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狩野永納筆「新三十六人歌合画帖」(その七) [三十六歌仙]

その七 西園寺入道前太政大臣と大納言通具

西園寺公経.jpg

狩野永納筆「新三十六歌仙画帖(西園寺入道前太政大臣)」(東京国立博物館蔵)各22.4×19.0
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0056403

源通具.jpg

狩野永納筆「新三十六歌仙画帖(大納言通具)」(東京国立博物館蔵)各22.4×19.0
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0056404

左方七・西園寺入道前太政大臣
http://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/001/0010688000.html

 桜花みねにも尾にもうへをかむ/見ぬ世のはるを人やしのぶと

右方七・右衛門督通具
http://www.ikm-art.jp/degitalmuseum/num/001/0010689000.html

 磯上ふるののさくらたれうへて/はるはわすれぬかたみなるらむ

(狩野探幽本)

https://yahan.blog.ss-blog.jp/2019-12-02

西園寺公経.jpg

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖(左方七・西園寺入道前太政大臣」(東京国立博物館蔵)各33.5×26.1
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009400

源通具.jpg

狩野探幽筆「新三十六歌仙画帖(右方七・右衛門督通具」(東京国立博物館蔵)各33.5×26.1
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009418

(参考)

フェリス女学院大学蔵『新三十六歌仙画帖』

https://www.library.ferris.ac.jp/lib-sin36/sin36list.html

西園寺公経二.jpg

源通具二.jpg

(周辺メモ)

https://www.beach.jp/circleboard/af00843/topic/1100204336345


 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)こと藤原公経(ふじわらのきんつね)は、鎌倉時代初期に比類なき栄華(えいが=富み栄えること)をきわめた政治家である。藤原公経(ふじわらのきんつね)は、源頼朝(みなもとのよりとも)の姪(めい)を妻にするなど、鎌倉幕府と親近し、幕府よりの公家として幕府と朝廷の両方と絶妙な関係を築き上げ、太政大臣まで出世した。また外孫の藤原頼経(ふじわらのよりつね)を鎌倉幕府の第四代将軍にまで押し上げたことで権力をつける。
※※
 藤原公経(ふじわらのきんつね)が出世したきっかけとなったのが、『承久(じょうきゅう)の乱』である。このとき公経は、後鳥羽院(ごとばいん・第99番作者)らの幕府転覆の企てを知ったため幽閉されるも、承久の乱の情報を幕府に密告してしまう。そして幕府の勝利に貢献した公経は太政大臣まで上りつめることができた。 このとき敗れた朝廷側の後鳥羽院(ごとばいん・第99番作者)、順徳院(じゅんとくいん・第100番作者)はその後、配流されてしまう。政治家としてはずる賢いと言われる公経だけど、彼の生きた時代は激動期でもあり、処世術なしでは生きていけなかった。ちなみに藤原定家は公経の姉を妻にしている。
※※
 公経は財力を使って京都の北山に西園寺(さいおんじ・のちのかの有名な金閣寺〈鹿苑寺・ろくおんじ〉)という別荘を造った。(正確には公経の山荘を改装したものである)
なので西園寺公経なんて呼ばれることもあったそうだ。この西園寺は、のち足利義満に譲られる。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/62/0/62_62_72/_pdf/-char/en

 通具は村上源氏の一族で、承安元年(一一七一)に生まれた。父は通親、異母兄に通宗、異母弟に通光・定通・通方らがいる。通具は和歌所寄人、さらに父の代理として『新古今集』撰者の一人となった。通具が本格的に和歌を詠み始めたのは、正治二年(一二〇〇)頃である 。通具は通親の後援を受け、後鳥羽院歌壇の中心歌人の一人として、多くの歌合・歌会に出詠する。続く順徳天皇の内裏歌壇でも、たびたび出詠していた。その後承久の乱により歌壇が完全に終息すると、通具の和歌に関連する事績は途絶え、安貞元年(一二二七)九月二日に五十七歳で生涯を終える。

https://core.ac.uk/download/pdf/144440348.pdf

 通具は村上源氏の名代としてこれから勅撰集撰集に携わる責務をよく理解していた。『新古今集』において通具は村上源氏直系の歌人を撰び、一族の存在を勅撰集の中に刻んでいる。また特に、九条家には良経がいた。漢詩に堪能であり、物語歌を取り込んだ歌も多く詠む。父通親と兼実とは違い対立意識はなかったろうが、村上源氏から出た歌人として、良経を参考にしていた可能性を考え、今後の課題とする。

https://kyotofukoh.jp/report1107.html

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