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酒井抱一の「綺麗さび」の世界(八) [抱一の「綺麗さび」]

その八 「扇面雑画(二十四)・柿図」(抱一筆)

扇面・柿図.jpg

酒井抱一筆「扇面雑画(二十四)・柿図」(「扇面雑画(六十面)の一面」)
紙本着色・墨画 三六・五×六三・八㎝(各面) 東京国立博物館蔵

https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0052871

【(前略)六十面の扇面画中、特に優れているのは柿図と白梅図であるが、扇面という空間の実に巧みなとらえ方と、彩色の配り方はまことに抱一の鋭利な感覚の卓越したことを知る。しかもこれらの扇面画はほとんどが簡略な図柄で占められ、複雑なものはない。いかにも江戸人好みの図柄に徹していることだ。ただ妙に粋振ることはなく、淡々としていてさらりと描き上げている。重苦しさとか、けばけばしさが微塵もない。「山椒は小つぶでもびりっと辛い」といった諺が抱一の扇面画に符合した品評ではなかろうか。 】
(『抱一派花鳥画譜四(紫紅社)』所収「本文・図版解説(中村渓男稿)」)

 上記解説中の「白梅図」については、下記のアドレスで触れている。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2019-08-15

 そして、この「柿図」については、下記のアドレスの「柿図」に連なっている。

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2019-08-27

酒井抱一筆「扇面貼交屏風」 扇面紙本着色 六曲一双(上=左隻 下=右隻)
同上部分拡大図(上=左隻の第五扇)上から「梔子図」「柿図」「水墨山水図」「双亀図」 

 さらに、文化十三年(一八一六)、光琳百回忌を修した翌年(抱一、五十六歳)の秋に制作した「柿図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)に連なっている。下記アドレスのものを再掲して置きたい。

(再掲)

https://yahan.blog.so-net.ne.jp/2019-07-03

柿図屏風.jpg

酒井抱一筆「柿図屏風」二曲一隻 紙本着色 ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵
一四五・一×一四六・〇cm 落款「丙子暮秋 抱一暉真」 印章「文詮」朱方印
文化十三年(一八一六)作
【 (前略) 324図(注・上記の「柿図屏風)は、そうした抱一の柿図を代表する一点。左下から右上へ対角線に沿って枝を伸ばした柿の木を描く。葉もすでに落ち、赤い実も五つばかりになった、秋の暮れのもの寂びた景であるが、どこか俳味が感じられるのは、抱一ならではの画趣といえよう。落款より文化十三年(一八一六)、彼の五十六歳の作と知れる。(後略)    】(『琳派二・花鳥二(紫紅社刊)』所収「作品解説(榊原悟稿)」)

 さらに、次の「作品解説」(中村渓男稿)も掲載して置きたい。

【 秋も深まり葉を落した柿の樹が左側から立ち、枝には五個の真赤に熟した実をつけている。左下には僅かに土坡を斜めにのぞかせ、そこに穂先も乱れ、風に葉を鳴らせる枯芒とおおばこの葉と小さな花が淋しく描かれている。
この図は抱一には珍しく、金箔や銀箔地でもなく、ただ無地の紙に楚々として、幾分うす墨を僅かにはいているようである。これは淋しげ、また荒涼とした冬枯れの感じをあらわすために、故意に冷たさをあらわすための考えから出たものであろう。いつもの抱一らしからぬ静寂で、寂寥感を感じさせるように作為したものである。
しかし柿の葉、柿の実には目のさめるような彩色を用い、この一点に視るものの眼を向けさせようとしたことは、やはり色彩画家抱一の鋭い感覚のあらわれである。すべての他の部分は打ちひしがれたような表現をとっていることが、一段とその効果をあげていることに成功している。
晩秋の清浄な気分と静寂さが漂い、季節に鋭敏な抱一の感情と軽妙な筆技があいまってこのような一画境を生んだ。これこそ抱一が見せた明らかに江戸琳派の特色であり、この方向へ進む一つの指針としてこの作品を解釈することができる。しかもこの作品の落款の前に「丙子暮秋」という制作年紀があり、これは文化十三年(一八一六)、彼五十六歳の作であることも貴重である。つまり彼の作風の変遷上、この境にまで進展していたことを物語り、光琳百回忌を行った以後一年足らずで、すでにその域にまで達していたことがわかる。落款は「抱一暉真」、印は「文詮」朱文円印である。  】
(『抱一派花鳥画譜三(紫紅社)』所収「本文・図版解説(中村渓男稿)」)

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