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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十一) [光悦・宗達・素庵]

(その三十一)「鶴下絵和歌巻」N図・O図(2-9壬生忠岑)

(N図)
鶴下絵和歌巻N図.jpg
(O図)
鶴下絵和歌巻・O図.jpg

2-8(壬生忠岑・N図・O図)
  春立つと言うばかりにやみよ吉野の 山も霞みて今朝は見ゆらむ(「撰」「俊」)
(釈文)ハ類多津と以ふハ可利尓や見よし野濃山も可須見てけ左ハ見ゆらん
大中臣頼基 一節に千世を込めたる杖ならば突くともつきじ君がよはひは(「撰」「俊」)
源順 水の面に照る月次(なみ)を数ふれば今宵ぞ秋の最中(もなか)なりける(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tadamine.html

   平貞文が家の歌合に詠み侍りける
春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ(拾遺1)

【通釈】春になったと、そう思うだけで、山深い吉野山もぼんやりと霞んでいかにも春めいて今朝は見えるのだろうか。
【語釈】◇春たつ (暦の上で)春になる。◇吉野の山 奈良県の吉野地方の山々。京都からは南になるが、山深い土地であり、春の訪れは遅い場所と考えられた。その吉野でさえも霞んで見える、ということは、暦通りに、すっかり春になったのだろうか、と言うのである。
【補記】この歌は拾遺集巻頭を飾り、公任『九品和歌』に最高位の「上品上」の例歌とされるなど、古来秀歌中の秀歌として名高い。

壬生忠岑一.jpg

壬生忠岑/竹内宮良尚親王:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ(拾遺1)

壬生忠岑二.jpg

『三十六歌仙』(壬生忠岑)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ(拾遺1)



(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その二・その三)

鹿下絵・シアトル二.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その二)
鹿下絵・シアトル三.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その三)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その二」の「前半三行目」から「その三」の「前半六行」まで)は次の一首である。

379  前大僧正慈円 [詞書]百首哥たてまつりし時月哥
いつまてかなみたくもらて月は見し秋まちえても秋そこひしき

(釈文)百首乃哥た天まつ利し時月能哥 前大僧正慈円
以つ満天加涙曇ら天月盤見し秋ま知え傳も秋曽恋し幾

http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/jien.html

  百首歌奉りし時、月の歌
いつまでか涙くもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき(新古379)

【通釈】涙に目がくもらないで月を見たのは、いつ頃までのことだったろう。待望の秋を迎えても、さやかな月が見られるはずの、ほんとうの秋が恋しいのだ。
【補記】秋はただでさえ感傷的になる季節であるが、そのうえ境遇の辛さを味わうようになって以来、涙で曇らずに秋の明月を眺めたことがない、ということ。正治二年(1200)、後鳥羽院後度百首。
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