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町物(京都・江戸)と浮世絵(その十一 酒井抱一・その六) [洛東遺芳館]

(その十一) 酒井抱一(その六)「京琳派・江戸琳派など」

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「鶴図」(「伊年」印) 洛東遺芳館蔵

www.kuroeya.com/05rakutou/index-2015.html

「伊年」印が押されています。この印は俵屋宗達の工房印と考えられています。「伊年」印にも幾種類かありますが、この作品に押されたものは国宝「蓮池水禽図」(京都国立博物館所蔵)のものと同じと思われます。鶴の姿は、明時代初期の画家文正が描いた「鳴鶴図」(承天閣美術館所蔵)の左幅の鶴をモデルにしています。かなり忠実に似せていますが、首の羽毛表現、尾羽のたらしこみには宗達の特徴が表れています。

 この「伊年」印については、次のアドレスのものが詳しい。すなわち、俵屋ブランドのマーク(俵屋宗達工房のマーク)というのである。

http://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kaiga/163.html

京都国立博物館→草花図襖「伊年」印

(抜粋)

作者について詳(くわ)しくは分(わか)りません。でも、俵屋宗達(たわらやそうたつ)という絵師と関係の深い作品と考えられています。俵屋宗達は、桃山時代から江戸時代の初めに京都で活躍した絵師で、「風神(ふうじん)・雷神図屏風(らいじんずびょうぶ)」の作者として有名ですよね。

 応仁(おうにん)の乱(らん)で荒廃(こうはい)した京都では、「町衆(まちしゅう)」という、裕福(ゆうふく)な商工業者(しょうこうぎょうしゃ)たちが構成する自治組織(じちそしき)が力をたくわえ、やがて、それまでの武家(ぶけ)や公家(くげ)に代わって、新(あら)たな文化の担(にな)い手となっていきます。

 宗達も、その「町衆」のひとりでした。「俵屋」という屋号(やごう)の「絵屋(えや)」の経営者で、自分も製作し、職人である弟子たちを指導していたようです。「絵屋」は、桃山時代から江戸初期にかけて登場した新しい職業で、色紙(しきし)や短冊(たんざく)の下絵、扇絵(おうぎえ)、灯籠(とうろう)の絵、あるいは染織の描絵や下絵などを手がけ、製作した絵を店頭(てんとう)で販売したり、受注製作(じゅちゅうせいさく)を行なったりしていました。

 「俵屋」は、高級ブランドとして、当時たいへんな人気を集め、やがて、お寺や朝廷からも注文がくるようになります。その俵屋製とみられる金箔地に草花を描いた襖絵や屏風絵が何点かのこされています。そのなかで最も古く、すぐれた作品として昔から定評(ていひょう)があるのがこの絵。宗達のすぐれた弟子のひとりによって描かれたとみられています。右端の下に、「伊年」と読めるハンコが捺(お)されていますね。これは、俵屋ブランドのマークなのです。

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酒井抱一筆「桜楓図」 洛東遺芳館蔵

http://www.kuroeya.com/05rakutou/index-2015.html

紅葉ではなく、青楓が桜と対になっているのは珍しいですが、光琳に屏風の作例があり、それに傚った抱一の屏風作品もあります。それらの屏風作品は装飾的な画風ですが、この作品は描写的で、同時代の円山四条派に似た雰囲気があります。左幅では、橘千蔭の賛にも「ややそめ(染め)かくる」とあるごとく、紅葉しかけている姿が描写されています。
落款の書体から、初期の作品であることが分かります。鈴木其一の「雨中桜花楓葉図」(静嘉堂文庫美術館所蔵)は、この作品が原型になっているようです。

 「伊年」印が、俵屋ブランドのマーク(俵屋宗達工房のマーク)とすると、「酒井抱一工房」は、そのマークはともかく、文化六年(一八〇九)末に移り住んだ、下谷大塚の寓居(アトリエ)の「雨華(うげ)庵」ということになろう。
そして、抱一画に、上記の橘千蔭賛、また、抱一画に、亀田鵬斎賛があると、それは、「酒井抱一工房」作品というよりも、抱一のオリジナル的な、「画・文(詩・歌・句など)」一致の、「江戸琳派の抱一画」というよりも、「江戸町物(衆)の抱一画」という趣がして来る。
とにもかくにも、抱一の「雨華庵」については、次のアドレスのものが詳しい。

http://ctobisima.blog101.fc2.com/blog-entry-314.html



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