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応挙工房周辺(「保津川図屏風」と「瀑布古松図床貼付」) [応挙]

(その一)「保津川図屏風」と「瀑布古松図床貼付」

保津川図屏風.jpg
八曲一双 紙本淡彩 各一五四・五×四八三・〇cm )千總(京都)蔵

【落款の「乙卯晩夏写 応挙」から寛政七年(一七九五)六月に描かれたことがわかる八曲一双の屏風である。応挙が他界したのは同年七月十七日なので、応挙の絶筆と見られている作品でもある。応挙が他界した翌日、長男・円山応瑞が植松家に送った書状に、応挙が「久々所労」だったと記されているが、そういう状態で描かれた作品ということらなる。
(中略)この「保津川図屏風の右隻は、応挙が寛政六年に描いた金刀比羅宮表書院上段の間「瀑布古松図床貼付」と構図から筆づかいまで実によく似ている。応挙はこの床貼付の出来栄えに満足し、それを屏風として再び描いたのがこの「保津川屏風」だったのではないだろうか。なお、これは保津川図屏風と呼ばれているが、制作当初からこの名称だったのかはわからない。ただ、応挙の故郷・穴太村は保津川近くに位置する。】
(『別冊太陽 円山応挙』所収「作品研究・五十嵐公一稿」)

 この「保津川図屏風」について、先に、「芦雪あれこれ(その十四)方寸五百羅漢図)の補記六(応挙の絶筆)で、次のように記した。

【(期間)2017年9月22日(金)~9月26日(火)
(会場)千總ギャラリー(京都市中京区三条通烏丸西入御倉町80 千總本社ビル2階)
(開館)10:00-18:00 / 水曜休館
(入場料) 無料
(アクセス) 地下鉄「烏丸御池」駅から徒歩約3分 / 阪急「烏丸」駅から徒歩約7分
「伊右衛門サロン京都」内の階段より2階へお上りください

 応挙が没したのは、寛政七年(一七九五)七月十七日、その六月に、絶筆「保津川図屏風」を描く。この「保津川図屏風」が、上記のとおり緊急公開されていた。この応挙の「保津川屏風」と、芦雪の晩年の傑作「海浜奇勝図屏風」とは、そのダイナミックな点など、どことなく、通底しているような印象を持った。
 この「保津川図屏風」は、2012/1/28 BS JAPANの「美の巨人たち」で放映されていた。その記事は次のとおり。

「今日の作品は、江戸時代の天才絵師・円山応挙の絶筆となった八曲一双の屏風絵『保津川図屏風』。高さおよそ1.5m、幅は各隻5mに迫る特大版の屏風絵です。右隻に描かれているのは、水しぶきを浴びそうな迫真の激流。第一扇から始まるのは、怒涛の落差で流れ落ちる大きな滝です。圧倒的な水量は巨大な岩を呑み込み、轟音を立てながら下流へと流れを加速させていきます。対する左隻は、ゆったりとした渓谷の風情。悠然と流れる渓流は、多彩な表情を見せていきます。穏やかな流れの中で泳ぐ鮎、渓流にせり出す青々とした松。この屏風の前に佇むと、身も心も洗われるような爽快感が全身を吹き抜けていきます。この大作を、応挙は亡くなる1カ月前に描き上げました。
 保津川は、応挙の故郷の川です。保津川上流にある丹波国の穴太村に農家の次男坊として生まれた応挙は、10代前半で京の都へとやって来ました。そこで生涯を決定するあるものと出会います。南蛮渡来の眼鏡絵です。眼鏡絵というのは、西洋の透視図法で描かれた絵をレンズで見ると、風景が立体となって浮かびあがるというものです。奉公先の玩具商でこの眼鏡絵を描く仕事に就いた応挙にとって、絵画とはまさに視覚表現でした。
 やがて応挙は絵師として、京都を舞台に活躍し始めます。応挙が登場する以前、日本の画壇は御用絵師である狩野派の天下でしたが、応挙の登場によって狩野派の絵は一気に古めかしいものとなってしまいました。
 応挙は、写生を基に絵を描いた最初の絵師だったのです。対象をつぶさに観察し、ありのままの姿をまさにそこにあるように描く。それは当時においては革新的なことでした。そして、その眼差しがやがて絵画に革命を起こしていきます。
 さらに応挙は、対象の立体感までもをそのまま描き出そうとしていったのです。例えば松を描く際、狩野派は幹や枝を左右に大きく伸ばし平面的に描き上げます。それに対して応挙の松は、枝が左右だけではなく画面の手前や奥にも広がっています。応挙は絵画という二次元の世界に、三次元の空間を作り上げようとしたのです。それは、江戸時代の3Dとも言うべき革新的な描き方でした。
やがて応挙の立体へのこだわりは、絵を見る空間にまでスケールを広げていきます。例えば、滝を描いた巨大掛け軸は池のほとりに立て掛けて鑑賞し、絵画という仮想世界を現実の世界に繋げて一大スペクタクルを作り上げようとしました。そんな応挙の企みは今日の作品にも。この屏風、ある特別な置き方があるのです。果たして、特別な置き方とは?」  】

 この記述の最後のところの「この屏風、ある特別な置き方があるのです。果たして、特別な置き方とは?」の、その「特別な置き方」については、冒頭に掲げた「作品研究・五十嵐公一稿」の(中略)のところに、「この二隻ヲ向い合うように立てかけ、鑑賞者がその間に座った場合、あたかも船に乗り両岸の景色を見るような感覚を味わうことができる」とあり、これがその答ということになろう。

補記一 「瀑布古松図床貼付」(応挙筆)「金刀比羅宮・「上段之間」 寛政六年(一七九四) 六十二歳作  紙本墨画 二六九・〇×四七七・〇cm
http://www.konpira.or.jp/museum/shoin/permanent/section/sansui.html

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