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「俳誌・ホトトギス」管見(その十) [ホトトギス・虚子]

「ホトトギス・四百号」()周辺

「ホトトギス・四百号」.jpg

「ホトトギス・四百号」(昭和四年・一九二九/十二月号/第三十三巻第三号)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7972518

(目次)

ホトトギス四百號 / 飄亭 ; 紅緑 ; 三重吉 ; 秋聲 ; 虚吼 ; 能成 ; 千甕 ; 鼠骨 ; 癖三醉 ; 伊三郞 ; 霽月 ; 如翠 ; 靑峰 ; 宗之助 ; 寅日子 ; 均 ; 把栗 ; 泊月 ; 普羅 ; 法師 ; 格堂 ; 紫影 ; 靑楓 ; 三允 ; 鬼城 ; 繞石 ; 秋江 ; 落魄居 ; 萍雨 ; 泊雲 ; 小風 ; 月斗 ; 雪鳥/p1~20
ハルビンなど ゾーヤサン チンへの家 / 高濱虚子/p21~38
後藤夜半論 / 水原秋櫻子/p39~44
雜詠句評會(第四十六回) / 花蓑 ; 風生 ; 靑邨 ; 秋櫻子 ; たけし ; 虚子/p45~49
漫談會(第十四回)四百號漫談(再び) / 秋櫻子 ; 靑邨 ; 風生 ; たけし ; 虚子/p50~52
庭の草木 / 大岡龍男/p53~56
幟 / 水原秋櫻子/p57~57
花野 / 鈴鹿野風呂/p58~58
春十句 / 高濱虚子/p59~59
ピレネーだより / 池内友次郞/p60~61
東大俳句會 / 曾根豊水/p62~62
家庭俳句會 / 本田あふひ/p63~63
七寳會 / 佐野ゝ石/p64~64
消息 / 虚子 ; たけし/p65~65
同人、選者/p66~66
雜詠 / 高濱虚子/p67~114

(管見)

一 「虚子・秋櫻子・素十」周辺

秋櫻子と素十.png

「秋櫻子と素十(高浜虚子)」(『ホトトギス』1928年11月所収)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7972505/1/4

 「ホトトギス・四百号」は、昭和四年(一九二九)の十二月号、それに先立つ、昭和三年(一九二八)十一月号に、「秋櫻子と素十」と題する、虚子の、「客観写生」という立場からの、「水原秋櫻子(俳句)と高野素十(俳句)」とを俎上に挙げて、「高野素十(俳句)」の世界を佳とする「平易・余韻」に加えての「客観写生」を、「ホトトギス」の目指す道筋の一つとの考えを表明した。
 この背景には、この前年(昭和三年=一九二八)の、山口青邨が、ホトトギスの講演会(「どこか実のある話」と題する講演)の中で、「東に秋素の二Sあり! 西に青誓の二Sあり!」と、いわゆる、「ホトトギス」を代表する俳人として、「四S(しいエス)」(水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝、山口誓子の四人)を指摘したことなどが挙げられる。

[水原秋桜子( みずはら-しゅうおうし)  1892-1981 大正-昭和時代の俳人。
明治25年10月9日生まれ。高浜虚子(きょし)に師事,「ホトトギス」で山口誓子(せいし)らと4S時代をきずく。昭和6年主宰誌「馬酔木(あしび)」で虚子の写生観を批判,新興俳句運動の口火をきった。39年芸術院賞,41年芸術院会員。産婦人科医で,昭和医専の教授もつとめた。昭和56年7月17日死去。88歳。東京出身。東京帝大卒。本名は豊。句集に「葛飾(かつしか)」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[高野素十( たかの-すじゅう) 1893-1976 大正-昭和時代の俳人,法医学者。
明治26年3月3日生まれ。新潟医大教授,同大学長,奈良医大教授を歴任。高浜虚子に師事。水原秋桜子,山口誓子,阿波野青畝(せいほ)とともに「ホトトギス」の4Sと称された。昭和32年「芹」を創刊,主宰。昭和51年10月4日死去。83歳。茨城県出身。東京帝大卒。本名は与巳(よしみ)。句集に「初鴉」「雪片」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[山口誓子( やまぐち-せいし) 1901-1994 大正-平成時代の俳人。
明治34年11月3日生まれ。山口波津女の夫。高浜虚子(きょし)に師事し,「ホトトギス」同人。水原秋桜子らとともに「4S時代」をきずき,のち秋桜子の「馬酔木(あしび)」に参加,俳句の近代化に貢献した。昭和23年「天狼」を創刊。62年芸術院賞。平成4年文化功労者。平成6年3月26日死去。92歳。京都出身。東京帝大卒。本名は新比古(ちかひこ)。句集に「凍港」「激浪」「青女」「不動」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[阿波野青畝 (あわの-せいほ) 1899-1992 大正-平成時代の俳人。
明治32年2月10日生まれ。原田浜人(ひんじん),高浜虚子に師事し,水原秋桜子,山口誓子,高野素十(すじゅう)とともに「ホトトギス派の4S」といわれる。昭和4年俳誌「かつらぎ」を創刊,主宰した。48年蛇笏(だこつ)賞,平成4年日本詩歌文学館賞。平成4年12月22日死去。93歳。奈良県出身。畝傍(うねび)中学卒。旧姓は橋本。本名は敏雄。句集に「万両」「春の鳶(とび)」「甲子園」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

二 「ホトトギス四百號 / 三重吉 ; 能成 ; 寅日子 ; 靑楓 /p1~20」周辺

[鈴木三重吉( すずき-みえきち) 1882-1936 明治-昭和時代前期の小説家,児童文学者。
明治15年9月29日生まれ。夏目漱石に師事。小説「千鳥」「桑の実」を発表。大正7年「赤い鳥」を創刊し,芸術性ゆたかな童話・童謡の創作を提唱。坪田譲治,新美南吉(にいみ-なんきち)らの童話作家をそだてた。昭和11年6月27日死去。55歳。広島県出身。東京帝大卒。童話集に「世界童話集」。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[安倍能成( あべ-よししげ) 1883-1966 明治-昭和時代の哲学者,教育者。
明治16年12月23日生まれ。夏目漱石(そうせき)の門下。岩波版「哲学叢書(そうしょ)」の編集にくわわる。昭和15年一高校長,21年幣原(しではら)内閣の文相,のち学習院院長となる。昭和41年6月7日死去。82歳。愛媛県出身。東京帝大卒。著作に「西洋近世哲学史」「カントの実践哲学」「平和への念願」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[寺田寅彦 (てらだ-とらひこ) 1878-1935 明治-昭和時代前期の物理学者,随筆家。
明治11年11月28日生まれ。ドイツに留学。大正5年東京帝大教授。理化学研究所などの所員をかね,実験物理学,応用物理学,地球物理学など幅ひろい研究を展開した。6年学士院恩賜賞。また夏目漱石(そうせき)に師事し,「藪柑子集(やぶこうじしゅう)」などの随筆をのこす。昭和10年12月31日死去。58歳。東京出身。東京帝大卒。筆名は吉村冬彦。俳号は藪柑子,寅日子など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[津田青楓 (つだ-せいふう) 1880-1978 明治-昭和時代の画家。
明治13年9月13日生まれ。西川一草亭(いっそうてい)の弟。関西美術院で浅井忠(ちゅう)らにまなぶ。大正3年二科会創立に参加,左翼運動にくわわり,昭和6年「ブルジョワ議会と民衆の生活」を出品,検挙される。のち転向して二科会を退会,日本画に転じた。昭和53年8月31日死去。97歳。京都出身。旧姓は西川。本名は亀治郎。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

三 「同人、選者/p66~66」周辺

(その一)「ホトトギス」の代表作家(「その一/虚子雑詠選・明治45~大正5)周辺

[村上鬼城 (むらかみ-きじょう) 1865-1938 明治-昭和時代前期の俳人。
慶応元年5月17日生まれ。群馬県高崎区裁判所の代書人となる。「ホトトギス」に投句して高浜虚子に激励され,大正6年大須賀乙字(おつじ)編「鬼城句集」により俳名をあげた。難聴にくるしみ,不遇の生活を境涯句として表現した。昭和13年9月17日死去。74歳。江戸出身。旧姓は小原。本名は荘太郎。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[飯田蛇笏( いいだ-だこつ) 1885-1962 明治-昭和時代の俳人。
明治18年4月26日生まれ。早大在学中に早稲田吟社で活躍。高浜虚子に師事するが,明治42年郷里山梨県境川村に隠棲(いんせい)。虚子の俳壇復帰とともに句作を再開,「ホトトギス」の中心作家となる。俳誌「雲母」を主宰,山間の地にあって格調のたかい作風を展開した。昭和37年10月3日死去。77歳。早大中退。本名は武治。別号に山廬(さんろ)。句集に「山廬集」「椿花(ちんか)集」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[前田普羅 (まえだ-ふら) 1884-1954 大正-昭和時代の俳人。
明治17年4月18日生まれ。官吏などをへて,時事新報,報知新聞の記者となる。大正はじめより「ホトトギス」に投稿し,高浜虚子(きょし)にみとめられ飯田蛇笏(だこつ)らとともに虚子門の四天王にかぞえられた。富山で「辛夷(こぶし)」を主宰。自然,山岳をよんだ句がおおい。昭和29年8月8日死去。70歳。東京出身。早大中退。本名は忠吉。句集に「普羅句集」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[原石鼎 (はら-せきてい) 1886-1951 大正-昭和時代の俳人。
明治19年3月19日生まれ。家は代々医師。高浜虚子(きょし)にみとめられ,大正4年上京してホトトギス社にはいる。10年「鹿火屋(かびや)」を創刊,主宰。飯田蛇笏(だこつ)らと大正俳壇で活躍した。昭和26年12月20日死去。65歳。島根県出身。京都医専中退。本名は鼎(かなえ)。句集に「花影(かえい)」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

「ホトトギス・同人」.jpg
 
「同人、選者/p66~66」
https://dl.ndl.go.jp/pid/7972518/1/36

(その二) 「ホトトギス」の代表作家(その二/「虚子雑詠選・大正6~大正15)周辺

※ (その一)での「四S(しいエス)」(水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝、山口誓子の四人)の時代

(その三) 「ホトトギス」の代表作家(その三/「虚子雑詠選・昭和2~昭和11)周辺

[川端茅舎 か(わばた-ぼうしゃ) 1897-1941 大正-昭和時代前期の俳人。
明治30年8月17日生まれ。川端竜子の異母弟。岸田劉生(りゅうせい)に師事して画家をこころざしたが,劉生の死と自身の病弱のため俳句に専念する。高浜虚子(きょし)にまなび,「ホトトギス」同人となる。虚子から「花鳥諷詠(ふうえい)真骨頂漢」の称をあたえられた。昭和16年7月17日死去。45歳。東京出身。独協中学卒。本名は信一。句集に「華厳(けごん)」「白痴」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[松本たかし( まつもと-たかし) 1906-1956 昭和時代の俳人。
明治39年1月5日生まれ。宝生(ほうしょう)流能役者松本長(ながし)の長男。9歳で初舞台をふんだが病弱で能を断念。高浜虚子に俳句をまなび,「ホトトギス」の同人となる。昭和21年「笛」を創刊,主宰した。昭和31年5月11日死去。50歳。東京出身。本名は孝。句集に「松本たかし句集」「石魂」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[星野立子 (ほしの-たつこ) 1903-1984 昭和時代の俳人。
明治36年11月15日生まれ。高浜虚子(きょし)の次女。父に師事し,杉田久女(ひさじょ),中村汀女(ていじょ)らとならぶ女性俳人として知られる。昭和5年俳誌「玉藻(たまも)」を創刊,主宰。「ホトトギス」同人。句集「立子句集」「笹目(ささめ)」などのほか,随筆集もおおい。昭和59年3月3日死去。80歳。東京出身。東京女子大高等学部卒。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)


(その四) 「ホトトギス」の代表作家(その四/「虚子雑詠選・「明治45~昭和11)周辺

[原 月舟(ハラ ゲッシュウ) 明治・大正期の俳人
生年 明治22(1889)年5月24日
没年 大正9(1920)年11月4日
出生地 東京市赤坂区青山南町
本名 原 清
学歴〔年〕慶応義塾大学理財科〔大正2年〕卒
経歴 明治の末年から「国民新聞」に投句し、松根東洋城の選を受けた。大正初期、虚子の俳壇復帰とともに「ホトトギス」に投句、大正3年同誌の募集俳句選者の一人となる。7年10月より同誌に「写生は俳句の大道であります」を連載し、ホトトギス流写生論を鼓吹したが、一方ではその瑣末な写生が批判された。没後「月舟俳句集」が刊行された。](「20世紀日本人名事典」)

[西山 泊雲(ニシヤマ ハクウン) 明治〜昭和期の俳人
生年 明治10(1877)年4月3日
没年 昭和19(1944)年9月15日
出生地 兵庫県氷上郡竹田村
本名 西山 亮三
経歴 家業の酒造業を継承。明治36年弟の野村泊月の紹介で高浜虚子に師事。「ホトトギス」の課題句、地方俳句欄選者で虚子に高く評価された。「ホトトギス」同人として「鬼灯」「樗」の雑詠選を担当。句集に「泊雲句集」「泊雲」がある。](「20世紀日本人名事典」)

[鈴木 花蓑(スズキ ハナミノ) 明治〜昭和期の俳人
生年 明治14(1881)年8月15日
没年 昭和17(1942)年11月6日
出生地 愛知県知多郡半田町
本名 鈴木 喜一郎
経歴 大正4年に上京、長く大審院の書記を勤めた。俳句は7年頃から高浜虚子に師事、大正末から昭和初期にかけて「ホトトギス」で活躍し花蓑時代を築く。大阪朝日地方版、新愛知新聞俳壇の選者を担当、「アヲミ」を主宰した。酒好きで有名。「鈴木花蓑句集」の遺著がある。](「20世紀日本人名事典」)

[富安風生( とみやす-ふうせい) 1885-1979 大正-昭和時代の俳人。
明治18年4月16日生まれ。逓信省にはいり,昭和11年逓信次官。在任中から高浜虚子(きょし)に師事し,「ホトトギス」同人。昭和3年「若葉」の選者となり,のち主宰。軽妙洒脱から内省的句風へとうつり,自在な境地に到達した。芸術院会員。昭和54年2月22日死去。93歳。愛知県出身。東京帝大卒。本名は謙次。句集に「草の花」「晩涼」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[山口青邨 (やまぐち-せいそん) 1892-1988 大正-昭和時代の俳人,鉱山学者。
明治25年5月10日生まれ。古河鉱業などをへて母校東京帝大の教授。高浜虚子にまなび,大正11年水原秋桜子(しゅうおうし)らと東大俳句会をおこす。「ホトトギス」同人。「夏草」を創刊,主宰。昭和63年12月15日死去。96歳。岩手県出身。本名は吉郎。句集に「雑草園」,著作に「花のある随筆」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[池内 たけし(イケノウチ タケシ) 大正・昭和期の俳人
生年 明治22(1889)年1月21日
没年 昭和49(1974)年12月25日
出生地 愛媛県松山市
本名 池内 洸(イケノウチ タケシ)
学歴〔年〕 東洋協会専門学校(現・拓殖大)中退
経歴 東洋協会専門学校を中退して宝生流の門に入り、能楽師を志したがそれを断念し、叔父高浜虚子に就いて俳句を志す。「ホトトギス」の編集にたずさわり、昭和7年「欅」を創刊し、8年「たけし句集」を刊行、以後「赤のまんま」「玉葛」「春霞」「その後」「散紅葉」などの句集や随筆集「叔父虚子」などを刊行した。](「20世紀日本人名事典」

[高浜年尾 (たかはま-としお) 1900-1979 大正-昭和時代の俳人。
明治33年12月16日生まれ。高浜虚子(きょし)の長男。中学時代から父の手ほどきをうけ,一時会社につとめたのち俳句に専念。昭和13年から「俳諧(はいかい)」を主宰。26年父より「ホトトギス」をひきついだ。昭和54年10月26日死去。78歳。東京出身。小樽高商(現小樽商大)卒。著作に「俳諧手引」,句集に「年尾句集」。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

(その五) 「ホトトギス・同人」を除名された著名俳人

[日野草城( ひの-そうじょう) 1901-1956 大正-昭和時代の俳人。
明治34年7月18日生まれ。昭和2年の句集「花氷」でみとめられ,4年「ホトトギス」同人。10年「旗艦」を創刊,無季新興俳句運動をすすめ,翌年「ホトトギス」を除名される。戦後は「青玄」を創刊,主宰した。昭和31年1月29日死去。54歳。東京出身。京都帝大卒。本名は克修(よしのぶ)。句集に「青芝」「人生の午後」など。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[吉岡禅寺洞 (よしおか-ぜんじどう) 1889-1961 明治-昭和時代の俳人。
明治22年7月2日生まれ。大正7年福岡で「天の川」を創刊,のち主宰。富安風生,芝不器男(ふきお)らをそだてる。昭和4年「ホトトギス」同人となるが,新興俳句運動にはいり,11年除名された。戦後,口語俳句協会会長。昭和36年3月17日死去。71歳。福岡県出身。本名は善次郎。別号に禅寺童。句集に「銀漢(ぎんかん)」「新墾(にいはり)」](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)

[杉田久女( すぎた-ひさじょ) 1890-1946 大正-昭和時代の俳人。
明治23年5月30日生まれ。福岡県小倉にすみ「ホトトギス」に投句し,高浜虚子に師事。昭和7年「花衣(はなごろも)」を創刊,主宰。同年「ホトトギス」同人となるが,11年除名される。昭和21年1月21日死去。57歳。鹿児島県出身。東京女高師付属高女卒。旧姓は赤堀。本名は久子。](「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)
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