SSブログ

蕪村・百川・若冲そして月渓らの「芭蕉翁像」(その十三)  [芭蕉翁像]

その十三 天明二年(一七八二)の同一時作の「芭蕉翁像」(蕪村筆)

天明二年1.jpg
『蕪村全集六絵画・遺墨(佐々木承平他編)』所収「101『芭蕉像』画賛」

『蕪村全集六絵画・遺墨(佐々木承平他編)』の「101『芭蕉像』画賛」で、次のとおり紹介されている。

一幅 
款 「天明歳次壬寅晩冬初十日 蕪村拝写」
印 「長庚」「春星」(白文連印)
賛  後掲
天明二年(一七八二)
『俳人真蹟全集 蕪村』
(賛)
花にうき世我酒しろく飯くろし
夏ころもいまた虱をとりつくさす
はせを野分して盥に雨をきく夜哉
あけぼのや白魚しろきこと一寸
あさよさにたれまつしまそ片こゝろ

 落款の「天明歳次壬寅晩冬初十日」から、「天明二年(一七八二)十ニ月十日」の作ということになる。蕪村が亡くなるのは、翌年の天明三年(一七八三)十ニ月二十五日、丁度、亡くなる一年前の作品ということになる。
 この賛中の芭蕉の五句は、蕪村が精選を重ねての五句ということになろう。晩年の芭蕉が到達した「軽み」の世界というのは、「日常卑近な題材の中に新しい美を発見し、それを真率・平淡に表現する」と要約すれば、これらの作品は、決して晩年の作品ではないが、どの句も「日常卑近の題材」であり、そして、どの句も「真率・平淡な表現」のものということになろう。
 これらの賛の五句が、芭蕉の「軽み」の世界のものとするならば、この蕪村の「芭蕉像」を、顔の表情は実にユーモラスで、先に紹介した「倣暒々翁墨意」の落款のある「芭蕉像」(『蕪村全集六絵画・遺墨(佐々木承平他編)』所収「102『芭蕉像』画賛」)に近いという印象を深くする。

天明二年2.jpg
『蕪村全集六絵画・遺墨(佐々木承平他編)』所収「102『芭蕉像』画賛」

『蕪村全集六絵画・遺墨(佐々木承平他編)』の「102『芭蕉像』画賛」で、次のとおり紹介されている。

一幅 
款 「蕪村拝写」
印 一顆(印文不明)
賛  後掲
『上方俳星遺芳』
(賛)
花にうき世我酒白く飯黒し
夏衣いまた虱を取つくさす
はせを野分して盥に雨をきく夜かな
おもしろし雪にやならむふゆの雨
あさよさにたれまつしまそ片心

 冒頭に掲げた「芭蕉像」の賛中の五句と同じものではなく、この四句目のみが相違している。また、他の四句も、漢字と平仮名などの句形を異なにしている。しかし、この両者は、この賛などからして、同一時期の作品と解したい。即ち、両者とも、天明二年(一七八二)作と解したい。
 その上で、両者の画像を比較鑑賞すると、前者が、速筆体の「戯画」「酔画」の、「真・行・草」の「草画」的な印象に比して、後者の方は、丁寧な筆遣いで、「真(本)画」的な印象を強く受ける。

 先に、安永末年(一七八〇)から天明三年(一七八三)の間と推定される、大津の俳人、(伊東)子謙宛ての蕪村書簡の一部について触れたが、ここで、より詳しく、その書簡について触れて置きたい。

[ (前略)
〇 杉風が画の肖像も少々俗気有之候故、いさゝか添削を加候。都(スベ)て肖像之画法は、年を寄せ候が能(よく)候。
〇 杉風原本にはしとね(褥)を敷(しき)候へども、是はよろしからず候。仏家之祖師などの像には褥(しとね)をよく候へ共、翁などのごとき風流洒落(しゃらく)にて脱俗塵たる像は、只寒相にて寂しき方を貴(たっと)び申事に候。
〇 愚老むかし関東に於て、許六が画の肖像に素堂の賛有之物を見申候 厳然たる真蹟 伝来正きものに候 其像之面相は 杉風が画たる像とは大同小異有之候 許六が画(えがき)たるも 翁現世の時之画と相見え候 杉風・許六二画の内、いづれが真にせまり候や 無覚束候 愚老が今写する所は、右二子の画たる像を参合して写出候。庶幾(こいねがわくば)其真にせまらん事を。(以下、略)  ]
(『蕪村書簡集(大谷篤蔵・藤田真一校注)』)

 蕪村が描く座像の「芭蕉像」は、多く、杉風の芭蕉像(例えば、義仲寺の芭蕉像)を参考にしているのだろうが、この書簡にあるごとく、ことごとく「添削を加え」(手を入れて修正している)、蕪村の内たる芭蕉像を描出している。
 また、この書簡の、杉風作は「褥を敷(しき)候へ共、是はよろしからず候」と、『蕪村全集六絵画・遺墨(佐々木承平他編)』で紹介されている七点の座像ものは、全てが、「褥(しとね=座る時の四角い敷物)は敷いていない。
 さらに、この書簡の、「肖像之画法は、年を寄せ候(年相応に描く)が能(よく)候」と、その顔の表情などは、一枚足りとも同じ表情のものはない。壮年の芭蕉は壮年らしく、老齢の芭蕉は老齢のままに描いている。

 上記の同一時の頃の作と思われる(その賛などからして)二例にしても、前者が「動的・ユーモラス」な芭蕉像とすると、後者は「静的・謹厳実直」な芭蕉像という趣である。そして、画人・蕪村の忠実な後継者である「月渓」の描く芭蕉像などは、蕪村の外面的なものの把握だけで、その内面的なものに迫ろうとする気配は感じられない。
 そして、これまで見てきた「百川・若冲・月渓」の芭蕉像と、蕪村のそれとを比較すると、質・量共に、蕪村に匹敵する画人は見当たらないということを実感する。

コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。