の表紙やカットの筆をとっていた(蛮社の獄後は椿山に委ねる)。また、俳画はもちろん戯画略画の洒脱でいきな味わいを好み、自ら描くことも多かった。俳画は俳句の師匠や俳句好きの旦那衆が戯れに描いたところの素人絵に発するが、稚拙ながらもほのぼのとした訥々たる味わいを持つ、今のニューペインティングにいうへたうま的なものが好まれた。
 それも、蕪村や呉春、抱一など本格的な絵師が参入するようになり、また大雅や寒葉斎らの軽いタッチのうちにシャレた雅味を封じ込める軽妙な筆が評判を得て、稚拙な持ち味そのままに高い洗練性を誇る優品が数多く生まれた。
 そもそも、崋山の俳句への関わりは一通りでなく、太白堂五世、六世それぞれと深い付き合いをしていた。太白堂一家とは父巴洲の知り合いであった五世太白堂加藤萊石(初め山口桃隣、崋山『寓絵堂日録』に肖像あり)のころから親しい間がらで、次の六世太白堂(江口孤月、崋山は「華陰兄」と呼ぶ)の代に跨って二十余年間、俳句の世界にも積極的に身を投じていた(俳号は桃三堂支石)。『桃下春帖』天保八年冊に「見に出たる事はわすれて柳かげ」との句を寄せ太白堂との交誼に関する識語を添えている。
 『桃下春帖』は各冊百丁余りで、ほぼ毎頁に崋山の絵を版下としたカットで埋め尽くされており、また、崋山が版下を任された太白堂の年始廻りの配り物の四角奉書色刷りの俳画も数多く知られている。
 崋山の俳画帖については、晩年の『俳画譜』が秀抜で、田原蟄居中に崋山の信奉者である鈴木與兵衛のために俳画の手本として描き与えたものである。崋山歿後與兵衛は、版に起こして世に公刊。明治にはコロタイプの複製も出ている。
 『俳画譜』の自序に、「俳諧絵は唯趣を第一義といたし候。・・・此風流の趣は古き所には無く、瀧本坊、光悦など昉りなるべし。はいかゐには立圃見事に候。近頃蕪村一流を昉めおもしろく覚え候。かれこれ思い合描くべし。すべておもしろくかく気あしく、なるたけあしく描くべし。これを人にたとへ候に世事かしこくぬけめなく立振舞物のいひざまよきはあしく、世の事うとく訥弁に素朴なるが風流は見え候通、この按排を御呑込あるべし。」とあり、自らの確固たる俳画論を披歴している。絵は野々口立圃、英一蝶、松下堂昭乗、森川許六、与謝蕪村、本阿弥光悦等々崋山が推挙する俳画の名手の法に従った倣画を連ねて適宜コメントを添えている。原本は尼崎のY家所蔵。(文星芸術大学 上野 憲示) ≫

(補記その一)  「近世俳人略系譜」と「太白堂(天野桃隣)俳諧系譜」
「近世俳人略系譜」→ https://www.town.kamisato.saitama.jp/1296.htm

太白堂(天野桃隣)俳諧系譜.jpg

太白堂系譜.jpg

「太白堂(天野桃隣)俳諧系譜」→ https://www.town.kamisato.saitama.jp/1295.htm

(補記その二)「 桃家春帖 / 太白堂孤月 [編] ; [渡辺崋山] [ほか画] 」周辺
著者/作者 Author: 孤月, 1789-1872・渡辺 崋山, 1793-1841
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_a1111/index.html


「桃家春帖・ 太白堂孤月編・渡辺崋山].jpg

「桃家春帖 / 太白堂孤月 [編] ; [渡辺崋山] [ほか画]」所収「渡辺崋山(俳号=桃三堂支石「句=「見に出たる事はわすれて柳かげ」(118/131))(「早稲田大学図書館蔵」)
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_a1111/index.html
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