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「光琳・乾山そして蕪村」周辺覚書(その十八) [光琳・乾山・蕪村]

その十八 乾山の「瀟湘八景和歌」

八景和歌一.jpg

乾山「瀟湘八景和歌」一幅 紙本墨書 三九・四×一八・〇㎝ MIHO MUSEUM蔵)
(下部の落款=京兆野叟/紫翠深省拝写/雪玉集)

八景和歌二.jpg

「瀟湘八景和歌」(上部拡大図)

山市晴嵐 山かせの立にまかせて春秋の にしきはおしむ市人もなし
漁村夕照 夕けふり木かくれ深き一村の 入日にかはるいさり火の影
烟寺晩鐘 世中を驚くへくは沖津波 かゝるところの入相のかね
瀟湘夜雨 梶まくらとまもる雨やふるき世の しのふることのねにかよふらむ
遠浦帰帆 行くゆくも猶夕なきのあかさりし 遍りもやらぬ海人の釣舟
洞庭秋月 月影の夜のさゝみしつかにて 氷の千里秋風そふく
平沙落雁 行方もわするゝ貝にましりゐて きよき渚をあさる雁金
江天暮雪 降くらす山もさなから影しあれは 雪のそこなる四方の浦波

【乾山は漢籍や和歌の素質があり、古典に造詣が深かったといわれています。またそれ故、作品の中に文学性がこめられているものが多いこともよく知られるところです。その多くは定家詠十二カ月花鳥和歌や三十六歌仙和歌、源氏物語や伊勢物語、謡曲などからの引用ですが、室町後期の公家、三条西実隆(一四五五~一五三七)の私家集『雪玉集(せつぎょくしゅう)』に本歌が見出せる作品も少なくありません。この掛幅は、乾山が三条西実隆の雪玉集にも傾倒していたことを物語る好例といえるでしょう。本来は粘葉装(※でっちゅうそう)仕立てであったと思われる紙面には、三条西実隆が瀟湘八景にちなんで詠んだ八首の和歌がその名称とともに認められています。「乃」の字など、乾山の書の特徴である定家風と光悦流が混じりあったような書風が顕著に見られます。その下に記された落款から、乾山晩年の書写と推察され、こういった小幅にこそ乾山の魅力が凝縮されているといっても過言ではありません。また、歌仙絵の場合もそうですが、この掛幅にも慶長切りの裂地(※※)が使われているのも見どころのひとつといえるでしょう。 】(『乾山 琳派からモダンまで(求龍堂刊)』)
(注)
一 粘葉装(※でっちゅうそう) → 書籍の装丁の一種で胡蝶装(こちょうそう)ともいわれる。
二 慶長切りの裂地(※※)→ 軸装に仕立てる「裂地=生地」で、下記の「裂地」仕立てのもの。
八景和歌三.jpg
慶長切りの裂地(※※)→ 上部の「裂字=生地」

(メモ)

一 この乾山の「瀟湘八景和歌」(一幅)は、「絵」は描かれていない「書」だけのものだが、これぞまさしく乾山の「瀟湘八景」という印象を深くする。

二 これまでに、いわゆる「瀟湘八景」について、下記のアドレスなどで触れて来たが、それらのものと併せ見ていくと、この乾山のものが一際引き立って来る思いがする。

1 探幽(そして雪舟)の「瀟湘八景」など

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2017-04-01

2 大雅の「江天暮雪図(「東山清音帖」より」) など

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2017-04-25

3 芦雪の「宮島八景図」など

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/2017-10-10

三 下記のアドレスで紹介した雪舟の「瀟湘八景図」に、今回の乾山が取り上げた三条西実隆の瀟湘八景に因んだ歌を併記すると、次のとおりとなる。

http://yahan.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306106715-1

山市晴嵐 山かせの立にまかせて春秋の にしきはおしむ市人もなし

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雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「山市晴嵐」

漁村夕照 夕けふり木かくれ深き一村の 入日にかはるいさり火の影

図2.png

雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「漁村夕照」

烟寺晩鐘 世中を驚くへくは沖津波 かゝるところの入相のかね

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雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「烟寺晩鐘」

瀟湘夜雨 梶まくらとまもる雨やふるき世の しのふることのねにかよふらむ

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雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「瀟湘夜雨」

遠浦帰帆 行くゆくも猶夕なきのあかさりし 遍りもやらぬ海人の釣舟

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雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「遠浦帰帆」

洞庭秋月 月影の夜のさゝみしつかにて 氷の千里秋風そふく

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雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「洞庭秋月」

平沙落雁 行方もわするゝ貝にましりゐて きよき渚をあさる雁金

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雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「平沙落雁」

江天暮雪 降くらす山もさなから影しあれは 雪のそこなる四方の浦波

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雪舟筆「瀟湘八景」(狩野探幽「写」: 寛文十一年《一六七一》「写」=紙本墨画、巻子装、三三・一×五二〇・九cm、早稲田大学図書館 )のうちの「荒天暮雪」

四 雪舟と三条西実隆とは、室町後期の同時代の人である。雪舟は、応永二十七年(一四二〇)~永正三年(一五〇六)、三条西実隆は、康正元年(一四五五)~天文六年(一五三七)、雪舟が日本水墨画の大成者とするならば、三条西実隆は、当時の室町公家文化の代表者で、その六十二年間にわたる日記『実隆公記』は当時の文化界を知る貴重な史料となっている。

五 三条西実隆の『雪玉集』は、次のアドレスの「国立国会図書館デジタルコレクション」で、その全文が閲覧出来る。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2561175

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