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蕪村・若冲・大雅・応挙らの「諸家寄合膳」と「諸家寄合椀」(その一) [諸家寄合膳・椀]

蕪村・若冲・大雅・応挙らの「諸家寄合膳」と「諸家寄合椀」(その一)


2015年3月18日(水)~5月10日(日)まで、サントリー美術館で、「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展が 開催された。
その冒頭(第一章「十八世紀の京都ルネッサンス」)を飾ったのが、「諸家寄合膳」(応挙・大雅・蕪村・若冲ら筆・朱塗膳・二十枚、各、二八・〇×二八・〇 高二・八)と「諸家寄合椀」(呉春・若冲ら筆・朱塗椀・十一合、各、径一二・六 高二八・八)とであった。
 その図録(サントリー美術館・MIHO MUSEUM編)の紹介と若干の考察を付して置きたい。
 なお、その図録中、この「諸家寄合膳」と「諸家寄合椀」の「作品解説」は、岡田秀之氏(MIHO MUSEUM学芸員)が担当し、その「諸家寄合膳」の「釈読」は鈴木洋保氏(書画家・書画史家)が担当している。
 また、図録中、「蕪村絵画における賛の書画をめぐって」は鈴木氏、「若冲と蕪村―その共通点と相違点」は岡田氏が執筆している。

諸家寄合膳(四枚).jpg

「諸家寄合膳」(二十枚)のうち「蕪村・若冲・大雅・応挙」の四枚
上左・蕪村筆「翁自画賛」 上右・若冲筆、四方真顔賛「雀鳴子図」
下左・大雅筆「梅図」   下右・応挙筆「折枝図」 

諸家寄合椀.png

「諸家寄合椀」(十一合) 前方の中央の椀(若冲筆「梅図」)

 これらの「諸家寄合膳」と「諸家寄合椀」の所蔵者は、その「出品目録」を見ると、空白になっており、個人蔵のようである。
 なお、その「作品解説(4「諸家寄合椀」)の末尾に、「『諸家寄合膳(作品3)と同じように『酔墨斎持』とあり、もと雨森白水(一七九三~一八八一)が所蔵していた」とある。
 この旧蔵者の雨森白水は、幕末・明治に掛けての日本画家の雨森白水であろう。
 この酔墨斎こと雨森白水は、寛政五年(一七九三)の生まれで、「若冲と蕪村 関連年表」(上記『図録』所収)」によると、その生まれた年に、若冲(七十八歳)は、「この年までに、石峰寺に隠棲」とあり、そして、没する寛政十二年(一八〇〇、八十五歳)に、「『諸家寄合椀』のうち『梅図』(作品4)、『松尾芭蕉図』(作品102)、『霊亀図』(作品223)、四月、池大雅の二十五回忌を病を理由に欠席、九月十日没」とある 
 すなわち、若冲の「諸家寄合椀」(「梅図」)は、若冲が亡くなった最晩年の遺作ともいうべきものということと、江戸中期の「若冲・蕪村・大雅・応挙」らと江戸後期から明治に掛けての「白水」とは、そもそも活躍した時代が違うということになろう。
 若冲との関連で見ていくと、若冲が晩年に隠棲し、若冲の五百羅漢で知られている石峰寺(若冲が埋葬された墓があり、その遺髪は菩提寺宝蔵寺と相国寺にも埋納されている)に、白水の墓地もあり、白水と若冲とは何らかの縁もあるような雰囲気ではある。
 しかし、この雨森白水は、金福寺の蕪村墓碑を揮毫した書家で知られている、蕪村と三十年の交友関係にあった雨森章迪の一族と解し、その雨森家が二代、三代にわたって蕪村、そして、百池や呉春、さらには木村蒹葭堂などの縁により蒐集していたものと考える方が自然であろう。

 ここで、「諸家寄合膳」(二十枚)と「諸家寄合椀」(十一合)の作者と画題などを下記に掲載して置きたい。
 これによると、一番早い年代のものは、「諸家寄合椀」の「四英一峰(一六九一~一七六〇)」で、宝暦十年(一七六〇)前の絵付けということになろう。続いて、「諸家寄合膳」の「二池大雅(一七二三~七六)」の安永五年(一七七六)前のものということになる。
 一番遅いものは、「諸家寄合膳」の「十八観嵩月(一七五九~一八三〇)」の天保元年(一八三〇)前のものということになろう。
 いずれにしろ、下記のものが全部出来上がるまでには、少なくとも、半世紀(五十年)以上の年数がかかっているものと解したい。

諸家寄合膳(二十枚)
一 円山応挙(一七三三~九五)筆「折枝図」
二 池大雅(一七二三~七六)筆「梅図」     
三 与謝蕪村(一七一六~一七八三)筆「翁自画賛」
四 池玉瀾(一七二八~八四)筆「松渓瀑布図」
五 鼎春嶽(一七六六~一八一一)筆、皆川淇園賛「煎茶図」
六 曽我蕭白(一七三〇~八一)筆「水仙に鼠図画賛」
七 東東洋(一七五五~一八三九)筆、八木巽処賛
八 伊藤若冲(一七一六~一八〇〇)筆、四方真顔賛「雀鳴子図」
九 福原五岳(一七三〇~一七九九)筆、三宅嘯山賛「夏山図」
十 狩野惟信(一七五三~一八〇八)筆、鴨祐為賛「富士図」
十一 岸駒(一七四九《五六》~一八三八)筆、森川竹窓賛「寒山拾得図」
十二 長沢芦雪(一七五四~一七九九)筆、柴野栗山賛「薔薇小禽図」
十三 月僊(一七四一~一八〇九)筆、慈周(六如)賛「五老図」
十四 吉村蘭洲(一七三九~一八一七)筆、浜田杏堂賛「山居図」
十五 土方稲嶺(一七三五~一八〇七)筆、木村蒹葭堂賛「葡萄図」
十六 玉潾(一七五一~一八一四)筆、慈延賛「墨竹図」
十七 紀楳亭(一七三四~一八一〇)筆、加茂季鷹賛「蟹図」
十八 観嵩月(一七五九~一八三〇)筆「鴨図」
十九 島田元直(一七三六~一八一九)筆、谷口鶏口賛「菊図」
二十 堀索道(?~一八〇二)筆、大島完来賛「牡丹図」

諸家寄合椀(十一合)
一 呉春(一七五二~一八一一)筆「燕子花郭公図」
二 高嵩谷(一七三〇~一八〇四)筆「山水図」  
三 伊藤若冲(一七一六~一八〇〇)筆「梅図」
四 英一峰(一六九一~一七六〇)筆「芦雁図」
五 黄(横山)崋山(一七八一~一八三七)筆「柳図」
六 土佐光貞(一七三八~一八〇六)筆「稚松」
七 村上東洲(?~一八二〇)筆「三亀図」
八 鶴沢探泉(?~一八〇九)筆「三鶴図」
九 森周峯(一七三八~一八二三)筆「水仙図」
十 宋紫山(一七三三~一八〇五)筆「竹図」
十一 森狙仙(一七四七~一八二一)筆「栗に猿図」

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