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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十一) [光悦・宗達・素庵]

(その二十一)K図『鶴下絵和歌巻』(17大中臣能宣)

鶴下絵和歌巻J図.jpg

J図(15坂上是則・16三条院女蔵人(小大君)・17大中臣能宣)
K図(17大中臣能宣・18平兼盛・19紀貫之)

鶴下絵和歌巻・K図.jpg

17(大中臣能宣・J図の続き)
  御垣守り衛士(ゑじ)のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ(「俊」)
(釈文)見可きも里衛士濃焼火濃よる盤もえ晝ハきえ徒々物をこ曾於もへ
平兼盛 暮れて行く秋の形見に置くものは 我が元結の霜にぞありける(「撰」「俊」)
紀貫之 白露の時雨もいたくもる山の 下葉残らず色づきにけり(「俊」)

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yosinobu.html

  題しらず
みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ(詞花225)

【通釈】皇居の門を護る衛士(えじ)の焚く篝火、その炎が夜は燃え盛り、昼は消え尽きているように、私もまた、夜は恋心を燃やし、昼は消え入るばかりに過ごしているのだ。
【語釈】◇みかきもり 御垣守。宮廷の諸門を警固する者。「みかきもる」とする本もある。◇衛士(ゑじ)のたく火 衛門府の兵士が焚く篝火。「衛士」は諸国の軍団から毎年交替で上京し、宮城の諸門などを守った兵士。◇夜はもえ昼はきえつつ 恋情を焚火の炎に喩える。「きえつつ」は消え入りそうな思いで過ごすこと。

大中臣能宣.jpg

大中臣能宣朝臣/滋野井大納言季吉:狩野尚信/慶安元年(1648) 金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yosinobu.html

  入道式部卿のみこの子日(ねのひ)し侍りける所に
千とせまでかぎれる松もけふよりは君にひかれて万代(よろづよ)やへむ(拾遺24)

【通釈】千年までと寿命が限られる松も、今日からは、あなたに引かれて万年の命を保つでしょう。
【補記】「入道式部卿のみこ」は宇多天皇皇子敦実親王。正月初子(はつね)の日、小松を引いて遊ぶ行事にお供した際、その場で詠んだ作。これも長寿を予祝する賀意を籠めた歌である。「君にひかれて」は「君にあやかって」の意を兼ねるめでたい掛け詞。爽やかな調べが賀歌としての格調を与え、追従の卑屈さなど全く無縁である。公任の『三十六人撰』を始め多くの秀歌撰に選ばれて、中世まで秀歌の名を恣(ほしいまま)にした。

滋野井季吉(しげのいすえよし)
江戸初期の公卿。滋野井公古の養子。五辻之中の子。初名は冬隆、一字名は土。中絶した滋野井家を相続、再興をはたす。権大納言正二位。連歌を能くした。明暦元年(1655)歿、70才。

大中臣能宣二.jpg

『三十六歌仙』(大中臣能宣)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ(詞花225)

(追記)「風神雷神図屏風」(俵屋宗達筆)の「雷神図」周辺メモ

風神雷神図一.jpg

俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」紙本金地著色 各 154.5×169.8 cm
江戸時代(17世紀) 京都 建仁寺 国宝
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item10.html
【 款記も印章もそなわらないこの屏風が、俵屋宗達(生没年不詳)であることを疑う人はいない。尾形光琳も、さらにそのあとの酒井抱一も、これを模倣した作品を制作しているのは、彼らもまた、この屏風が宗達筆であることを微塵も疑っていなかったからである。
ここに貼りつめられた金箔は、描かれる物象の形を際立たせ、金自体が本然的にもっている装飾的効果として働いている。そればかりではなく、この屏風においては、金箔の部分は無限の奥行をもつある濃密な空間に変質しているのである。つまり、この金箔は、単なる装飾であることを越えて、無限空間のただなかに現れた鬼神を描くという表現意識を裏打ちするものとして、明確な存在理由をもっている。傑作と呼ばれるゆえんがここにある。 】

雷神図一.jpg

俵屋宗達筆「「風神雷神図屏風」左隻「雷神図」 → メモ(雷神→白鬼)

雷神.jpg

「伊勢物語色紙」(伝俵屋宗達画)第六段(雷神)→ メモ(雷神→赤鬼)

雷神図二.jpg

「雷神図」(「扇面張交屏風」の内の扇面図)伊年印(宗達派作品) 八曲一双 紙本着色
 一一一・五×三七六・〇㎝  宮内庁蔵  メモ(雷神→白鬼)
【 八曲一双の金地屏風の各扇に三面ずつ、計四十八面の扇面をさまざまな形に散らして貼付する。各屏風の端に「伊年」の円印が捺されるが、扇面を現在の形に貼り交ぜた際の後捺と思われる。扇絵の画題は保元物語二十面、平治物語十六面、伊勢物語四面、西行物語一面、それに草木五面で、古典的な物語絵が大半を占める。四十八面中、屏風に貼り交ぜた際に新たに加えたもの一枚(左隻右から第三扇の中央の扇面)と、他と作風が異り時期の下る草花図四面などが混入するが、大方は宗達一派の扇面画の特徴をよく備えている。それらは扇面特有の湾曲した画面に巧みにモチーフを配し、動きのある構図を構成している。扇面中、「伊年」円印と「太藤」と読める小円印と捺すもの各数面確認され、宗達工房の実態を考える上で重要である。 】(『琳派五 総合(紫紅社)』所収「13扇面貼付屏風(村重寧稿)」)

(周辺メモ)

 この「雷神図」(「扇面張交屏風」の内の扇面図)は、楼門が添えられており、下記の「北野天神縁起絵巻(弘安本)」の「雷神図」(菅原道真の怨霊によって清涼殿に落ちた雷神図)に示唆を受けたものとされている(『日本の美術№31 宗達(千沢梯治著)』)。

雷神図三.jpg

「北野天神縁起絵巻(弘安本)」 1巻 縦30.6 全長155.1 鎌倉時代
13世紀 重文 A22 東京国立博物館蔵  メモ(雷神→赤鬼)
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A227
【讒言によって配所で死んだ菅原道真(845-903年)の霊を天神として祀る北野天満宮の草創の由来と,その霊験譚を集めた「北野天神縁起絵巻」は,社寺縁起絵巻の中でも,最も流布したもので,遺品も多い。この作品は,「弘安本」と呼ばれる一本で,北野天満宮所蔵の3巻から流出した絵が,現在当館及び大東急記念文庫,米国・シアトル美術館などに分蔵される。北野天満宮蔵の下巻の詞書の末尾に「弘安元年」とあり,画風からもその頃の制作と思われる。】

 『宗達絵画の解釈学(林進著・敬文舎)』のサブタイトルは「『風神雷神図屏風』の雷神はなぜ白いのか」というもので、これは、その序章の「『風神雷神図屏風』の造形的表現」と第七章の「『風神雷神図屏風』の深意」の中で詳細に論じられている。
 そこで、その謎解きの「手がかり」(コンテクスト=文脈・脈絡・背景など)と下記の五項目を例示している。

① 雷神と風神の特異な形姿 → 典拠、弘安本系『北野天神縁起絵巻』
② 雷神を向かって左、風神を向かって右に配置する構成 → 根拠「清水寺本堂内々陣、本尊千手観音二十八部衆に付随する雷神と風神の配置」
③ 雷神が額に鉢巻を巻くこと。雷神が黒雲に乗ること → 典拠、謡曲『雷電』
④ 儀軌では雷神の肌は赤色だが、本図の雷神の肌は「白色」であること → 根拠「白い肌になる癩は、当時、白癩と呼ばれた」
⑤ 屏風中央二扇の「金地空間」の意味 → 根拠「菅原道真に対する崇敬の念」および「清水寺千手観音に対する信仰」

そして、結論的に、「『風神雷神図屏風』は、寛永九年(一六三二)六月二二日に、白色
の肌(白癩)で亡くなった友人素庵を菅丞相の分身『雷神』(弘安本系『北野天神縁起絵巻』の雷神のイメージを借用する)に見立て、扇を扱って世に知られた宗達自身を「風神」に擬して、素庵の魂を鎮めるため、また、自分自身のために二人の永かった友誼の供養とした作品である」としている。

 ここでは、これらの是非については触れない。しかし、『日本の美術№31 宗達(千沢楨治著・至文堂)』の「宗達芸術の特色と基盤」の次のことなどを付記して置きたい。

一 宗達画とその作風のものはほとんどすべてにわたって祖形を古画に求めている。宗達は画面の構想にあたって、あたかも舞台演出家が舞台上での配役や演技・小道具を手持の駒の中から決めるように画面の中に持駒を自由且つ適切に配置している。
二 技法上から追及してゆくと、構図のとり方のほかに、賦彩上でも即興的な傾向が顕著である。扇面画を描くときなど源氏の大将の白旗を赤く塗り代えることなどは平気である。また、大和絵の描写の伝統でもあるが、殺伐な生々しいリアルな描写は全く縁のないことである。いわば香り高い武者絵である。動きをとどまらせないようにすることでは、地平線の不安定な扇面画はもってこいの画面形式であった。
三 没骨・たらし込みの技法も、絵模様的な型への偏重から逃れて変化を求めるために必然的に生まれたものといえる。又それは工房的な量産表現に適しやすい技法である。
四 宗達はとくに金と銀の用法に長じていた。藤原時代末の平家納経の補修に宗達が参与したことを説く論もここにある。扇屋工房の性格を広く解釈すればなおのことこのような傾向のものの補修や修理に工房の職人があたったことは当然であろう。宗達も参加した一人と考えることも不思議はない。
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