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抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』周辺(その十五) [三十六歌仙]

その十五 里村玄陳と今川氏眞

里村玄陳.jpg

抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「十五 里村玄陳」(姫路市立美術館蔵)
https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1483

今川氏真.jpg

抱一筆『集外三十六歌仙図画帖』所収「三十三 今川氏眞」(姫路市立美術館蔵)
https://jmapps.ne.jp/hmgsbj/det.html?data_id=1503

(歌合)

歌人(左方十五) 里村玄陳
歌題 遠里鶏
和歌 遠(をち)かたにゆふつけ鳥の声すなり いざそのさとに宿りとらまし
歌人概要  連歌師。

歌人(右方三十三) 今川氏真
歌題 河五月雨
和歌 よし野川瀬々のしら浪岩越えて こずゑにかかる五月雨の雲
歌人概要 戦国期の武将。  

(歌人周辺)

里村玄陳(さとむらげんちん)1591-1665 江戸時代前期の連歌師。

 天正(てんしょう)19年生まれ。里村玄仍(げんじょう)の長男。慶長14年安芸(あき)広島藩主福島正則の和漢連句の作者にくわわるなど,おおくの連歌会に出席した。画もよくし,和泉(いずみ)(大阪府)堺にすんだ。法眼。寛文5年1月5日死去。75歳。別号に一翁。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて

今川氏政(いまかわうじざね) 生年: 天文7年(1538) 没年: 慶長19年(1615)

 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、戦国大名、文化人。今川氏12代当主。 父・今川義元が桶狭間の戦いで織田信長によって討たれ、その後、今川家の当主を継ぐが武田信玄と徳川家康による駿河侵攻を受けて敗れ、戦国大名としての今川家は滅亡した。その後は同盟者でもあり妻の早川殿の実家である後北条氏を頼り、最終的には桶狭間の戦いで今川家を離反した徳川家康(松平元康)と和議を結んで臣従し庇護を受けることになった、氏真以後の今川家の子孫は、徳川家と関係を持ち続け、家康の江戸幕府(徳川幕府)で代々の将軍に仕えて存続した。

(文化人としての「氏真」)

 和歌・連歌・蹴鞠などの技芸に通じた文化人であったという。 結果として子孫にも教育で受け継がれ、今川家代々の公家文化の高い能力を活かし、氏真の子孫達が江戸幕府の朝廷や公家との交渉役として高家に抜擢されたので、安土桃山時代(戦国時代)の戦で武功を上げることはできなかったが、役人としては江戸時代になって平和になってから今川家の子孫が文化人の能力で登用されている。また幕末の鳥羽・伏見の戦いで旧江戸幕府軍が敗れ、新政府軍が江戸を目指して進軍すると、高家として朝廷と交流してきた今川範叙が若年寄を兼任した。家康の徳川家に臣従して、子の今川範以らが江戸幕府(徳川幕府)に重用されているので、平和の時代に今川家の家訓で必要な能力を先取りしたという意味では、義元の代からの公家文化習得が功を奏している。

(『集外三十六歌仙』上の今川氏真)

 氏真は生涯に多くの和歌を詠んだ。観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』には1,658首が収録されている。 氏真の少年時の文化的な環境から、駿河に下向していた権大納言・冷泉為和や、詩歌に通じていた太原雪斎などから指導を受けたとも考えられるが、具体的なことは知られていない。里村紹巴の『富士見道記』には、氏真が冷泉為益(為和の子)から作法の伝授を受けたと記されている。
『今川氏と観泉寺』を編纂した一人であり、中古・中世和歌史の研究者である井上宗雄は、氏真の作品を優美平明を旨とする中世和歌の伝統的手法に則った作品と評している。「その作品は、すべてが優れたものでなく、全体的に当時の水準を抜くものではなかったにしろ、時には水準に迫り、また少数ながら新しみのある歌、個性的な歌が存することは注目される。なお多くの平凡な歌が全く無駄だったとは思われない。常に歌に精神の中心を置いていればこそ、緊張感のみなぎった時には、調べの張った、個性的な歌を生んだのである」。
 氏真は、後水尾天皇選と伝えられる集外三十六歌仙にも名を連ねている(集外三十六歌仙は連歌師や武家歌人が多いことが特徴であり、ほかに武田信玄や北条氏康・氏政も数えられている)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(バーチャル歌合)

歌人(左方十五) 里村玄陳
歌題 遠里鶏
和歌 遠(をち)かたにゆふつけ鳥の声すなりいざそのさとに宿りとらまし

歌人(右方三十三) 今川氏真
歌題 河五月雨
和歌 よし野川瀬々のしら浪岩越えてこずゑにかかる五月雨の雲

(判詞=宗偽) 

 「左方」の、「遠(をち)かたにゆふつけ鳥の声すなり」の上の句に対して、「いざそのさと(里)に宿りとらまし」の下の句は「凡」也。「右方」の、「よし野川瀬々のしら浪岩越えて」の上の句に、「こずゑにかかる五月雨の雲」の下の句も、これまた「凡」也。依って、この両句、「持」(引き分け)とす。

(参考)→(集外三十六歌仙 / 後水尾の上皇 [編]) → 早稲田図書館蔵(雲英文庫)

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_e0028/index.html

里村玄陳二.jpg

里村玄陳(狩野蓮長画)

今川氏真二.jpg

今川氏真(狩野蓮長画)

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