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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十二) [光悦・宗達・素庵]

(その三十二)「鶴下絵和歌巻」O図(2-10 大中臣頼基)

鶴下絵和歌巻・O図.jpg
(壬生忠岑・N図の続き)
  春立つと言うばかりにやみよ吉野の 山も霞みて今朝は見ゆらむ(「撰」「俊」)
2-10 大中臣頼基
   一節に千世を込めたる杖ならば 突くともつきじ君がよはひは(「撰」「俊」)
(釈文)日とふし尓千代をこめ多る徒えな連半 徒くとも盡じ君可よハ日盤
源順
  水の面に照る月次(なみ)を数ふれば 今宵ぞ秋の最中(もなか)なりける(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yorimoto.html

   おなじ賀に、竹のつゑつくりて侍りけるに
ひとふしに千世をこめたる杖なればつくともつきじ君がよはひは(拾遺276)

【通釈】一節ごとに千年の長寿を籠めた杖ですから、いくら突いても皇太后の御寿命は尽きますまい。
【補記】詞書に「おなじ賀」とあるのは、拾遺集の一つ前の歌の詞書を受けたもので、承平四年(934)三月二十六日、醍醐天皇の中宮であった皇太后藤原穏子の五十賀(五十歳を迎えた祝い)を指す。竹杖に事寄せて穏子の長寿を言祝(ことほ)いだ歌である。「千世」の「よ」に竹の「節(よ)」を掛け、「つく」には「突く」「尽く」の両義を掛けて、極めて巧みな賀歌となっており、祝賀の場をさぞかし盛り上げたことであろう。藤原公任が頼基を三十六歌仙に選んだのは、この歌あってのことだったに違いない。

大中臣頼基一.jpg

大中臣頼基朝臣/竹内宮良尚親王:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

ひとふしに千世をこめたる杖なればつくともつきじ君がよはひは(拾遺276)

大中臣頼基二.jpg

『三十六歌仙』(大中臣頼基)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

子の日する野辺に小松を引き連れて帰る山路に鶯ぞ鳴く

https://kusennjyu.exblog.jp/23526523/

大中臣頼基三.jpg

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その三・その四)

鹿下絵・シアトル三.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その三)
鹿下絵・シアトル四.jpg
「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その四)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その三」の「前半七行目」から「その四」の「前半四行目」)は次の一首である。

380  式子内親王
なかめわひぬ秋よりほかのやともかな野にも山にも月やすむらん

(釈文)式子内親王
 な可め王日怒秋よ利外濃宿も可那野尓も山尓も月や須むら無

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syokusi.html

   百首歌たてまつりし時、月の歌
ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん(新古380)

【通釈】つくづく眺め疲れてしまった。季節が秋でない宿はないものか。野にも山にも月は澄んでいて、どこへも遁れようはないのだろうか。
【語釈】◇ながめわびぬ 「ながむ」はじっとひとところを見たまま物思いに耽ること。「わぶ」は動詞に付いて「~するのに耐えられなくなる」「~する気力を失う」といった意味になる。◇月やすむらん 月は澄んでいるのだろうか。秋は月の光がことさら明澄になるとされた。「すむ」は「住む」と掛詞になり、「宿」の縁語。
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