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鶴下絵三十六歌仙和歌巻(光悦書・宗達画)」周辺(その三十七) [光悦・宗達・素庵]

(その三十七)「鶴下絵和歌巻」P図(2-15 藤原元真)

鶴下絵和歌巻p図.jpg

清原元輔 契りなき互(かたみ)に袖を絞りつつ 末の松山波越さじとは(「俊」)
2-15 藤原元真 あらたまの年を送りて降る雪に 春とも見えぬ今日の空かな(「俊」)
(釈文)荒玉濃年を送天ふる雪尓ハるとも見え怒介ふ濃空哉
藤原仲文 有明の月の光を待つほどに 我が世のいたく更けにけるかも(「撰」「俊」)
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kinsei/item02.html

あらたまの年を送りて降る雪に春とも見えぬ今日の空かな(「俊成三十六人歌合」八九)

 歌意は、「旧い年を送り、新しい年を迎えたのに、雪が降っているのは、新春とは思えぬ今日の初空であることよ。」
 『王朝秀歌選(樋口芳麻呂校注・岩波文庫)』の校注に、「朱雀院の御屏風絵の歌」とある。

(参考)屏風歌
【 屏風に描かれた絵画にあわせて貼(は)られた色紙形に記された歌。平安時代、唐絵(からえ)屏風に漢詩を添えたのに倣って、倭絵(やまとえ)屏風には歌が付されるようになり、900年代前半(延喜(えんぎ)~天暦(てんりゃく)年間)に、調度品や賀の祝いとしてことに盛行した。絵は主として四季の景物や行事、名所などで、人物が描き添えられるのが普通。歌は画中の人物の心になって詠まれるが、のちには画中人物同士が歌を詠み交わすような趣向も出た。専門歌人が委嘱されて詠むのが普通で、紀貫之(きのつらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、伊勢(いせ)などがとくに名高い。[菊地靖彦]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について  】

藤原元真一.jpg

藤原元真/梶井宮盛胤法親王:狩野安信/慶安元年(1648)  金刀比羅宮宝物館蔵
http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/treasure_house_2015.html

咲きにけり我が山里の卯の花は垣根に消えぬ雪と見るまで(「俊成三十六人歌合」八八)

 歌意は、「卯(ウツギ)の花が見事に咲いている。私の住む山里の、この垣根に残雪が消えないが如くに真っ白な花を咲き誇っている。」
 『王朝秀歌選(樋口芳麻呂校注・岩波文庫)』の校注に、「天徳四年内裏歌合に際して詠んだ」とある。

藤原元真に.jpg

『三十六歌仙』(藤原元真)本阿弥光悦書(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1288424

咲きにけり我が山里の卯の花は垣根に消えぬ雪と見るまで(天徳四年内裏歌合)

(追記)「鹿下絵和歌巻断簡」の「シアトル美術館蔵」周辺(その十一)

鹿下絵・シアトル十一.jpg

「鹿下絵新古今集和歌巻断簡」(シアトル美術館蔵その十一)
http://art.seattleartmuseum.org/objects/14261/poem-scroll-with-deer?ctx=947bccb0-1f22-40c6-acef-ab7c81a74c67&idx=1

 上記の絵図の和歌(「その十一」の「一行目から十三行目まで」は次の一首である。

386  法性寺入道前関白太政大臣
風ふけはたまちるはきのしたつゆにはかなくやとる野辺の月かな(「新古今・巻四・秋上」)

(釈文)法性寺入道前関白太政大臣
 風吹盤たま知るハ幾能志多徒ゆ尓ハ可那久やどる野邊濃月哉

 歌意は、「風が吹くと、玉となって散っていく萩の葉の下露に、かりそめにもその影を宿している野辺の月であることよ。」

(参考)法性寺入道前関白太政大臣(artwiki)
【藤原忠通。承徳元年(1097)~長寛二年(1164)藤原氏摂気相続流、関白忠実の息子で母は右大臣源顕房の娘師子。関白太政大臣従一位に至る。保元の乱の際には後白河天皇の関白として、崇徳院側であった父忠実や弟の左大臣頼長と対立した。しばしば自邸に歌合を催している。漢詩をもよくし、また法性寺流の能書で知られる。(百人一首 秀歌集) 】
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