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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その二十三) [光悦・宗達・素庵]

(その二十三)「鶴下絵和歌巻」K図(2-1紀貫之)

鶴下絵和歌巻K-O図.jpg

「鶴下絵和歌巻」K図~O図
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

(「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(上巻=左方)」)

1柿本人丸(人麻呂) ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れ行く舟をしぞ思ふ(「撰」)
(釈文)保濃々々登明石能浦乃朝霧尓しま可久禮行ふ年をし曽思ふ
2凡河内躬恒   いづくとも春の光は分かなくに まだみ吉野の山は雪降る(「俊」
(釈文)以徒久とも春能日可里盤王可那久尓ま多見よし野濃山盤雪ふ流
3大伴家持 かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける(「俊」)
(釈文)閑左々支能王多勢るハし尓を久霜濃し路支越見連盤夜曽更耳介類
4在原業平 月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身一つは元の身にして(「俊」)
(釈文)徒支や安ら怒ハるや无可し濃春ならぬ我身日と徒盤もと能見尓し天
5猿丸太夫 をちこちのたづきも知らぬ山中に おぼつかなくも呼子鳥かな(「撰」「俊」)
(釈文)を知こ地濃た徒支もしらぬ山中尓お保徒可那久もよぶこと里可那
6素性法師 今来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出つるかな(「撰」「俊」)
(釈文)今来無と以日しハ可利尓な可徒支濃有明(の)月を待出づる哉
7藤原兼輔 みかの原分きて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ(「俊」)
(釈文)見可濃ハら王起天流る々以づ見可ハ以徒見支と天可日し可るら無
8藤原敦忠  身にしみて思ふ心の年経(ふ)れば 遂に色にも出でぬべきかな(「俊」)
(釈文)身尓し見(て)思心濃としふ連盤終尓色尓も出ぬべき可那
9源公忠  行きやらで山路暮らしつほととぎす 今一声の聞かまほしさに(「撰」「俊」)
(釈文)行屋らで山路暮し徒ほと〻幾須今一聲濃き可満保し左尓
10斎宮女御  寝(ね)る夢に現(うつつ)の憂さを忘られて 思ひ慰む程ぞかなしき(「俊」)
(釈文)ぬる夢尓う徒々濃う左も王須ら禮天おもひなぐ左むほど曽ハ可那支
11藤原敏行 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる(「撰」「俊」)
(釈文)秋来ぬと目尓ハ左や可尓見え年共風濃をと尓曽驚可連ぬる
12源宗于 常盤なる松の緑も春来れば今一入(ひとしほ)の色増さりけり(「撰」「俊」)
(釈文)常盤なる松濃見ど利も春久れ盤以ま日とし保濃色ま左利介利
13藤原清正 子の日しに占めつる野辺の姫小松引かでや千代の蔭を待たまし(「撰」「俊」)
(釈文)年濃日し尓しめ徒流野邊乃日めこまつ日可天や千代濃蔭をま多まし
14藤原興風 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに(「撰」「俊」)
(釈文)誰を可もし流人尓世無高砂濃ま徒も無可し濃友那らな久に
15坂上是則 み吉野の山の白雪積もるらし古里寒くなり増さるなり(「撰」「俊」)
(釈文)三芳野濃山乃しら雪徒もるらし舊里寒久成ま左流也
16小大君 岩橋の夜の契りも絶えぬべし明くる侘びしき葛城の神(「撰」「俊」)
(釈文)以者々し能よる濃ち支利も多えぬべし安久類王日し幾葛城濃神
17大中臣能宣 御垣守り衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ(「俊」)
(釈文)見可きも里衛士濃焼火濃よる盤もえ晝ハきえ徒々物をこ曾於もへ
18 平兼盛 暮れて行く秋の形見に置くものは我が元結の霜にぞありける(「撰」「俊」)
(釈文)暮て行秋濃形見尓を久も乃ハ我も登遊日濃しも尓曾有介類

(「鶴下絵三十六歌仙和歌巻(下巻=右方)」)

鶴下絵和歌巻・K図.jpg

(大中臣能宣)御垣守り衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ(「俊」)
(平兼盛)暮れて行く秋の形見に置くものは我が元結の霜にぞありける(「撰」「俊」)
2-1紀貫之 白露の時雨もいたくもる山の 下葉残らず色づきにけり(「俊」)
(釈文)しら露も時雨も以多久もる山盤した葉乃こら須色づ支尓介利
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/turayuki.html

     もる山のほとりにてよめる
2-1 白露も時雨もいたくもる山は下葉のこらず色づきにけり(古今260)

【通釈】白露も時雨もひどく漏るという名の守(もる)山は、木立の下葉がすっかり色づいたのであった。
【語釈】◇時雨(しぐれ) ぱらぱらと降ってはやむ、晩秋から初冬にかけての通り雨。◇もる山 守山。近江国志賀郡。今の滋賀県守山(もりやま)市。東山道の宿場。但し『五代集歌枕』など遠江国の歌枕とする書もある。◇下葉 木立の下の方の葉。和歌では特に萩の下葉がいちはやく紅葉するものとして詠まれた(「白露は上より置くをいかなれば萩の下葉のまづもみづらむ」藤原伊衡、拾遺集)。
【補記】白露は初秋からの、時雨は晩秋からの風物。露や雨に濡れることで葉は色づくものとされたので、「もる山」の名に掛け、雨露が梢から「漏る」ゆえ上葉でなく下葉が紅葉したという洒落である。季節の風物と歌枕を巧みに織り交ぜ、しかも調べが優美なためであろう、中世にかけて極めて高い評価を得た一首。

紀貫之一.jpg

紀貫之/青蓮院宮尊純親王:狩野探幽/慶安元年(1648) 金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

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  志賀の山越えにて、石井(いしゐ)のもとにて物いひける人の別れける折によめる
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな(古今404)

【通釈】掬い取る手のひらから落ちた雫に濁る、山清水――その閼伽(あか)とする清水ではないが、飽かずに人と別れてしまったことよ。
【語釈】◇志賀の山越え 京都の北白川から比叡山・如意が岳の間を通り、志賀(大津市北部)へ抜ける道。主として、天智天皇創建になる崇福寺を参詣する人々が往来した。◇山の井 山中の湧き水。古来の歌枕書は山城国あるいは近江国の地名としている。
【補記】近江へと志賀の山越えをしていた時、水汲み場のもとで人と会話を交わし、その人と別れる折に詠んだという歌。第三句「山の井の」までは、清らかな山清水を閼伽(仏にお供えする水)とすることから、「あかで」を導く序。しかし詞書に「石井のもとにて」とあることから、眼前の景を詠み込んでいることにもなる。山道で出逢った人との、語り尽くすこともないまま別れる名残惜しさが、あたかも山清水の波紋のように心に広がる。
【鑑賞】「此の歌『むすぶ手の』とおけるより、『しづくににごる山の井の』といひて、『あかでも』などいへる、大方すべて、言葉、ことのつゞき、すがた、心、かぎりなく侍るなるべし。歌の本體はたゞ此の歌なるべし」(藤原俊成『古来風躰抄』)。

紀貫之二.jpg

『三十六歌仙』(紀貫之)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな(古今404)

(追記)「光悦書宗達下絵和歌巻」周辺(「メモ」その一)

鹿和歌巻・藤原基俊.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(画)俵屋宗達(書)本阿弥光悦 (MOA美術館蔵)

http://www.moaart.or.jp/?collections=047

作者 (画)俵屋宗達 (書)本阿弥光悦  時代 桃山~江戸時代(17世紀)
素材・技法 紙本金銀泥下絵・墨書 一幅  サイズ  34.1×75.5㎝
解説
 さまざまな姿態や動作を見せる鹿の群像を俵屋宗達が金銀泥で描いた料紙に、本阿弥光悦(1558~1638)が『新古今和歌集』の和歌二十八首を選んで書いた「鹿下絵和歌巻」の断簡である。もとは一巻の巻子本で、第二次大戦後二巻と数幅に分割された。鹿のみの単一な題材をフルに生かした表現法には宗達ならではの技量が感じられる。下絵に見事に調和した光悦の装飾的な書の趣致には、他の追随を許さない斬新さが窺える。現在、シアトル美術館に所蔵されている後半部の一巻の巻末に「徳友斎光悦」の款記と「伊年」の朱文円印が見られる。「徳友斎」の号は、光悦が鷹峯に移る以前に主として使用していたものと考えられている。

(周辺メモ・釈文など)

法性寺入道前関白太政大臣家の哥合尓 野風 → 藤原忠道家の歌合に 野風(題)
婦知ハら能基俊              → 藤原基俊
た可まど能々知濃し乃ハら須ゑ左ハ幾 → 高円の野路の篠原末騒ぎ
曾々や木枯けふ吹ぬ也        → そそや木枯らし今日吹きぬ也

https://open.mixi.jp/user/17423779/diary/1966017010

高円(たかまと)の野路のしのはら末さわぎそそやこがらしけふ吹きぬなり
 藤原基俊
 法性寺入道前関白太政大臣家の歌合に、野風
 新古今和歌集 巻第三 秋歌上 373

「高円の野をゆけば路傍の篠原は葉末が鳴り、あれ、木枯が今日吹きはじめたよ。」『新日本古典文学大系 11』p.120

保安二年(1121)九月十二日、関白内大臣忠通歌合、四句「そそや秋風」。
法性寺入道前関白太政大臣 藤原忠通 1097-1164。
高円の野 春日山の南に続く高円山の麓。
そそや 驚くさま。「物を聞き驚く詞なり」(顕昭・詞花集注)。そよそよと吹く風の擬声辞でもある。
こがらし 八雲御抄三[やくもみしょう 順徳天皇 1197-1242 による歌論書]「秋冬風、木枯なり」。
吹きぬなり 音を聞いての感動。
参考「荻の葉にそそや秋風吹きぬなりこぼれやしぬる露の白玉」(大江嘉言 詞花 秋)。
「秋風」の歌。

藤原基俊(ふじわらのもととし1060-1142)平安時代後期の公家・歌人。道長の曾孫。
金葉集初出。千載集では源俊頼・藤原俊成に次ぐ入集歌数第三位。新古今七首。勅撰入集百五首。 隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合』では恵慶法師と番えられている。
小倉百人一首 75 「契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり」
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